ハロウィン小話:小さい正じぃ
小さいおじさんならぬ、小さい正じぃのお話。
そう、その日は何の変哲もない一日だったのです。
秋も近づくこの季節。
狂ったような暑さに見舞われ、私は幻覚でも見ていたのでしょうか。
それは何の前触れもなく私の前に現れました。
雑然と物の置かれた私の机。
物と物が積み重なった中に私はそれを見てしまったのです。
最初『ブブブブ』という奇妙な音が聞こえました。
私はマナーモードにした携帯が音を出しているのだと思っていました。
しかし、机の上に置いておいた携帯を見ましたが、着信など着た様子はありません。
でも確かに聞こえるのです。
『ブブブブ……』という音が。
その時です。
私は異様な視線を感じ、そちらを見ました。
そう、そして見てしまったのです。
物と物の隙間。
私はそれと目が合いました。
それは何と小さい正じぃでした。
恐らく掌に乗る程の大きさ。
あの奇妙な音は、正じぃの震える音だったのです。
そして小さい正じぃは、『ブブブブ……』とバイブレーションしながら、物と物の奥へと消えてゆきました。
私はあまりの事に、暫くその場から動けませんでした。
それきりあの奇妙な音は聞いてません……。
「和子先生、この現象どう思われますか?」
「うーん、そうねぇ。取り敢えず幻覚って事でいいんじゃない?」
「えぇっ!? そんなっ、あれは幻覚なんかじゃありませんよ! この目でしっかりと見ました!」
数学教師である杉本先生は、常日頃からカウンセリングという名の愚痴吐きをしている。
この日も彼は保険室へとやってきていた。
その際、きっちりと手土産を持っていく事を忘れない。それさえあれば、和子先生は快く迎え入れてくれるのだ。
因みに、この日の手土産は期間限定の蜂蜜かぼちゃプリンである。
やはり、熊なプーさんに似てる彼女には、無意識に蜂蜜入りのお菓子を選んでしまう。
だってしょうがないじゃないか。
今もほら、蜂蜜かぼちゃプリンを頬張る幸せそうな顔は、どうしたって赤いチョッキが似合う黄色い熊が重なるのだ。
「だって杉本先生、ご自分で幻覚とか言ってたじゃありませんか」
「ああっ、あれは話を盛り上げる為の前置きのような感じで……」
「あらあら、盛り上げるって作り話なんですか?」
「作り話なんかじゃありませんって! 少しばかり脚色してるかもしれませんけど、小さい正じぃはしっかりとこの目で見てるんですよぅ~」
「フフッ、小さい正じぃって可愛らしいですねぇ」
「和子先生信じてませんね……」
全く真剣に受け答えしてくれない和子先生に、杉本先生は魔法の言葉を使った。
「駅前のケーキ屋のプレミアムチーズケーキ奢ります」
「杉本先生、前触れはないと仰いましたけど、正じぃと何かありませんでしたか?」
今までのほのぼのとした雰囲気だったのをガラリと変え、和子先生は至極真面目な顔で杉本先生に訊ねた。
熊なプーさんに似たあのクリクリとした円らな目が、今はキリッと凛々しくなっている。
「えーと、特には何も……ん? いや、そういえば……」
「何かあったんですね?」
まるで推理物の探偵のような態度を醸し出しながら和子先生は身を乗り出した。
実際、彼女の脳内では、前日放送された二時間サスペンスが思い出されていたりする。
「あ~、そういえば少し前に正じぃからトリートメントがどうのって聞かれたような……」
「トリートメント……」
和子先生の目が、キランと光る。
「なので、私はリンス派ですと答えました」
「リンス……」
またもやキランと光る和子先生の目。
「うーん、リンスが気に食わなかったのかしら?」
「えーと、それはないと思います。それから机の上に置いてあった甘栗とハッピーターンをあげたんです」
「私、ハッピーターンが纏うあの絶妙な甘じょっぱさは世界を狙えると思うの」
「え!? いきなりなんですか?」
何処までも真面目な顔で述べた。今日一番の真剣さかもしれない。
「いったい何の話ですか……。あ、そういえば、それらを貰った正じぃは、余程嬉しかったのか大きな声でハッピーと叫んでましたよ」
「ハッピー……杉本先生、正じぃは最初トリートメントと言ったんですね?」
何だか『キュピーン』と効果音が鳴りそうな感じで目を光らせながら和子先生が訊ねる。
流されやすい杉本先生もその雰囲気に飲まれているのか、ゴクリと唾を飲み込み頷いた。
「はい。確かに……」
ガラッ!!
「あ~……トリートメント!!」
「そうそう、こんな感じで……ひいっ!?」
何とも絶妙なタイミングで、彼が今まさに言おうとしていた言葉が響く。
元々気が小さい杉本先生は、おびえた様子で和子先生の後ろに隠れた。
見れば正じぃがそこに立っている。相変わらず、頭には鳥の巣の如き鬘が乗っていた。
「あら、校長先生どうなさったんですか?」
「あ~……トリートメントッ!!」
「フフッ、トリートメントって、元々校長には手入れする髪がありませんよ」
「ちょっ!? 和子先生!?」
明らかにお前は禿だろうと言ったような物言い。
焦る杉本先生であったが、彼女は外見ばかりでなく、醸し出す雰囲気でさえも熊なプーさんであった為、どんな暴言もそうとは聞こえない特技を持っていた。
「それにしても、今日のピーちゃんは可愛いですね。カボチャの着ぐるみなんて」
そう、ピーちゃんは着ぐるみを着ていた。すっぽりと全身を包む、カボチャの着ぐるみ。
その様は、鳥の巣に鎮座するカボチャそのものだった。
「あ~……えっへん!」
「ピー!」
ピーちゃんを褒められ、まるで自分の事のように得意気な正じぃ。ピーちゃんも嬉しげに翼を広げて一声鳴いた。
その際、カボチャの着ぐるみの両脇が翼を広げ易いように、パカッと開くようになっていた。
無駄にクオリティが高いように思う。
「ところで、校長先生。何かご用ですか?」
和子先生の指摘によって、正じぃは思い出したと言うように、ポンと手を叩いて大きく頷いた。
「トリートメントッ!!」
「校長、それを言うならトリック オア トリートメントではなく、トリック オア トリートですよ……」
「うわぁっ!?」
「あらぁ? 教頭先生」
いきなり背後から声がして、蚤の心臓を持つ杉本先生は文字通り飛び上がったのである。
「なるほど、トリートメントは純粋に間違えたんですね」
「えっ、じゃあもしかしてあれは正じぃのいたずら?」
「あら、そうかしら?」
和子先生は頬に手を当て首を傾げると、机の引き出しを開け、カントリーマァムやらポッキーやらパイの実やらを出し正じぃに渡した。
すると、正じぃはパァと顔を輝かせ、「ハッピー!!」と叫んだのだ。
それに隣の教頭が、「ハッピーハロウィンだそうですよ」と付け足した。
ホクホク顔の正じぃは、ここにはもう用は無いとばかりにバイブレーション激しく保健室を出ていった。
「杉本先生、正じぃにちゃんとお菓子渡したじゃないですか」
「あ、そうですよね。だからこその『ハッピー』だったんですね。でも、だとしたら何で小さい正じぃが……」
二人で「うーん」と悩んでいると、すぐ近くで「あの、和子先生」と声が。
「教頭先生、まだいらしたんですか!?」
相変わらず、気配を全く感じさせない。
そんなだから、各所から教頭は只者じゃないと言われるのだ。
彼は懐に手を入れ、何やらゴソゴソと漁りだした。そして、お目当ての物が見つかったのか、それを取り出し彼女に差し出す。
「えー……これは校長の他愛ないお遊びに付き合ってくれたお礼です。少し前にファンクラブと見守る会の元会長同士が恋人同士になったそうで、その記念としてOBも交え、総力を上げて作った一品です」
教頭の顔は、いつもやる気なさそうにしている彼にしては珍しく、嬉しそうに微笑んでいた。
そして彼の差し出した一品。
それは……。
「あらまぁ、これは……」
「ち、小さい正じぃ……」
「えー……はい、ストラップなんですよ。付属でピーちゃん入りの鳥の巣も付いて、こうやってかぶせると……」
『ブブブブ』
「まあ! 震えるんですね!」
「ええ、細部にまで拘っていて、本当に校長そっくりでしょう? まるで校長がそのまま小さくなったみたいに」
「ウフフ、本当に……私もそう思います」
和子先生が横目で杉本先生を見ている。
この時彼は、教頭の話を聞いている間、ずっと冷や汗を垂らしていた。
だって和子先生の視線がほら、とっても冷たい。
「時に教頭先生? このストラップ、杉本先生にも渡しました?」
「ええ、タイミングが合わなかったのか手渡すことはありませんでしたが、机の上に置いておきました。
しかし杉本先生、少しは整頓なさった方がいいですよ。あれだけ物を置かれては、何処に何があるか分からなくなりますよ」
「は、はい、すみません。これからは整頓します」
注意する教頭の横で、和子先生がにこやかに笑っていたので、彼は更に汗を流すことになった。
教頭先生は、いつもの眠そうな表情に戻ると、「えー……失礼しました」と言って部屋を出ていったのだった。
「………」
「………」
「あのー、和子先生?」
「正じぃのトリートメントは、トリック オア トリートの事だった」
「え?」
「その時、その言葉の意味こそ分からなかったけれど、杉本先生は意図せずしてハロウィンのお菓子をあげる事になり、ハッピーハロウィンの意味であるハッピーと正じぃは言いました」
「はい? か、和子先生?」
「そして今回の最大の謎の一つ、『小さい正じぃ』は教頭先生がファンクラブの記念とやらで作ったとされるストラップ」
和子先生は高らかに正じぃストラップを掲げる。
気のせいか、照り返しのせいか、小さい正じぃが輝いて見えた。
「犯人はこいつです!」
「あの、え?」
「謎は全て解けました!」
「いや、はい。そうですけど……」
「真実はいつも一つ! 正じぃの名にかけて!」
「あれ? 何か混じってる?
というか、全部事が判明してから謎解きされましても……」
彼女の顔は何処までも自信に溢れていた。きっとその脳内では二時間サスペンスの定番、崖の上に立っていることだろう。
崖の上の熊なプーさん。
色んな意味でスリルとサスペンスに満ち溢れている。ポニョもびっくりだ。
「はぁ~、それにしても何でもなくてよかったぁ」
「正じぃの呪いじゃなくてよかったですね」
「まったくですよ」
「えー……ゴホン、杉本先生」
「はい、何ですか……って、うわぁ!? きょ、教頭先生!? 出ていかれたんじゃあ……」
「ええ、ですがこれを忘れてまして」
また気配無く背後に立つ教頭先生。
彼はある物を杉本先生に渡す。
「これは……」
「あら、それってストラップの付属の……」
そう、ピーちゃん入り鳥の巣の如き鬘である。
小さい正じぃに合わせている為、とても小さい。
「えー……貴方に渡したストラップの付属です。一緒にするのを忘れていたので。では」
それだけ言うと、教頭は今度こそ去っていった。
暫し無言の二人。静寂が保健室を支配する。
「確か、この付属を装着すると震えるんですよね」
「は、はひっ」
「そういえば、杉本先生の見た小さい正じぃは、これ着けてました?」
「ひっ、い、いいえっ」
「じゃあ何で杉本先生の見た正じぃは震えてたんでしょう?」
今思い返してみても、小さい正じぃの頭は肌色一色であった。
今更ながら物凄い勢いで全身が粟立つ。
「杉本先生……」
「はひっ」
「もしかして正じぃは怒ってたんじゃありません?」
「へ? な、なんでですか?」
「机の上整頓しないから……」
「うっ」
「それか、ピーちゃんが居ないから寂しかったとか……」
「あ……」
「今すぐ発掘して会わせてあげればいいのでは?」
「い、今すぐ行ってきますっ!!」
杉本先生は慌てて保険室を出ていく。
和子先生はその背にすかさず、「プレミアムチーズケーキ楽しみにしてます」と声をかけた。
「ふぅ、それにしても本当、どうして勝手に動いたのかしらねぇ?」
一人になりぽつりと呟く彼女は、手元にある正じぃストラップに鳥の巣を装着した。
『ブブブブ……』
小刻みに震えるストラップ。
やはり無駄にクオリティが高い。
ピーちゃんの着ぐるみと言い、正じぃの取り巻きスゲーなと思う和子先生だった。
『ブブブブブ……』
謎は謎のまま、小さい正じぃは静かに微笑む。
~小さい正じぃ・終~
今回のお話如何でしたでしょうか?
部屋を散らかしていると、小さい正じぃが紛れているかもしれません。
実は少し前に体調を崩しまして、寝込んでおりました。
その際、天井を見上げながら、ふと以前従兄弟が話してくれた小さいおじさんの話を思い出しました。
何でも、玄関を見ると少しだけ開いていて、それをぼぅっと眺めていたら「ちょいとごめんよ」と非常に小さいおじさんが、手を手刀の形にして上下に振りながら通っていったそうです。見た目は本当に普通のおじさんだったと言っていました。
そしてそれを思い出した私は、何故かおじさんを正じぃに変換して考えていました。
きっと正じぃなら、バイブレーションしながら真横に移動するに違いない。そう、テーブルの上に置いたマナーモードの携帯のように。
そうして出来たのがこのお話です。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。