番外編:薔薇と苺とアロハシャツ5
思いのほか、甘々になってしまいました。
書いてて悶絶……。
「で? 何で俺の事を調べたりしたの?」
静かな声音に、真澄が怒っていると思った乙女は、まともに其方を見る事が出来ないでいた。
手元で両の手の親指同士を合わせ、爪をプチプチと弾いてちょっとばかり現実逃避してしまう。
「薔薇屋敷さん?」
ぬっと顔を覗き込まれ、ビクッとする乙女。
彼から目を逸らしながら、
「だ、誰にも言ってませんわ……」
「それ、答えになってないんだけどな」
乙女はチラリと横目で真澄を窺った。何の感情も見えてこない表情をしていた。
何だか彼が別人のようで、乙女は再び目頭が熱くなる。
「そもそもあなたが悪いんですわ! 夏休みはわたくしの誘いを断って。でも、わたくしがどんなに罵っても、嬉しそうな顔をするだけで全然怒らないんですもの! 極めつけはクリスマスですわ! わたくしあんなプレゼント初めてで……だから、だからわたくし……」
乙女はポロポロと涙を零す。
そして、もう一度真澄の顔を見ようと顔を上げ、唖然とする。
何と真澄が、肩を振るわせ笑っていたからだ。
「なっ!? わたくしが泣いているのに笑うなんて、どういう了見ですの!?」
顔を真っ赤にして怒る乙女に、真澄は笑いながら手を伸ばしてくる。
その手は乙女の頬に触れ、涙を拭った。
「もう薔薇屋敷さん、凄い事になってるんだけど」
そう言われて見てみれば、布団を被っていた為髪はぐしゃぐしゃで、顔は涙でべしょべしょだ。
途端に恥ずかしくなって、再び布団に潜ろうとする乙女を真澄は止めた。
「ああ、また潜っちゃったら、余計にぐしゃぐしゃになっちゃうって」
「放っといて下さるかしら、あなたに心配されたくありませんわ!」
しかし真澄は、自分のハンカチを取り出し乙女に渡す。
最初睨んでいた乙女であったが、真澄のその眼差しが何だか温かなので、素直に受け取り涙を拭う。
するとその間に、真澄が乙女の髪に手を伸ばして髪を撫で付けてくれた。
その手付きがあまりにも優しかったので、乙女は恥ずかしくてハンカチから顔を上げられなくなった。
今彼は、どんな顔をしてこんな事をしてくれているのだろうかと思う。
でも、さっきの静かに怒っているような顔を思い出し、乙女は消え入りそうな声で訊いてみた。
「もう怒ってませんの……?」
「へ? 何が?」
すると、すぐさま真澄のとぼけた様な声が聞こえてバッと顔を上げる。
「だって、あなたの事を調べてましたわ……」
「ああ、その事。全然怒ってないけど?」
「だ、だって……」
あの何の感情も窺えないあの顔は何だったのだろうと、乙女は真澄を見るのだが、彼はふわっと笑って、
「ずっと考えてたんだけどさ、薔薇屋敷さんって俺の事好きだよね?」
「っ!!」
一気に真っ赤になる乙女。
「な、何ですの、いきなり!?」
「だって、俺の事調べたって事は、俺の事知りたかったんだよね?」
「そ、それは……」
「俺の事知りたいって事は、少なくとも俺の事を嫌ってないって事でしょ? それに、大事にしてくれてるんだよね、俺のあげたクリスマスプレゼント……」
乙女は目の前の真澄から目が離せなくなっていた。
だって、何だかいつもと全く違うのだ。
いつもののほほんとしたお気楽な雰囲気は抜け、自信たっぷりにそして熱の篭った様に乙女を見つめてくる。
極めつけは、絡め取ろうとするかのようなその声。
甘く掠れて、何だか体から力が抜けるようだった。
「苺のストラップ、肌身離さず持っていてくれてるんだ……」
「あ、あの……」
髪を梳いていた手が、乙女の頬に降りてきた。
乙女は微かに震える。そんな乙女に、真澄はクスリと笑って囁いた。
「可愛い……」
「っ!!」
乙女は耳まで真っ赤にすると、唇をパクパクとして真澄を見やる。
物凄く優しい眼差し。そして優しい笑顔。
彼のこんな笑顔は初めて見た。
乙女の胸が、キュウと締め付けられた。
しかし、そんな自分が許せなくて、乙女は強がりを言った。
「か、可愛いなどっ! そんな事は分かりきっていますわ!」
「うん、そうだね。凄く可愛い」
「~っ!!」
乙女は何だか、鼻血を噴きそうになっている自分に気付く。
(そんなバカな事ありませんわ! 気のせいですわ! 気のせいですわよ!)
自分にそう言い聞かせるのだが、
「乙女ちゃんって呼んでもいい?」
「そ、そんなの馴れ馴れし過ぎますわ!」
「うん、でも呼びたいんだ……駄目?」
縋る様な目で訴えられる。
乙女はそんな目で見つめられ、俯き加減に、表向きには仕方なくといった感じで、
「そ、そそそこまで言うのなら、ゆ、許しますわ」
かなりどもっていたがそう言った。
すると、真澄は満面の笑みを浮かべる。
「うん。ありがとう乙女ちゃん」
「っ!! だ、誰かの前でわたくしをその様に呼んだら承知いたしませんわよ!」
他の人の前で呼ばれたら、恥ずかしくてきっと死んでしまうと、乙女は思った。
しかも相手はあの真澄なのだ。乙女のプライドが許さない。
しかし、
「じゃあ、二人きりの時だけこう呼ぶね、乙女ちゃんって」
「っ!!」
ボボンと顔から湯気が出る勢いの乙女。
何だか二人きりと言う言葉が生々しかった。
「フフッ、真っ赤だね。苺みたいだ」
「そっ、苺だなんて、馬鹿にしてますの!?」
「馬鹿にしてないよ。可愛いって言ってるのに……」
すると、真澄がベッドに手を付き、顔を近づけてくる。
その顔はとても真剣だ。
(キャー、なんですの!? なんですのー!? ま、ままままさか!?)
乙女は心の中で叫び、期待と不安で震えた。
「日曜日は無理だけど、でもそれでも俺にチョコくれる?」
「え?」
「乙女ちゃんのチョコ、欲しいな」
乙女は何だか期待が外れてちょっとばかりムスッとした。
(ハッ! 何でわたくし、残念に思っているのかしら!?)
乙女は気を取り直して、つんと顔を逸らしながら高飛車にこう言った。
「そこまで言うのなら仕方がありませんわね! 差し上げてもよろしくってよ!」
「ありがとう、乙女ちゃん。勿論本命だよね?」
「なっ、何を言っていますのー!? そんな事、そんな事――」
「違うの?」
何だか捨てられた子犬のような顔をする真澄に、乙女はグッと言葉が詰まる。
なので、
「ほ、本命でない事もない、限りなく本命に近いかもしれないけれど、確かに少しばかりは好意はあるっぽいチョコですわ……」
もう自分でも何と言っているのか分からない。
それでも真澄は、少しばかり苦笑いになりながらも嬉しそうに笑った。
「俺は、そんな恥ずかしがり屋で素直じゃない、意地っ張りで、でも本当は泣き虫な乙女ちゃんが、凄く可愛いと思ってる」
何だか好きだと言われるのかと思った乙女は、最後の可愛いでガクッと脱力した。
「あなたの言う可愛いなんて……きっと今までいっぱい言ってきたんでしょうね、とても安っぽくてよ」
「まぁ、確かにちょっと前までは、色んな子に可愛いって言ってたかもなぁ……でも、これからは特定の人にしか言わないから」
乙女を真っ直ぐに見て、そう宣言する真澄。
ドキドキと胸を高鳴らせる乙女。
「お、お姉さまは?」
ミカを差し置いて、自分だけ可愛いというのは気が引けて、乙女はそう言った。
「え? 一ノ瀬さん? まぁ、一ノ瀬さんは当然の事ながら可愛い――」
真澄はそこまで言って言葉を止めた。
乙女が泣きそうな顔をしたからだ。
真澄は軽く噴き出すと、
「俺が他の人の事可愛いって言うのが嫌なんだ?」
「お、お姉さまは別格ですわ! わたくしなどは足元にも及びませんもの! で、でも……」
乙女はここで一旦言葉を止めて、消え入りそうな声で、
「出来ればわたくしの居ない所で仰って……」
またプチプチと爪を弾く。
すると、その手に一回り大きな手が被さってきて、乙女の手をギュッと握りこんだ。
「うん、分かった。乙女ちゃんにしか言わないから」
「わたくしにしかって……いいんですのよ、お姉さまには」
「でも、もう俺、乙女ちゃんにしか言いたくないから……」
「……っ」
乙女は我慢が出来なくなり、その目から涙が溢れた。
何だか気持ちが溢れて止まらない。
「あなただって……」
「うん?」
「あなただって苺みたいですわ」
「俺が?」
「苺みたいに甘いですわ……」
乙女はまるで非難するように、上目遣いで睨む。
「甘すぎて、甘すぎて……わたくし、苺が好きですのに……」
「………」
真澄は暫し無言になる。その顔は惚けた様で、そしてその顔をサッと赤らめた。
「あー、もう駄目だ!」
「え? キャッ!?」
乙女はグイッと引っ張られたかと思うと、真澄に抱きしめられていた。
「な、何を――」
「可愛すぎだよ、乙女ちゃん。ねぇ、キスしていい?」
「っ!!」
乙女は、真澄のいきなりのお願いに、非難の言葉を飲み込んでしまう。
(い、今、なんと仰って? キ、キス? キキキキス!?)
乙女は動揺し、瞳をめまぐるしく躍らせたが、目の前の真澄の熱の篭った眼差しを受けると、やがて目を伏せ、真澄のブレザーをキュッと掴んだ。
そして、消え入りそうな声で、
「……誰かに言ったら、許しませんわ……」
「うん、二人だけの秘密ね」
そんな事を言い合って、二人は口付けを交わす。
途中、乙女がうっかり「真澄様……」と漏らしてしまい、我を失って押し倒してきた真澄に乙女は、
「調子に乗り過ぎですわー!!」
と、思いっきり叫んでびんたをお見舞いしたのだった。
~月曜日~
「約束どおり、あなたにチョコを持ってきてあげましたわ! 感謝なさい!」
「うわぁ、ありがとう、薔薇屋敷さん」
表面上は一切変わりなしの二人。
しかしながら、それを見守るミカ達の眼差しはニマニマと生暖かい。
無事、保健室から乙女を連れて戻ってきた真澄。吏緒に沈められる事無く、何とか一命を取り留めている。
一体、保健室で何があったのか、それを窺い知る事はできないが、明らかに真澄の乙女を見る表情は変わっており、乙女も照れながらも何だかんだで嬉しそうであった。
そして今日、乙女からチョコを貰った真澄はそのラッピングを見てこっそりと笑う。
かなり派手で、リボンも何だかいっぱいいっぱいと言う感じだ。
「全部手作りなんだ?」
「そうですわ! この私が、わざわざ手を煩わせてまで作ったチョコですのよ! ありがたく、一個一個感謝を込めながら食べるといいですわ!」
「うん、そうさせてもらうよ」
真澄はそう言って、徐にリボンを外そうとする。
「え!? ここで食べるんですの!?」
途端に、いつもの強気な態度が消えうせ、弱気になる乙女。
真澄はキョトンとして彼女を見た。
「え? 駄目なの?」
「だ、駄目という訳ではありませんけれど……」
「そっか。うーんじゃあ、お昼に食べさせてもらうね。ちゃんと感想も言いたいから、その時は傍にいてくれると嬉しいんだけど……」
「お昼? 感想ですの!? ……し、仕方ありませんわね……」
素っ気無く言うものの、乙女の顔は嬉しそうに紅潮している。
その時、真澄がポケットを探って、乙女に何かを差し出した。
透明な袋に入った一口チョコがたくさん入っている。そして中にはハートに切り抜いた紙が入っていて、幼い字で『おとめちゃんへ』と書かれている。
「実は昨日、桃香……姪っ子に薔薇屋敷さんの事を話したら、渡してくれって頼まれたんだ」
「………」
乙女は黙って、中に入っている紙を取り出しひっくり返した。
『ますみくんとデートさせてくれてありがとう。ますみくんのこと、よろしくね ももか』
一生懸命書いたと分かる文字で書かれており、乙女は思わず涙ぐむ。
「何て、何ていい子なんですの! あなたの姪御さんとは思えませんわ!」
「うん、凄く優しいくていい子だよ」
「手術成功するといいですわね……」
「うん、そうだね……」
しんみりとする中、真澄がパッと顔を上げ、自分の鞄をごそごそとする。
「そうそう、渡したい物はそれだけじゃないんだよね」
「?? どうしたんですの?」
「はい、俺からも逆チョコ」
チョコにしては大きい包みを渡された。
「チョコ自体は市販のものなんだけど、そっちは俺の手作り」
「………」
乙女は包みを開けて無言になった。
なんと、そこには苺柄のアロハシャツが入っていたのだ。
店頭に並んでいても支障がなさそうな出来。
乙女はわなわなと身体を震わせた。
「今年の夏休みは、それ着てデートでもしようよ。俺は乙女ちゃんから貰ったアロハシャツ着るからさ」
ニコニコと笑う真澄に、乙女は大きく振りかぶって、平手をお見舞いした。
パシィーン!!
「名前で呼ぶなんて馴れ馴れしいですわ!」
「いったー……」
頬を押さえる真澄をその場に残し、乙女は教室を出て行ってしまった。
真澄は苦笑すると席に座る。
「おい、日向……」
「ひゅ、日向君、大丈夫ですか……?」
「あ、二人ともおはよう」
ミカと真澄に挨拶をする真澄。その頬にはくっきりと手形が付いていた。
「それよりも、乙女ちゃんの事追いかけなくていいんですか?」
「え? なんで?」
「何でって、日向。薔薇屋敷怒って出てっただろーが」
「ああ、あれ? あれは怒ってるんじゃなくて照れてるんだよ」
「はい、その通りです」
いきなり彼等の背後に吏緒が立つ。
「び、吃驚した……」
「おい、杜若。今まで何処に居たんだよ……」
「はい、影からお嬢様を見守っていました。お嬢様のあの様子。あれは日向様のプレゼントがよほど嬉しかったようです」
「え? 本当? よかった」
真澄はホッと安心したように微笑んだ。そして「あれ?」と思う。
「あの、杜若さん? 今俺の事……」
確か「日向様」と呼ばなかっただろうか。
そう思って彼を見てみると、吏緒はフッと笑って、
「まだまだですよ。これから先、あなたがお嬢様を幸せに出来ると判断出来れば、その時は真澄様と呼んで差し上げましょう。
ですが、少しでも不幸にすると私が判断した場合、二度と光を見れない様にして差し上げますからそのおつもりで……」
~保健室~
「ば、薔薇屋敷さん大丈夫……?」
保険医の和子先生は、目の前の乙女の様子に思わず一歩後ず去った。
乙女は保健室に入ってくるなり、ベッドに入ってゴロゴロと転がっていた。
「ウフフフ~、大丈夫ですわ。わたくしは全然大丈夫ですわよ~」
その腕には、真澄から貰ったアロハシャツがしっかりと抱かれている。
時折起き上がっては、そのアロハシャツを身体にあてがい、キャッキャッと喜ぶ乙女。
「でも、やっぱり悔しいですわ。何でいつも一歩前に行ってしまうのかしら……」
ちょっとばかり不貞腐れる乙女。しかし直ぐに苺柄のシャツに目を移すと、口元を綻ばせ、嬉しそうな顔をする。
「それにしても、デート……デート……ウフフ」
一人浮かれ、そして笑う姿に、流石の和子先生も声を掛けられずにいるのだった。
~薔薇と苺とアロハシャツ・終~
後一話で終わりと言っていましたが、二話になってしまいました。
漸くバレンタイン編も終わりって一安心。
真澄ですが、姉と兄がいます。
姉は十歳年上。今回、その姉の娘が病になってしまっているんですね。
真澄は、その姪っ子、桃香ちゃんと言うんですが、可愛くて仕方なかったりします。
因みに、桃香ちゃんの手術は無事成功。来年の春にはランドセルを背負って小学校に通っていることでしょう。