第十話 コウタ、絶黒の森の北の端で三体のモンスターに勝利する
コウタとカークがこの世界で目覚めてからおよそ八ヶ月。
絶黒の森の北側、山すその崖の前で。
コウタはドリアードに絡みつかれ、アラクネの蜘蛛部分に噛み付かれていた。
「どうだろう、俺の言ってることがわかるかな? いったんケンカはやめてほしいんだ」
「カァー」
だが、ドリアードの拘束と生気吸収はコウタに通じない。
アラクネの牙はコウタの皮膚さえ破れない。当然、毒が注入されることもない。
コウタは、心身ともに【健康】なので。
「あ、あれで大丈夫だか……コウタさんは頑丈だべな……」
「ほんとになあ。そりゃ俺が斬れる気がしないわけだ」
強力なモンスターの攻撃をものともしないコウタに、同行してきた仲間たちは半ば呆れ顔だ。
訓練の時から何度見ても慣れないらしい。
「なあコータ、オレたちはさんざん植物系モンスターも虫系モンスターも倒したろ? そのボスっぽいのなんだ、もう敵対視されてんじゃねえか?」
「どうなんだろう。さっきまで俺たちのことを気にしてなかったから、イケるかなあと思って」
「カァー」
なお一番呆れ顔なのはカークであった。
【健康】よりも、どこか危機感のないコウタの呑気な思考に。
アビーと会話しているコウタに怒ったのか、ドリアードとアラクネが攻撃を続ける。
ドリアードは全身でコウタにしがみついた。
腕から生やした枝ではなく、全身で人間の生気を吸収するために。
アラクネは、蜘蛛部分ではなく人間の口でコウタの首すじに牙を立てた。
足が固いなら急所を、と考えたのだろう。
「うわっ!?」
二体の新たな攻撃にコウタが悲鳴を上げる。
神様から授けられた【健康】を破られて、ではない。
見た目5歳ぐらいの幼女に抱きつかれ、妖艶な女性からうなじにキスされたのだ。
コウタが動揺するのも当然だろう。
ちなみに、どちらも並の冒険者なら死が確定する立派な攻撃である。
「ちょっ、ちょっと!?」
「カァー」
コウタがばたばたと手を動かす。
二体の拘束は効いていないが、動揺のあまり攻撃にも、距離を取ることにもつながっていない。
コウタがわたわたして、さっと肩から飛び立ったカークが呆れることしばし。
やがて、攻撃していた二体のモンスターの様子が変わってきた。
「な、なんだかおかしくないだか、アビーさん。おらたち、助けに行った方が」
「心配いらねえってディダ。ほら、コータの顔色は悪くねえだろ? 攻撃は通じてねえ、ちょっと慌ててるだけだ」
「ははっ、コウタさんは女性に慣れてねえのかねえ。あんな状況、俺ァうらやまし……くはねえな。どっちもモンスターだったな」
「落ち着けコータ! その気になりゃいくらでも引き剥がせるぞ! それに、見てみろ!」
「けどアビー………あれ?」
アビーに声をかけられて、ようやくコウタが異変に気づく。
抱きついていたドリアード、見た目5歳の幼女は、ニッコニコの笑顔でコウタを見上げていた。
アラクネはコウタから離れて、蜘蛛の足を縮めて低い姿勢をとっている。人間部分はひれ伏している。
「えっと……? これは……?」
「力の差を感じたんじゃねえかなあ。ドリアードはコウタの生気? 魔力? が気に入ったとか?」
「カアッ!」
「お、おらこんなの見たことも聞いたこともねえだ……」
「俺もねえよ。いくら見た目が人間だからって、遭遇したら普通は殺し合いだかんな」
コウタは、戦わずして二体のモンスターに勝利したらしい。
かつて、絶望の鹿が心折られてツノを差し出した時のように。
ディダとエヴァンはちょっと引き気味であった。
「どうかな、これで話をしてみる気になった?」
「コータ、何度も言ってるけどドリアードもアラクネも、話が通じることはねえ。見た目がそれで知能が高くても、人間じゃねえからな」
「ならなんで人型に……この辺には俺たち以外の人間はいないし、人間を見たことないはずなのに……」
「『鑑定』で世界記憶から情報を引き出せるんだ、モンスターに『変異』した時に情報を送られてるんじゃねえか? この生き物がこの条件で変異したらコレ!ってよ」
「は、はあ。けど知能は高いんだよね? だったら俺とカークの【言語理解】で」
「カアッ! カアカァ、カァ?」
俺に任せておけ! とばかりにカークが二体のモンスターに話しかける。
コウタにしがみついたドリアードはきょとんと首をかしげて、平伏したアラクネは身を震わせた。
「カァー。カア?」
再度カークが鳴くと、ドリアードが髪に生えた葉をさわさわ揺らし、アラクネはきしゃーと擦過音を出す。
まるで、カークの質問に答えているかのように。
「……なんか、通じてるっぽい。どう思うアビー?」
「オレも、カークの言葉が通じてるように見える。すげえな【言語理解】。けど——」
カークが鳴くたびに二体のモンスターが音を出す。
一羽と二体——三体?——は、通じ合えたのかもしれない。
しかし——
「——これ、けっきょくオレたちは意思疎通できねえんじゃねえか?」
コウタにもアビーにも、ディダにもエヴァンにもベルにも、一羽と二体の会話は理解できなかった。カークは賢くともカラスなので。
「カ、カァ。ガアッ!」
「どうしたのカーク? あっ」
突然吠えたカークに、コウタが視線を上げる。
と、崖とねじくれた黒い木々の間にある開けた空間に、突っ込んでくるモンスターがいた。
だが、コウタもアビーも焦った様子はない。
「ひさしぶり。おー、怪我してたところも良くなったみたいだね」
なにしろ、見知ったモンスターだったので。
アビーいわく鹿が変異した『絶望の鹿』。
精霊樹の実を食べてさらに変異して、コウタが名付けた『希望の鹿』である。
体色が黒から白っぽい灰色に変化した鹿は、開けた空間に突っ込んできて、コウタを前にして止まった。
「どうしたの?」
正しくは、コウタにしがみついたドリアードと、コウタの前で平伏するアラクネを見て止まった。
目を丸くして腰が引けている。
え、そいつらまで舎弟にしたんすか!? とばかりに。
「どうしたのっていうか……なんだこれ……『絶黒の森』は、マジでやべえ場所だったんだな……」
「お、おら、命をかけても、みんなを守れる気がしなくなってきただ……」
「心配すんなでっけえ嬢ちゃん。俺ァ『剣聖』なんて呼ばれてたけどよ、その俺だって三体同時に相手にしたらギリギリだ。よく生きてコウタさんたちと合流できたな俺……」
「みなさん、逃げる時は言ってくださいね! 僕、ちゃんと荷物を【運搬】して【悪路走破】します!」
コウタ以外の人間たちが天を仰ぐ。
コウタとカークがこの世界で目覚めてからおよそ八ヶ月。
拠点にしている森の北側に、三体のモンスターが揃った。
一体でも、もし街付近で目撃情報があがれば、国をあげて大騒ぎになるレベルのモンスターが。
先代剣聖さえ三体同時に相手するのはしんどいらしい強さのモンスターが。
冒険者や兵士の侵入を拒む『死の谷』、越えた先にある『絶黒の森』。
瘴気渦巻く森は、危険な場所であるようだ。
呑気なコウタが生きてこられたのも、変わらず呑気でいられるのも【健康】のおかげである。





