第二章 プロローグ
プロローグのみ視点が変わります
「アビー、この間の話は考えてくれたかい?」
「よしてくれよ親父。ハーレム勇者の仲間も、未来の伯爵夫人もお断りだ」
「だけど、もういい歳だ。いかに実績を残していてもこれ以上は限界だよ」
「まあなあ、わかっちゃいるんだけど……」
アウストラ帝国・帝都の貴族街の中でもひときわ大きな邸宅。
その一室で、一人の男性と少女が話をしていた。
年配の男性はワガママを言う娘に困り顔だ。
それでも強く言えないのは、子供たちの中でただ一人の娘を愛するゆえか。
敏腕で知られる侯爵であっても、愛娘には弱いらしい。
「その、なんだ。女性だけど女性が好きということであればだね、結婚してから女性の愛人を囲えばいいだろう。ウチの方が家格は上だからね、それぐらいのことは」
「けど結婚したら、男とすることして子を為さなけりゃマズいだろ、帝国貴族としては」
「うーん……だったらどこか側室で迎えてくれるところを探すかい?」
「いやあ、それもなあ」
「いくら『賢者』として高名になっても、これ以上はさすがに引き延ばせないよ、アビー」
「わかってる。ありがとな、親父。こんなオレを受け入れてくれて。本当に感謝してんだ」
「アビー……」
「まあ、今度の勇者来訪歓迎パーティまでに答えを出すさ。アビゲイル・アンブローズとして」
金髪碧眼の少女は微笑む。
侯爵家に生まれた女の子は変わっていた。
乳児の頃に言葉を理解した素振りを見せて、初めて魔法を使ったのは立って歩くより前だ。
天才の誕生に侯爵夫妻は親バカを発揮して、兄たちは可愛い妹に負けまいと勉学や訓練に励んだ。
天才女児は5歳にもなると「変わっている」と屋敷内で知られるようになった。
女の子なのに男のような言葉遣いをする。男服を好む。
それだけなら、お転婆な女の子によくあることだろう。
魔法にのめり込み、幼くして厳しい訓練と勉学に励む。
知らないはずの知識を知っている。
難解な理論を理解し、教えていない計算法を使いこなす。
使用人の中には女の子を冷たい目で見る者もいた。セクハラされるし。
ともあれ、アビゲイル・アンブローズ——アビーは、10歳にもなると神童として知られる。
さらに帝都貴族学園に入学・卒業して帝立魔法研究所に入ってからは「賢者」として名が売れた。
斬新な発想でこれまでにない魔法理論を発案・構築する。
女性なのに女性に恋して性的にアプローチする。
失伝した魔法系統を復活させて使いこなす。
神を否定する魔法を開発して教会から異端認定を下されそうになる。
強力な魔法を使いこなしてモンスターを一人で殲滅する。
騎士団との合同訓練は遠距離魔法で一方的に終わらせる。
魔の海の向こうに大陸が存在すると主張する。
理論は理解できても他の誰も使えない高度で強力な魔法、常識はずれの行動、どこから得たのか不明な知識と発想。
いつしかアビーは、『逸脱賢者』と呼ばれるようになった。
それでも。
実績をどれほど積み上げようと、父である侯爵がいくら手をまわそうと、アビーは女性だ。帝国貴族の子女だ。
それも侯爵の唯一の娘で、言動に目をつぶれば容姿は整っている。
変わり者であっても、妻にと望む者は多かった。
屋敷内の私室——研究室に戻って、アビーは独りごちる。
「年貢の納め時ってヤツか。けど、どっちも受け入れられねえんだよなあ。親父とおふくろには申し訳ないけど……」
ガリガリと手を動かす。
羊皮紙に誰も見たことのない魔法陣が刻まれる。
「よし。あとは家に迷惑かけないタイミングで発動させて、運を天に任せるか」
誰しも譲れないものはある。
時にそれは、周囲から理解されなくとも。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
「アビー、僕との婚約のこと考えてくれたかい?」
「ライトか……」
「魔法の研究を続けたっていいし、君が望むなら愛人を囲ったっていいんだよ。領地に来るのがイヤなら帝都の屋敷で暮らそう」
アビーが父親である侯爵に「最後通牒」を突きつけられてから一週間後。
帝都では盛大なパーティが開かれていた。
皇宮には盛大に魔法の明かりが灯されて、贅を尽くした料理が並ぶ。
各地から貴族が集い、華やかな装いを見せる。
そんな皇宮の一角で、イケメンに話しかけられたアビーは浮かない顔をしていた。
条件はいいんだけどなあ、清潔感あるイケメンだし、などと小声で呟く。
婚約者候補の伯爵令息の評価は高いらしい。
婚約するか、勇者の仲間となるか。
アビーの決断が披露される晴れの舞台なのに、アビーはいつもと変わらない格好をしていた。
帝立魔法研究所の制服、フード付きローブである。
さすがにフードは下ろしている。
いちおう「パーティでも許される装い」とされているし、実際に今夜のパーティでもアビーと同じローブを着ている者はちらほら見受けられる。
それでも、一世一代の場にふさわしい服装ではないだろう。
イケメンは気にしてないようだが。心もイケメンか。
アビーの両親が離れた場所でハラハラ見守って、アビーが口を開きかけた、ところで。
「勇者様のご到着です!」
パーティ会場に大きな声が響く。
貴族たちがまだ閉まったままの扉や、勇者の仲間になるかもしれないアビーに目を向ける。
場は整った。
「わりぃなライト。オレ、男とは結婚できねえし、ハーレム勇者の仲間もお断りなんだ」
戸惑うライトの表情に、アビーの心がチクリと痛む。
コイツがもっと嫌なヤツなら簡単だったのに、とかすかに思いながら。
アビーは、魔法を発動した。
「……え? アビー? 消え、えっ?」
何の予兆もなく、アビーの姿が一瞬でかき消える。
皇宮は古の魔法で守られて、建物内では一切の魔法が使えないはずなのに。
帝立魔法研究所でも解明できず、歴代の宮廷魔術師たちも突破できなかった守りなのに。
アビー——アビゲイル・アンブローズは、行方不明となった。
男と結婚することも、ハーレム勇者の仲間になることも選ばなかった。
なお、皇宮内で衆人環視のもと消失したため、侯爵家の責任が問われることはなかった。
突如娘が消えた両親と兄たちの悲嘆はいかばかりか。
まあ、家族しかいない場所では「まったくあの娘は」と苦笑していたらしいが。
見目麗しい18歳の女性、稀代の魔法使い、『逸脱賢者』はどこへ消えたのか。
誰と出会って、どんな人生を歩むのか。
知る者はいない。
——いまは、まだ。





