第一話 コウタ、ひと仕事終えて街から帰ってきたカークとベルを迎える
「帰ってきたか。おかえりコータ」
今日の伐採を終えて精霊樹のふもとに帰ってきたコウタを迎えたのは、一人の少女だ。
結婚するか勇者の仲間になるかの選択をつきつけられて、どちらも選べないとイチかバチかの片道転移に挑んだ少女。
侯爵家令嬢にして、積み重ねた実績と常識外れの発想から『逸脱賢者』と呼ばれるアビー——アビゲイル・アンブローズである。
少量の物資をやり取りできる空間魔法「ワープホール」で実家の隠し部屋とつながっているが、本人としては「家から逃げたオレが家名を名乗るのは申し訳ない」らしい。
「ただいま、アビー」
金髪碧眼の美少女に「おかえり」を言われてもコウタに動揺はない。
元引きニートだったコウタのコミュ力が鍛えられた、わけではない。
いやそれもあるだろうが、2年も人と会話してこなかった男が、女の子に声をかけられてそうそうスムーズに会話できるようにはならない。
アビーの体は女性だが、心は男性で、恋愛対象は女性だ。
見た目こそ女性だが、コウタはアビーを男性として捉えていた。
無防備な露出には時おりチラ見してしまっているが。哀しい習性である。
「そうそう、帰る前にあの鹿に会ったよ。体も大きくなってちょっと黒が薄くなってたけど」
「おお、無事だったのか。ん? 体が大きく? 黒が薄く?」
「うん。でも、元気そうだった」
「……絶黒の森の瘴気を吸収した変異種・絶望の鹿がアンブロシアを食べたことで変異したのか。ヤベエだろそれ。絶望の先には何があるんだ」
「け、けどほら、俺たちを襲わないようにって言っておいたから」
「そっかあ。そうだといいなあ。期待してるぞ【言語理解】」
この世界で目覚めたコウタとカーク、転生したアビーはチートくさい能力を得ていた。
アビーが開発中の「鑑定魔法」で見たところ、コウタは【健康】と【言語理解】、カークは【導き手】と【言語理解】、アビー自身は【魔導の極み】という強力なスキルがあった。
カークやアビーにはほかにもいくつかの魔法スキルがあったが、いずれも【ex】と言えるほどのレベルではなかった。
まだ「鑑定」自体が研究中のため詳細は不明だが、ひとまずとして。
「今日はそこそこ進んだと思うけど……アビーはどうだった?」
「おう、よく聞いてくれた! ついに完成したぞ、木材を乾燥させる魔法が!」
「おおっ!? すごいねアビー!」
「ふぅははは! もっと褒めてくれ! いやあ苦労した、火魔法単体じゃうまくいかなくてな、火と風と水の複合魔法だ!」
「はあ、なんだかすごそう。俺も使えるようになるかなあ」
「いまんとこ難しいかもな。コレが広まりゃ開拓に革命が起こりそうだけどよ、オレ以外に使える気がしねえ」
「そっか……」
「け、けどほらコータなら! オレと同じイメージはあるんだしいつかはな! 焦らないでコツコツ初歩からな!」
「そうだね、うん。何事も最初から。木の伐採だって、続けてたからあそこまで行ったんだし」
「そうそう、その意気だ!……ほんと、あっという間にここと山の中間ぐらいまで行ってるもんなあ。【健康】すげえ。着実にやるコウタの根気もすげえよ」
「はは、ありがとうアビー。この体とスキルをくれた女神様に感謝しないとね」
コウタは精霊樹にぺこっと頭を下げる。
つられて、アビーはすぐ横の精霊樹を見上げた。
革紐で結んだアビーの金髪が揺れる。
コウタの感謝に応えるかのごとく、精霊樹の枝もさわさわ揺れる。
「……あれ?」
「どうしたコータ?」
「あ、やっぱり! おーい、カーク!」
精霊樹を見ていたコウタが、湖の上に視線を移した。
空を見つめて大きく手を振る。
小さな湖の向こうから飛んでくる、一羽の鳥に向けて。
カラスだ。
日本で見かけるカラスよりひとまわりかふたまわり大きく、後足の間からもう一本の足をぶらさげたカラス、カークである。
ベルとともに片道一週間ちょいかけて街まで出かけたカークが、帰ってきたようだ。
「カアー!」
大きく一声鳴いて、カークがばさばさスピードを緩める。
コウタが差し出した手にすっと止まる。
「おかえりカーク!」
「カアッ!」
「無事で何よりだ、おかえりカーク。街はどうだった? ベルもそろそろか?」
「カア! カァカァ、カアー!」
なんだか誇らしげに胸を膨らませて鳴きわめくカークだが、コウタとアビーには通じない。
首尾を聞いたアビーも特に答えを求めたわけではない。
「えーっと、カークが帰ってきたってことは……」
コウタがきょろきょろあたりを見まわす。
カークが帰ってきた湖とは違う方向。
コウタが伐採して見通しがよくなった森の先に、ひょこひょこ揺れる大岩が見えた。
「よかった、ベルも無事だったみたいだね」
「ああ。それにしても……何度見ても違和感あるな、アレ」
魔法と、おそらくスキルが存在する世界。
18年を過ごしてきても、アビーは目の前の光景が信じられないらしい。
なにしろ縦も横も5メートルほどの大岩を、一人の人間が背負って運んでいるので。
中がくり抜かれているとはいえ、軽く100トンは超えるだろう。目を疑うのも当然である。
「カァー」
いまさらだろ、とばかりにカークが鳴く。
約二週間の往復で見慣れたのだろうか。
もっとも、空を飛べるカークはちょいちょい帰ってきてコウタと過ごしていたのだが。
「どれ、無事に往復してきたベルにお茶でも用意しといてやるか」
アビーが湖に向かって歩き出す。
水を汲んで沸かしてお茶を淹れるつもりらしい。
実家から取り寄せた茶葉は貴重だ。
アビーなりの労いなのだろう。
「じゃあ俺は……ベルに食べさせる実を分けてもらえませんか?」
一方、コウタは精霊樹に向き直って願う。
と、果実が三つ落ちてきた。
二つはコウタのもとへ、一つはカークのもとへ。
「カアー!」
「ごめんごめん、カークの分もね。ありがとうございます」
果実を空中でキャッチしたカークは不満そうだ。
俺を忘れんなよ、とでも言いたいのか。
何度も帰ってきて、その度に果実——アンブロシア——を食べていたのに。
日々分け与えているのに、精霊樹の果実が減った様子はない。
盆地に満ちた瘴気や魔力がエネルギー源となっているのか。
ありのままを受け入れているコウタとカークは別として、アビーは「いずれ調べたい」と考えている研究対象である。
二人が準備していたわずかな間に、大岩はぐんぐん近づいてきた。速い。運搬中の荷運び人は足も速くなるのか。
街まで行って帰ってきたベルの表情は変わらない。
いつものごとく笑顔を浮かべて、コウタとカークとアビーに手を振った。
たたたっと駆け寄ってくる。大岩の重さなど存在しないかのように。バケモノか。
そして。
「おかえり、ベル」
「無事で何よりだ、おかえりベル」
「コウタさんもアビーさんもカークも、ただいまです!」
「カアー!」
二人と一羽が、帰ってきた一人を迎えた。
カークは俺も行ってただろ、とでも言っているようだが。
コウタとカークが異世界で目覚めて一ヶ月以上が経つ。
物資を購入してきたベルが荷物を運搬してきて。
ようやく、本格的な開拓と、異世界生活がはじまりそうだ。





