第五話 コウタ、荷運び人のもう一つの特技を知る
絶黒の森と死の谷の狭間で遭遇した荷運び人を連れて、コウタたちは拠点への帰路についた。
だが、瘴気に満ちた森でモンスターに遭遇する。
漆黒の熊は戦意に満ちた目でコウタとカーク、アビー、同行者となった荷運び人のベルを睨みつける。
うなりながら前足を下ろして四つん這いとなった。
体重をぐっと前に傾ける。
「カアッ!」
「くるぞッ! 荷運び人は戦えねえってんなら下がってろ!」
「はいっ!」
カークとアビーが警告を発すると同時、黒い熊が突進をはじめる。
速い。
アビーが張った空間壁は、速度を落とす程度にしか役に立っていない。
それでも、稼いだわずかな時間で攻撃に移ろうとアビーが杖を構えた、その時。
「あっ。そういえば俺、【健康】だから怪我しない、傷つかないんだっけ」
呑気な声がして。
コウタがすっと前に出た。
手をかざす。
「あっおいコウタ!」
「危ないコウタさん!」
出没したら村どころか小さな町を滅ぼし尽くし、冒険者たちや騎士団でさえ全滅覚悟で挑むモンスター。
高い闘争本能、鎧や魔法さえ切り裂く爪と噛み砕く牙、密集陣形でも止められない突進。
その殺戮っぷりから、つけられた名前が「鏖殺熊」だ。
そんな熊の前にコウタが立ちふさがる。
手にしてるのは枝分かれした鹿のツノだけで、盾も鎧もない。
アビーとベルは悲劇を予見して——
「カァー」
——カークだけは、心配いらねえよ、とばかりに気の抜けた声で鳴いた。
「わっ」
コウタの伸ばした手にぶつかって鏖殺熊の突進が止まる。
四つん這いで、頭をコウタの手に押さえられて。
ゴ、ゴア? と動揺しながら振りまわした爪も牙も、コウタの身を傷つけることはない。
服が破れて肌が露出するだけだ。28歳男性の肌が見えたところで誰得である。
「マジか……マジかよ……【健康】って、【LV.ex】ってここまですげえのか……」
「うわあ、うわあ! 強いんですねコウタさん!」
「…………このあとどうしよう」
自らの「鑑定魔法」で読み取ったこととはいえ、目の前の光景は衝撃的だったらしい。
アビーはぽかんと口を開けてうわごとを繰り返している。
ベルははしゃいでいる。
コウタは熊の突進を止めたものの、次の行動に頭を悩ませている。全員呑気か。
「ガアッ!」
「あ、ちょっ! 危ないよカーク!」
一番最初に再起動を果たしたのはカークだった。
高速で飛行して、熊の頭上から火の球を放つ。
熊に着弾してぷすぷすと焼け焦げる。
至近距離にいたコウタも一緒に焦がされる——ことはなかった。
コウタは【健康】なのだ。火傷もしない。
「危ない」は自分を巻き込む魔法を使ったカークへのクレームではなく、鏖殺熊に近づいたカークへの注意である。余裕か。
カークの魔法を嫌がったのか、黒い熊は離れるそぶりを見せるもコウタは手を離さない。
それだけで、熊はその場を動けなくなった。
無理やり逃れれば、コウタの手が捻挫しかねないゆえに。捻挫や打ち身は【健康】ではない。チートすぎる。
「よしコータ、そのまま押さえといてくれ! 時間が取れるなら……」
杖をかざしたアビーがローブをはためかせる。
練った魔力が風を巻き起こしたらしい。
スカートはめくれない。体は女でも心が男なアビーは、動きやすいズボンを愛用するようになったので。
「『空間斬』」
アビーの杖から魔法が放たれた。
何も見えない。
いや、絶黒の森の、射線を遮る枝葉が切り裂かれていく。
コウタに当たらないように気を遣ったのか、空間魔法の刃は地面に対して垂直だ。
見えない斬撃は、棒立ちで腕を伸ばして鏖殺熊の頭を押さえるコウタの横を抜ける。
魔法は黒い熊の脇腹に吸い込まれて、ゴシャッと反対の脇腹に抜けた。
分厚い毛皮も強靭な筋肉も強化された骨も切り裂いて、血肉を撒き散らして。
至近距離でコウタを睨みつけていた鏖殺熊の瞳から、ふっと生気が消える。
血と空気をゴボッと吐き出して、黒い熊は巨体を地面に横たえた。
「うっし。威力を上げる時間があればこんなもんだ」
「すごい、すごいよアビー!」
「カア!」
「はっ、なにしろ『逸脱賢者』だからな。……まあすごいのはアレを簡単に押さえたコータだけども。なあ、ほんとに問題ねえのか? 傷は? 魔力は?」
「魔力? はよくわからないけど、傷はないね。【健康】を授けてくれてありがとうございます、女神様」
「カアー!」
「ははっ、ごめんごめん。カークもすごかったよ。俺も魔法を使えるようになるかなあ」
戦いが終わって、森には弛緩した空気が流れていた。
コウタにくすぐられながらもカークはクイックイッと首を動かして周辺を警戒しているようだが、それはそれとして。
「うわあ、うわあ! みなさん強いですね! すごいなあ!」
「ありがとうベル。えっと……?」
「なんでそんなとこに、って、ああ、なるほど。そういうことか」
少し離れた場所から聞こえてきたのは、同行していた荷運び人の声だ。
ベルはコウタとカークとアビーから、鏖殺熊の死体を挟んで反対側にいた。
木々の合間の獣道に、背負っていた大岩を置いて。
「え? 危ないから離れてたんじゃないの?」
「それならオレたちの背後に行くだろ。アレは鏖殺熊の逃げ道を塞いでんだよ。コータが簡単に突進を止めてカークが魔法でダメージ与えたのを見て、オレたちなら勝てると思ったんだろ」
「え? え?」
「『荷運び人は戦えない』ねえ。コータが押さえて、ベルが熊の上にあの大岩を置いたら倒せたんじゃねえか?」
「カァ!」
それな! とばかりにカークが鳴いて同意する。
聞こえていなかったのか、ベルは大岩を背負い直してニコニコ笑顔で戻ってきた。
「あの、解体していいですか? 戦いでは役に立ちませんけど、『荷運び人は荷造りもできないとな』って鍛えられたんです!」
「解体? そっか、熊の毛皮って売れそうだもんね」
「鏖殺熊クラスなら毛皮以外にも使える素材はあるぞ。ベル、頼んでいいか? 多少なら経験あるし、オレも手伝おう」
「いえ、僕に任せてください!」
アビーの申し出を断って、ベルがふたたび大岩を地面に置く。
腰に下げていた大ぶりのナイフを抜く。
息絶えた鏖殺熊の毛皮に刃を当てる。
「解体かあ、それができれば俺もあの鹿を……けどもう情が湧いちゃったからなあ」
「ん? 吊さないし水もいらねえのか? あ、なんだろイヤな予感がする」
「カァー」
コウタがズレた感想を抱き、アビーとカークが不安をこぼす。
毛皮に刃を当てたまま集中していたベルが、叫んだ。
「『解体』!」
目にも留まらぬ高速でナイフを動かす。
コウタが目を丸くする。
カークがぎょっと羽を広げる。
アビーが顔に手を当てて首を振る。
鏖殺熊は、みるみるうちにバラされていった。
毛皮と肉と、アビーいわく「使える素材」に切り分けられていく。
二人と一羽が呆然と見ていたわずかな時間で。
「『解体』終わりました!」
処理を終えたベルが満足げに振り返る。
「は、はやい……ベ、ベルはすごいんだね、ありがとう」
「カ、カァ」
コウタ、ちょっと引き気味である。カークも食欲がわかないほど引いてるらしい。
アビーは地面に手とヒザをついた。
首を垂れる。
叫ぶ。
「ああああああ! どう考えても解体のスピードおかしいだろ! スキルか、やっぱりスキルのせいなのか! あとなんだそのナイフさばき『荷運び人は戦えない』って技術じゃなくて気持ちの問題じゃねえかぁぁぁあああ!」
コウタとカークが異世界生活をはじめておよそ二週間。
一人と一羽が知り合ったのは、また少し変わった人物であるようだ。
「勇者。初めてハーレム勇者に同情した。これなら荷運びじゃなくて戦闘にまわしたいよな。けどベル本人は『荷運び人』に誇りを持ってると。そりゃ合わねえ。合うわけねえ。ミスマッチってヤツだ」
アビーの嘆きが絶黒の森に溶けていくのは何度目か。
絶黒の森の瘴気がこれ以上濃くならないことを祈るばかりである。
ちなみに、悲嘆や絶望などの感情と瘴気の関連性は解明されていない。幸いなことに。
「そうだ、鑑定。あとで鑑定させてもらおう。やったあサンプルが増えるぞ研究がはかどるなあははははは」
「カァー、カァー」
「だ、大丈夫、アビー? 少し休憩する?」





