第二話 コウタ、山を越えてその先の景色を見る
「ここを越えれば……おー、見えた見えた!」
「うわ、すごい景色……」
コウタとアビーが精霊樹のふもと、小さな湖のほとりを旅立ってから二日目。
昼を少しまわった頃に、二人は山の稜線を越えた。
視界が開けてはるか東を望む。
「二日歩いただけで、こんなに景色が変わるんだ」
「ははっ、こっちじゃたまにあるぞ。それだけ『絶黒の森』の瘴気が濃いってことだ」
結んだ金髪をなびかせてアビーが振り返る。
西、眼下に広がる盆地を一望する。
盆地も、囲む山々も黒い。
陽の光が届かない訳ではない。
森が、光を飲み込むほど黒いのだ。
木が緑に色づいているのは盆地の中心、精霊樹と泉のまわりだけだった。
西を振り返ったアビーと違って、コウタは東を眺めて呆然としている。
山一つ越えただけで、そこにはまったく異なる光景が広がっていた。
二人がいまいる尾根からわずかに下ると、すぐに樹木が絶える。
むきだしになった土は赤い。
盆地から流れ出た川や雨水が削ったのか、あるいは魔法がある世界ならではの現象か。
山は途中から断崖絶壁の迷路となっていた。
崖は赤と薄茶色、茶色が入り混じって縞模様を見せる。
見渡す限り続く崖は入り組んで、人里を探すコウタとアビーの行く手を阻んでいるかのようだ。
「なんだっけ、元の世界でもこういう景色を見たことある気がする。テレビかネットで……えーっと」
「『グランドキャニオン』だろ。それにしても、グランドキャニオンに似てるのに死の谷ってなあ」
「そう、それ!……あれ? どっちもアメリカじゃなかった?」
「まあそうだな。近いっちゃ近いけども」
目覚めた時には大人だったものの、コウタは転生者だ。
誕生からはじまったという違いはあるものの、アビーもまた転生者だ。
同郷らしく、二人は元の世界の有名な地名で会話する。
18歳まで生きてきたアビーにとってはこの世界で初めてのことで、知らずニヤけていた。
「あ、そうだ、カーク!」
「崖が多いからなあ、飛んでくれなきゃ探すのは大変そうだけど……」
コウタとアビーは二人で探索していたわけではない。
精霊樹のほとりから稜線を越える直前まで、カラスに先導されてきたのだ。
二人は並んで、赤茶とベージュの迷路に目を凝らす。
コウタの眼差しは真剣だ。
なにしろ引きこもっていた頃からの友達で、一緒に転生した相棒である。
そして。
「いた! カークだ! よかった……」
「待てコータ、カークじゃなくてただのカラスかも……ああ、足が三本あるな。カークで間違いなさそうだ」
コウタが、谷間を飛ぶカラスを見つけた。
離れていたのはわずかな間だったのに、安心したのかへなへなと座り込む。
心と体が【健康】になっても、ハートの弱さは変わらないのか。まあ病んではいないようだが。
「なあコータ、あれおかしくねえか?」
「え!? カークに何かあったの!? ひょっとして怪我でも」
「いやカークじゃなくてだな。ほら、オレたちを案内する時みたいに、飛んでは止まってを繰り返してるだろ? いまもデカい岩に……デカい岩に……?」
「ね、ねえアビー。あの岩、動いてない?」
「気のせい……じゃねえな」
「まさかモンスター!? 大変だ、カークが!」
「縦横5メートルの動く大岩。ロックゴーレムかヒュージタートル? 亀はねえな、断崖じゃ行き詰まって生息できないはずだ。ゴーレムか、岩石をまとってる生物か」
カークがいたのはコウタたちのすぐ下、急斜面の中腹だ。
いまは大岩に止まっている。
「カアーッ!」
視線に気づいたのか、カークはその場で羽を広げてひと鳴きした。
おっ、コウタもここまで来たのか、とでも言うかのように。
コウタの心配は通じていないらしい。
「あ、うん、大丈夫みたいだね」
カークの気持ちは通じたらしい。
1年以上一緒にいれば人とカラスは通じ合えるのか。
「さて、あの動く大岩は何なのかねえ」
カークが止まる大岩はひょこひょこ動いて急斜面をゆっくり登ってきている。
もうしばらくすれば、コウタとアビーの元にたどり着くだろう。
コウタはじっと、動く大岩と、ときどき空を飛んで先導するカークを眺めていた。
アビーは念のためと杖を構える。
やがて大岩は斜面を登りきって、岩の下部まで目視できる距離に近づく。
大岩の下、背負子をかついだ人間に気づく。
「は、はは、この世界の人はすごいんだね。あんなに大きい岩を背負って歩けるんだね」
「んなわけねえだろコータ……なんだアレ……マジか……」
コウタは死の谷の全景を見た時より呆然としている。
岩の上にいるカークはなんだか誇らしげに悠然としている。
我に返ったアビーが空間魔法で不可視の壁を構築する。
大岩を担いだ人間——少年と、コウタの目が合った。
「こんにちは!」
「あ、はい、こんにちは」
「カアッ!」
無邪気に笑って挨拶してきた少年に、コウタが挨拶を返す。
カークは案内は終わりだ、とばかりにコウタの元に飛んできた。
アビーが張った不可視の壁をすうっと上昇して避け、ばさばさ羽ばたいてコウタの肩に止まる。
少年はニコニコと笑顔で、コウタはきょとんと首を傾げている。カークも首を傾げている。
コウタが授かった【健康】はコミュニケーション能力まで【健康】にするわけではないらしい。
言葉が通じるのは【言語理解】のおかげだろうが。
コウタと少年の間を風が吹き抜けていく。
「待て待てなんで普通に挨拶してんだおたがい色々あるだろ! 常識外れの『逸脱賢者』が一番常識人ってこれどうなってるんですかねぇぇぇえええ!」
「カアー」
カオスである。
アビーの嘆きが断崖にこだまする。
死の谷の空は、青く晴れ渡っていた。





