プロローグ2
「え? 何これ? え? あれ、俺事故ったはずで」
康太のつぶやきが何もない空間に消えていく。
返事はない。
きょろきょろと周囲を見まわしても、白いばかりで何もない。
床と壁、天井の境界もあいまいだ。
ブロック塀を突き破って飛び込んできた車のことを思い出したのか、康太はパタパタと自分の体を確かめる。
手は動く。
怪我はない。
服も着ている。
「夢かなあ。現実の俺は意識がない、とか?」
顎に手を当てて軽く首を傾げるも、28歳の男がやったところでかわいくない。
まあかわいらしさアピールでも「あざとカワイイ」を狙ったのでもないだろうが。
「いいえ、夢でも、意識をなくしたわけでもありません」
「は? え、誰もいなかったのにどこから」
白いばかりの空間に、一人の女性が現れた。
周囲には誰もいなかったはずなのに、康太の目の前に、唐突に。
ウェーブがかった金髪で、白いトーガをまとい、穏やかな微笑みを浮かべている。
「西山康太さん。貴方は死にました」
「はあ。…………はあ?」
なんとなく頷いて、遅れて意味を理解したのだろう。
康太はポカンと口を開ける。ふたたび首を傾げる。
「複数の車が絡んだ複合事故でした。右折待ちの車が背後から衝突されて押し出され、直進車の側面に衝突し——」
「いえ、事故の詳細が聞きたかったわけじゃなくてですね。俺、死んだんですか?」
「はい」
「じゃあここは」
「死後、輪廻を待つ魂が至る場です」
「はあ。それじゃあなたは、神様? あ、閻魔様ってセンも」
「宗教によって呼び名は様々です。次の生への案内役だと理解していただければそれでよいかと」
「はあ。…………はあ?」
なんとなく話しているものの、康太の首の傾きは戻らない。
そういえば他人と話すのはひさしぶりなのに、いちおう会話できている。
まして女性と話すなど、ほぼ2年ぶりなのに。
康太が疑問を抱くことはない。不思議なことに。まるで思考が制限されているかのように。
「案内役、ですか? じゃあその、ひょっとして異世界転生ってヤツで」
「『康太さんが生きてきた世界と異なる世界に転生する』という意味では異世界転生と言えるでしょう。ただ、輪廻転生と言った方が通じるかと」
「はあ。輪廻転生。死んだら生まれ変わる、でしたっけ?」
「そうです。前世の記憶はなく、また次の場所で、次の生へ」
「あーなるほど。異世界転生ですけど異世界転生じゃないんですね。あれ、輪廻ってたしか生き方次第で虫や動物に生まれ変わることもあるって聞いたような」
うろ覚えの知識を口にする康太。
案内役だと名乗った女性は応えずに微笑みを浮かべるだけだ。
「あの、俺、次は虫ですか?」
「いいえ、康太さんは次の生も『人』ですよ」
「でも俺、たいしたことしてないような……仕事もあんな辞め方したし、ここのところダラダラしてるだけで」
「人を害することなく善意をもって生きる。それができないヒトも多いのです」
「はあ、その、あんまり納得いきませんけど……」
「記憶はなくなります。けれど、康太さんが次に生きる世界では加護により些少の優遇ができます。望みはありますか?」
「優遇、ですか? 望み、俺の望み……」
「すべてを叶えられるわけではありません。もっとも、そういうことを言い出す方に質問することはないのですけれど」
わずかに眉を寄せて女性が小さく首を振る。
康太は静かに考え込んで、やがて口を開いた。
「俺の望みは、心身の健康と穏やかな暮らしです」
「それだけで良いのですか? たいした加護はつけられませんが、もう少し優遇できますよ?」
「心と体が健康で、穏やかに生きていけたらそれで充分です。あとは次の俺、いや俺じゃないのかな? とにかく、次の人生でがんばることだと思います」
「……わかりました。では、康太さんに【健康】を」
女性が手のひらを向ける。
白い空間の上方から、康太に光が降り注ぐ。
康太は手を広げて、すうっと体に溶け込んでいく光を不思議そうに眺めていた。
やがて光は止む。
白い空間の光量が徐々に落ちていく。
「これで終了です。では康太さん、【健康】を以って善き来世を」
「ありがとうございます。今度は健康で長生きして、親不孝しないようにしたいと思います」
案内役の女性と康太が挨拶を交わす。
光量はさらに落ちて康太の体がうっすらと霞んでいき——
「えー!? それじゃ面白くないよ!」
——男の子の声が、薄暗くなった空間に響いた。
「あそこは固まっちゃってるからね、もっとかき乱さなくちゃ!」
「あっ、ちょっ! ダメです康太さんの望みは」
「えーっと、記憶はアリで! どうせ【健康】なんだからもっと過酷な場所に! これでよしっと、じゃあがんばってねー!」
薄れていく康太に、さっと形をとった男の子がニコニコ笑って手を振る。
康太は何か喋っているようだが声は届かない。
現れた時と同じように、男児は一瞬で消えた。
「これは、正せませんね。ならばせめて、康太さんが望んだ【健康】に最大限の加護を。穏やかな暮らしのためにあの場所も少々いじって、あとは——」
案内役の女性が何度か手を輝かせる。
ブツブツつぶやく女性の前を、小さな光がふっと横切った。
「あなたがいましたね。ではあなたにも加護を。【健康】と穏やかな暮らしを望んだだけなのに、神の稚気で弄ばれた康太さんに導きを」
小さな光が頷くように上下に揺れて、ゆっくりとぼやけていった。
何もない白い空間から消えた康太と同じように。
今度こそ、白い空間には案内役の女性一人のみが残された。
トーガを揺らして、女性が手を組む。
祈る。
「巡る魂よ、望んだ生を送れますように」
康太と小さな光に、祈りは届くのか。
神たる女性も、答えを知らない。
神様転生が書きたくなったので。
なお、神様の出番はこれだけです!