第二章 エピローグ
「な、なあコータ、これでいいかな、親父もおふくろもわかってくれるかな。おかしいとこねえかな」
金髪碧眼の美少女が、不安そうな顔でコウタを見上げる。
距離の近さにコウタが後ずさる。中身は男だと認識しても、外見の印象はなかなか抜けないらしい。いい匂いもする。
「カァ……」
カークの弱々しい声が湖のほとりに消えていった。
コウタとアビー、カークが連れ立って探索に出かけた二日後。
アビーは、実家に転送する家族宛ての手紙を書いていた。昨日から書いていた。
持参した紙は何枚もダメにしている。
魚の燻製を試作するための焚き付けになっている。
「大丈夫じゃないかな?」
「あああああ、やっぱりほとぼりが冷める頃に送るってのは」
「家族には知らせてあげようよ。きっと心配してるから」
「カアッ!」
「わかってる、わかってんだけどよ」
結婚か、男である勇者以外は全員女性の「勇者パーティ」に入るか。
どっちも選べずにアビーは逃げ出した。
誰しも譲れないものはある。
逃げ出したことは後悔していないが、あらためて家族に報告するのはまた別だ。
アビー、複雑な感情に襲われているらしい。
「あああああ」
「アビー。先送りにしてると、どんどん連絡しづらくなるよ」
「あっ……そういやコータは」
「それで、何も知らせないうちにこうなることだってあるんだ」
「その、すまん、コータ」
「カアー」
同郷だと判明したあとに、コウタはこの世界に転生したいきさつを語っている。
会社を辞めてほぼ引きこもっていたことも、身の上話も。
アビーはこの世界の両親がいるが、コウタにはいない。
「……そうだな、うん。うじうじしてないで覚悟決めるか! これで送るぞ! 男は度胸!」
「はは、そうだね。がんばって、アビー」
「カァッ!」
コウタに背中を押されて、アビーがネックレスを取り出した。
中央の宝玉、続けて宝玉を取り巻く円環が輝き出す。
光は小さな湖のほとり、精霊樹の下、空中に幾何学模様の魔法陣を描いた。
地面から1メートルほど離れて、何もない宙空に。
「今度はこっちからあっちへ、だな。『ワープホール』!」
空中の魔法陣がいっそう輝きを増す。
光る円の上に、アビーがそっと手紙を乗せた。
すっと落ちて円に触れる。
手紙が消えた。
「よし、うまくいった、はずだ」
「お疲れさま、アビー。返事が来るのは二日後だっけ?」
「ああ。親父が手紙に気づいて、その、逃げ出したオレのことを許してくれれば、だけど……」
「大丈夫じゃないかなあ、たぶん」
「カアッ!」
そこはきっとじゃねえのかよ、とカークが突っ込む。烏語は通じない。
コウタとアビーは、光が消えた何もない空間を、ただじっと見つめていた。
カークに突かれるまで、しばらくの間。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
アウストラ帝国・帝都の貴族街の中でもひときわ大きな邸宅。
その執務室で、一人の男が立ち上がる。
「そうか。アビーが無事なら、ひょっとして」
デスクを離れて背後の壁に向かう。
と、男の——侯爵の姿が消えた。
愛娘と同じように転移魔法を使ったわけではない。
一見しただけではわからない、柱と壁の隙間に入り込んだのだ。
侯爵家のタウンハウスに設けられた「隠し通路」である。
知るのは代々の当主と長男、それと。
「『空間魔法の使い手なんだ、気づいて当然だろ?』なんて言ってたなあ。はは、懐かしい」
隠し通路の存在を教える予定のなかった愛娘が知っている。
侯爵は魔法で明かりをつけて、狭い階段を降りる。
肩が壁に触れて豪奢な服が汚れることも気にしない。
階段を降りきると、やや開けた空間にたどり着いた。
隠し通路は帝都から逃げ出すためのものではない。
もしもの時に立てこもるシェルターであり、何代前かの当主は財産を隠す金庫がわりに使っていた隠し部屋である。
だが、現侯爵はそのいずれにも使っていない。
いちおう食料は置いてあるが、メインの使い方ではない。
そもそもメインで使っていたのは侯爵ではない。
「荷物が、ない?」
侯爵はふらふらと、隠し部屋の一角に進んでいく。
床に描かれた魔法陣に近づいていく。
呆然と、荷物が消えた空間を見つめて。
そして、見つけた。
荷物が消えたかわりに、魔法陣の上に置かれた一通の手紙を。
手紙の上に乗せられた、「誰にも見られない場所で開けるように」というアビーのメモを。
「よかった……生きていたんだね、アビー」
声は震えている。
伸ばした手も震えている。
敏腕で知られた侯爵は、行方不明になった愛娘の手紙を手に、涙を流した。
「まあ! では、あの娘は生きているのですね……よかった……本当に、よかった……」
「ほらほら、あんまり驚いてはいけないよ。体に障るからね」
「まあアビーに何かあるとは思ってなかったけどね。はあ、『古代文明の転移の罠が活きていたのか!』って大騒ぎしてる帝立魔法研究所になんて言おう。そのまま言うわけにはいかないしなあ」
「黙ってりゃいいんじゃねえか兄貴? それにしても、結婚も勇者のお仲間もそんなにイヤだったのかねえ」
「坊っちゃま、言葉遣いが乱れてますよ」
「いいじゃないか婆や。ここには家族と婆やしかいなくて、妹の無事を喜んでるだけなんだから」
「はあ。目をつむるのは今だけですよ」
「ふふ、そんなこと言って、婆やも顔が緩んでいますよ」
「まったく、奥様まで」
娘の手紙を手にした侯爵は、すぐに夫人の元へ向かった。
侯爵夫人——アビーの実母は体が弱く、いまも寝室で伏せっていた。
静かな環境を整えるため、家族と信頼するメイド長以外が入ってくることはない。
内密な話をするには格好の場である。
「勇者か。模擬戦をしたのだろう? 印象はどうだった?」
「剣技は並み、魔法もアビーほどではありません。ですが、強い。拙い剣技でも技量差を覆すほどの身体能力がある」
「へえ。けど、兄貴は勝ったんだろ?」
「ああ。勇者は強い。鍛えていけばさらに強くなるだろう。だが、怖くない。あれは戦人ではない」
「……なるほど。宮廷で耳に入ってくる噂話は正しそうだ」
「ほらほら貴方たち、アビーが振った勇者の話はそこまでにしましょう。いまはアビーのことですよ」
「そうだな、おまえ。いまはアビーの無事と……優男に託さなくて済んだことを喜ぼう」
「もう、あなたったら」
侯爵夫妻が微笑みをかわす。
二人の息子は口を挟まない。両親がお熱いのはいつものことである。
「物資の手配は婆やにお願いする。貴族が使う物より市井の品がいいだろう」
「承りました」
「隠し部屋への運び入れは私がしよう。手紙を送りたければ、本日中に用意するように」
「あなた。それと、アビーに贈りたいものがあるのですけれど……」
「なんだ?」
「騎士にも長髪の方がいらっしゃるでしょう? その方たちは鎧を着ている時にどうしているのかしら?」
「髪留めを使っているようですよ、お母様。兜をかぶるには邪魔になるからと——」
「ふふ、そう。うふふ」
三人の母である侯爵夫人は、イタズラを企む子供のように笑った。
行方不明になったけど、娘——兄たちにとっては妹——は、無事にやっているらしい。
安心した家族の間には、ひさしぶりに穏やかな時間が流れた。
その二日後。
隠し部屋に用意された荷物と手紙は、忽然と消えた。
皇宮から消えた、アビーと同じように。
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アビーへ
この手紙はアビゲイル・アンブローズ宛てではなく、アビーに向けて書こう。
だから貴族らしい言いまわしともオサラバだ。
アビーからの手紙は受け取った。
心配することはない、帝国はアビー一人いなくなるだけで揺らぐほど弱くないよ。
侯爵家が疑われることもなかった。
「古の転移罠か!?」って帝立魔法研究所が大騒ぎしてるけど、まあいつものことだ。
あの変人たちのことはアビーの方がよく知ってるだろう?
こっちは心配いらないよ。
だから、アビーが元気にやってるならそれでいい。
たまに手紙を送って、心配する母親を安心させてやってほしい。
それにね、アビー。
私はこれでよかったんじゃないかと思ってるんだ。
ずっと悩んできた。
私たちは、アビーを侯爵家令嬢という型に嵌めてきたんじゃないかって。
だから……。
アビーが自由に生きていけることを嬉しく思う。
元気で楽しく自由に、アビーの思うままに生きていってくれればそれでいいんだ。
頼まれた物資も、この程度、遠慮も心配もいらない。
なにしろウチは侯爵家だからね、貴族らしくない品を手配するのが大変だったぐらいだよ。
いつでも、何度でも頼んでほしい。
できれば手紙と一緒にね。
頼まれた物資のほかに、一つ用意したものがある。
新たな人生を歩むアビーに、私たち両親からの贈り物だ。
騎士が髪を結ぶ時に使う革紐を入れたから、よかったら使ってほしい。
鎧トカゲの皮から作られたもので、武勇と生還を祈る縁起物だそうだ。
いまのアビーには髪留めでも髪飾りでもなく、こっちの方がいいだろうってね。
アビーの、私たちの愛する息子の新たな旅路に、自由と幸福があらんことを。
それじゃあまた。
手紙、待ってるよ。
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