第八話 コウタ、アビーと一緒に探索に出かけて決意する
コウタとカークの異世界生活の場にアビーがやってきた翌日。
二人と一羽は湖のほとりを離れて、川の下流に向かっていた。
「ここでも太陽は東から昇るんだね」
「カァ!」
「そうそう、つまりオレたちは東に進んでるってことだ。それにしても……」
一行の先頭はカークだ。
二人からやや離れて、木々の間を飛びまわっている。
斥候のつもりなのか、あるいはスキル【導き手】が発動しているのか。
アビーが研究中の「鑑定魔法」は、詳しい効果がわからない。いまのところは。
空を行くカークに遅れてコウタが続く。
コウタはこの世界で目覚めてから着ていたシャツとズボン、それにサンダル姿だ。
右手に黒い鹿のツノを、左手にはアビーが貸した空のズタ袋を持っている。中には精霊樹が落とした昼飯がわりの果実——アンブロシアが入っていた。
一行の最後尾をアビーが進む。
ローブは昨日と変わらず、中の服は着替えたらしい。
リュックを背負って、右手には杖を持っている。
服もリュックも杖も、空間魔法の『ワープホール』で昨日取り寄せた物だ。
「どうかした?」
「いやあ、この辺はずいぶん瘴気が濃いんだな。精霊樹があってこれかあ」
「瘴気? あの大木、精霊樹が何かしてるの?」
「ああ。精霊樹は、瘴気を浄化する力があるって言われてんだ。だから樹の近く、湖のあたりは木も土も普通の色だったろ?」
「カアー」
「けど、この辺りから灰色っぽくなってる。そんでこの先は真っ黒だ。これはなかなか」
「えっと、何かマズいのかな?」
「この辺で生息してる動物はすぐ魔石が発生してモンスターになるだろうな。この瘴気の濃さなら強力な個体が発生してもおかしくねえ」
「…………え?」
「この瘴気濃度だと、普通の人間は歩くのもキツいだろうな」
「…………え? 俺、大丈夫? アビーも平気?」
「ま、オレは体内魔力を活性化させてっから問題ないけどよ。それにコータは【健康】があるだろ?」
「たしかに。あ、カークは、まさかモンスター化しちゃったり」
「まあ見た感じだとしんどそうな様子はないし、大丈夫じゃないかな。なあカーク?」
「カァッ!」
アビーの問いかけに応えるかのように、カークが力強く鳴いた。ばさっと羽を広げる。はっ、平気だって、とでも言っているのだろう。烏語は通じなくとも、カラスの仕草と表情はわかりやすい。
「ならいいんだけど……」
「黒い森に覆われた山々、か。しかも西側の山は、頂上に雪が残ってるほど高い。これは」
「アビー、この場所に心当たりあるの?」
「ああ。たぶん、ここは大陸の西の端。人も動物もモンスターも生きていけない『死の谷』の先、瘴気におおわれた『絶黒の森』だろうなあ」
「カァ? カアカァ!」
「な、なんかすごい名前がついてるね」
「まあな。ほら、この黒い森はおかしいだろ? 虫を見かけない。動物も少ない。そのへんは瘴気の濃さのせいだな。死に絶えたか、モンスターに変異したか」
アビーの物騒な発言に、コウタがきょろきょろと視線を巡らせる。
周囲に気配はない。
まあ、先日は気配を感じることもなく黒い鹿に突っ込まれたのだが。あと魚。
「えっと、アビーが来た場所からは遠いの? 転移してきたわけで、そんなに遠くないとか」
「この大陸の東西の端だな。海路は命がけだから、歩いて行くならはるか彼方だ」
「たいりく、反対側」
「まあそこまででかい大陸じゃないと思うんだけどな。オレはオーストラリアぐらいだって推測してる。海に囲まれてるのも似た感じだし」
「はあ、なるほど。けどオーストラリアも広かったような……絶黒の森を出て死の谷を超えて、オーストラリアを横断して、やっとアビーが住んでた国……」
「ははっ、そこまで人里がないってことはねえだろ。ほら、名前が伝わってるってことは行って帰ってきたヤツがいるってことだ。たぶん」
「カアッ!」
肩を落とすコウタを励ますようにカークが鳴く。
俺ならひとっ飛びだぜ、とでも言いたいのか。もしそうだとしてもコウタは飛べないし乗れないのだが。
「けどコウタ、人里を探してどうするつもりなんだ? やっぱりそっちに住むのか? 冒険者にでもなって無双するか? 【健康】があるんだ、人が行けない場所を狙えば一攫千金も夢じゃないぞ?」
「どうかなあ、俺には向いてない気がする。俺はただ、『健康で穏やかな暮らし』がしたいだけだから」
「なるほど……んん、どうすっかなあ」
「カア?」
「それに、人と話すのはあんまり得意じゃないんだ。アビーは話しやすいけど」
「ははっ、ありがとよ。オレも、同郷の男同士で話すのは気楽でいいぜ」
ニカッと笑うアビー。
男っぽい言葉と笑みだが、18歳で容姿端麗ないいところのお嬢様だ。侯爵家令嬢だ。
本人の内面は男だし、前世の記憶もあってこちらの方が素のようだが。
「迷ったけど、伝えとく。コータ、人里に出ても、精霊樹とアンブロシアのことは隠しておけ。誰にも言わない方がいい」
「え? なんで?」
「アンブロシアは精霊樹の意志がないと効能がないけど……精霊樹と葉は、それ自体に価値があるんだ。枝や幹は杖、魔法の発動体としては最高の素材らしい。葉や樹液は錬金術に使われる」
「それじゃ、もし見つかったら」
「伐り倒されるだろうな。死の谷と絶黒の森を越えられれば、だけど」
「カアー」
人間は強欲だな、とばかりにカークは呆れ声だ。今朝、枝に止まってじっと果実を見つめていたことは忘れたらしい。我慢できたし。
コウタの歩みが止まる。
わずか一週間と一日だが、寝床となり食料を提供してくれた精霊樹に、愛着が湧いているのだろう。
「もし伐り倒されたら、あの辺も瘴気で満たされるだろうな。そうなりゃ盆地丸ごと『絶黒の森』だ」
「それは……けど、秘密にしても、もしここが誰かに見つかったら」
「ソイツが自分で切って大金を手にするか、国や冒険者ギルドに報告して高額報奨金をせしめるか。黙ってるメリットはないからなあ」
「そっか……」
コウタの足は動かない。
右手に持ったツノをだらりと垂らして考え込む。
飛んできたカークが肩に止まっても動かない。頭に移動しても動かない。
頭の上のカークが心配そうにひゅっと真下を覗き込んでも動かない。
やがて、コウタが顔を上げた。
カークが羽を開いてバランスを取る。
「人里は探す。いまのままじゃ必要な物も手に入らないし。けど、俺——」
2年前、薄暗い部屋で無気力にぼーっと過ごしていた男の姿はない。
1年前、話し相手はカラスだけで、それでも、それだけで「外の世界と繋がっている」気がした男ももういない。
コウタは心身の【健康】を得た。
友達もいる。カラスだけど。
友達になりかけている女性? 男性? もいる。
「俺は、ここに住むよ。俺が守るとは言えないけど、精霊樹が伐り倒されるのは嫌だから」
顔を上げて、コウタは宣言した。
じゃっかん弱気だ。けれどカークは茶化さない。コウタの頭の上で腰を下ろして寄り添っている。
「よーし、そうこなくっちゃな! オレも乗ったぜコータ!」
「カアー!」
「あれ、アビーはほとぼりが冷めたら帰るんじゃ」
「はっ、こんな気楽な暮らしを一日でも体験したら、あんな堅苦しいとこもう戻れねえって!」
「カアー!」
コウタの決意を聞いて、あっけらかんとアビーは笑う。
コウタにスルーされたカークが頭上で主張する。
「こうなりゃ村でも作ってのんびり暮らすか! スローライフってヤツだ!」
「うん、いいかもね。みんなで、『健康で穏やかな暮らし』をしようか」
「それにはちょっと物騒だけどな、人も物も足りねえし」
「カァッ!」
アビーの冷静な言葉に、任せておけ! とばかりにカークが鳴いた。【導き手】のスキルを持つ三本足のカラスが鳴いた。
「あらためてよろしく、アビー」
「おう、こちらこそよろしくな、コータ!」
「カァーカア、カアッ!」
「うん、これからもよろしくねカーク」
「おうおう拗ねるな拗ねるな、忘れてねえって。よろしくな、カーク!」
コウタとカークが異世界生活をはじめて一週間と一日、アビーと出会った翌日。
アビーいわく『絶黒の森』で、二人と一羽の手が重なった。
……もとい、二人の手と一羽の足が重なった。手はない。カラスなので。