第三話 コウタ、進水式でカヌーに乗り込んで漁を行おうとする
コウタとカークがこの世界で目覚めてからおよそ九ヶ月。
午前中に畑の収穫を終えて昼食をとったコウタたちは、小さな湖のほとりに集まっていた。
「ディダ、ほんとにいいの? 一生懸命作ってたのはディダなのに」
「漁の新しい道具を最初に使うのは里長だっただ。だから、最初はコウタさんに乗ってほしいだ!」
「……ありがとう」
「カァー」
「まあコータが適任だろうな。何かあってもコータなら無事なわけで。それに、ディダは大きすぎて乗れねえんじゃねえか?」
「おらが、おっきい……うぇへへへへ」
3メートル超の体をくねくねさせて照れるディダ。
巨人族の里では一番小さかったそうだが、コウタやアビー、ベルにクルト、エヴァンよりはるかに大きい。カークは比較するまでもない。態度は大きく心は広くともカークはカラスなので。
ディダに勧められて、コウタはあらためて横の物体を見下ろした。
全長は8メートルほど、横幅はおよそ2メートル。
丸太をくり抜いた、単純な構造の木製の舟。
いわゆる「丸木舟」、もしくは「カヌー」である。
コウタが伐り倒した大木をベルが運び、ディダがコツコツ削って形を整えたものだ。
ちなみに、普通の刃物で削れるようにそれほど黒くなっていない木を使っている。
瘴気を吸って黒く変異した木材の加工はいまだにコウタたちの課題となっていた。
「コウタ殿の【健康】はどこまで健康なのであろうか。健康な者でも溺れる時は溺れるであろう。だが溺死しては『神から授かった【健康】な体』とは言えまい」
「たしかに!ってクルト、それじゃコウタが溺れることを期待してるみたいだろ! そりゃ俺も気になるけども!」
「なに、いざとなればこの身を湖に投じよう。清浄な水ゆえダメージは避けられまいが、我が溺れ死ぬことはないゆえな」
「おーそりゃ安心だ、ってなるか! ま、まあコウタはオレを助けに泳いでたからな、何かあっても大丈夫だ。大丈夫なはずだ」
カヌーを押して浅瀬に浮かべたコウタとディダをよそに、クルトとアビーは不謹慎な会話で盛り上がっている。
なおベルとエヴァンは、午前中に収穫した芋とカラス麦の処理のためここにはいない。多少なりと農作業の経験のある二人が、自ら買ってでた形である。
「カアッ!」
「おー、張り切ってるねカーク。【導き手】としてがんばってくれるのかな?」
「カァ? カアッ!」
「はは、そうやって羽を広げてっとフィギュアヘッドみたいだなカーク」
「フィギュア……? カークはオスだけど……」
「コータが想像してるヤツじゃなくて船首像のことで、そもそもフィギュアの方は男のヤツもあるだろ」
「ああ、船の先についてるヤツ!……でもカラスの船首像ってあるかな? 不吉っぽい感じが」
「カア! カァ、カアッ!」
「ごめんごめん、カークのことじゃなくて一般的にね。船乗りってゲンを担ぐイメージあるし」
コウタとカーク、アビーはいつもと変わらない。
呑気な会話を続けながら着実に作業を進めていく。
ただ一人、ディダの表情が硬い。
「だ、大丈夫だべか……おらが作った舟で、みんなの役に立てるべか……」
「もう充分役立ってくれてるよ。ありがとう、ディダ」
「コウタさん……」
「それにほら、舟がどうなったって俺は平気だからさ。ダメだったらまた試せばいいよ」
「いやコータ、平気かどうか怪しいかもっていまクルトと話してたところでな」
「よし、じゃあいくよ!」
「あっおいコータ!」
アビーの制止もディダの緊張も気に留めず、コウタが浅瀬に浮かんだカヌーに乗る。
ディダが押さえていたおかげか、バランスを崩すことなく無事に乗り込めた。
コウタが乗ってもカヌーは浮いたままだ。
「おー、すごい!」
「カア、カアッ!」
感嘆の声をあげるコウタの前方で、舳先にいたカークが鳴く。まるで、喜ぶのはまだ早い、本番はこれからだぜ!とでも言っているようだ。
カークの声に従って、コウタはカヌーの中にあったオールを手に取った。
ディダが舟から手を離したことを確認して、コウタがゆっくりオールをこぐ。
右、左。
バランスを取りながらこいでいくと、カヌーは悠々と進んでいく。
シャンパンもくす玉もテープもない。
船名を隠す垂れ幕もない。
静かな進水式である。
そもそも水が漏れないか試すため何度かカヌーを水に浮かべているため、厳密には「進水式」でもない。
「こんなところでいいかな。最初から深いところで試したら大変だからね」
「カァ」
「うん、じゃあやってみるよ」
岸から5メートルほど離れたところで、コウタはカヌーの中にオールを置いた。
かわって、足元をごそごそと探る。
後方ではディダが心配そうな眼差しで、揺れるカヌーを見つめている。
コウタが取り出したのは、ディダ作の投網だった。
いつも使っているモノではなく、カヌー用に作った小型の網だ。
「おっ、これは、なかなか、バランスが」
「カア、カァカアッ!」
「ん、よし。せーの、せっ!」
座ったままで腰をひねると、カヌーはぐらぐら横揺れする。
カークは舳先で羽を広げた。舟のバランスを取っているつもりなのか。意味はない。軽いので。
しばらく悪戦苦闘したのち、コウタは湖にさっと投網を投入した。
ディダに何度か教わったとはいえ、素人ではうまく投げられず、網は空中で形を崩す。
だが、それよりも。
「わわっ!」
「カアッ!」
コウタの体重移動でバランスが崩れて、カヌーが横回転する。
コウタは、湖に投げ出された。
カヌーは右へりが湖面について、横向きになって浮いている形だ。ヨットで言うところの半沈である。
「うわ、わっぷ!」
「コウタさん! いま助けに行くだ!」
泳げるはずなのに、湖に落ちたコウタはバシャバシャもがいている。
すぐ近くで横半分を湖面に浮かべたカヌーに捕まる様子もない。
カークは半分浮いた側のへりで、ぴょんぴょん飛び跳ねてはバサバサ羽を広げている。
「落ち着けディダ、コータは泳げる。いまは驚いて暴れてるだけで、不用意に近づいたらディダまで溺れて」
「むっ。マズイのではないかアビー殿。コウタ殿の体に網が絡まっておるような」
「……は?」
「カアッ!」
「や、やば! わっ、ごほっ」
コウタ、自分で投げた網に捕らわれたらしい。運がない。
魚を捕らえるための網は、もがけばもがくほどコウタに絡まっていく。
いくら泳げると言っても、体を動かせなければ浮いていられない。
まして、網には重りもついているので。
「待ってろコータ、いま行く! 風魔法で水面を走ってまわりごと——」
「アビー殿、近くまでは我が飛ばす! アビー殿はコウタ殿を浮かせる準備を——」
「コウタさん! がんばるだ、もうすぐ手が届くからおらに掴まって——」
アビーとクルトが分担して魔法を行使して、すぐ湖をかき分けていったディダがコウタへ手を伸ばした、ところで。
「あ、あれ?」
コウタの体がスムーズに動く。網は絡まっているのに。
泳いでいないのに浮く。服は濡れ、網に重りがついているのに。
コウタはぽかんと口を開けて、とりあえず半沈したカヌーに掴まった。
「えっと……」
「カァー」
「コ、コウタさん?…………無事でなによりだべ! 今度からは長じゃないでおらが一番に試してみるだ!」
「【健康】は拘束もされぬし、溺れもせぬか」
「なるほど【健康】だもんな! ぁぁぁああああああ!ってそんなんで納得するか! 理不尽すぎるだろスキル! どうなってんだこの世界!」
小さな湖のほとりに、アビーの嘆きが響く。
コウタとカークがこの世界で目覚めてからおよそ九ヶ月。
コウタの【健康】は、理不尽なレベルであるらしい。なにしろアビーの鑑定魔法では測定不能で、便宜的に【LV.ex】とつけたほどなので。