君は花を買う
『月が綺麗ですね』
その言葉の意味も知らなかった私が花を買う。君はそんな私を笑うだろうか。
経済的に苦しい状況の中、花を買っている私を笑うだろうか。生活費に使うべきところ、花を買っている私を笑うだろうか。花を愛でる私を笑うだろうか。
君が買ってきた花を見て、「そんなもの買ってどうするんだ」と言っていた私が花を買い、君がしてくれていた様に部屋に飾る。
もう会えない君がそうしてくれていた様に、私は今日も花を買っていこう。そして何も無い、君も居ない、そんな部屋に花を飾ろう。
私は今、そんな内容が書かれた手紙を読んでいる。それは今から50年以上前に書かれた手紙。
しかし「花」ねえ……。資料で見た事があるだけの「花」。現代にはほぼ存在しない植物。そんな食べられない「花」を買う人が昔は居たと言う事に驚愕するな。
「花を愛でる」――その言葉が理解出来ない。
世界中で食糧危機が起きている今、食べられない「花」などは全て駆逐され、食料になる植物に全て植え替えられた。「雑草」と呼ばれた草ですら食糧であるが、それでも足りない。
そもそも雑草すら生えている事自体が稀である。心を豊かにする植物など植えている余裕などない。「花」などに余計な養分を与える余裕など、大地には残っていない。故に餓死する者が絶えない。死者が溢れかえっている。その死者を養分として生える雑草が待ち遠しいくらいだ。
だがもしもである。もしも食糧危機が去ったとしたら、手紙の主の言う「花」が咲く事もあるのだろうか。私がそれを目にする事もあるのだろうか。どちらにしても、それはずっとずっと先の話だろう。
今はただ、今日明日の食料の事しか考えられない。
誰もが皆、今日明日の食料の事しか考えられない。
今はただ、今日明日を生きる事しか考えられない。
けれど手紙を読んだせいだろうか、気弱になっているせいだろうか、「花」の事が頭から離れない。
「花」を買う。そんな余裕が生まれる日が来るのだろうか。
「花」を買い、「心」が豊かになる日は、来るのだろうか。
2020年04月28日3版ちょっと改稿
2019年12月07日2版句読点多すぎた
2019年04月13日初版