9-7 エルトラネは眠らない(4)
朝。
掘っ立て小屋のふかふか布団、二人の花園でカイは目覚めた。
「ぷー」「そうか、もう起きる時間か」「ぷ」
カイにピーが頬ずりして別れを告げている。
もうすぐメリッサが起きるのだ。
「ピー、またな」「ぷー」
いやぁ、尻の花を摘んでしまったよ。と感慨深いカイである。
そして尻で花を咲かせてしまったよ。と赤面するカイである。
祝福を受けた今ではカイも尻から花が咲く。
なかなかに刺激的な体験であった。
摘んで咲かせ、摘ませて咲かせて……
ピーと二人で花を摘みまくった寝床は色とりどりの花であふれ返っている。
二人で咲かせた花園だ。
全て尻から咲かせた花というのが何とも微妙な感じだが綺麗なだけの交わりなどありはしない。情事とはそういうものだ。
「カイ様……おはようございます」
「おはよう」
ピーがゆっくりと瞳を閉じ、メリッサが目を覚ます。
メリッサはカイに挨拶して、周囲の有様に頬を染めた。
「私、カイ様とエルトラネの婚礼を行ったのですね」
「エルトラネの婚礼?」「はい」
互いに花を摘ませ合い、本能のまま身も心も赤裸々に交わる。
それが正気を保てなかったエルトラネの婚礼だ。
食べ物を口にしたとき初めて結ばれたことに気付くのだ。
そして散らばる花の数で自らの幸福を知る……
メリッサはうっとりと花園を見つめ、その一つを胸に抱く。
「これが私とカイ様の花園。すばらしいですわ」
「ああ。俺とメリッサの咲かせた花だ」
「いつかは私とも、その……よろしいでしょうか?」
「もちろん。ところでこの花はこの後どうするんだ?」
「近くの川に流します。美しくても愛でるのはちょっと……汚いですから」
「まあ、尻だしな……」
ごもっとも。
狂気の中にもまともなエルトラネである。
カイはメリッサと軽いキスを交わし、服を着て掘っ立て小屋から外に出た。
二人で花を川に流し、皆でご飯を煮込み、まともなメリッサの一家に挨拶し、エルトラネを案内されご飯をタカられ時が過ぎる。
「あら、カイじゃないの」
「システィ?」
日も高くなった頃に現れたのは大きな荷物を抱えたシスティ・フォーレ。
ビルヒルト領主の妻である。
お前、なんでここにいるんだ?
とカイが聞くより早くシスティが興奮した面持ちで喋り始めた。
「いやーすごいわエルトラネひゃっほい。なんという魔法技術なのよこの里もうびっくりだわ。例えばあれとか原料から糸や布を作って服を仕立てるすごい魔道具よ。里を囲むアレとか超絶凄くて眩暈がしたわ。もうエルトラネ最高ひゃっほい」
「え? あれ意味の無い言葉を吐くだけじゃないの?」
「あれは人の心を読んで里に危害を加える者なら排除する自律ゴーレムよ。ちなみに危険と判断されると精神干渉で方向感覚を狂わされたり百人規模の集団が行動不能になる程の雷撃が見舞われたり誘導する矢で連続攻撃されたりするらしいわ」
「危ねえっ! 超絶危ねえっ!」
「ご飯に左右されないアレが無ければエルトラネはとっくに消えてたでしょうね。あぁ、素晴らしきは狂気の技術。という訳で私はピー達から聞き取りしている最中なのよ。あ、エルトラネの魔道具は全部持ち出し禁止だから」
語り終えたシスティは大きな荷物をドサリと下ろし、それを開く。
中にあるのは酒、肉、菓子等々、ありとあらゆる食品である。
システィはそれらを並べ、集まってきたエルトラネの皆ににこやかに頭を下げた。
「はーい、エルトラネの皆さん今日もよろしくお願いしまーす」
「「「「おおっ、領主様だー領主ご飯だーまいどーっ」」」」
「やぁだ、ここの今の領主はランデルのルーキッド様ですよぉ。あと私はビルヒルト領主の妻ですよぅ」
「「「「こりゃ失敗。てへっ」」」」
何とも軽いノリのエルトラネ。
システィはそんな皆に紙とペンを渡し、ペアを組ませて奇妙に踊る。
「それでは今日の聞き取りを行いまーす。エルトラネのピーが絶えてしまう前に一つでも多くの技術を解読、記録してくださーい」
「「「「はーい。レッツスリープねぇーむれーっはいっ!」」」」
「「「「おやすみぃ……るっぴぱーっ」」」」
「ぱっぱぷーっ!」
眠りの魔法で目覚めたピー達にキレッキレの踊りと狂気を披露しながら挨拶するシスティである。
この女にはかなわんわ。
王国の為なら命も羞恥も投げ捨てるシスティのアレクとは違う突き抜けっぷりに感心するカイである。
「るんぱ」「こう?」「ぶるっぶ」「違う? こうか?」「ぶーっ」
「お前さっきから肉ばかり食ってるじゃんか。俺にもよこせ」「ぷぷーっ!」
ピーの心をエルトラネの皆が記していく。
その全ては自らや家族に対する手紙だ。
しかしシスティはにこやかに飯をふるまい酒を注ぐ。
「あいつら手紙ばっか書いてるぞ」
「語りたい事がたくさんあるのは仕方ないわよ。まだ一度だけしか聞いてないんだから。これからよ」
「まあそうか……そうだな」
エルフの呪いが祝福に変わってまだ一年ほど。
人生のほとんどが狂気であったエルトラネの皆には積もる話があるだろう。
今は失われた時を取り戻す時。
それが終わった時、彼らは再び前に進む。
先人の哀しき狂気を胸に抱き、新しい里を作るのだ。
「イグドラ」
『なんじゃ』
カイはその元凶に語りかける。
何とも暇な神である。返事はすぐにきた。
「呪われ狂っても、こいつらの想いは残ったぞ」
『天に抗うは生者の宿命。出来ぬものを出来るものに変え続け、やがては己も世界も変えるのじゃ』
世界よりも長い時を生きる神にとっては珍しい事ではないらしい。
『しかしまぁ、しぶとく道を見つけたものよ。余が呪った時は真に狂人でしかなかったのにのぉ。あれは自らの狂気に惑い苦しんだ者共が子に伝えんと足掻いた姿。正気の執念が狂気を狂わせた姿じゃ。マッドなんちゃらという奴じゃな。技術者とは恐ろしいものよ……ま、それでも飯は許さなかったがの』
イグドラは独り言のように呟き、ふふんと笑う。
「……お前、意地が悪いな」
『なんとでも言うが良い。それにしても食い滅ぼしてやりたいが根が失われては困る余のなんと不遇であった事よ』
「本当に意地が悪いな」
『神と人は進む道が違うもの。意地が悪くて当然じゃ』
カイの言葉を気にもせずにイグドラはまた笑う。
『そうじゃカイよ、皆を連れて里の墓に行くがよい。あれこそがこの里の狂気の真髄じゃぞ』
「墓?」
『丸いミスリルの塊がいくつもあったじゃろ』
あぁ、あの円形広場かとカイはようやく思い当たった。
アトランチスの円盤を外に出せば確かにあんな感じだろう。
書いてあった意味不明の言葉は遺言なのかと思い付き、切なくなるカイである。
あれでは遺族の誰も故人を偲ぶ事は出来ないだろう。
誰がどの言葉を書いたかも解らないのだ。
「まぁ確かに狂気の真髄か……すごいが目的がさっぱりだし」
『何を言うか。あれはアトランチスの墓が狂気と交わり完成した姿。狂気の中でさらに技を磨くとは侮れぬ奴らよ』
「完成? なんだそりゃ」
『行けばわかる。狂気からの手紙を持たせ帰り際に寄るが良い』
カイは首を傾げながらも荷物をまとめ、里の皆に別れを告げた。
そして皆に飯をタカられた後、里の皆と共に近くの円形広場を訪れる。
「イグドラ、ここでどうするんだ?」
『良いものを見せてやろう……汝らも聞くがよい』
「「「「クソ大木!」」」」
空に響くイグドラの声にエルトラネの皆が叫ぶ。
『……良い事を教えてやろうと思うたのに、やる気を無くしたのぉ』
「「「「ごはん?」」」」
『違う。汝ら狂気から初めて貰った手紙があるじゃろう? そこにはいくつかの言葉が書かれていたはず。その一つ目の言葉が刻まれた地を探すのじゃ』
「「「「やだよ」」」」
『ぐっ…』
「まあまあ皆、ここは従ってみよう。徒労だったら罵倒すればいい」
「「「「カイ様が言うならおっけー」」」」
『汝らきついのぉ……』
何とも疲れる会話の後、皆が手紙を手に散っていく。
カイ達は長老と共に言葉を捜し、広場の端にそれを見つけてそこに立つ。
やがて皆が言葉の地に立ったのだろう、イグドラの声が空に響いた。
『よし。手紙の最後に記された言葉を叫ぶのじゃ』
「「「「すぺっきゃほーっ!」」」」
エルトラネの皆が叫ぶ。
直後、何百もの魔力刻印が地に輝いた。
「な、何えう?」「む、もしかしてピンチ?」
「大丈夫です。私達のピーを信じて下さい」
慌てる皆をメリッサがなだめる。
ピーを宿すメリッサが言うのであれば危険では無いのだろう。
しかし落ち着いてもいられない。カイはシスティに問いかけた。
「何が起こるんだシスティ?」
「……こんな精緻な魔力刻印初めて見た。細かすぎて読み解けないわ!」
ミスリルに蓄えられた膨大なマナが踊り、魔法が形を成していく。
ややあって現れたのは幾百ものエルフの虚像だ。
「……父ちゃん?」
長老が呆然と呟くと、父ちゃんと呼ばれた虚像がくわっと目を見開き叫ぶ。
「なんじゃその髪型は!」
「こ、これはカイ様が、あったかご飯の人が心惹かれる素敵髪形……」
「無いわバカ息子が。見よあの男を。面倒臭そうな髪だと思っておるぞぃ」
「そんなーっ!」
虚像の父ちゃんに説教される長老である。
カイ達の目の前で繰り広げられる自然な会話にシスティが叫んだ。
「これは……人格の魔力刻印化!」
「なんだそりゃ?」
「戦利品カイみたいなものよ。里を囲むアレを考えればある程度のものは作れると思っていたけどこの再現度は戦利品カイ並よ。すごいわカイワン!」
「誰がカイワンだ!」
「しゅ、しゅごい、しゅごすぎるエルトラネ! ビバ、ポジティーブぐぅーへぇーへぇー」
噛みつくカイだがシスティは聞いていない。
地に頬ずりしながらぐへへと笑う。狂喜のあまりイッちゃっていた。
カイは何とも不憫な目でシスティを見下ろし首を振る。
放っておこう。腹が減れば元に戻るに違いない。
カイ達は里をめぐる道の途中。
システィはエルトラネに面倒を見てもらおう。
カイはまるっとぶん投げた。
「では長老、式の日取りが決まったらまたお伺いします」
カイが別れを告げるも誰もカイなど見てはいない。
カイは世界から去った皆と泣き笑う皆に一礼し、その場を静かに歩き去る。
「ポジティブと現実逃避は違う事がその歳になっても理解できんのかお前は」
「そ、そんな事言われても父ちゃん」「正座して聞けぃ!」「えーっ」……
背後に聞こえる喧騒にカイは皆と笑う。
ハイエルフの里エルトラネ。
何ともハイテンションな里である。
「ようやく積もる話が出来るえうね」
「ん。コミュニケーション大事」
寂しげにミリーナとルーが呟く。
あの喧騒の片方は虚像だ。
本人はとうにこの世界を去っている。
しかしそれでも親しい者と心ゆくまで話をしたかったのだろう。
そして親しい者に何かを残したかったのだろう。
あの虚像は狂おしいまでに普通を求めたエルトラネの狂気の結晶なのだ。
「私も落ち着いたら先祖の墓にお参りしたいですわ」
「すぐにまた来るさ。その時みんなでお参りしよう」「はい」
メリッサにカイは頷き、無意味な言葉を放つ木々にビクビクしながらエルトラネを後にした。
次に目指すはボルクの里。
ルーの里だ。





