9-6 エルトラネは眠らない(3)
「ん……」
夜。
カイはエルトラネの掘っ建て小屋で目を覚ました。
まず体の調子を確認する。
カイの世界樹の守りを突破した眠りの魔法はカイから完全に抜けている。
しこたま回復と強化をかけられたようで今の体は本調子以上だ。
眠り漬けに回復強化漬け。
エルトラネが何をしたいのかカイにはさっぱりわからない。
そしていつもはカイにべったりのミリーナ、ルー、メリッサもなぜかこの場にはいない。
カイはふかふかな布団の上に一人で丁重に寝かされていた。
いや……なぜかも何もないか。
カイは首を振り呟く。
「あいつら……」
間違いなく三人ともグルだ。
しかしミリーナ、ルー、メリッサがカイに害をなす何かに協力する訳がない。
何かのサプライズのつもりなのだろう。
カイは布一枚の出口を見つめた。
この布の先に答えがある。
カイは布団から立ち上がり、自らの装備を確認した。
外は恐ろしいほど静かだが皆はカイを待っている。
自分に何を期待されているかは知らないが、ここは行かねばなるまい。
カイは出口の布を持ち、静かに持ち上げ外に出た。
月明かりに照らされた外は暗く、そして静かだ。
しかし祝福によりマナの流れが見えるカイにはよく見える。
ある者は片足立ちで、またあるものはがに股で……大勢の者が静かに奇妙なポーズで踊りくねる、マナの流れるその様が。
なんだこれ……ま、まあエルフだし。
と、心の不安をエルフだからとねじ伏せて、カイが外へと一歩出る。
「「「「る!」」」」
ぎろりんぬ。
イッちゃった瞳が一斉にカイを捕らえた。
すみません。もう一度寝てもいいですか?
らんらんと輝くマナにカイは二度寝の誘惑に耐え、皆の前に歩を進める。
皆はカイを踊りながら取り囲み、イッちゃった目で伺ってくる。
縦ロールがマナに蠢き、見事なループを描いて踊る。
きっと身だしなみなのだろう、回復魔法で髪をセットし終えた皆を代表してイッちゃった瞳の長老が叫んだ。
「るるっぱ!」
カイは久々に感じる疲労感にため息をつく。
これはアレだ。間違いない。
「「「「すぺっきゃほーっ!」」」」
ピーだ。集団ピーだ。
大いなる狂気が、そこにあった。
「るるっぱぱ、ぽろけるんるん」
「意味がわからん」
「ぱぷー?」
「だから意味がわからんから!」
「へらしょーっ!」
久しぶりだな。このやりとり……
カイは腰の袋から飴を取り出し縦ロールなピー長老の口に放り込む。
「もぐもぐ……るっぺるっぺ、ぽるんぱらぴら」
「戻らんのかい!」
口内で飴玉を転がしながらにこやかにカイの肩を叩くピー長老にカイは叫ぶ。
困った。戻し方がさっぱりわからん。
以前なら食べ物でまともに戻ったエルトラネだがまったく効果が見られない。
そしてピー長老の言っている事もさっぱり理解出来ない。
態度から歓迎している事は理解できる。背後のピー共が飴欲しさに踊っているのもよく解る。
言葉よりも行動でアピール。そのあたりはメリッサのピーも一緒だった。
それにしてもピー、エルトラネでは消えてなかったんだな。
嬉しくも寂しいカイである。
メリッサのピーと会えなくなって一年ほど、ピーの面倒臭さの中にも輝く愛らしさを懐かしく思っていたのだ。
「ぺりんぱ」「ぽら」「ぽぴ」「ぱらっぷぷ」「ばっぷえれんな」
「……どうしたらいいのかさっぱりわからん」
とりあえずピーに飴を放り投げつつ途方に暮れるカイである。
今は飴で喜んでいるが飴はお口でとけるもの。
それまでに打開策を考えなければならないが言葉はさっぱりわからない。
表情や踊りで喜怒哀楽は解っても細かな意味を見出すなどカイには無理な相談だ。
アレクなら解るかもしれないな……いや、あいつは俺限定か。
と、突き抜けた友を思い出しどうしようかと考えていると、救いの手を差し伸べる者がいた。
『ぺらもっしゅー!』
「「「「るるーっ」」」」
幼竜ビルヌュである。
まだいたのかよお前。
というかなんでお前までピー言葉なんだよ。
そう心の中で呟くカイの前でエルトラネが道をあけ、ビルヌュがゆっくり踊って歩み寄る。
何とも奇妙な竜の姿にピーか、こいつもピーなのかと思うカイだがビルヌュに狂気の光は感じない。
ピーではない。素であるシラフである。
カイはビルヌュに近づいて開口一番、こう言った。
「……お前、恥ずかしくないのか?」
『ふ、慣れよ。この程度で恥じ入るようならエルトラネの庇護者は名乗れぬ』
自信満々。胸を張るビルヌュ。
どうやら慣れているらしい。慣れって怖いと思うカイだ。
そんなカイにビルヌュは告げた。
『カイよ。言葉も行動も飾りに過ぎぬ』
「言葉は分かるが行動も飾りなのか」
『そう。全ては心。赤裸々な心の内に輝く意思を汲み取る。それがエルトラネ』
ビルヌの言葉にカイはメリッサが語った言葉を思い出す。
ハーの族は回復魔法に長けているから魂を読む事など造作も無い。
その言葉は嘘ではない。
彼らはビルヒルト討伐戦で回復強化で他のエルフの戦いを助け、勝利の確かな一助となった。
エルトラネの皆は強力な回復魔法使いなのだ。
つまり……心なのか。
カイは心にある事を思い、呟く。
「ぷるーぱ」
「「「「るるぱっ?」」」」
エルトラネの皆がバッと左を向き、失望してカイに批難の目を向ける。
すまん。そっちにご飯はない。
カイは心で皆に詫び、祝福により得た力を発動させた。
ピーの言葉はただのアピール。
その意思は心にある。
他の族がピーと忌み嫌うわけである。
回復魔法使いでなければ意思疎通出来ず、ただの奇行あふれるピー集団。
ハーの族は狂おしいまでの内輪の族なのだ。
「ぱっぷー」「ぴらーぺ」
ピー長老の言葉に応じ、カイが右手を上げ笑う。
「「「「すぺっきゃほーっ!」」」」
エルトラネの皆が歓喜に叫ぶ。
カイ様が我らの言葉を受け入れなさったぞ。
さすがかいさま。かいさますごい。
言葉にすればおおよそこんな感じだろう、カイが見るマナに皆の感情が踊る。
奇行の中に隠れた赤裸々で繊細な意思を捉える。これがエルトラネであった。
「ぺ?」「る、ぷるぴらぱぱぷぷぞ」「るぱー」
カイは回復魔法使いとしては新参者。その意思を汲む能力はまだまだだ。
しかしエルトラネの者達の心は赤裸々で純粋。下手なカイにもよく解る。
カイは長老の踊りに合わせて踊りながら広場の中心へと進む。
言葉も態度も彼らに合わせる必要は無い。
しかしそこはノリ。
天高く輝く月明かりの下で行われる集いはエルトラネの行う祭りだ。
郷に入っては郷に従え。
どうせピーは遠慮なくカイの心を読んでいる。その羞恥を吹き飛ばすだけのやけっぱちが必要なのだ。
「ぱらっぷーっ!」
「「「「にゅっぺー!」」」」
ノリだ。
全ての羞恥をノリと狂気で乗り越えろ。
カイの叫びに皆が叫び、ピーの縦ロールがふよんふよんと宙を舞う。
バカな事してるな俺と思いながらも中心へと踊り歩いたカイは、三人の妻と再会した。
『ぱらっぷらっぷー』
「る、るっぱぷえう」「そ、そにはほへ」
「ノリが悪いぞお前ら。マリーナのキレッぷりを見習え」
「えうぅ」「ぬぐぅ」
キレの悪いポーズで赤面する妻二人に、カイはキテレツポーズでツッコミを入れた。
ご飯を前に即時土下座な二人も恥ずかしいものは恥ずかしい。
しかしこれでも進歩である。かつては絶対に関わりたく無いとまで言わしめたエルトラネに合わせるだけでも大きな一歩だ。
カイは羞恥に頬を染める二人に笑い、床に横たわるメリッサを見る。
カイの後に続いて踊り歩いたビルヌュがカイに告げた。
『これは復活の儀式だ』
「復活?」
『エルトラネは長い間の呪いが心にピーを刻み込み、眠りの間にそれらが現れるようになった。しかしエルトラネの皆が宿している訳では無い』
「……長い間とはどのくらいだ?」
『およそ二百年。無き者は眠りに落ちても寝たままよ』
メリッサは百八十年ちょっとだから微妙なところだ。
『故にこの儀式なのだカイよ。汝を愛するピーが残っていれば汝の口付けで必ず呼び覚まされるはずだ』
「つまり、俺にここで口付けしろと?」
『そうだ』「えう」「ん」
「「「「ぶっちゅー」」」」
内容が赤裸々だと言葉で意味がわかるのな。
カイは何とも呆れた感じでエルトラネの皆を見つめ、袋にまだ残る飴玉を一つ取り出した。
「「「「るるぱっちょ!」」」」
「いや、お前らにはやらんから!」
何とも欲望あふれるピー共にカイは叫び、メリッサに飴玉をかざした。
考えてみればピーが存在する証拠は常にカイの目の前にあった。
それはメリッサの髪形である。
あれはピーが回復魔法でセットしているものであり、メリッサの実力ではあの髪形は維持できない。
毎日崩れもしないキレッキレの縦ロールをふよんふよんさせているメリッサにピーが存在しない訳がないのだ。
あれはメリッサが寝ている間のピーの仕業。
いくぞピー。
カイは飴から手を放す。
「……ぷ!」
シュバッ……
素早く動いた手が飴を掴み、口の中に入れて再び寝た振りに戻る。
やはりピーもエルフである。食には全力だ。
カイはもぐもぐさせているメリッサの鼻を指でつついた。
「寝た振りしてんじゃねーよ」
「ぷっぷるー」
「ぷっぷるーじゃねえよ。今までどうして出てこなかったんだお前」
「るるぷぱぷすぴー」「寝た振りはバレてんだよ」「ぷー」
今までよく存在を知られなかったものだ。
呆れるカイの問いに答えたのはミリーナとルーだ。
「カイの眠りを邪魔したくなかったえうよ」
「ん。眠り大事。だからメリッサが眠る間だけ出てくるピーは邪魔しない」
「あぁ……」
そうか、とカイは思い出す。
一緒に寝て、一緒に起きる。
これが今のカイ達の生活だ。
寝ている時間と起きている時間がほぼ同一なら寝ている間だけ出てくるピーと会えないのも当然だ。
「そしてピーは自分がまともではない事も知ってるえう。だから出て来ないえう」
「メリッサも付き合い増えた。だから遠慮してる」「ぱるすぴー」
「でもピーは毎夜泣いているえうよ。眠るカイを回復しながら切なく泣いているえうよ」
「ん。カイぐっすり、ピー嬉しいけど会えない寂しくて悲しい」「ぽるすぴー」
「あの姿を見たら全力で応援するえう」
「カイとの今もピーのおかげ。バックアップ半端無し」「ぷぷすぴー」
「ピーはいい加減起きるえうよ。バレバレえうよ」「ん。しつこい」「すぴー」
この期に及んでまだ寝た振りをするピーもなかなか頑固である。
カイは話を要約する。
「つまり、俺が妻を泣かせてたという事だな」「えう」「ん」「すぴー」
「よしわかった」
カイは横たわるピーを抱き上げる。
皆が歓喜に踊り叫んだ。
「「「「ぶっちゅー?」」」」
「こんな所で出来るか恥ずかしい!」
なぜ奇妙な踊りを見ながら情事をせねばならんのだ。
ピーを抱き上げたまま、カイはゆっくり歩き出す。
ピーもようやく諦めたのか、カイの首に腕を回してご満悦。
カイは寝かされていた掘っ立て小屋にたどり着くと、踊る皆に宣言した。
「ここから先は、俺達夫婦の秘め事だ」
「るっぷるーっ」
妻の超可愛い姿はお前らには見せてやらん。
カイは布の入り口を潜り、ピーと二人でふかふか布団に転がり込んだ。





