9-3 カイは故郷で首を傾げる(2)
「あったかご飯の人……カイはこの言葉を聞いた事はないか?」
「ぐっ……すみません。俺の事です」
「なんと!」
誤魔化しても仕方ない。
いきなりの赤面パワーワードにカイは素直に頭を下げた。
家の前に立つ石柱を見た時から覚悟はしていたが当然のようにカイ絡み。
そして常識の違いが引き起こしたアホな悲劇だ。
カイの言葉に村長は驚き、納得して頷いた。
「それならば石碑に刻まれた言葉にも納得。『偉大なるあったかご飯の人、生誕の地』……あれはカイの事であったか」
そんな恥ずかしい文言が……!
システィ、お前絶対知ってただろ?
カイは心でシスティにツッコみ、赤面して頭を抱える。
家の前に立っていたアレは石柱ではなく石碑であった。
「……カイスリー」「ちょっと長老の所に行ってくるわ」
おう、シメてこい。
自らを分割できるカイスリーは分割体同士の意思疎通が可能なダンジョンの戦利品である。
そして全ての戦利品カイはカイ本人と繋がっている。
カイが知れば皆が知り、カイのように考え動き出すのだ
カイスリーはエルネ、ボルク、エルトラネ、ホルツの里に分割体を置いている。
ここに居ながらエルネの長老をシメ放題だ。
ちなみに分割できる戦利品カイ達は分割体の一つをアトランチスの拠点に置いており、世界に散ったカイ達が知った情報はそこに集められて全ての戦利品カイ達に拡散する仕組みとなっている。
何とも便利なカイ達であった。
「有名な冒険者は通り名を持つと言うが、妙な名を名乗ってるんだな」
「冒険者は勇ましい名を名乗るものだと思っていた」
「まあまあ二人とも、カイが選んだ名ですから」
「あのカイが立派になったねぇ」「あったかごはんー」
「名乗ってないから。冒険者としては下っ端だから」
父ロランと兄ブルックが首を傾げ、母ミラが二人をなだめ、兄嫁のアンが感心し甥のディーがはしゃぐ。
名乗らせたのはイグドラです。神ですクソ大木です。
何とも微妙な家族の反応に心で叫ぶカイである。
しかしイグドラは人間社会で今も崇められる聖樹様そのものなので馬鹿にすると後が怖い。カイは自分の意思ではないとだけ主張して村長に続きを促す。
「村長、続きをお願いします」
「うむ」
村長はしばらく考えた後、話を続けた。
「あの石碑が建てられたのは今から一ヶ月ほど前……そう、大竜バルナゥに咥えられたルーキッド様がいらした次の日であった」
バルナゥ、お前エルフに喋ったな。
「皆がいきなり建てられた石碑に首を傾げた次の日、言葉が刻まれた。『偉大なるあったかご飯の人、生誕の地』と」
何度も言わないで下さいお願いします。
「その妖しげな名に不安を感じながらも何も起こらず一週間。事件が起こった」
「何があったんです?」
「盗賊が村の見張り台に吊るされたのだ。首には『生誕の地を襲わんとした不届き者を飯抜き三日の刑に処した』と書かれた木札がかけられていた」
ありがとう!
どこの里かは知らないがエルフありがとう!
苦しげに語る村長を前に、エルフに心で土下座のカイである。
ランデル領の治安は良いが犯罪が無い訳では無い。
国境の地でもないので領境に壁や砦がある訳でもなく人の往来は自由そのもの。
領都でもあるランデルなら外敵に備えた造りもあるが村のような小規模な集落ではそれも無い。申し訳程度の柵と見張り台が精々だ。
そして収穫の時期は盗賊にとっても稼ぎ時。
実りで温かくなった懐を狙う不届き者は後を絶たず、弱小領の領兵の警戒は全ての村には及ばない。徒党を組んで襲われれば少なくない損害を出した事だろう。
おそらく吊るされた盗賊は斥候の類だ。狙い目の村を探しに出てエルフに見つかり飯抜き三日の刑に処され、見張り台に晒されたのだ。
全員が強力な魔法使いであるエルフは生物のマナを見る事が出来る。
その有効距離はおよそ三百メートル。
盗賊は何も解らぬまま刑に処された事だろう。
ご飯を奪う者をエルフは決して許さない。飯への執着半端無いのだ。
「それで、その夜盗はどうしましたか?」
「大竜バルナゥに乗った勇者様一行に連れて行かれてからは知らぬ。牢の中か、はたまたバルナゥの腹の中か」
「牢の中でしょう。バルナゥは食べないと思いますよ」
システィ、そしてアレク。
やっぱり知ってやがったなてめえら。
そしてこんな事を知っているなら教えてくださいルーキッド様。
心で愚痴るカイである。
結婚式にかこつけて利息の付いた諸問題の取り立てを迫るあたりルーキッドも絡んでいるに違いない。見事にハめられたのであった。
まあ仕方ない。
話を聞きながらカイは大きく息を吐く。
元々はカイが何とかするべき事なのである。
「この村が劇的に変貌したのはその日からだ。次の日に見事な見張り台が作られ、その次の日には高い柵が、さらに次の日には立派な門が作られた」
「……」
「毎日妙な事が起こる。山のように薪が積まれ、キノコが積まれ、収穫前の畑が実り、慌てて収穫すれば再び実り、異様さに誰も手を出さずにおいたら収穫されてそれぞれの家の前に積まれ、そして畑には実り……前にビルヒルト領でこのような行いをした者が異界を招いたと聞いたが、エルフはこの地に異界を招きたいのか? 毎夜そこの石碑を前に騒ぐあれは何かの儀式なのか?」
「すみません。本当にすみません!」
それたぶん恩返しです。
ひたすら謝るカイである。
地産地消のエルフと違って交易する人間は地のマナを枯渇させる。
年月はかかるが確実に土地は痩せる。
エルフは育てて食べて戻すだけなので気にせず祝福しまくったのだろうが、実りを持ち出す人間にとっては異界を招く危険行為だった。
「……カイスリー」
「なんという恥ずかしさだ……あいつらアホだ」
怒気を含んだ声でカイがカイスリーを呼ぶと、カイスリーはカイスリーで頭を抱えていた。
「どうした?」
「あいつら、他にもこんな石碑を建てまくっているらしい」
「どこに?」
「主に森の中だがなんでもかんでも聖地にして巡礼しているらしい。呪いが解けたお礼をとエルフがこぞって回っているそうだ」
「なんというはた迷惑な……あいつら、俺らに隠してやがったな」
「まあ俺らが知れば絶対止めるからな。お前が恩を返させてくれないからせめて家族や故郷に返すと言ってるぞ」
「うわぁ、俺のせいかよ……他にはどんな石碑があるんだ?」
頭を抱えたカイが聞くとカイスリーは知らない方が幸せかもしれんぞ、と前置きして言葉を続けた。
「あったかご飯の人、あったかご飯をエルネの妻に授けるの地」
「オルトランデルのカイ部屋えう」「まあ、誰にも迷惑かからないならいいか」
「あったかご飯の人、ボルクの妻と乳繰り合うの地」
「む、照れる」「それは変えろ! 絶対変えろ!」
「すっぽぺぺんぱぷーっ、ぽぽんそげんぷぱらぽ。の地」
「い、意味がわかりませんわ!」「全くだよ!」
常識が違う相手は何もかもが面倒臭い。エルフの事である。
そして善意や幸運が過ぎると疑心暗鬼に陥りやすい。村の者の事である。
バランスを欠いた関係に往々にしてよく起こる不幸である。
しかしカイが適度にガス抜きしていればこのような事は起こらなかっただろう。
大きすぎる恩に対する恩返しの暴発であった。
ひとしきり頭を抱え終えたカイが家族と村長を見ると、皆心配そうにカイを見つめ黙っている。
カイはテーブルに頭をぶつけて謝罪した。
「ごめん! 俺に対する恩返しだから。もう起こらないようにするから」
「つまり、もらったものは自由に使って構わない、と?」
「ああ。俺が全責任を取る。大丈夫だからパーッと使ってくれ」
カイが胸を叩いて宣言すると村長も家族も安心したのだろう、体の力を抜いて大きく息を吐き出した。
「よかった。本当に良かった」
「美味しかったものねぇ」
「今さら返せと言われたらどうしようかと思った」
「食べたの?」
「いや、グランがもったいないと言ってな」
「食べたのかよ……」
皆に呆れるカイである。
意味不明の恩を受けた不気味さに食べてしまった負い目が重なり参っていたらしい。心配の半分は自業自得であった。
「おいしーかった」
「いやぁグランがあまりに美味しそうに食べるから、つい」
ディーとアンがてへへと笑う。
「心配するか気にせず食べるかどちらかにしなよ。危ないなぁ」
「冒険者なんぞやってるお前が言う事か。危ない橋ばかり渡りおって。ミリーナさん、ルーさん、メリッサさんもそう思うでしょう?」
カイの言葉に父ロランが返し、ミリーナ達三人に同意を求める。
善意を自分達が勘違いしたと知った今ではエルフもそれほど怖く無い。ロランは家長として言葉で握手を求めたのだ。
「カイは堅実旦那様えうよ」「ん。超安定旦那様」「そうですわ。カイ様は危ない事には近づかず、儲かる事も避けて通る安全安心あったかご飯の旦那様ですわ」
ミリーナ、ルー、メリッサが胸を張る。
そんな三人に家族はいやいやとにこやかに手を振った。
「そもそも堅実な者は冒険などまずしない」
「えうっ!」
「だから冒険者なんて危険な職には就かないわよねぇ」
「ぬぐっ!」
「トラブル当たり前の仲間と共に野営とか、よく寝られるな」
「ふんぬっ!」
冒険者としては堅実でも農家から見れば危っかしくて仕方が無い。
田畑という自ら立つ地を持つ者だから言える言葉である。
彼らから見れば冒険者など根無し草。稼ぎ次第でどこへでも行く放浪者だ。
「い、言い返せないえう!」「農家最強説爆誕」「時代は農業なのですね。それならカイ様もアトラ「それは厄介事だから」あうっ……」
メリッサの言葉をカイが止める。
アトランチスの地を耕して世界樹を育てているとか厄介な事この上無い。
かつて聖樹教が独占していた世界樹を知る者ならば欲望丸出しで襲ってきてもおかしく無い。何かをされて強い異界でも顕現させられたら世界が危ないのだ。
種が芽吹き、食べ方を学ぶまでは人に触れさせてはならない。
それがカイの結論だ。イグドラとの約束だ。
「カイ、誤解なのは解ったから村の皆も安心させてくれんか?」
「わかりました村長。エルフが来る夜を待ちましょう」
そしてエルフと共に歩むのが三人を妻に迎えたカイの決意だ。
今も心配する村長にカイは頷き、皆と共に夜を待つ。
そして夜。
石碑に集まり拝むエルフを前に、カイは家の扉を開いた。
「アーの族、エルネの里のミリーナ・ヴァン」
「「「おおっ……」」」
「ダーの族、ボルクの里のルー・アーガス」
「「「おおおっ……」」」
「ハーの族、エルトラネの里のメリッサ・ビーン」
「「「おおおおっ……つ、つまりこのお方が我らを救いしあのお方……」」」
エルフの視線にカイは頷き、あの言葉を口にする。
「あったかご飯の人だ」
おおおおおぉおおおめしめしめしめしめし……
エルフの皆が土下座する。
相変わらずの圧倒的ネームバリュー、赤面パワーワードである。
「あったかご飯の人!」「我らの救いの神!」「なにとぞ、なにとぞ我らに御言葉を!」
うわあ恥ずかしい。村の皆が見てるのにめっさ恥ずかしい。
しかし赤面してもいられない。
カイもやけっぱちである。エルフの歓声を前にゆっくり頷くと皆に告げた。
「皆の思いは嬉しいが住んでいる皆が困っている。ここを崇めるのは構わないが門から出入りするように。閉じている時は崇めてはならない」
「「「ははーっ!」」」
「そして感謝が過ぎてはいけない。この村の事はこの村の者がする事だ。安易な感謝は将来の禍根と心得てくれ」
「そんな! それでは我らの感謝の証が、聖地への貢物が!」
「近い内に俺達は正式な結婚式を挙式する。その時振舞う料理の為に、その力を貸してくれ」
おおぉおおおおおおおめしめしめしめしめし……
エルフの皆が歓喜に叫ぶ。
「伝説のあったかご飯を我らに授けて下さるのか!」「あの伝説のあったかご飯を!」「素晴らしい!」「最高の食材をご用意いたします!」「イモニガー!」
当然のようにカイが作る流れになっているが、些細な事である。
カイはその他細かいルールをエルフに示し、エルフはひたすら歓喜に叫ぶ。
「な、なんか……」「恥ずかしいわ……」「あぁ、これは恥ずかしい」
「……」
そして家族はやけっぱちのカイを奇妙な顔で見つめ続ける。
すごいと思うが目指そうとは思わない。そんな感じの顔である。
「おじちゃん、すごーい」「ディー、あれは真似しちゃダメ」
アンに至ってはディーに真似しちゃダメと言う始末である。ひどい有様であった。
顔で笑って心で泣いて。
カイはエルフの皆に巡礼マナーを叩き込み、村の安心を己の羞恥で取り戻したのである。
「じゃ、俺は行くよ」
「次は結婚式だな」「日取りが決まったら教えてくれよ」
「えうふー、えうふー」「エルフえうよ」「えうふー」「違うえう」
「ミリーナさん、ルーさん、メリッサさん。カイをお願いしますね」
「へなちょこだからしっかり守ってちょうだいね」
「どんと来いえう」「む、まかせて」「全身全霊をもってお守りいたしますわ」
『ごはんありがとー』
次の日。
ウェルス家の前で、カイは家族との別れを惜しんでいた。
これからカイ達は結婚式の準備のために妻の里をめぐるのだ。
そう、さながらここを訪れるエルフの巡礼の如く……
「すみません。ちょっと通りますね」
「あぁ、巡礼の方ですか」
「はい」
ウェルス家の前でペコリと頭を下げたのはエルフだ。
村の朝は早く、門はもう開いている。
カイ達が話している間にもエルフがひょいと現れて石碑を崇め、カイを崇めて去っていく。
決めたルールを守るエルフを怖がる村人はもういない。
互いの常識を尊重した結果である。
エルフは異界の怪物ではない。理解し合える隣人なのである。
「グラン兄さんは……もう畑か」
「ああ、帰り道で挨拶するといいだろう」
「それじゃ」
「ああ。また会おう」
カイは家族に手を振り、ウェルス家を旅立った。
「いい家だったえう」「第二の故郷素晴らしい」
「さすがカイ様のご両親です。素晴らしい方々でしたわ」
「そうか。ありがとう」
普通に生きる普通の家族なんだがな……
そう思いながらも家族を褒められ嬉しいカイである。
ゆっくりと細い道を歩くとやがてウェルス家の畑にたどり着く。
そこには幼い頃からずっとある、ゆらゆら揺れる逞しい背中。
「グラン兄さん、行くよ」
「……そうか」
グランは来た時のようにカイに短く返事して、すぐに農作業に戻った。
田畑と共に生き、働き、喜ぶ。
そこに一切の迷いも無駄も無い。堅実というのはグランのような者の事を指すのである。
カイの堅実など所詮冒険者の堅実だ。
しかしそれで良かったのだとカイは思っている。
堅実であれば冒険者にはならなかっただろう。アレクとの出会いも無くエルフとの付き合いも無かった。
そしてエルフが救われる事も無かった。
ベルティアは違うと言っていたが、やはりカイはこの世界の物語に選ばれたのだ。
「行くか……皆、どうした?」
道を行こうとしたカイは、ミリーナ達がグランを凝視している事に気が付いた。
兄に何かあるのか……?
そう思ったカイであるが、三人が違う場所を見ていることにやがて気付く。
「もうおおっぴらに会っても大丈夫えう」「む、だいじょぶ太鼓判」
「そうですわ。思う存分楽しみなさい。人の命は短いのですから押せ押せで行かないといけません。そう、私とカイ様のように「「長い」」あうっ……」
三人が語りかけるのは畑の先。
ややあって、畑の陰からひょっこりと顔を見せる者がいた。
エルフの女性である。
カイが見つめるその先でエルフの女性はグランに近づき、グランは笑顔で受け入れる。
そして二人は寄り添って、家への道を歩いていく。
農作業はお休みだ。
二人の受難の時は今、この時終わりを迎えたのだ。
「さすがはグラン兄さん」
「えう」「む」「はい」
もしかするとカイより先にエルフと交流を持っていたのかもしれない。
本当に地道で堅実なら環境の変化に対応して己を保てるものである。世界の大きな渦に巻き込まれていったカイとは違い、グランは己をしっかり保ってエルフとの信頼と愛を育んでいたのだ。
そんなグランならカイの事も呪いが祝福に変わった事も知っている。
だから今回の事も何も心配していなかったに違いない。事情を知っていれば貢物にも手を出すだろう。エルフが食への執着半端無い事も知っているからだ。
カイ達は二人が集落にたどり着き、驚いた家族が喜び家に迎え入れるまでを見届けてから出発した。
次に向かうはメリッサの里、エルトラネ。
かつての狂気の里だ。
この一件の後、ランデルは百余年振りにその名を轟かせることになる。
この地で収穫される作物が驚くほど美味しくなったのだ。
その味はすぐに全国の評判となり、ランデル産の作物は高値でも飛ぶように売れるようになる。
ランデルのブランド化。
エルフとの協力に一歩先んじた結果であった。
他の土地もやがてはその技法を知り同じ事をするようになるだろう。
しかし先に轟いたランデルの名は消えはしない。
そして始まりとなった家の石碑も朽ちはしない。
『偉大なるあったかご飯の人、生誕の地』
エルフ達は石碑を巡って祈りを捧げ、喜びに実りを祝福し続ける。
カイは村の思惑とは違う形で村の期待に応えたのである。





