9-2 カイは故郷で首を傾げる(1)
カイ・ウェルスは農家の三男坊だ。
ランデルの町から半日もかからない村に生まれたカイは、他領であればそのまま田畑を耕し続けて人生を終えていた事だろう。
しかしここはランデル。
エルフの暴走により領都を森に沈められ、宿場町にまで凋落したランデルである。イモニガー。
森の脅威であるエルフを知る彼らは森から恵みを得ても切り拓いて畑にする事は無く、長い間森に入る事も無い。
エルフを駆逐する力が無いからだ。
戦う力を磨いた冒険者達も森の中ほどまでしか入らない。
エルフが住む森の奥は圧倒的な力を誇る竜が全てを支配する狩場なのだ。
そんなランデルだからカイの耕す田畑は無く、カイは村長の紹介で村の作物を扱う小さな商家の職を得た。
耕す畑は無いが、村の作物を扱う商家のもとで働くことで村に寄与する事を期待されたのだ。
しかし、カイはその期待に応えられなかった。
カイが失敗した訳ではない。商家の商才が無かった訳でもない。
原因は山賊だ。
商家の物品を運ぶ商隊が山賊の襲撃に遭い、ひどい損害を出したのだ。
小さな商家の物品は商隊の護衛を十分に受けられない。
他の商家の品を守るために捨てられた商家の品は山賊の格好の餌食となり、その一件で信用を失った商家はそのまま店を畳む事になる。
カイは商家の悔しい思いを胸に、冒険者への道を選んだ。
世話になった商家のような者達が、山賊等の理不尽に苦しめられる事を少しでも減らそうと剣を手に取ったのだ。
まあ、結局挫折してアレクに夢をぶん投げ……託したのだが。
「とまあ、こんな事があって冒険者になったのさ」
「昔からへなちょこだったえうね」
「無理しても何も出来ずに死ぬだけだからな。へなちょこ万歳!」
「万歳えう!」「む、万歳!」「バンザイ!」『ごはんー』
カイとミリーナ、ルー、メリッサ、幼竜マリーナはそんな話をしながらランデルを発ち数時間、村の入り口に立っていた。
「ここがカイの生まれた村えうね」「畑たくさん、麦たくさん」
「なんて立派な門構え。カイ様の堅実人生のルーツがこの村にあるのですね」
『クルル……』
「いや、こんな立派な門も柵も無かったぞ……」
感動する三人を前に、カイは首を傾げていた。
カイの前にあるのは立派な門。
まだ新しい門がどどんと建ち、細い田舎道を塞いでいるのだ。
そして門の左右には木の柵。
高さ三メートルはある丸太を使った柵が延々と続いている。小さな村とは思えない見事な柵であった。
五年前には何も無かったはずなのにえらい変わり様である。
一体、何があった?
同行していたカイスリーを見るもカイスリーも知らんと首を振る。
分割して色々な場所で活動している戦利品カイ達も全く知らないようだった。
カイは再び首を傾げるも答えが分かるはずもない。
とりあえず村に入ろうと、カイは立派な門を叩いた。
「ロラン・ウェルスの息子のカイ・ウェルスだ。誰かいるか?」
少しして、柵の隙間から顔を見せる者がいた。
「……カイ、カイか?」
「ブルック兄さん、久しぶり」
ブルック・ウェルス。
ウェルス家の長男だ。
農作業で日に焼けてはいるがカイに似た風貌のブルックはオドオドしながら外のカイを見つめている。
日はまだ高く、農家であるカイの家族は畑仕事に勤しんでいるはずだ。
カイはまた首を傾げた。
「こんな時間になぜ村外れに? 農作業はどうしたの?」
「村は今大変な事が起こっていてな……ところでカイ、お前が二人いるように見えるんだが」
「あぁ、こいつは戦利品だよ」「カイスリーです。よろしく兄さん」
怪訝な顔をするブルックにカイスリーが頭を下げる。
ブルックはしばらくカイとカイスリーを見比べていたが心の整理が付いたらしい。首を振ると呟いた。
「領主様から聞いていたが、冒険者というのは色々と凄いんだな」
「ルーキッド様がここに?」
「あぁ。「カイ・ウェルスは色々とおかしいが気にしないように」とな」
ルーキッド様すみません。
心で土下座のカイである。
いろいろぶん投げた領主はしっかりと仕事をしていたようである。
この分だと妻達の事も話しているだろうなぁ……
と、カイが思っているとブルックはフードで顔と耳を隠した三人とマリーナを見つめて聞いてきた。
「それで、だ……その三人はエルフ、そして竜だよな?」
「あぁ、俺の妻達と幼竜マリーナだ」
「えう!」「む!」「ふんぬっ!」
カイがブルックに三人を紹介し、三人がフードを取り払う。
長い耳と美しい顔を晒した妻達は喜色満面。
エルフではなく人間相手の名乗りならネームバリューは関係ない。
堂々とウェルス姓を名乗る事が出来る機会に三人は勢い良く進み出て、柵の隙間から見つめる義兄ブルックに胸を張って名乗りを上げた。
「アーの族、エルネの里のミリーナ・ウェルス」
「ダーの族、ボルクの里のルー・ウェルス」
「ハーの族、エルトラネの里のメリッサ・ウェルス」
『大竜バルナゥの子、マリーナです』
「ウェルス最高えう!」「素晴らしい。実に素晴らしい」「あぁ、メリッサ・ウェルスの美しい響き……至福ですわ」
はしゃぐミリーナ、ルー、メリッサだが柵の向こうは戦々恐々。
三人の長い耳を見たブルックは青ざめ、震え、土下座し命乞いをはじめた。
「我が村をお許し下さいエルフ様!」
「えう?」「む?」「はい?」『クルル?』
カイの兄に妻アピール出来たと思っていたのにいきなり土下座で唖然の三人。
カイは再びカイスリーを見るも知らんと言われて首を傾げる。
ランデル界隈のエルフの里に常駐しているカイ達も知らないエルフ問題にカイはまた首を傾げ、柵に近づきしゃがみ込む。
「一体何があったの兄さん?」
「お許し下さい。お許し下さい……」
「許すも何も話がさっぱりわからないよ。この界隈のエルフなら顔が利くから話してくれないかな」
あったかご飯の人だから。
可愛がってもらった兄に恐れられるのは何とも切ないものだなぁ……
カイはそう思いながらミリーナ達を十歩ほど下がらせて、ブルックを宥めて立ち上がらせる。
ブルックは額についた土を拭う事もせずにカイを見て、離れたエルフと竜を見て、またカイを見た。
「何も、しないか?」
「しないから。何もしないから」「えう!」「ぬぐ!」「ふんぬっ!」『クルル』
「わかった。こんな柵どうせエルフや竜には通用しないしな」
エルフがその気なら跳び越える事も壊す事も出来る程度の柵である。
竜なら無いも同然だ。
ブルックもそれを知っているのだろう、門の閂を抜いて扉を開きカイ達一行を招き入れた。
「五年振りだな。おかえり……」「ただいま……」
ぎこちない挨拶をして門を潜り、カイは故郷の村に入った。
木々に畑、少し遠くに固まり建てられた小さな家々。
新築らしい背の高い見張り台が目を引くが他はほとんど変わらない。
カイはブルックと並び、細い道を歩きはじめた。
五年前と変わらない懐かしの故郷である。
畑の間を縫って進む道は家の集まる村の中心へと続いている。
懐かしい畑の匂いにカイは帰郷を実感し、ゆっくり大きく伸びをした。
「新しく見張り台を作ったんだ。門と柵で驚いたけど中はあまり変わらないね」
「見張り台か……あれも柵も門もまあ、なんだ……色々不可解な事があってな」
「そうなんだ」
「詳しくは家で話そう。皆の話を聞いた方が良く分かるだろうからな」
ブルックと共に細い道を歩いていくと、やがてウェルス家の畑にたどり着く。
たわわに実った畑に揺れる大きな背中は幼い頃によじ登ったもう一人の兄のものだ。
ゆらゆらと揺れる体が懐かしく、カイはその背に声をかけた。
「グラン兄さん。久しぶり」
「……カイか」
次男のグランは短い返事を返すとミリーナ達に会釈して、再び農作業に戻る。
寡黙なのも変わらない。
丹精込めて育てた野菜はどれも立派でみずみずしく、もいで食べれば美味そうだ。
エルフとは違う畑にカイは帰ってきたんだなぁとしみじみ感じつつ、先を行くブルックを小走りで追いかける。
「グラン兄さんは相変わらずだね」
「あいつはいつでもあんな奴だ。浮き足立った今も変わらないのは頼もしい」
「エルフの事で?」
「ああ、エルフの事でだ。幸いな事に被害は無いが、奇妙な出来事に皆困り果てているんだ……親父、お袋、カイだ!」
歩を止めたブルックが畑に動く影を呼ぶ。
屈んだ二つの影はブルックの声に立ち上がり、伸びをすると振り向き笑う。
カイの父、ロラン・ウェルス。
そしてカイの母、ミラ・ウェルスだ。
「父さん、母さん」
「久しぶりだなカイ」「久しぶりね」
「二人とも元気そうで何より。母さんは……若返った?」
「あらやだ。息子に口説かれちゃった」「この放蕩息子め」「あだっ……」
ゴツン。逞しい父に小突かれカイが笑う。
耕す畑が無くても家族の絆は変わらない。
畑を前に家族で笑い、カイスリーと三人の妻とマリーナを紹介すると両親は何とも言えない顔で妻達と竜を見つめ、そしてカイを見つめてため息をつく。
「エルフに竜か……領主様の言う通り、おかしな奴になったな」
「本当、なんて言えばいいのか」
「いいんだよこれで。とても幸せだし」
「あら、なら……おめでとう?」
「ありがとう」
いつかは村の為にと送り出した息子の何とも奇妙な出世? に微妙な顔の両親である。
一行は集落に向けて歩き出した。
先頭はブルック、その後ろに両親、その後ろにカイ、さらにその後ろにミリーナ、ルー、メリッサ、そしてマリーナ。一番後ろがカイスリーだ。
エルフの問題もあって家族と妻達の距離感は微妙で、とても気になるが話しかけられない状態が続いている。
まあエルフの問題があるから今は仕方が無い。
解決すれば仲良くなってくれるだろうとカイは畑で働く村人に挨拶しながら道を進み、やがて集落の一角にあるウェルス家の前に立つ。
家の脇には、布の巻かれた石柱が立っていた。
「なにこれ?」
「まあ、色々とな……」
ブルックが言葉を濁す。
高さは三メートルくらいの滑らかな黒光りする石柱である。
布で隠された部分がどうなっているかは解らないが買えばものすごく高いだろう。そのようなものが実家の前にどどんと建てられているのだ。
間違いなくエルフ絡みだろう……それもカイ絡みだ。
あいつら今度は何してる?
常識外れな森の人に嫌な予感を感じながらカイはウェルス家の扉を潜る。
土間では竈の鍋を前にブルックの妻アンが子供をあやしていた。
「あら、カイじゃない久しぶり」
「かいー?」
「アン姉と……子供?」
「あぁ、カイは初めてだったわね。ほらディー、カイ叔父ちゃんよ」
「カイー?」
農作業で鍛えられたしっかりした腕で、アンが子のディーを抱え上げる。
ディーと呼ばれた幼児はきょとんとした表情でカイを見つめ、同じ顔をしたカイスリーを見て首を傾げた。
「おじちゃんが二人」
「あら本当……どっちが本物?」
「俺だ俺」「あぁ、老けた方ね」「うっさい」
真面目な顔で聞いてくるアンにカイは手を上げ答えて椅子に座る。
妻達はカイの隣に座り、テーブルを挟んでブルックと両親が座る。
集落に着いた時に声をかけておいたのだろう、やがて村長がウェルス家に現れた。
「久しいな、カイ」
「村長もお元気そうで何よりです」
「先ほどブルックから話は聞いた。何でもエルフに顔が利くとか」
「はい。ランデル界隈のエルフの里なら妻達の出身ですからそれなりに」
本当は言葉一つでエルフを大暴走させられます。
とは、さすがに言えない。
カイが言葉を濁して頷くと村長は安心したのか息を吐き、穏やかに笑った。
「訪れたルーキッド様の有様もお前の仕業という話だし、頼っても良さそうだな」
「ルーキッド様の……有様?」
「ああ。一ヶ月ほど前に大竜バルナゥの口に咥えられて飛んで来られたのだ」
ルーキッド様ごめんなさい。
そして飼い主として咥え癖はちゃんと躾けて下さいソフィアさん。
あのでかい口で咥えられたら滴る唾液で領主の威厳も何もあったものではないだろう。常識外れのエルフと竜に振り回される領主の苦労に心で謝るカイである。
「全くだ。思い出しただけで震えが止まらん」
「お袋なんて気を失って三日程寝込んでしまったからな」
「母さん、大丈夫なの?」
「あらやだ、気を失ったのは本当だけど寝込んだのは飲まされた竜の血のせいですよ……あれは本当にくそまずいわよねぇ」
「「「「わかります」」」」
笑顔の母にカイと妻達が同意する。
あぁ、あれを飲んだのね……
と母の若々しく元気な姿に納得のカイである。
コップ水ばかりで口にする事の無くなった魂を削って命を繋ぐ矛盾物質の威力は相変わらずのすさまじさだった。
「鍋で煮たりしてないよね?」
「そんな事はしてないけど……何かあるの?」「鍋が呪われる」「あらやだ」
カイの言葉に母がのんびり笑う。
他愛の無い会話の後、村長がそろそろ良いかなと話を切り出した。
「あったかご飯の人……カイはこの言葉を聞いた事はないか?」





