8-3 ランデル領主は首を傾げる
トントンカンカントンテンカン、カンカントンテンカントンテン……
「……またか」
日の出前、ランデル領館。
ランデル領主ルーキッド・ランデルはやかましい建築音で目を覚ました。
まだ夜は明けておらず、外は薄暗い。
日の出までは作業を禁止すると命じたはずだが……
ルーキッドは頭を振りながら起き上がり、窓まで歩いてカーテンを開く。
やはりまだ日は出ていない。
しかし建築音はそこかしこから絶え間なく響いてくる。
音の方向に見える光は魔光灯によるものだろう。
そこまでして建築を進めたいのかとルーキッドは呆れ、部屋の外に控えていた部下を呼んで彼らを注意するようにと命じた。
ランデルの現状では彼らを罰する事は無理。
日が出る前に建築を始めなければならない程に彼らの仕事は詰まっているのだ。
今、ランデルは未曾有の建築ラッシュ。
近隣の畑が買い上げられて建物が乱立し、その後を追うように城壁が追加されていく様はなかなか壮観である。
人が集まる場所には物が集まり、そして職が集まる。
それは領主たるルーキッドには喜ばしい事である。
自分が関わっていれば、だが。
どうしてこうなった?
ルーキッドは首を傾げ、首の痛みに顔をしかめた。
首の傾げ過ぎである。
思えば数ヶ月前からルーキッドの首は傾げっぱなしだ。
およそ四年前から始まった勇者の竜討伐が竜との和解で終わって首を傾げ、青銅級冒険者が連れてきたエルネの里のエルフ一同の土下座に首を傾げ、大挙してやってきた聖樹教の回復魔法使いに首を傾げた。
ランデルを取り巻く世界は激変している。
聖樹教聖都ミズガルズが異界により消滅し、勇者が新ビルヒルト伯となり、赤子を抱いた王女システィと共に奪った利権の返還と助力を求めに来た。
ビルヒルト伯爵一家はランデルに建てられた勇者拠点で仮住まい中だ。
自分の知らない所で何かが起こった。それはわかる。
しかしその影響がランデルに集まり過ぎである。
故にどうしてこうなった? とルーキッドは今日も首を傾げるのだ。
「ルーキッド様、そろそろお時間でございます」
「ああ」
太陽が山の稜線に輝きはじめた頃、今朝もしきりに首を傾げたルーキッドのもとに侍女が現れ時間を告げる。
侍女は淡々と今日の予定を読み上げた後、重要事項を繰り返した。
「担当者がそろそろ倒れそうなので、各ギルドから要請された件は本日中にお願いいたします」
「……わかった」
変わるというのは、大変だな……
ルーキッドは大きくため息をつく。
そして軽い朝食の後、身支度を手早く済ませ領館を後にした。
変わり続けるランデルの領主は多忙。
ゆっくり朝食を食べている暇もない。
最初の仕事は大竜バルナゥとその妻ソフィアへの挨拶。
新ビルヒルト伯爵、勇者アレク・フォーレが大竜バルナゥと和解してからのルーキッドの最も重要な仕事だ。
建築音鳴り響く町を護衛と共にゆっくりと歩き、さして広くもないランデルの端へと向かう。
目指すはちょっと大きめの民家……ではなくランデル教会だ。
ルーキッドが歩いていると後ろからわふんと犬が現れ、ルーキッドに挨拶した。
「ルーキッドおはようわふん」
「おはよう」
彼女はエヴァンジェリン。
雌だ。
……犬って喋るのか?
と、何度聞いても慣れない感覚にルーキッドはまた首を傾げる。
エヴァンジェリンが喋るのは大竜バルナゥの祝福のおかげだ。
大竜に挨拶するルーキッドはこのあたりで彼女と出会い、共に教会に向かうのが日課となっていた。
「ルーキッド、ごはん食べたわふん?」
「ああ、軽く食べた」
「私も食べたわふん。おなかぽんぽんわふんよ」
「それはよかったな……おっと危ない」
「わふんっ?」
辻にさしかかった所でルーキッドが立ち止まり、エヴァンジェリンの道を塞ぐ。
その直後、激しい音を立てて材木を載せた馬車が辻を横切っていく。
発展著しい今のランデルでは良くある事だ。
「あの馬車から罰金を徴収しろ」「はっ」
護衛の一人が馬車を追って駆けていく。
ルーキッドは左右を確認し、土埃を軽く払って再び歩き出した。
「交通整理の者を出さねばならんな」
「ルーキッド、ありがとうわふん」
「なに、レディーを危機から救うのは当然の事」
「いい人わふんっ」
……君に何かあるとランデルが滅ぼされるからだよ。
嬉しそうに体をすり付けるエヴァンジェリンにルーキッドは心で呟く。
竜の祝福を受けた彼女が馬車ごときでどうにかなるとは思えないが、怪我が無くても十分危険。
何しろ相手は竜。注意し過ぎる事はない。
それにしても朝から活気に満ちあふれた街に変わったものだ。
建築の音はそこら中から響き、人々の往来も盛んである。
先日決定した都市計画もすぐに全区画が埋まってしまい、新たな計画の策定に領館もルーキッドもてんてこまいだ。
これから挨拶に行く大竜バルナゥにもその関係で話がある。
どうしてこうなった?
と、ルーキッドは首を傾げながらランデル教会に到着した。
「あらルーキッド様、それにエヴァンジェリン。おはようございます」
「おはよう」「ミルトおはよー」
屋根からひょいと顔を出したミルト・フランシスの挨拶にルーキッドはエヴァンジェリンと共に挨拶を返し、そしてまた首を傾げた。
とても屋根に登れる歳ではないのだが……?
ルーキッドが見上げる先でトンテンカンと板木を素早く打ちつけたミルトは大工道具を小脇に抱えてひょいと屋根から飛び下りる。
「我らを導いてもらわねば困りますとソフィアと皆が土下座するものですから……大竜バルナゥの祝福を頂いちゃいました」
「そ、そうか」
「ミルトすごいわふんっ」
どうやらミルトも竜の祝福を受けたらしい。
唖然とするルーキッドにミルトは微笑み、大工道具を軽々と持って教会の中へと消えていく。
その足取りは軽く、全身が輝いて見えるようであった。
エヴァンジェリンといいミルトといい凄まじい変わりようである。
人間の生は長くて百年。犬はせいぜい二十年。
しかしミルトもエヴァンジェリンもそれよりはるかに生きるだろう。
齢二億を数える大竜バルナゥの祝福とはそういうものだ。
ルーキッドはため息をつく。
生が短いと感じる者にとって彼女達は禁忌の希望だ。
それらの欲望から彼女らを守らねばランデルは終わる。
どうしてこうなった?
門の警備や巡回の強化案を考えながらルーキッドは首を傾げる。
案を三つほど思い付いた頃、空を駆ける竜の姿が目に入った。
「あー、おっちゃんだー」
いや、大竜バルナゥだ。
ルーキッドは心の中で呟き、緊張に姿勢を正す。
世界樹が去り、ルーキッドが丁稚と唾棄した聖樹教が聖都と共に瓦解してから竜は人では倒せない世界最強の種となった。
大竜バルナゥは悠々と空を駆け、ランデルの空を旋回して降下してくる。
その威容に全ての者が空を見上げ、喧騒に満ちたランデルが静寂に包まれる。
馬がいなないて馬車が止まり、御者は震えながらも慌てて馬をなだめる。
全ての生物が大竜バルナゥの圧倒的なマナに緊張しているのだ。
こんなものを倒していたとはな……
何度迎えても震える姿にルーキッドはこれまでの異様さを改めて認識する。
世界を異界から守る盾として生を受けた竜皇ベルティアのしもべ、竜。
こんなものを倒せていたのが異常だったのだ。
バルナゥは静まりかえったランデルの町を悠々と舞い、やがてランデル教会の隣にふわりと着地した。
バルナゥはここでソフィアを降ろし、ここからアレクとシスティを乗せてビルヒルトへ飛ぶ。アレクとシスティは現在ルーキッドの後見と指導のもとで通勤領主をしているのだ。
「おはようわふん」
『うむ』『エヴァー』『エヴァたんー』
「おはよー」
バルナゥの背から幼竜二体がぴょいと飛び出し、エヴァンジェリンはわふんと吠えて二体とじゃれつきを開始する。
エヴァンジェリンが祝福を受けた理由は幼竜達がじゃれつくからだ。
相手は幼くても竜。ただの犬などひとたまりもない。
これからバルナゥの背から降りてくる女性がバルナゥにそれをさせたのだ。
「ルドワゥ、ビルヌュ。乱暴は駄目ですよ?」
『『はーい』』
聖女ソフィア・ライナスティ。
バルナゥの妻であり二体の幼竜の母。
そして世界樹が天に還った時その場にいた者の一人であり、ミルトと共に今の聖樹教を導く者だ。
彼女はバルナゥから降りるとルーキッドに頭を下げた。
「ルーキッド様、おはようございます」『うむ』
「聖女ソフィア、そして大竜バルナゥ。おはようございます」
ルーキッドも頭を下げ、エヴァンジェリンはごろんと腹を見せた。
「ソフィアなでてわふん」
「はいはい。おはようございますなでなでー」
「わふっわふんっ。ソフィアのなでなでは気持ちいいから好きわふん」
『……』
ソフィアがエヴァンジェリンを撫でる。
始まった……
ルーキッドは瞑目し、拳を握って私は領主なのだと活を入れる。
ランデルの皆からもさんざん頼まれ、今日は釘も刺されている。
ルーキッドはバルナゥの前に歩み出ると、震えながら口を開いた。
「大竜バルナゥ」
『ん?』
「大変申し訳無いのですが、ランデルではごろーんはお止めください」
『何だと!』
くわっ!
バルナゥの瞳がマナに輝く。
強いマナはそれだけで生命に影響を与える事ができる……ルーキッドは悲鳴を上げる体を必死にこらえ、領民の馬鹿らしくも切実な要望の為に足を踏ん張った。
『エヴァは良くて我は駄目なのか! ソフィアのなでなでを我に黙って見ていろというのか! 何故だ!』
「め、迷惑なんですよ! 地面が揺れて迷惑なんですよ!」
『その程度我慢せんかーっ!』
ガゥフゥーッ!
大竜バルナゥは荒く息を吐き出すとごろーんを敢行した。
ごろーん、ごろーん……転がるたびに地が揺れ、そこら中で悲鳴が上がる。
棚から食器でも落ちたのだろう。何かが割れる音が響き、建築のために立てかけただけの材木が雪崩を打って崩れていく。
「おやめ下さい。おやめ下さい!」
『いやだぁーっ! なでなで、なでなでごろーんっ!』
バルナゥが嫌だ嫌だと駄々をこねて転がり回る。
この竜、どうしてくれよう……
どうする事も出来ないがそう思わずにはいられないルーキッドである。
しかし逃避してもいられない。
ルーキッドは揺れる地面によろめきながらソフィアに助けを求めようとして、ソフィアの瞳に輝く怒りのマナを見た。
「バルナゥ、伏せ!」
『はうっ』
べちん!
ソフィアの平手がバルナゥの腹に飛ぶ。
バルナゥに祝福されたソフィアの平手は強烈だ。
しかしそれ以上にソフィアに叩かれた事がショックだったのだろう。バルナゥはピタリとごろーんを止めた。
ソフィアは動きを止めたバルナゥの鱗をギギギと爪を立てながら撫で上がり、ビクビク震えるバルナゥの頬をぐねりとつねる。
『ソ、ソフィア……』
「バルナゥ……私、以前言いましたよね? バカは願い下げだと」
『お、おおーふっ……だってエヴァがなでなでを……我もなでなで……』
「エヴァは迷惑になりませんが貴方は迷惑なのですバルナゥ。御覧なさい周囲の惨憺たる有様。これを私が弁償するのですよ? 怪我人を私が回復するのですよ?」
『家に転がってるミスリル「駄目です」我の血肉で「発狂しますよ」おおふ……』
ソフィアはビクつくバルナゥにひたすら説教し、今後ランデルではルーキッドが許可しない限りごろーんしない事を誓わせた。
いや、私の許可とか関係なく禁止して欲しいのだが……
ルーキッドはそう思ったが口には出せない。
竜も怖いが竜をも尻に敷くソフィアも怖いからだ。
バルナゥはしょんぼりと伏せていたがソフィアが教会の中に入るとずるりと首を伸ばし、ルーキッドの眼前に顔を這いずらせてきた。
『ルーキッドよ』
「き、許可できません」
ガゥフゥーッ……
失神しそうになるのを必死にこらえ、ルーキッドは拒否した。
世界の最強生物の頼みを突っぱねなければならないこの不幸!
相手がちょっと力を込めればルーキッドなどたちまち肉塊である。こんな状況で断らねばならないのだ。
『なぁ』
「で、できません……」
なぜならルーキッドは領主だからだ。
領主にとって領地と領民は命。利権をひたすら失ったランデル家の手放してはならない財産なのだ。
ビルヒルトに奪われた利権が戻ってきてもそれは変わらない。
私の後ろにはランデルの民がいる!
ルーキッドは恐怖を理性でねじ伏せて、ひたすらバルナゥのごろーんを拒否し続ける。
さすがに何度も拒否されるとごり押しは無理だと察したのか、バルナゥは首を引っ込め不快そうに伏せた。
「大竜バルナゥ」
『汝なんぞ知らん』
すねた。
すねたぞこの竜……
ルーキッドは安堵の息を吐きながらも呆れた。
二億歳を数える命の狭間にこのような経験もロクに無かったのかとルーキッドは考え、竜が他を寄せ付けないぶっちぎり最強生物である事を思い出す。
バルナゥにやりたい事があれば周りが譲るしかないのだ。他人付き合いが下手になるのも当然と言えば当然であった。
しかしそれではルーキッドが非常に困る。
何かしらの理由でソフィアがいなくなったらランデルは竜の狩場同然。
食べなくとも暴れるくらいはするかもしれない。
これも領主の、務め……
ルーキッドは震える心を叱咤する。
激しい動悸をねじ伏せ余裕ある態度で近付き、バルナゥに話しかけた。
「大竜バルナゥ」
『知らん』
「余裕のある男は、もてますよ?」
くわっ。
バルナゥの目が開かれる。
引っ込めた首がずるりと伸び、頭がルーキッドに食いつかんばかりに肉薄する。
怖い。めっさ怖い。
『それは本当か!』
「はい。逆に余裕の無い男は大抵嫌われます」
『すると先ほどのソフィアも』
「他人に害を及ぼしてまで要求する余裕の無い男は嫌だ、という事だと」
『ぬうっ! つ、つまり我はなでなでされるエヴァの脇で我慢すればいいのか?』
「我慢では足りません」
『何だと!?』
「良かったなエヴァンジェリンと笑って言う位でなければ」
『な、なんだその苦行は!』
バルナゥが首をぐるんぐるんと回して唸る。
唸りたいのはこっちの方だとルーキッドは思いながらここが正念場と腹を括り、死を覚悟して切り込んだ。
これもランデルの為。
ルーキッドはバルナゥの耳元で囁く。
「今の大竜バルナゥは躾のなってない家畜といった所です」
『か、家畜!』
「聖女ソフィアの包容力は素晴らしいですが頼りすぎるのはいけません。女性が叱るのは気に掛けている証拠ですが、いつまでも叱ってくれる訳ではないですよ?」
『グゥアウウウウウオォオオ!』
バルナゥが首を天に伸ばし咆哮する。
空と地が轟音に震え、人々がたまらず耳を塞ぐ。
狂気の世界の幕開けである。
ルーキッドはなんでこんな馬鹿な事で死なねばならんのだと心で叫ぶ。やはり竜は関われば災厄なのだ。
『……がんばる』
しかしバルナゥは咆哮の後大人しく地に伏せ、静かにアレクとシスティを待っていた。
やがてアレクと赤子を抱いたシスティが現れる。
「おはようバルナゥ、今日はいつもより大人しいね」
「ソフィアに怒られた?」
『フ、余裕ある者の風格よ。我は先程、目から鱗が落ちたのだ』
「「?」」
バルナゥの言葉に二人は首を傾げ、ルーキッドに挨拶しミルトに子供を預けて竜の背に乗る。
ビルヒルトは復興中であり、二人とバルナゥは瓦礫整理に勤しんでいる。
異界討伐にちょくちょく出掛ける二人の領地経営はなかなか進まず、ルーキッドは二人を助けるようにと国王から命じられていた。
だからビルヒルトのあれやこれやもルーキッドの仕事の内である。
どうしてこうなった?
『ルーキッドよ、また頼むぞ』
「はぁ」
大竜バルナゥは愉快そうに首を伸ばし、アレクとシスティを乗せてビルヒルトへと飛んでいく。
また頼む? また死と隣り合わせでアホな会話をせねばならんのか?
どうしてこうなった?
ルーキッドは首を傾げ、いやいやと首を振る。
今はでかい犬にかまけている場合ではない。仕事は山積みなのだ。
ルーキッドはそのままソフィアを伴いランデルの城壁の外に出た。
以前は畑と草地だった城壁の外は区画整理され、土と木で新たな城壁が築かれ住宅が立ち並んでいる。
ランデルに新たに移り住んだ回復魔法使いが集う聖樹教の新たな聖地だ。
多くの回復魔法使いが働く皆に強化魔法をかけ、建材を軽々と運んでいる。
彼らの顔は明るく希望に満ち、呆れるほどの重荷にも笑顔があふれている。
ルーキッドは回復強化魔法の利便性に感心し、建築予定図に首を傾げた。
「ここを拠点とするのに、大きな教会は作らないのか?」
「はい。私達の拝する神は心の内にありますから」
「聖女ソフィア、神に拝する機会を私にお与え下さい」
そう答えるソフィアに若い回復魔法使いが駆け寄ってくる。
彼は頷いたソフィアの前でしばらく膝をつき、やがて涙を流してひれ伏した。
なるほど。これは教会の木っ端屑など比較にもならんな。
ルーキッドは納得する。
神に直接拝謁したソフィアの心を読む事で間接的に神に拝謁しているのだ。
「後は汝らが守り、考え、高めていくがよい。それが私達に神が授けた御言葉なのですね。ありがとうございます」
若い回復魔法使いは深く礼をして近くの材木を担ぐ。
その表情には周りの者と同じ希望に満ちた明るさがある。
彼ら回復魔法使い達に、荘厳な教会など不要だった。
あれは無力な、そうしなければ権力を維持できない者達の都合でしかなかったのだ。
「しかし、それでは回復を使えない者は何を拝すればいいのだ?」
「己を拝すれば良いのです」
ルーキッドの疑問にソフィアは答えた。
「神はもう還られましたから拝んでも何もしてはくれません。己の頭と体を拝し、守り考え高めていく……それが還られた神の御言葉です」
「まるでランデルの生き方のようだな」
「その通りです!」
ルーキッドの何とも無しに言った言葉が的を射たのかソフィアが笑顔で頷いた。
「まさにこのランデル、ミルトさんやカイさんや皆様の生き方こそがこれからの世界を支えていくのです。私達回復魔法使いはランデルでの試行錯誤を世界に広めるためにランデルに居を構え、回復魔法使いの可能性を模索し回復魔法を広げていくつもりです」
「そうか」
笑顔のソフィアにルーキッドも頷く。
聖樹教を排そうとしたランデルは他都市にバカにされていたが、聖樹を失った今となっては最先端だ。
天に還った神はアテには出来ない。
これからは世界はランデルのようになっていくのだろう。
「そこでですねルーキッド様、皆様から一般学習と回復魔法の学校を作ろうという声がありまして……その、ご援助を頂けると」
「……考えておこう」
「お願いいたします」
どうしてこうなった?
それこそ旦那からミスリルでも貰ってこいよ……
ルーキッドは首を傾げながら頭を下げるソフィアと別れた。
まあ町はこれから発展する。
その過程に学校は必要かとルーキッドは納得し、予想税収と予算のやりくりをいろいろ考えながら馬車に乗って次の場所へと足を運ぶ。
目指すはランデルの新たな都市計画の区域からも外れた森の近く。
そこは隔離所であり、これから王国の大きな力になると国王直々の書状にて細心の注意を命じられた者達への出店……
「おぉルーキッド殿! このハンバーグという料理は美味いですな!」
そう。エルフを相手にした店舗である。
ルーキッドが中に入ると髭もたわわな老エルフがソースを口の回りにべちゃりと付けてうまいまじうまいと騒いでいた。
エルネの里の長老だ。
ついでに言うとオルトランデルを森に沈めた当時の長老でもある。
土下座でその事を謝罪された時はルーキッドの腸が煮えくり返ったものだが、今は腹も立たない。
結局対話できる相手と対話しなかったのが原因であり、城壁の外で芋煮を振舞ってやれば何も起こらなかったのだ。
そして森に沈んだ後でも対話出来ない訳では無かった……
料理に舌鼓を打つ長老を見た今となっては先祖の暗愚に呆れるばかりのルーキッドだ。
しかしルーキッドも先祖を笑えない。
ビルヒルトが森に沈んだ時にルーキッドがした事は篭城戦の準備と勇者に対するエルフ討伐要請である。
もしエルフが来ていたらランデルは森に沈められていただろう。
しかしそうはならなかった。
運が良かったのだ……いや、ビルヒルトの運が悪すぎたと言うべきか……
ルーキッドは己の運の良さに感謝して長老の向かいに座り、店員に茶を求めた。
「ほらよ」
「……」
ぞんざいな茶のよこし方に顔を上げると勇者級冒険者のマオ・ラースだ。
この出店にルーキッドが最も心配したのはエルフの暴走である。
ランデルの冒険者ではエルフに太刀打ち出来ず、かといって他の都市から上級冒険者を招くと面倒な事になりかねない。
そこで勇者のマオなのであった。
「マオ、ここの調子はいかがかな?」
「どうもこうも、俺の料理の腕がうなぎ登りだわ……つーかこいつら食い物ばっかりだぞ。日用品とか仕入れる必要ねえよ無駄無駄」
「そ、そうか……」
日用品はさっぱり売れないが料理と食べ物は入荷即完売。
飯への執着半端無い。さすがはエルフであった。
「うまいハンバーグまじうまいごちそうさま! 里に帰って自慢せねばムホホ」
ゴツン!
長老はテーブルに頭をぶつけて感謝を示すと懐から袋を取り出し、中から白金貨一枚を出してテーブルに置いた。
「これで足りるかの?」
白金貨一枚十万エン。
メニューにはハンバーグ定食は千エンと書いてある。
マオが長老にツッコミを入れた。
「おいおい爺さん白金貨じゃねえ、銀貨よこせ銀貨」
「ぬ? どれだ?」「数字で千って書いてあるやつだよ」「おおこれか。いやしかし心情的には十万なんだから? この聖銀貨とかいう奴でも良いくらいだ」「よくねえ」「大体何故こんな食べられない金属がそんなに重要なのだ」「価値のすり合わせに必要なんだよ。お前らまだそんな金銭感覚なのかよ……ここで何を学んだんだ」「ご飯の食べ方」「このボケじじいが」「はぁ?」……
エルフにはまだ金銭感覚というものが無い。
そもそも生活の違うエルフと人間の価値観はまるで違う。
エルフにとって一株白金貨二枚のエメリ草などちょっと珍しいだけの草であり、キロ聖銀貨一枚の竜牛のサーロインなど里で飼ってるうまい肉。これらを銅貨三枚の携帯食料と交換したりするのは非常に困るのだ。
すでにエルフからボッたくろうとした商人をルーキッドは何人も捕まえている。
この店はエルフに人間の金銭感覚を知ってもらう為の練習の場だ。
エルフはここでの取引で物の価値を知り、やがては他の人とも普通に取引できるようになるだろう。
しかしエルフの欲はルーキッドにはどうしようもない。
ルーキッドはエルフが勝手に取引する事を心配していたが、マオは全く心配していなかった。
「あー、ランデルのエルフは大丈夫さ。カイが釘を刺したから」
「うむ。我らはカイ殿に言われた事は決して破らぬ。我らの魂のご飯を頂けなくなるからのぅ」
「ただの煮込み過ぎた飯が今やえらい出世だな」
「そしてこの店は我らエルフの心の希望。これぞ心のエルフ店!」
「がははは。俺も出世したもんだ」
「我らを呪いから救った至高のあったかご飯、そしてマオ殿の心のエルフ店。どちらも生半可な頭突きでは頂けぬわ」
「もう頭突きは必要ねーだろ爺さん」「こりゃしまった」
がはははははめしめしめしめし……
マオと長老が豪快に笑うがルーキッドは笑えない。
王国からエルフとの取引をいつ開始できるかと矢の催促を受けているのだ。
ルーキッドは価値感覚のすり合わせが長期の取引と信用には必須だと突っぱねていたが他の国に先んじてエルフの利権を得たい王国の圧力は増すばかりである。
どうしてこうなった?
ルーキッドは首を傾げる。
大竜バルナゥ、ビルヒルト、聖樹教、そしてエルフ……なんでもかんでもルーキッドである。
まるで世界の中心にでもなったような不可解さにルーキッドは一度首を戻し、もう一度傾げた。
本当に、どうしてこうなった……?
心のエルフ店から戻ったルーキッドはランデルの道をゆっくりと歩いていた。
駄々をこねる竜をあやし、聖樹教の要求を聞き、金銭感覚のつかないエルフを前に王国の催促をどうしようかと考える。
それだけで半日潰れてしまった。
領館では大量の書類を抱えた部下が待っている事だろう。
「あら、ルーキッド様」
「ミルトか」
ミルトが赤子をあやしながら歩いていた。
「視察の帰りですか?」
「ああ」
「すみませんねぇ。うちのソフィアが」
ルーキッドとミルトはランデルの通りを共に歩く。
ミルトは赤子を上手にあやしている。
心を読める回復魔法使いは言葉の通じない相手の意思を汲み取ることができる。
システィとアレクの子は終始にこやかで、ぐずる事も暴れることもなく大人しくあやされていた。
これも回復魔法使いの可能性の一つだ。
ソフィア達は回復魔法の技術を広げ、やがては人の可能性を広げていく事だろう。
いずれはエルフのように植物を上手に育てる事が出来るかもしれないな……
と、あやされ笑う赤子を見ながらルーキッドは思う。
今のランデルはこの赤子のようなものだ。
いずれは育ち、自らの足で立つ事だろう。
今の苦労はその為のものと思えば首を傾げてもいられない。
ルーキッドは領主なのだ。
「まあ苦労するのは軌道に乗るまでの事だ」
「そうですね。独り立ちするまでの事ですよね」
「……?」
怪訝な顔をするルーキッドにミルトは穏やかに笑った。
「この子が働く頃には、私はランデルの地で眠りについている事でしょう」
「……バルナゥの祝福があるではないか」
「祝福があるからといつまでも生きているのはダメでしょう?」
あー。
赤子が手を伸ばしてミルトの顔を撫でる。
ミルトが赤子の鼻をつつくと嬉しいのだろう、キャッキャと体を揺らして笑う。
「この子も今は喜ぶけれどいずれ自ら歩きます。その時抱えていては迷惑だもの」
「しかし……」
「それに他力本願の祝福なんて良いものではありません。すぐに誰かがそれを欲し、私やソフィアに求める事でしょう。そんな面倒はごめんです」
確かにその通りだと、ルーキッドはミルトの言葉を噛みしめる。
誰だって力が欲しい。長生きしたい。
その祝福を巡り欲望と憎悪が踊る事だろう。
ミルトはそれを嫌だと言ったのだ。
「ソフィアとカイは共に歩む覚悟を決めたのです。その過程に祝福があっただけのこと。二人はこれから様々な人の欲望や憎悪に苦しむ事でしょう。時には泣き叫びたくなるような事もあるかもしれない。でも共に歩む者がそれを支え、癒してくれるでしょう」
ソフィアもカイも長命や力が欲しかった訳ではない。
ただ共に歩みたかっただけだ。
だから相手の祝福を受け入れたのだ。
難しい顔をしたルーキッドにミルトはフフフと笑う。
「ここはランデル。自らの力で立つ町……でしょ?」
「……そうだな」
そう、ここはランデル。
自らの足で立つ事を選んだ町だ。
ミルトは一礼すると教会への道を歩いていく。
ルーキッドは彼女の後姿に一礼すると仕事が山積みの領館へと足を向けた。
今は一時の別れ。
しかしいつかは永久の別れとなるだろう。
恥じる事の無い別れのために、二人は今を必死に生きるのだ。
『おおーふっ、ルーキッド、ルーキッド!』
次の日。
いつものようにランデル教会へと挨拶に赴いたルーキッドは、バルナゥの猛烈な歓待を受けた。
「どうかしましたか?」
『ソフィアが、ソフィアが頼もしくなったとソフィアがおおーふっ!』
「それは良かった」
ぐるんぐるんと首を回しながら歓喜に震えるバルナゥに命の危機を感じながらルーキッドは微笑んだ。
どうやら余裕のある男を頑張ったらソフィアに褒められたらしい。
これでランデルのごろーん問題は解決するだろう。
ルーキッドは胸を撫で下ろす。
これで他の問題に時間を割く事ができる。
領主は暇ではないのだ。
『汝は良い奴だ。とても良い奴だ。我が祝福してやろう』
「……断る」
『えーっ』
「老いれば退き、子に看取られて逝くのも親の務めだ。老いてのさばるのは子に悪いだろう?」
そう、ルーキッドの親はそうだった。
あの過去に対する後悔と執着は呪いのようなものだ。無い方が楽な力なのだ。
ルーキッドはバルナゥの巨大な目をしっかりと見つめ、毅然と告げる。
「我がランデルは祝福より己の力を頼る町。きまぐれな祝福など迷惑だ。私はランデル領主としてみだりに祝福しない事を貴方とソフィアに要求する」
『……我の力を欲する者は多いぞ?』
「断って下さい」
『ルーキッドがそう言うならやらぬが我の悩み相談は断るな? な? 我もカイみたいにソフィアをメロメロにしたいお願いします』
「そんなのカイ・ウェルスに聞いてください」
それにソフィアは共に歩む覚悟を決めているだろう。
ルーキッドはそう言おうとして、何も言わずに口を閉じる。
エヴァンジェリンを撫でていたソフィアが口に人差し指を当てて微笑んでいたからだ。バルナゥは気付いていないがソフィアはもうメロメロであった。
『おおーふっ、カイいないからルーキッドお願い聞いて聞いて……』
どうしてこうなった?
ルーキッドは首を傾げる。
しかし原因はもう明確だ。
バルナゥもビルヒルトも聖樹教もエルフも全部、あの青銅級冒険者がルーキッドにぶん投げたのだ。
まったく、とんでもない奴だ。
ルーキッドは苦笑しバルナゥの言葉に耳を傾ける。
カイ・ウェルスよ、早く帰ってこい。
ぶん投げられた厄介事を利息を付けて返してやろう。





