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そのエルフさんは世界樹に呪われています。  作者: ぷぺんぱぷ
8.カイ・ウェルスは変わらない
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8-2 聖樹教、世界に断罪される

 聖樹教聖都ミズガルズ。

 大陸の中心に存在する聖樹教の中枢である。


 およそ二千年前、世界樹の枝葉を手にした教祖がこの地に居を構えた事から始まったミズガルズは大陸最古の都市であると同時に世界で最も進んだ魔法都市でもある。


 巨大な都市の隅々にまで張り巡らされた聖樹の枝は膨大なマナを消費して、照明や動く歩道、エレベータ、自動清掃ゴーレム、映像装置、通話装置など他の都市には存在しない様々な魔道具を動かし住民に恩恵を与えている。


 消費するマナをもたらすのは世界中から寄進された高価な魔石や戦利品。

 しかし何よりもマナをもたらすのは、討伐された竜の遺骸だ。


 竜の遺骸にはミズガルズを六十年間動かし続ける事ができる、膨大なマナが蓄えられている。

 聖樹教は四十数年ごとに竜を討伐して遺骸を取り替え、二十年ぶんのマナを別の事に使っていた。


 竜の遺骸はミズガルズを動かす原動力となり、世界樹の枝葉を供給し続ける。

 世界樹の枝は最高の魔道具の材料となり、世界樹の葉はあらゆる災厄から信徒を救う。

 聖樹教は神の力を信徒に授ける事でミズガルズを、世界を回し続ける……



 ……いや、回し続けてきた。



 夜でもマナに煌々と輝いていた都市、聖都ミズガルズ。


 今、マナの輝きはどこにも無い。

 あるのは薄暗い建物と砂のように崩れた聖樹の残骸だ。

 かつてはゴミひとつ無かった道に転がる残骸は何かが通れば埃になって舞い踊り、吸い込んだ人々を激しく咳き込ませる。


「どうしてこのような事に……」


 ケレス・ボース枢機卿は馬車に揺られ、汚い道を埃をまき散らしながら大聖堂へと向かっていた。


 聖樹の一斉枯死。


 このような事態はケレスの人生はもちろんミズガルズの長い歴史の中でも初めての出来事であり、一週間以上経過した今でもその原因は解明されていない。


 ガタン……


 何かを踏んだのだろう、馬車が揺れる不快さにケレスは眉をひそめた。


 魔道具による自動化の進んだミズガルズの移動手段はマナで動く自動車。

 馬が引く馬車は不便極まりないミズガルズの外の世界で使うためのものだ。

 しかし自動車が動かなくなった今、ミズガルズでも使わざるを得ない。

 ケレスは呟く。


「このミズガルズが、まるで外の世界のようだ」


 道に点々と転がる馬糞は汚く、臭く、おぞましい。

 しかし清掃をゴーレムに任せていたミズガルズでそれを掃除する者はいない。

 転がるに任せた道は一週間で見るも無残な姿に変わっていた。


 教祖の直系という立場上、外に出る事の多いケレスはまだマシな方だ。

 枢機卿の中にはミズガルズの外に出ない者もいる。

 そして、出せない者もいる。


 いと尊き使徒の方々は、今頃臭さと埃に発狂しているだろうな……


 ケレスはそんな事を思いながら馬車にゆられ、大聖堂に到着する。


「足下にお気を付けください」

「ご苦労」


 まあ、外の世界と思えばこんなものだ。

 ケレスは馬糞と聖樹の残骸をうまく避けて馬車から降りた。


 巨大な大聖堂の動く歩道を自ら歩き、自動階段を自らの足で上がる。

 先進魔法技術で作られた大聖堂は偉大で荘厳であったが止まってしまえばただの面倒臭い建物だ。

 ミズガルズの外に出ない枢機卿達には相当の重労働だろう。


 どうしてこのような事に……


 と、ケレスは朝から何十回も唱えた呪詛を呟きながら二百段以上の階段を上りきり、大聖堂の大広間へと足を踏み入れた。


「ケレス・ボース、参りました」


 一礼して大広間に足を踏み入れると、意味の無い会議はすでに始まっていた。


「まだ原因も特定できていないのか」「原因どころか調査も頓挫している」「その為の魔道具が圧倒的に足りないのだ」「足りない所ではない。全て失われた」「つまり、聖樹様の関わった物品は全て失われたのか」「都市機能、魔道具、全てだ」「……」「……」……


 ボース、アイラン、ガーグ、ウィンラッティ、ベーシス、エクス、オロ……聖都七枢機卿家が他の枢機卿と共に堂々巡りの舌戦を繰り返している。


 今日も無駄な一日だな。


 舌戦をかいつまんで聞き、ケレスは心中で嘆息した。


 議論は昨日と何も変わってはいない。

 復旧しようにもその材料は無く、調査しようにも道具が無い。

 道具を調達するには異界討伐を行わなければならず、討伐の為に顕現している異界を見つけなければならない。

 討伐には強力な武具が必要だが聖樹由来の武具は全て力を失っている。

 聖都ミズガルズを囲む聖教国に使いは出したが戻ってくるのはしばらく先。

 使いに持たせた文書も内情を知られたら手痛い仕返しを受けるかもしれないので、窮状は詳しく記していない。

 そして連日開かれる会議は空転。


 こんなザマで、物事が進むわけがない。


 聖樹に頼りきっていたツケが今、聖樹教の首を絞めている。

 あれだけ偉そうにふんぞり返っていた聖都七枢機卿家も解決する事も頼る事も出来ずにただ口先で語るのみである。


 いと尊き使徒の方々は、無駄に歳をとられていらっしゃる……


 今もふんぞり返る聖都七枢機卿家のボース家を除く六家の長、『いと尊き使徒』の面々を見てケレスは思う。

 この会議は貧乏くじの押し付け合いだ。


 解決する手段など、ひとつしか無い。

 聖樹様に枝葉をもう一度授けてもらうしかないのだ。


 しかしそれを露骨に発言してしまうと自分が行く羽目になりかねない。

 聖典に書かれた世界の果ては往路だけでも何年もかかり、危険な障害も山ほどある。


 誰かに行かせて戻りを襲い、英雄として称えながら実利を貰う。

 それまでミズガルズが耐えられるかは別として、皆が目論んでいるのはこんな所だろう。


 立場は欲しいが手間はかけたくない。

 今、この時も彼らは権力争いの真っ只中なのだ。


 このような修羅場では、ケレスは口を閉じるしかない。

 ケレスは教祖直系の聖都七枢機卿家であるボース家の長男だが、枢機卿としては新参者だ。


 居並ぶ面々は自分よりもはるかに権謀術数に長けた古参。

 いと尊き使徒達に至ってはバケモノだ。

 下手な口出しは自滅の元である事をケレスは良く知っていた。


 しかし、どう動こうとも巻き込まれていく事は良くある事である。


 会議は決定の確認を行う場。

 物事を決める場ではない。


 枢機卿達は堂々巡りを繰り返す議論の間に情報収集と根回しを行い、流れを決めている。


 流れる水は低い所、弱い所へと向かうように誰もやりたくない事柄も失点がある者へと流れていく。

 それも直近の失点がある者は槍玉に上がりやすいのだ。


 枢機卿の一人がにこやかにボース枢機卿に言葉を投げかけた。


「ところでボース殿、ケレス殿の竜討伐はいかがなされた?」

「……まだ決着はついておらん」


 ケレスの父、アルフレッド・ボース枢機卿が渋面で答えた。

 アルフレッドに聞いた枢機卿はあくまでもにこやか。

 攻める側だからだ。


「そうでありましょう。辺境の竜峰ヴィラージュの主である大竜バルナゥは立派な竜と聞いておりますからなぁ。ですが、もう決着は付いたのでは?」

「どういう事だ?」

「このミズガルズの有様を見れば自明でありましょう。聖樹様の枝葉は全て力を失い、祝福された武具も道具も全てはガラクタになりました。グリンローエンの勇者の使う武具も我らが渡した聖樹様の枝に祝福された武具のはず」

「グリンローエンの勇者では討てぬと申すか」

「そうは申しておりません。ですが聖樹様の祝福を受けぬ武具で竜が討伐された例を私は知りませぬ。もしあればお教え頂けますかな?」


 あくまでにこやかに問いかける枢機卿の一人をアルフレッドは睨んだ。


 いや、睨む事しかできなかった。


 聖樹の祝福を受けずに竜を討伐できた例は存在しない。

 異界が竜を食った事はあっても人が竜を討伐した事は無い。すべて人の手を離れた聖なる武具が竜を討伐していたのだ。


「ケレス殿はどうお考えですかな? グリンローエンの聖剣も力を失っていると思いますがまだ竜を討つお気持ちで? 勇者達も気の毒に……」

「……」


 ケレスは口を開き、何も語らず口を閉じた。


 竜に勝てる訳が無い。

 異界の戦利品に聖樹の武具を超えるものは見つかっていない。

 その程度の武具では戦いにもならないだろう。


 竜討伐とは竜の命を奪うことであり竜も必死に抵抗する。

 万の兵力をブレス一発で灰にしてしまうような竜の必死の抵抗など人の範疇を大きく超えていた。


 ケレスは黙るしかない。

 しかし、ケレスが黙っていても他の枢機卿は黙りはしない。

 皆、示し合わせたように口々に語りはじめた。


「ケレス殿、引き際は大事ですぞ」「そうそう、グリンローエンとの付き合いもありますからな。若い内の失敗は人生の糧と思いなさい」「あぁ、そういえば収穫祭の一件も各国から苦情を受けておりますな。エルフに町を潰されたと」「確か……あれもケレス殿の主導でしたな」「聖樹様の御心を違えましたな」「まあ若い内は仕方がない」「グリンローエン王女の側室の件も可哀想な事です。女盛りの三年を無為な戦いに投じさせたのですから」「……」「……」


 私が生贄か……この、バケモノ共め!


 枢機卿達の言葉にケレスは自分が生贄にされるのだと悟った。

 ケレスの失敗は責を問われるに十分な事ではあるが、これまでなら謹慎程度で終わる話だった。


 居並ぶ者の中にもこの程度の事をしでかした者は多い。

 竜討伐の財宝を独り占めにしたアイラン枢機卿、見初めた女欲しさに国家に圧力をかけたエクス枢機卿、異界を都市で顕現させたオロ枢機卿、疫病への対応を誤り多数の死者を出したウィンラッティ枢機卿……


 しかしそれらは全て直近ではない。新鮮な失敗は過去の失敗に勝るのだ。


「意外と、今回の事態もケレス殿が原因かもしれませぬな」

「それは違います!」


 しれっと語る枢機卿の一人にケレスはたまらず叫んだ。


 結果から考えればこの枢機卿の言う通りではある。

 大竜バルナゥ討伐にカイを巻き込まねばカイがアトランチスに届く事など無かった。イグドラが天に還る事も無かったのだ。


 しかしケレスを煽った枢機卿がそれを知っている訳ではない。

 全ては儀式。

 生贄を決める筋書きなのだ。


「さすがお若い、言葉に覇気がありますなぁ」「ですが言葉だけではどうにも」「そうそう、身の証を立てねば我らとしてもどうにも」「私もケレス様の肩を持ちたいのですがさすがに……」


 筋書きは淡々と流れ、生贄は筋書きに流される。

 ケレスは助けを求めて父アルフレッドに視線を送る。


 しかしアルフレッドもどうしようも無い。

 聖都七枢機卿家のうち六家がケレスにそれを求めているのだ。

 ボース家だけでは覆しようがない。

 皆が口々にケレスに語りかける中、アルフレッドが重い口を開く。


「ケレス、枝を授かりに行け」

「父上!」

「聖典の記述を辿り世界の果てに座す聖樹様に願い、枝を授かるのだ」


 アルフレッドはボース家の長だ。

 家を存続させ繁栄させるのが長の責務である。アルフレッドはケレスを守るつもりであったが六家を敵に回してまで守り通す意思は無い。

 ケレスはボース家から切り離されたのだ。


「よくぞ申されたボース殿」「さすがは教祖様直系の聖都七枢機卿アルフレッド・ボース殿ですな」「ケレス殿もよくぞご決心なされた」「かつての教祖様も苦難の果てに聖樹様にたどり着き、枝を授かったのです」「我らも援助を惜しみませぬぞ」「さすが若者は我らとは違いますな」「……」「……」

「あ、あぁ……」


 何を、言っている?


 ケレスは愕然と会議を眺めていた。

 声が聞こえても内容はまるで理解できない。

 いや、理解したくないだけだ。


 生まれてから今まで慣れ親しんだ世界が自分から離れていく。

 唯一の味方であった父アルフレッドはケレスを切り離し、皆はもう決まりだとばかりに叫んでいる。


 臓腑が嫌な感じに疼き、ケレスはよろめく。

 自らの心を表すように世界が傾き揺らいでいく。


 湧き上がる気持ち悪さにケレスが膝をついたその時……

 カァーン……警戒の鐘が鳴り響いた。


「どうした!」


 兵士が大声を上げる。

 少し前なら通話装置で事足りた伝達も今は原始的な大声の伝言リレーだ。

 木霊のように繰り返される声が塔の見張りに届き、戻ってくるまでおよそ一分。大声で繋いだ情報が大広間にもたらされた。


「竜! 竜が来ます!」


 その叫びの直後轟音に大広間が揺れ、突風が吹き荒れた。


「うわあっ!」「な、何がどうなっている!」


 皆は叫び目を伏せ顔を覆う。


 そして風が止んだ後、恐る恐る顔を上げた彼らの前には銀鱗輝く竜が在った。


 大竜バルナゥ。


 音よりも速く飛ぶ竜は一分もあれば相当距離を移動できる。

 見つけた兵士が鐘を鳴らしている間に都市に侵入したバルナゥは兵士が言葉を伝達している間に大聖堂の門をひと睨みのマナで吹き飛ばし、大広間へと乱入したのだ。


「お、おぉ……」


 枢機卿の誰かが恐怖に呻く中、バルナゥから一人の女性が降りた。

 聖樹教の回復魔法使いの服を着た女性は居並ぶ枢機卿の前に進み膝をつく。

 筋書きに無い事態に他の枢機卿が戸惑う中、アルフレッドが口を開いた。


「何者だ」

「私は聖樹教聖女、ソフィア・ライナスティ」

「ソフィア……グリンローエンの勇者か。して、何事か?」


 竜に冷や汗をかきながらもアルフレッドは平静を装い、ソフィアに問う。

 ソフィアは膝をついたまま顔を上げ、枢機卿全員に聞こえるように大声で答えた。


「聖樹様が天にお還りになられました」

「なんと!」


 あまりの言葉に枢機卿の一人が叫ぶ。


「そんな事が」「いや、ミズガルズの今の様を見れば」「説明は付く……が、信じられん」「この聖女は聖樹様に辿り着いたという事か?」「まさか、ありえん」「たかが聖女の言う事だぞ」「しかし、竜が……」


 会話は途切れ、皆が恐怖に引きつった顔でバルナゥを見上げる。

 ソフィアだけなら戯言と鼻で笑っただろうがバルナゥの存在がそれを許さない。


 討伐の対象である竜も人からすれば超常の存在。

 聖樹とは関係無くともソフィアの言に笑い飛ばせぬ重みを与えていた。

 アルフレッドがソフィアに問う。


「お還りになられたのを見たのか? 聖典にある世界の果てに辿り着いたと?」

「そこではありません……いえ、そこにはありませんよね?」

「……」


 ソフィアの答えにアルフレッドが押し黙る。


 礼を与えるのはここまでだとソフィアはゆっくり立ち上がり、アルフレッドに対する者達を見る。


 ソフィアの視線の先にあるのは他の聖都七枢機卿家の長。

 いと尊き使徒達だ。


 ソフィアは六家の長に向かい、言った。


「いと尊き使徒の方々ならばご存じの事でしょう。枝葉は聖樹様が教祖様のもとにお運びになったものであり、教祖様が聖樹様に辿り着いた訳ではない。違いますか?」

「ぶ、無礼な!」「たかが聖女の分際で!」


 居並ぶ枢機卿達が叫ぶ。

 しかしソフィアは涼しい顔で、静かに彼らに言い放つ。


「ならば聖典に示された旅路を辿って確認なさればよろしいでしょう」

「!」

「そして枝でも葉でも持ち帰り自らの正当性を御主張なさればよろしい」


 ソフィアの態度に枢機卿達が憤る。


「い、言われずともケレス殿が探索の旅に出発なさる!」

「そうだ。ケレス殿が必ず枝葉を授かりかつてのミズガルズを取り戻す!」

「無駄ですよ」


 知っている者は知らない者を一歩も二歩も先んじる事ができる。

 ソフィアは知っている。

 そして、枢機卿達は知らない。

 知らない者達が何を言おうがただの知ったかぶりだ。

 ソフィアは言った。


「教祖様直系であるケレス様に苦難の道を歩ませて、かつて授けて頂いたように聖樹様から枝を授けていただく……いと尊き使徒の方々はそのように目論んでいらっしゃるようですが、今の皆様に聖樹様が枝を授けてくださるとお思いですか?」

「「「「「「……っ」」」」」」


 いと尊き使徒達が呻く。

 ソフィアはさらに踏み込んだ。


「世界樹の葉を食べ続けてエルフを超える時を得ながら異界と戦う事もなく、世界を耕す事もなく振り回すだけの存在に堕ちたあなた方に聖樹様がもう一度枝を授けてくださると?」


 四十年ほどで取り替えた竜の遺骸の後の使い道。

 それは枢機卿達の寿命を延ばす事。

 世界樹の葉は寿命を延ばす。

 彼らは世界樹の葉を食べ続ける為に権力を争い、ミズガルズの中枢に居座り続けるのだ。


 いと尊き使徒は、かつての教祖と共に歩んだ使徒本人。

 二千年前から生き続ける、エルフを超えた時を生きるバケモノ。

 ミズガルズの外に出ない者であり、決して外には出せない者だ。


「ボース家も教祖様の直系でなければ同じ事をしたでしょうが……無駄に神を食う神の使徒などありえませんものね」


 ボース家は教祖の直系。人と神を結ぶ象徴。

 だからバケモノにはなれない。


 聖樹教の象徴として人として生き、死んでいかねばならない。

 そして人々を踊らせ続けなければならない。

 見せてはいけない闇を隠す道化だ。


『勝者の祝福をかすめ取る、これがクソ大木の丁稚どもの真の姿か……貴様ら、どこまで腐っておるのだ!』


 バルナゥが叫び、鼻息荒く枢機卿達を睨んだ。

 竜の瞳に輝く怒りのマナに枢機卿達の体が強張る。強大なマナはそれだけで生命に影響を与えるのだ。


「真を問う。蘇生使いを集めよ。できるだけ多くだ」

「は、はいっ……」


 バルナゥに睨まれ固まる枢機卿達を横目にアルフレッドは兵士に命じ、蘇生が使える回復魔法使いを集めた。

 回復魔法使いは魂と肉体を組み立てる魔法使いだ。

 魂を扱う故に魂に詳しく、心を読む事が出来る。

 心は嘘をつけない。アルフレッドは聖樹教の回復魔法使いでソフィアの真意を確かめようとしているのだ。


 慌しく回復魔法使いが集められる中でもソフィアは涼しい顔である。

 元々ソフィアは言葉で相手が理解するとは思っていない。はじめから自らの全てを晒すつもりだった。


「読め」「はい」


 アルフレッドの号令で回復魔法使いがソフィアの全てを覗き見る。

 恥辱と狂気を制したソフィアは自らを知られた程度では動じない。

 ソフィアは臆する事なく静かに立ち、彼らに全てを晒した。


「こ、これは!」「なんて立派な御姿。これが聖樹様」「イグドラシル・ドライアド・マンドラゴラ。それが聖樹様の御名」

「ハウス?」「そこは関係ありません」


 的外れな場所を読む者にツッコミを入れながら、ソフィアは彼らを導く。


 聖樹様との出会い、異界畑、聖樹の子である世界樹がエルフに託された事、はるか海の彼方に存在する大陸アトランチス……回復魔法使い達は驚きをもってソフィアの心を読み、聖樹が天に還ったあの日へと迫っていく。


「光が、あぁ、光が!」

「あぁ、聖樹様! 我が神よ!」


 そしてイグドラが還る姿を見た回復魔法使いは次々と涙を流し、ひれ伏した。


「どうした! おい!」

「聖樹様の素晴らしき御姿を……輝かしい天への帰還を拝謁いたしました……」

「ソフィア・ライナスティは聖女だ。妄想を経験と偽る事位出来るのではないか?」

「妄想などではありません。私は大聖女です!」


 ひれ伏した女性は枢機卿の罵倒に叫び、感動にひたすらむせび泣く。

 大聖女は聖女を長年務めた経験豊富な者が任じられる上位の位階。


 ソフィアより経験豊かな彼女が読んだソフィアの心に偽りはなく、ひたすら圧倒的な現実感に涙する。

 彼女はソフィアを通じて神に拝謁したのだ。


 アルフレッドは回復魔法使い達が落ち着くのを待ち、彼らに評価を問いただす。

 二十三名全員がソフィアの記憶を真実と認め、他の回復魔法使い達にも見せてやって欲しいとソフィアに頼み、大広間を駆け出していく。


 彼らはイグドラが人を利用していたと知ってもその崇拝を変えず、それが神の在り方なのだと受け入れていた。どのような目論見であろうとイグドラは確かに人を救い、人に道を示していたのだ。


 もはや疑う余地も無い。

 アルフレッドは姿勢を正し、ソフィアの前にひれ伏した。


 アルフレッドの中ではもうソフィアは聖女ではない。

 聖樹様がミズガルズに遣した使者である。彼にとってソフィアの言葉は神の言葉に等しいのだ。


「聖樹様は我らに、何と?」

「後は汝らが守り、考え、高めていくがよい。と」


 イグドラの最後の言葉は聖樹教に対してのものではない。世界に放った言葉だ。

 しかし聖樹教も世界の一部である。

 だからソフィアはこの言葉をアルフレッドに告げた。


 そして心を読めない広間の皆に告げる。


「聖樹様は天に還られ、聖樹様が授けられた全ては力を失いました。聖樹教はこれから自らの力で世界を高めて行かねばなりません。人と聖樹様の道の交わりは終わり、我らは新たな道を自ら切り開いていくのです」

「そんな!」「ではミズガルズの都市機能はどうなる?」「世界樹の葉は?」

「そんな物はここにしかありません。ですが人は豊かに生きています」

「ふざけるな……ひっ!」


 暴言を吐いた枢機卿がバルナゥのひと睨みで卒倒する。

 ソフィアは静かに、しかし力強く皆に言った。


「ふざけてなどいませんよ? あなた方はミズガルズよりも心配なさるべき事が色々とおありなのではありませんか?」

「な、何だそれは……?」

「聖樹様のお力を笠に着て各国に色々となされていたようですが聖樹様は還られました。力で相手を抑圧していた者が力を失った時、抑圧されていた者がどうするか……お分かりですよね?」


 力を振るっていた者が力を失い、つまはじきにされる。

 ミズガルズでも良くあった事だ。


 聖樹教は聖樹の力を使って各国に奉仕を要求し、ミズガルズで繁栄を謳歌してきた。

 しかし今後は奪われる側となる。力を失い凋落するのだ。


「その通りですな。我々はどうすれば」

「考えなさい。それが聖樹様の御心です」


 言葉を失う枢機卿達を代表してアルフレッドが問うが、ソフィアは答えない。

 アルフレッドはしばらく考え、立ち上がり答えた。


「聖樹様の御威光ある内に聖樹様が還られた事を各国に告げ、我らの各国に対する要求は全て聖樹様を神の座にお還しするためのものであったと釈明する。我らの得た財産はそれぞれの国に返還し、ミズガルズは放棄し返還の一助とする」

「バカな!」「血迷ったかボース!」


 枢機卿達が叫ぶ。

 アルフレッドの言葉は要するに命乞いだ。

 全部あげます許して下さいと言っているのだ。


 歴史を持つ聖樹教の正と負の蓄積は膨大だ。

 力を失った以上、その精算を行わない限り聖樹教に未来は無い。

 アルフレッドはそう考え、言葉を重ねる。


「いずれ気付く。いや、もう気付いているだろう。枝葉を授けられないのだから」

「しかし、それでは!」

「権力より命の心配をするべきだろう。我らの命は世界に委ねられたのだ。後は我らの行いが世界に認められるか否か……これからの世界はそうなるのだ」

「そんな……我らの、力が」

「聖樹様の御力だ。元々我らの力ではない」

「聖女ソフィア!」


 アルフレッドの容赦無い言葉に鼻白んだ一人がソフィアに助けを求める。

 しかしソフィアも容赦無い。


「さぁ?」

「な、なんだその返事は……」


 唖然とする枢機卿をソフィアは言葉で突き放す。


「真摯に頭を下げても許されないのであれば、それは聖樹様も許さぬ行いをなされていたのではないですか?」

「そんなことは、ない」

「では真摯に頭を下げてみてはいかがでしょうか。貴方のなされた事が良き事であれば貴方を助ける者も現れるでしょう。聖樹様が我らを導く時は終わったのです」


 ソフィアは踵を返して歩き出す。

 伝えたい事は全て伝えた。後は彼らが何とかする事だ。

 ソフィアはバルナゥの砕いた大広間の扉を潜り外に出る。


 大広間の外には大勢の回復魔法使いが今や遅しとソフィアを待ち受けていた。


『いいのか?』

「はい」


 ソフィアが彼らの前に進み、彼らは一斉にソフィアの心を読む。

 そして崇拝する聖樹の姿に感動し、輝きと共に去り行く姿にむせび泣く。


 皆イグドラの最後の言葉を心に刻んだ事だろう。彼らが新たな聖樹教を作り上げていくのだ。


 エルフを超える時を過ごしながら、心を読む事すら出来ないのですね……


 心を読ませながら、ソフィアは今も言葉で争う枢機卿の、いと尊き使徒達の怠惰に呆れる。

 聖樹に最も近い存在とされていた彼らは誰一人として聖樹の姿を見る事は無い。

 世界樹の葉に頼り切り、己の研鑽を怠ったのだ。

 回復魔法使い達はひたすらソフィアの心を読み、むせび泣きソフィアにひれ伏した。


「聖女ソフィア、ぜひ私を弟子に」「私も」「お願いします!」

「ダメです」

「何故ですか?」

「私は新婚ですので、イチャイチャしたいのです」

『おおーふっ!』


 一同はぽかんと口を開き、しばらくして笑い出す。

 ソフィアは彼らににこやかに告げた。


「私の師、グリンローエン王国のランデルに住むミルト司祭を訪ねなさい。彼女が新たな道を示すでしょう。御年を召されていますので早い者勝ちですよ」


 ソフィアはバルナゥの背に乗り、バルナゥは翼を広げる。

 大広間の中は悲鳴のような議論が続き、外は感動に目を輝かせた者達がバルナゥとソフィアを見上げている。


 古い世代と新たな世代の間にあるのはたった一枚の壁である。

 その壁を越えられるかどうかが今、試されているのだ。


 ソフィアを見上げる彼らはすぐにランデルを訪れる事だろう。

 そして回復魔法使いの新たな道を知り、世界に広げていく事だろう。

 肉体と魂を知る回復魔法使いは世界を豊かに変えるのだ。


「では、私は一足先にランデルでお待ちしております」

「聖女ソフィア、ランデルでまた会いましょう!」「私も行きます!」「私も!」

「ええ、また会いましょう」


 バルナゥがマナを輝かせ、ゆっくりと空に浮かんだ。

 見上げる彼らが左右にわかれ、バルナゥとソフィアに道を開ける。


 悠々と自動階段の上を滑空するバルナゥの雄姿に彼らは惜しみ無い喝采を送り、ソフィアは手を上げてそれに応えた。

 そして突き破った大聖堂の門を出たバルナゥは空を翔け、風と共に聖都ミズガルズを去っていったのである。






 ソフィアが去ってから一ヶ月後。

 聖都ミズガルズが突如としてマナに輝いた。

 照明が輝き、歩道が流れ、自動清掃ゴーレムが汚くなった道を掃き清めていく。

 かつてのミズガルズが復活したのだ。


「戻ったじゃないか……」


 父アルフレッドの喪に服していたケレスは復活したミズガルズに安堵の息を吐いた。

 ソフィアが去ってからミズガルズは大きく変わった。

 アルフレッドは聖樹教の改革を断行しようとして十日前に暗殺された。


 回復魔法使いがいれば救う事も出来ただろうが、今のミズガルズには誰一人として回復魔法を使える者は存在しない。

 皆、ソフィアに感化されて出て行ってしまったのだ。


 ケレスよ、逃げろ……


 アルフレッドはケレスにそう呟きながらこの世を去った。

 ケレスは父の最期を悲しんではいたが同時に仕方無いとも思っていた。


 アルフレッドの改革が断行されたとして聖都七枢機卿家の長が許されたとは思えない。

 ボース家を除く六家の長はいと尊き使徒。

 かつて教祖と共に世界樹の枝を得て、世界樹の葉を食べ続けてエルフの寿命すら超えて生きるバケモノ達だ。


 彼らが食べた葉は竜の遺骸から作られたもの。

 その遺骸を得る為に、多くの者が犠牲となった。

 犠牲となった者は彼らを決して許さないだろう。


 財産を奪われた上に命まで奪われる結果が解りきっているのに同意するわけがない。


 アルフレッドを暗殺した者は六家のどれかだろう。

 ケレスはそう確信していたが、糾弾する気は無かった。


 ミズガルズはバケモノ達の欲望渦巻く魔窟。

 そんな事をすればケレスが殺される。


 もう少し早く、聖樹様の力が戻ってくれれば父上も……


 ケレスは部屋のボタンを押し、自動調理機が出した料理で父を悼む。

 通信機械で友人と他愛の無い会話を楽しみ、妻と自動車で夜の街のドライブへと繰り出すと皆も喜んでいるのだろう、多くの車が道を走っていた。


「ソフィアとやらの言っていた事はまやかしだったのだな」

「聖樹様が還られたなんてとんでもない嘘をつく人なのね」

「全くだ。今日は久しぶりに外からミズガルズを見てみようか」

「きっと素晴らしい夜景でしょうね」


 これからしばらく忙しくなる。


 ケレスは妻の肩を抱いて思う。

 各国からの圧力は日に日に増す一方だが、聖樹様の力が戻った以上相手をする必要は無い。

 回復魔法使い達も戻って来る事だろう。


 聖女ソフィアも捕らえねばならないな……


 ケレスはこれから忙しくなる自分に高揚感を感じていた。


 聖樹教はこれからも変わらず続く。

 権力も栄華もこれまで通りだ……


 そう考えていたケレスは突然、外に放り出された。


「うわっ!」「きゃああっ!」


 車が突然消滅し、ケレスと妻の体が空を舞う。

 二人は地を転がり、体をすり傷だらけにしてようやく止まった。


「一体何が……」


 痛みに耐えて起きたケレスは走ってきた道を振り返って愕然とした。

 ミズガルズの輝きはどこにも無い。

 あるのは揺らぐ境界面。世界はそこで断絶しているのだ。

 

「……ダンジョン」


 ケレスは呟く。

 そう、ダンジョンだ。


 しかも異界が顕現したものではない。世界が異界に突き抜けたダンジョンだ。


 吸い上げたマナが、不便に苦しむ皆の願いにミズガルズを甦らせたのか……


 ケレスの頭の中で事実が繋がっていく。

 ミズガルズは住民の願いによって、かつての栄華を取り戻したのだ。


 しかし、ダンジョンなら主は何者だ?


 ケレスは考え、マナを多量に持つ存在を思い出す。

 地下に置かれた竜の遺骸だ。


 聖樹に捧げると共にミズガルズを回すマナの源泉である竜の遺骸は超高密度のマナの塊。

 バルナゥのねぐらにダンジョンがあったという報告の通りであれば竜の遺骸がダンジョンを作っても不思議は無い。

 死んでいようが竜だからだ。


 しかし竜の遺骸が主のダンジョンなど討伐者に対抗できるはずが無い。

 死んでいるのだから当然だ。


 このダンジョンは瞬く間に討伐されるだろう。

 少しでも遠くに逃げなければ……


 そう考えるケレスとは違い、妻はしっかりとした足取りでミズガルズに歩き始めた。


「どこへ行く?」

「決まってるでしょ、戻るのよ」

「ダンジョンだぞ。この世界の勇者が討伐するように異界もこれを討伐するんだ」

「私はあの生活がいいの! あの生活を失うなんて嫌!」

「待て!」「嫌!」


 妻はケレスを振り切ってダンジョン境界の向こうへと消えていく。

 ケレスは追おうとして……足を止めた。


 空間が大きく揺らぎはじめたからだ。


 ケレスの目の前で起こっている大きな揺らぎはダンジョン主が討伐されると起こるマナの移動現象。

 ミズガルズはもうすぐ異界へと消えていくのだ……

 ミズガルズの住民を道連れにして。


「父上、この事だったのですね……」


 アルフレッドが最期に呟いた逃げろという言葉。

 はじめは自分も暗殺されると思い怯えていたが、違う。


 アルフレッドは改革の為に都市の資産を調べていた。

 魔石や戦利品、竜の遺骸も当然資産だ。


 その際にアルフレッドは空間の歪みを見たのだろう。

 しかし彼が警鐘を鳴らす前に暗殺によりこの世を去り、呟きを聞いたケレスは勘違いして誰も知らないままこの日を迎えた……


 しかしアルフレッドが警鐘を鳴らしたとして、皆は逃げただろうか。

 一度手にした栄華を手放す事は難しい。夢でもすがり付きたいのは人の性だ。


 ケレスが呆然と見つめる境界からは誰も出てこない。

 戻った妻も出てこない。


 そしてケレスの前に誰も現れないまま揺らぎは薄れ、消えていった。


 黒竜ルドワゥ。

 聖樹の贄として討たれた竜は四十六年の時を経て、復讐を果たしたのだ。


 かくして聖樹教聖都ミズガルズはこの世界から消滅する。 

 後に残されたのはマナを奪われた荒地と廃墟、そして放り出されたケレスだけだった……

次はランデルです

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