2-2 ダークエルフはほだ木さん
ようやく動けるようになったカイの前で、二人のエルフが対峙していた。
一人はカイの駄犬、ミリーナ・ヴァン・アー。
そして対するもう一人は褐色の肌と豊満な胸を持つダークエルフ。
ルー・アーガス・ダー。
色が抜けたような白く短い髪が首の横で揺れ、銀の瞳はミリーナを見つめて隙を伺っている。
首と腰で纏められた薄手の服は魅惑的な肢体をかろうじて隠し、晒した肌からポロポロとキノコがこぼれ落ちる。カイを待ち受けていたキノコの群生コロニーはミリーナらエルネの里のエルフとは肌の色がまるで違うエルフ種だった。
彼女は自然体でゆらりゆらりと揺れながら、ギラリと瞳を輝かせる。
マナの発光。魔法の発動前兆だ。
ぞっとする光にミリーナを見たカイは、同じように輝く瞳を見た。
ミリーナもやる気だ。
やばい……!
カイは慌てて距離を取る。二人が叫ぶのはほぼ同時だった。
「水よ集え、鋭く、貫け!」
「風よ固まれ、細く、裂け!」
言葉と共にルーの背後から複数の水の槍が、ミリーナの前面から発光する空気の刃が放たれる。
しかし互いの魔撃は世界樹の守りに阻まれ届かない。
ミリーナが弾いた水の槍が背後の樹木を貫き、ルーの砕いた風の刃が周囲の枝葉を切り裂いていく。
うん。どちらも食らったら一発で死ぬ……
弾けた木屑に襲われながら、カイは事前に離れた自分の判断を褒めた。
生きた樹木の幹を切るにはそれなりの体力と時間が必要だ。
それを一瞬で実現する魔法の腕はさすがエルフと言うべきか。
ミリーナとルーは互いの魔撃が決め手を欠いたと認識したらしい。先程よりもマナを輝かせて魔法を紡いでいた。
「水よ、水よ、我が敵を包み、水底に沈めよ!」
「風よ、風よ、かの者から去り、空に閉ざせ!」
瞳にマナが強烈に輝き、周囲が二人のマナに反応して不穏に蠢く。
しかしその魔撃が行使されるまでに二人の対決は水入りとなった。
メキメキメキ……幹を砕かれた樹木が倒れていく。
二人の頭上へと。
「えう!」
「ぬぐ!」
ズズン!
大きな音を立てて樹木が倒れ、二人は下敷きになって潰された。
今、すげえ軌道が曲がったな……
目の前で起こった無理のある倒れ方にカイは超常の存在を意識せずにはいられない。
生かさず殺さず。
このあたりが世界樹の意地の悪いところである。
エルフを恨み、呪い、力を吸い上げる植物の王はエルフをいびる事に余念が無いらしい。こういう事にも手を出してくるのがこの王のセコい所であり、怖い所でもあった。
そして決してとどめは刺さない。死なない限りいびり放題だからだ。
「えうっ……な、なかなかのインパクトえう。こんな手を狙っていたとはさすがダークエルフ、やるえうね。しかしミリーナは負けないえう! ところでご飯はまだですか?」
「まだだよ」
ついでに狙ったのはルーじゃなくて世界樹だよ。
と、カイは心の中でツッコミを入れる。
ミリーナと共に下敷きとなったルーはそんなミリーナをまじまじと見つめ、口を開いた。
「……あったかご飯」
「えう!」
「さっき言っていた。バカ?」
「いきなり失礼えうね!」
樹木の下敷きになりながらミリーナが激昂する。
ルーは同じく樹木の下敷きになりながら表情も変えず、淡々と語り始めた。
「森のランデルでエルネが何をしたかをボルクの皆は知っている。エルネは迷惑」
「芋煮が悪いえう!」
「責任転嫁」
「えうーっ!」
まったくだ。
と、カイは廃都市オルトランデルの惨状を思い出す。
芋煮が悪いで納得するのはエルネの里の者だけだろう。
他の里のエルフにとってはえらい迷惑である。忌避や威嚇と討伐では全くレベルが違うのだ。
と、思っていたのだが……
「私達だって芋煮食べたかったのに、食べたかったのに」
あー、芋煮の方なのか。やっぱエルフか。
拳を握ってフルフルと震えるルーを見て、カイは何を期待していたんだと首を振った。
呪いのせいでエルフの食への執着は本当に半端無い。
齢九百を数える長老に『ミリーナえう』をやらせるほどに半端無いのだ。
そんなカイのげんなり感をよそに、二人のエルフの口論はヒートアップしていた。
「えぅ、ボルクに芋煮は億万年早えう」
「芋煮には食用キノコのペネレイもよく使う。私達が食べるのが妥当」
「エルネだって薪をしこたま提供してるえう」
「それはボルクもそれなりに提供している。町を森に沈めて奪還も許さぬ樹木バカはバルナゥの近くに引きこもるのが皆の幸せ、もしくはバルナゥに食われろ」
「果物も提供してるえう。あったかご飯とデザートで至れり尽くせりえう!」
「そんな御託は森のランデルを返還してから言うべき」
「それは世界樹に文句を言うえうよ。あと人間も諦めが早すぎえう」
「ボルクは昔からジメジメ地道に努力してきた。身体にペネレイを生やして樹木に移し、紛らわしい毒キノコをそっと摘み取り人に食を提供してきた。ダーの族はほだ木。いつしか人は森の恵みに焼き菓子を置いていくようになった。エルネはただ歩いているだけサクサク最高」
良いエルフや。ダークエルフは良いエルフや……
ルーの言葉にカイは心で涙した。
キノコが紛らわしくて採りにくいと思っていたらこれまではダークエルフがこっそり手入れをしていたらしい。
そして人はダークエルフが移した人型大のコロニーからペネレイを採集し、礼として焼き菓子を置いていったのだろう。コロニーの人型を恵みの神として扱っていたのだ。
しかし長い間続いた人とダークエルフの関係もカイがエルフ遭遇を報告した事で終わる。
誰かが用心して灯した松明が無の息吹で消されて人が訪れなくなり、ダークエルフも浅い森を訪れなくなり森が荒れていったのだ。
ダークエルフは人に優しいエルフである。
しかし、ミリーナは良い話をまるっとスルーした。
「サクサク? カイ、焼き菓子って何えう?」
そこに食いつくかこの駄犬は。
「あー、町に売っている焼いて作る菓子……ご飯とは違う食べ物だ」
「焼いた食べ物! エルネが食べ物で頭を痛めていたのにそんなあったか菓子えうか!」
「あたたかくは無い。焼いて作っただけ」
「焼く! 焼肉うまいえう! だから焼き菓子もうまいえう!」
いやその理屈はおかしい。
と、カイは思ったがツッコミを入れる気も起きなかった。
「だからそこの人をメロメロにして焼き菓子をもらうつもりだった。対価は私の身体で」
「呪いを移したらカイは人の世界に戻れなくなるえう」
「だから最後の一線は拒むつもりで」
えー、最後までは許す気なかったの?
本番禁止と聞いてカイは何とも切ない気持ちになった。
体に刻まれた熱と重み、そして絡み合った唇はとても甘美で刺激的だった。思わずカイが求めるほどに。
あれだけの劣情を煽っておきながら寸止めとか男としては切なすぎて辛いな。ヤる気だったミリーナの方がまだマシなくらい……いやいやさすがにそれはない、寸止めで止めてもらえた方が幸せか。今からでも頼んでみようか、最後は自分で何とかして……いやいや……
と、カイが悶々としている間にもミリーナとルーの会話は進んでいく。
「えう! そんな事しなくてもカイはキノコで十分えう」
「キノコで?」
「カイはペネレイが欲しいえう。ミリーナも薬草であったかご飯を食べてるえう。カイはエルネのあったかご飯の人えう!」
「あったかご飯の人……むむむペネレイなら採り放題だから問題ない」
ミリーナとルーは勝手に話を進め、倒木から這い出しカイに土下座した。
「「だから焼き菓子ください」」
「ねえよ」
「「ところでご飯はまだですか?」」
「まだだよ」
くっそ、結局食い気かこの駄犬ども。おお友よ、心の友エヴァンジェリンよ、駄犬が二人に増えたよ……
カイは内心頭を抱えながら二人の土下座を見下ろしていた。
「ペネレイは好きなだけ差し上げる。ふんぬっ!」
ポポポムポムポムポム。
土下座で晒された背中からペネレイが次々と傘を開いた。
どれもこれも薬師ギルドのサンプルよりも見事な力強さに溢れたペネレイだ。
「どうぞ」
「お、おお」
ルーに促されるままカイはペネレイを採集し始める。
大きくたくましい背中一面のペネレイは三つの袋を一杯にした。
胞子を取る前のペネレイは一袋銀貨五枚程度で取引される。
これだけでなかなかの儲けだ。
背中からペネレイが全て採集されて滑らかで美しい褐色の肌が晒される。ルーは黙って見つめるカイにまだ足りないと判断したのか、再び力を込めはじめた。
「まだまだ……ふんぬっ……ふんぬぅ……」
「いや、もう十分……」
ポムポムポポポム。
再び力んだルーの背中にペネレイが傘を開く。
「つ、次を……」
「いやもういい、もう十分過ぎるから!」
「では、焼き菓子……」
「今度持ってきてやるから、な」
「約束ぅ」
「おい、大丈夫か?」
「疲れ、た」
言質を取ったルーは立ち上がろうとしてその場に崩れ落ち、地に寝そべった。
うつ伏せのルーを仰向けにすると相当の力を使ったのだろう、目の下には隈ができ、頬もこけている。
キノコに養分を吸われた結果だ。
キノコは苗床から養分を吸い上げ自らの体を作り上げる。ルーの背中に生えたペネレイも無から生じた訳ではないのだ。
そこまでして焼き菓子が食べたかったのか……
カイは水筒の水でルーの唇を潤しながら回復手段を模索して、ポケットの中にある過ぎた代物を思い出す。
そういえばこれがあった。
と、カイはポケットから世界樹の葉を取り出した。
超絶貴重品だがカイの実力では持っていた方が不幸になる厄介な代物。敵である獣や怪物よりもずっと恐ろしい、人間という同胞を狂気に染める逸品だ。
カイはそれをルーの口に入れ、噛ませる。
ミリーナは目を見開き驚いたが、静かに首を振りカイの行為をただ見つめた。
葉から溢れるマナがルーに注ぎ込まれ、彼女の生命力へと変わっていく。
瞬く間に美しい美貌を取り戻したルーはしなやかに起き上がると、カイに土下座した。
「大切なものを……ありがとうございます」
「別にいい。厄介払いだ」
「ところで……」
頭を上げたルーは微笑み、やや顔を赤らめるとわずかに俯き上目遣いに聞いてくる。
「ところでご飯はまだですか?」
「えう。そろそろご飯えう狩りえう肉食べるえう肉肉えう」
「……」
礼儀正しかったがエルフはやっぱり駄犬だった。
――――――
「こんなにたくさん採集していただいて感謝しております」
「少し森の深くまで足を踏み入れましたので」
三日後。
薬師ギルドに出向いたカイはペネレイの詰まった袋を係員に納品した。
その数十五。
全てダークエルフであるルーの背から採取したものだ。
係員は袋から取り出したペネレイとその胞子を見て納得したのか、報酬に色を付けてくれた。
一袋銀貨六枚、全部で金貨九枚だ。
探した訳ではないので丸儲けと言っても良い。
世界樹の葉も有効に消費して無駄な心配も無くなった。良い事尽くめである。
カイは多すぎて採り切れなかったという設定で、係員に群生地の場所を示した。
事前にルーと打ち合わせた通りの場所である。
今頃ボルクの里のエルフ達が大挙してペネレイを植えつけていることだろう。
さすがはエルフ。飯に全力だ。
百袋をゆうに超えるペネレイの情報に係員は喜び、追加情報に対して金貨二枚を上乗せしてくれた。
これでカイの仕事は終わりだ。カイはカウンターから出口へと向かう。
そして思い出したように振り返り、袋の処理を始める係員に告げた。
「あぁ、そういえばエルフに遭遇しました」
「えっ!」
「ですが、試したところ奴らは焼き菓子が苦手のようです。キノコを採集した後に焼き菓子を置いていく風習は経験則だったのでしょうね。あの森以外では無意味だとは思いますが」
「そ、そうですか」
好きなものを嫌っている者から得るために嫌いと言う。まんじゅうこわいである。
これでエルフも薬師ギルドもウィンウィンである。ボルクの里のダークエルフが暴走しない限りこの関係で何とかなるはずだ。
明らかにホッとした係員を見て、今度こそカイは薬師ギルドを後にした。
街中を歩きながら明日からの冒険のための消耗品と焼き菓子を購入する。
焼き菓子はたくさん買って金貨二枚二万エン。
かなりの大荷物だが対価としてはまだまだ足りない。他の冒険者に要求する前にダークエルフ達の不満を解消しなければ。
需要のある時に供給しなければ他者に儲けを奪われる。
まるで商人だなと思うカイであった。
焼き菓子を携えたカイが蠢くキノコの苗床達に追い回されたのは、また別の話である。