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幕間7-1 カイ・ウェルス、全てのはじまりと邂逅する(1)

 イグドラのもとに辿り着いて三年が過ぎたある日の夕方。


「いよいよだな」

「えう」「む」「はい」


 カイ達は世界樹の麓でイグドラを見上げていた。

 三年の月日はカイの姿を少しだけ精悍なものに変えている。

 しかし変わらずへなちょこで、そして周囲も変わらない。


 妻であるミリーナ、ルー、メリッサがカイを囲み、アレク、システィ、ソフィア、マオ、大竜バルナゥ、ベルガと四つのエルフの里の皆が共にある。


「いやぁ、苦労したなぁ」「全くだ」


 カイツースリーも見上げている。

 カイの戦利品も今や十体。カイスリーと同じ分割タイプが食と伝達を支えている。


 ぷぎー、ぶもー。

ジョセフィーヌとクリスティーナももちろん一緒だ。


 皆、その瞬間を待っていた。

 夕日が世界樹を赤く彩り、非現実的な姿を幻想的な姿へと昇華させている。


 昇華……そう、まさしく昇華だ。

 今日、世界樹イグドラシル・ドライアド・マンドラゴラは天へと還るのだ。


 三億年という時を経た神の座への帰還。

 数限りない異界を顕現させマナを奪い、神の格を取り戻したイグドラは自らの子が安らかに生きる道を示し、エルフに委ねて世界を去る。


 カイ達はその見送りだ。


 ここに辿り着いた時は見渡す限りの砂漠だった一帯は今はしっかりと整備され、畑にはイグドラの子らが植えられている。

 何十年かの後に発芽する世界樹は、数百年もの時間をかけてエルフから生き方を学ぶのだ。

 数多のエルフを葬った過去の悲劇を二度と起こさぬように。


「ほっほっほ。さすがの我らも世界樹の発芽は無理でしたのぅ」

「む。エルネに無理ならボルクも無理」

「世界樹が世界にある内に誕生させてしまえば多少は楽かと思いましたが、世の中うまくいかないものですなぁ……のっぱぷ、ぷるんぷ、ぺー」

「「食え」」「ぷーっ」


 エルネ、ボルク、エルトラネの長老が里の者と共に世界樹を見上げる。

 今、眠る実の世話をするのは馴染みの里のエルフだが、いずれは他の里のエルフが受け持つことになるだろう。

 人間の欲望により里を追われた流浪のエルフは数多い。

 カイはそのエルフ達をアトランチスに招くつもりだ。


 アトランチスに人間は存在しない。


 人間の世界は広大な海を隔てたはるか彼方にある。

 アトランチスは独立した大陸であり、かつて繁栄したエルフの技術や空を渡る竜の助力があって初めて到達できる極地なのだ。


 ここでならエルフは何者にも妨げられずに暮らす事が出来る。

 彼らはここで世界樹を育て、やがて築く里へと招く事だろう。


 今はイグドラが祝福しているが、やがては里の世界樹がその祝福を受け継ぐ。

 里の繁栄はいかに世界樹を見事に育てるかにかかる事になる。

 エルフは世界樹の根として奉仕し、世界樹はエルフの奉仕に祝福で応える。

 二者の呪いと搾取の関係は再び奉仕と祝福の関係に戻り、共にこの世界で生きていくのだ。


 アトランチスはもはや砂漠の地ではない。

 イグドラの子が植えられた地の向こうには見渡す限りの緑が広がっている。


 そのマナは全て異界からもたらされたもの。

 細かく、目立たず、大量に。

 イグドラは幾億兆もの異界をこの地に招き、毎日何度も刈り取った。


 それらのほとんどはイグドラの糧となったがわずかに地に流れたマナは年月を経て地に宿り、エルフがアトランチスをめぐって新たな緑を育んだ。


 エルネとホルツは樹木、ボルクは菌、エルトラネは草を育てて回り、獣や虫を野に放つ。

 マナは生き物を介してめぐり、今はエルフの手を離れた。


 ジョセフィーヌとクリスティーナも今は立派な母である。

 彼女らの子はこの地でマナをめぐらせて、自然の一部となるだろう。

 そして彼女達が世界を去る頃には獣の恵みが森とエルフを潤すことだろう。

 皆の努力とあふれるマナが、この地を豊かに変えたのだ。


「マナが踊りはじめたえう」「そろそろ」「お別れですね」

「そうか……」


 日が沈み、空が暗くなり始めた頃。

 カイと共に世界樹を見上げるミリーナ、ルー、メリッサがマナを見て呟いた。 

 しばらくするとカイの目にも明らかに見えるほどのマナが、チカチカと輝きはじめる。


「魔法……いや、奇蹟かな」


 カイは輝く世界樹を見上げ、呟く。

 輝きが世界樹を包んでいく。

 はじめは幹から生まれた輝きは枝や葉へと広がり、やがて世界樹全体を優しく静かに輝かせる。


 あまりに膨大なマナの輝きはもはや魔法ではない。

 これは、奇蹟の前兆なのだ。


「ひどい目に遭いましたが、名残惜しいものですね」

『食われた事も今は良き想い出だな。あれが無ければ我はお前を見くびっていた』

「私も恐ろしい竜としか思っていませんでした」


 寄りそうソフィアとバルナゥが仲睦まじく語る。

 今やソフィアの隣はバルナゥの定位置だ。

 バルナゥはソフィアの隣にある事を望み、ソフィアはそれを受け入れた。

 いずれ二人の子が世界を守護する最強の盾となるだろう。


「綺麗だね、システィ」

「そうね。王国には悪いけれど忙しくも素敵な三年間だったわ」


 アレクとシスティは大竜バルナゥ討伐を続けている……


 という設定で各地を点々と移動し、物資の調達やエルフの移送を担当している。

 システィは竜峰ヴィラージュで十日に渡る激戦の末バルナゥを取り逃したと王国とケレス枢機卿に報告し、ケレスは追撃を国王に求め国王はしぶしぶ了承した。


 王国としては聖樹教に食い込み立場を上げる機会をケレスに潰された形になる。

 側室の話は流れ、終わらないバルナゥ討伐は王国の立場を少しずつ落としはじめている。

 聖樹教の枢機卿の機嫌というのはそれだけ重大なのだ。


 システィはイグドラを見送った後、王国へと帰還する。

 アレクがバルナゥを救い恩を売ったという設定で王都へと凱旋する予定だ。

 二人の幸せをつかむ戦いは、これから始まるのだ。


「アレク、私達の戦いはこれからよ」

「大丈夫だよシスティ。全部カイが何とかしてくれた」


 二人は互いの指を絡める。

 三年経ってもアレクのカイ信仰は相変わらずだ。


「そしてこれからもカイが何とかしてくれるよ。だってカイだから」

「あんたねぇ……まあ私も信じてみようかしら。この子のためにも」


 システィは呆れ、そして微笑み腹を撫でた。

 ベルティアの物語に選ばれた青銅級冒険者カイ・ウェルスは本当にやり遂げたのだ。

 三億年前から続く神と世界の不幸を断ち切り、幸福への道を示した。


 今日はそのはじまりの一歩を記す日だ。

 システィもアレクも生涯忘れる事の無い一瞬を見逃すまいと、静かに世界樹を見上げる。

 いつか子に詳しく聞かせてあげるために。


「お! ついに来たか?」


 酒瓶を手にマオが歓声を上げる。

 皆が見つめるその先で、世界樹が縮みはじめたのだ


 天を衝くほどの巨樹が輝きを増しながら自らを圧して存在の格を上げ、世界の限界へと近づいていく。

 世界に存在できる格から世界全てを内包する神の世界の格への昇華。

 今、イグドラは世界の枠を越えるのだ。


『世話になった』


 イグドラの言葉が地を震わせる。


『カイよ、子らを頼むぞ!』

「まかせろ。箱もたくさん作ってもらったしな」


 縮みはじめたイグドラの言葉にカイが手にしたものを振る。

 それは面の一つに小さな穴が開いているだけのただの箱だ。


 しかしその材質はこの世界の限界に限りなく近い究極の物質、オリハルコン。

 何にでも変える事が出来、かつ何の干渉にも変わる事の無い矛盾物質であるそれの正体は強力な異界の主を討伐した戦利品。

 異界のマナが世界のマナに変わる際に少しずつ継ぎ足していった幾億万もの願いの結晶だ。


 箱は恐ろしく薄く、そして軽い。

 しかし決して壊れない。世界に存在できる格の限界物質であるオリハルコンは世界に収まる者の格では決して変わる事は無い。


 異界とて例外ではない。

 ただの異なる世界でしかない異界の格はこの世界と変わらない。

 箱の中で顕現した異界は箱の大きさ以上になる事はなく、大きな主が顕現する事は決してできない。

 不用意な異界の顕現が子を食わぬように、イグドラはそれを世界に残したのだ。


 やがて芽吹いたイグドラの子らは箱の中でマナを食い、顕現した異界との戦いを通じて己の分を学ぶ事になる。

 幾多の顕現と討伐を繰り返した後に子らは加減を理解するだろう。

 箱は世界樹を育て学ばせる道具なのだ。


『カイよ!』


 輝きを増しながら縮んでいくイグドラが叫ぶ。

 巨樹の姿から空に見える太陽と同じくらいの大きさにまで縮んだイグドラの輝きは、今や陽光の如くだ。


 皆は目を細め、しかし逸らさずにそれを見る。

 イグドラがカイに告げた。


『ベルティアに望みがあるなら伝えよう。ベルティアの望みを叶えた汝の望みは必ず叶うであろう』


 カイは少しだけ考えて、ミリーナ、ルー、メリッサを抱き寄せ答えた。


「エルフの呪いが祝福に変わってくれればそれでいい」

『汝ならそう言うと思っておったが、欲がないのぅ』

「こんな厄介事に巻き込まれない日常こそが俺の望みなんだよ」

『変わる世界で変わらぬを望むとは、実は汝、欲深なのではないか?』

「ぬかせ。妙な事するなよ?」

『承知した』


 求めるものは全てカイの腕の中。

 イグドラとカイが笑う。


 カイは小心者である。

 腕の中の妻達にご飯を要求される程度で良い。

 のんびり薬草を集めて時々ちょっと贅沢なご飯を食べる程度がちょうど良いのだ。


 それ以上の力はやがてカイ自身を歪め、そして世界を歪めるだろう。

 過ぎた力とはそういうものだ。あればそれを使わずにはいられず、やがてそれに縛られ振るう為に生きるようになる。

 それが人間というものだ。


「カイらしいえう」「まったくカイらしい」

「これからも私達がお守りいたします」

「危ない事する気ないから」


 妻達の賞賛にカイは腕の力を強め、顔を見合わせ笑い合う。

 この腕の中こそがカイの全てだ。譲れないカイの望みだ。


『エルフ共よ!』


 再びイグドラは叫ぶ。


『余の子を無下にすれば余は再び汝らを呪うであろう。次は根絶やしじゃ!』


 天に響くイグドラの言葉に、エルフを代表してベルガが答えた。


「肝に銘じよう。だが、お前の子の粗相でエルフを呪うなよ?」

『……当然じゃ』


 間があったな。今、間があったよね。大丈夫なのこれ?

 ざわざわと騒ぐエルフを背にカイが口を開く。


「ベルティアにそのあたり公正にと伝えておいてくれ。それが俺の望みだ」

『ぐぬ! わ、わかったのじゃ』


 カイに望みと言われてはどうしようもない。

 イグドラはぐぬぬと呟きながらベルガの言葉を受け入れる。


 縮み続けるイグドラはもはや直視できないほど眩しく、世界を白く染め上げている。

 システィが光を減じる傘を魔法で造り、皆の上にかぶせて癒す。

 傘を通して見るイグドラはもはや天の星程度の大きさにまで縮んでいる。

 もうすぐ世界を越えるのだ。


『皆の者!』


 これが最後だろう、皆は静かに耳を澄ます。


『余が世界に在るのはここまでじゃ! 後は汝らが守り、考え、高めていくがよい!』


 天に輝く星が、消える。


 しかしその消失は一瞬のみ。

 その直後星は再び強烈に輝き、膨張して全てを飲みこんだ。


 光に飲まれたカイ達の中を少女の姿をしたイグドラが通り過ぎていく。

 世界の格を越えたイグドラが世界の枠の外へと、この世界が塵芥に等しい神の世界の存在へと変わったのだ。


 あまりにも巨大過ぎて存在すらわからない存在に……


「行っちゃったえう」「違う。神の世界に戻った」

「そうですね。戻られたのですね」


 ミリーナ、ルー、メリッサが呟く。


 皆が見上げる空はもう、アトランチスのいつもの空だ。

 星が瞬き、月が大地を照らす来た時から何も変わらぬ普段の夜。


 だが、そこにはもう世界樹の巨体は無い。

 世界樹イグドラシル・ドライアド・マンドラゴラは神の座へと還ったのだ。


 皆はしばらくいつもの夜の空を見上げ、やがてそれぞれの家へと歩いていく。

 次第に人が減り、カイ達だけになった頃にカイはようやく顔を下ろして呟いた。


「……寂しくなるな」


 巨樹の無い空はどこまでも広く、少し寂しい。


「寝るか」「えう」「ん」「はい」


 カイは皆と一緒に歩き出す。


 明日から違う日常が始まる。

 神は去り、世界は否応なく変わるのだ。


 王国には他国に先んじて変化に乗ってもらわなければカイもアレクも皆も困る。

 聖樹を失った聖樹教は混乱するだろう。

 そしてエルフの理解が無ければベルティアの物語が真に終わる事はない。

 イグドラが世界を去っても後始末は続くのだ。


 今日は寝よう。そして英気を養おう。


 カイは皆と横になり、明日のために目を閉じる。




 その夜、カイは奇妙な夢を見た。

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[良い点] 面白すぎて夜更かししすぎて明日がやばい [一言] いい話だった………え?まだ4分の1以下? まだまだ楽しませていただけて感謝しかない
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