7-18 恋は盲目べちんべちん!
「とにかく、お前はもっと弱い奴を顕現させろ。方法はあるんだろ?」
『ある事はある。異界の顕現は言ってしまえば落とし穴。穴を突き破る大きさの者が落ちてくるゆえ、枯渇の範囲を狭めれば良い』
「直径一キロメートルの八桁違いは……百分の一ミリか」
『空間比じゃからそこまでは行かぬ。直径二メートル程度まで絞り込めば……考えただけで目がショボショボになりそうじゃ』
「そういえば俺らを見るのに虫眼鏡だったな」
目の前のイグドラは映し身だったなとカイは輝く天を見つめて呟く。
世界樹にひしめいていたオイルバグは肌に住む見えない菌と同等、ソフィアの言うところの妙なマナ放出の原因程度の扱いである。虫眼鏡でも見えないようなそれらをちまちまと扱えと言うのはさすがに酷だろう……
あれ?
「ちょっと待て。見えない生物の管理はどうやってるんだ?」
『はじめは見えるのじゃよ』
カイの疑問にイグドラは答えた。
『神にとって世界とは大きさの変わらぬ箱庭のようなもので、はじまりの世界は小さく細かい事しか出来ぬ。手を入れ格を上げるとより大きな世界が扱えるようになり、それまで手を出せた事柄はどんどん小さくなって手が出せなくなる』
「出世して部下にこれまでの仕事をまかせるようなもんか」
『まあ、そんなものじゃ』
部下を持てば細かいことは部下の仕事だ。
どんな立場の者も一日は同じ。
細かいことに手を出していればその分部下の管理がおろそかになる。
それと似たようなものだろう。
『余とベルティアは全ての存在種を管理する神ではあるが手を出せぬほど小さくなった者は面倒ゆえ適当にどんぶり勘定じゃった。汝が食を鍋でひたすら煮込むようなものじゃよ』
「それは……確かにどんぶり勘定だな」
「カイのご飯と同じえう!」「む。ご飯は真理!」「さすがカイ様ですわ!」
「俺のご飯と世界が一緒って……ひでぇな」
煮込み過ぎご飯はただの経験則だ。害となる物をいちいち除外している訳ではない。
それと同じなのだろう。
味付けなど二の次なカイのご飯と世界は同レベルなのだ。
『ま、しかるべき道具を使えば管理出来ぬこともないが手間と格を消費する故にベルティアも余もあまりやらなかった。危険でもあるしな』
「細かなものを管理するのが危険なのか?」
『当たり前じゃ。大きな何かは小さな何かに支えられておるのじゃぞ。汝の体に巣食う菌が振る舞いを変え害を持つようになったら汝は死すしかないぞ?』
「な、なるほど……いや待て、ルーとか見えない菌のオンパレードだぞ」
『じゃからヘロヘロになっておろうが』
「今すぐ呪いを消しやがれこのクソ大木が!」
『そこは余の手間暇かけた祝福で生かさず殺さずじゃ。しっかりバランスを取っておるのじゃよ』
「そんなバランスいらない」「悪魔えう!」「私達エルフは奴隷ではありませんわ!」「全くだ」「奴隷? 今奴隷って言った?」「アレク……」「ガハハハ、お前本当に奴隷好きだな」
ああ、殴りたいこの笑顔。
目の前でにんまり笑うイグドラにカイは拳を震わせる。
しかし目の前のこれはただの映し身である。殴っても拳が空を切るだけだ。
立場の違いは認識の違いでもある。
人と人ですら違うものを神と合わせるのは無理というもの。
仕方ない、仕方ないのだとカイは無理矢理割り切って、イグドラに新たな異界を顕現させろと指示を出す。
「菌のバランスが取れるくらいならみみっちく異界を顕現しやがれ」
『わかっておるわい。ほれ、先ほどより大分小さいぞ』
「いや、直径二百メートルはあるだろ……」
カイとイグドラが見下ろす視界の先で、前よりはかなり小さな異界が顕現した。
漆黒の闇の中から現れたのは三つの首を持つ獣だ。
「確か地獄の番犬ケルベロスとやらがこんな姿だったような……」
『異界の者はその世界の何かの姿に見えるのじゃよ。あれは三億年前の異界侵攻の際、ベルティアが作った失敗作のひとつじゃな』
「へー」
『あれのなれの果てがほれ、そこのカトンボじゃ』
「……へぇ」
さすが神。自ら手を下しただけあって色々な事を知っている。
カイが感心しているとなれの果てがげふんげふん、世界樹の葉を食べていたバルナゥが完治した身体をうならせて飛び出していく。
『今度こそ我の強さを見せる時! 見ていろソフィア!』
広間を飛び出したバルナゥは力強く空を駆け、現れた禍々しいケルベロスと対峙した。
「……勝てると思うか?」
『格の桁が五つか六つ違う。こてんぱんじゃな』
ぺちん。
イグドラが言い終わらぬ内にバルナゥのブレスが弾かれた。
『ぐぬぅおおああああっ!』
反撃とばかりに襲いかかるケルベロスの前足にバルナゥはなす術も無い。
叩かれ、転がされ、踏みつけられていく。
犬がカトンボにじゃれてついているような光景にカイは涙を禁じ得ない。
格の違いは本当に半端無かった。
「……助けてやれよおい」
『あまりのカトンボ振りに唖然として忘れておったわ。とりゃ』
ぷしっ……
世界樹の葉が頭の一つに突き刺さり、瞬く間にケルベロスを食らい尽くす。
ヘロヘロな姿で戻って来たバルナゥは無言で世界樹の葉をもっしゃもっしゃと食べて自らを完治させると、轟然と叫んだ。
『次! 次こそは我が勝つ!』
『ほぉ』
イグドラがニヤリと笑い、次なる異界を顕現させる。
今度は直径百メートル程だろうか。
直径一キロメートルの顕現で格が八桁違うならこいつは五桁違い。十万倍だ。
今回もこてんぱんか。
と、カイが考え見下ろす先で、やはりバルナゥは吹き飛ばされていた。
『ぬぅおおおおっ!』
べちん!
やはり一撃である。
足掻く姿は立派なれど恋は盲目なバルナゥである。頭が全然回っていない。
今まで絶対強者であったバルナゥは自らが弱者であった経験が無いのだろう。
力で挑んでこてんぱんであった。
弱者のカイから見ればアホかこいつである。
力で対抗出来ない相手は頭と仲間で対抗する。それで無理なら関わらない。
それが弱者の戦い方だ。桁違いの相手なぞ関わらないのが正しい戦い方なのだ。
イグドラは鼻で笑い、軽く手を振り怪物を一瞬で消滅させる。
もはやイグドラはその意思だけで相手を消滅させていた。
格の違いとはこういう事だ。関わってはいけないのだ。
ヨタヨタと戻ってきたバルナゥにカイは憐憫の視線を送るも最強生物はまだ理解していないらしい。むしゃむしゃと世界樹の葉を食らって元気ハツラツ。さあ次来いと身構える。
お前、いい加減身の程を知れよ。
と、あまりに無謀なバルナゥに言おうとしたカイであったが、血気盛んなバルナゥの前に立つ者の姿を見て口を閉じた。
『ぬ? どうしたソフィアよ?』
バルナゥの前に立つのは聖樹教聖女ソフィア・ライナスティ。
バルナゥの想い人である。
怪訝な顔で見下ろすバルナゥにソフィアは微笑み、足で地面をとんとんと叩いた。
「バルナゥ……ハウス」『?』





