7-17 でかい犬がここにいる
『我は竜峰ヴィラージュの主、大竜バルナゥ……』
「はい」
『齢は二億を数え討伐した異界も数知れぬ。我は全ての異界に臆する事無く戦いを挑み、その全てに勝利してきたのだ。時にはエルフの手も借りたがな……』
「はい」
『八百六十万年前のエルフの偉大な選択以降はそれほど強力な顕現は起こらなくなり、人やエルフの手に討伐を委ねもした。だがそれでも我は人やエルフの住まぬ地の異界を討伐し続けてきたのだ……』
「はい」
『それなのに、我の強い所を見せようと思って無理に飛んだというのに……』
「はいはい。止血しますから大人しくして下さいね」
『我は、我は強いのだぞ。本当だぞソフィア』
「わかっていますから。あ、お肉頂きますね」ブチリ『はうあっ……』「痛かったですか?」『いや、ソフィアなら許す。好きなだけ食せ』「ありがとうございますもぐもぐ……まずっ!」『ま、まずいか。そうか……しょぼん』「いいんですよ。肉質なんて自分ではどうしようもありませんから」『そ、そうだ! 我にもどうしようも無い事はあるのだ』「傷の経過を見ますからお腹出してください。ごろーん」『ごろーん』「はーい、いい子ですねーなでなで」『おぉーふっ』……
……なにあれ?
しばらく見ない内にソフィアさんにすげえ懐いてる……
イグドラに招かれ寝そべるバルナゥの姿に、カイは唖然である。
その姿は、まるでカイがランデルで可愛がっているエヴァンジェリン。
でかい犬だ。でかい犬がここにいる。
全長二十メートル、マナブレス一発で地を焼き尽くす最強生物がソフィアに腹を撫でられてご満悦だ。
「おいアレク」「なに?」
「あれなんだ?」「惚れちゃったみたいだよ」
「そうかー。惚れちゃったかー」「惚れちゃったなら仕方ないよねー」
あっはっは。
カイとアレクが笑う。
カイ達がアトランチスに飛んでから二日後、カイが関わるエルフの四つの里からの応援により治療作業はだいぶ楽になった。
ボルクが水の刃で切り刻み、エルネとホルツが風で枝を集め、バルナゥがマナブレスで枝を滅する……交代が可能になった事でアレク、システィ、マオは戦線から外れ、エルフ達のたっての願いで食事を作る係となった。
しかし三人は外せてもソフィアだけは外せなかった。
エルトラネの数でもソフィアの質はカバーできなかったのだ。
優先度の高い患部の迅速な判断、適切な回復魔法の選択、多重回復にコンマ五秒単位での回復切り替え、枝を摘出しやすいような回復制御……
高度過ぎる回復技術にエルトラネは補助に回るしか無く、後回しにした患部のとりあえずの回復と枝を完全に取り除いた後の回復、この場を離れられないソフィアの世話……排泄物の始末とバルナゥの血肉を集めてソフィアの口元に運ぶ程度の補助的な役割に終始した。
排泄と竜肉という羞恥と狂気のダブルパンチの中で己の役割をしっかりと見据え、一ヶ月以上も揺らぐ事無く自分を回復し続ける献身的な異性。
しかも若く、そして美人。
惚れるのも無理は無い。
竜はどの種族とも子を生す事の出来る超生命体。
かくしてバルナゥは猛烈なアタックを開始し、異界の顕現を感知して格好良いところを見せようと無理にこの地に飛んできてぺちん……そして今に至る。
惚れた相手に格好良い姿を見せたい。
その気持ちはカイにも良くわかる。
自分の為に自らを捧げられてしまうと、心を動かされてしまうものなのだ。
カイがミリーナ、ルー、メリッサの呪いを祝福に変えるために足掻いているのと構図は同じ。
話を聞いたカイはバルナゥを応援する事に決め、いじけるバルナゥの原因となった神を蔑むように見下ろした。
『な、なぜ余が土下座せねばならぬのじゃ……』
そう、全部ここで土下座している神のせいである。
世界樹イグドラシル・ドライアド・マンドラゴラ。
カイの提案をもとに異界を顕現させたイグドラがバルナゥでも手に負えない強烈な主を招いてしまった事が原因である。
カイは自分も悪いと思っていたが、口しか出せない自分が反省してもあまり意味が無いので実行したイグドラに責任をまるっとぶん投げた。
神を土下座で説教三昧。
後が恐いが神の座に還せばチャラになる……はずだ。
イグドラは根に持つかも知れないがベルティアが何とかしてくれるだろうと無責任にぶん投げて、これはイグドラの為なのだと正当性をイグドラにぶん投げる。
なんでもかんでもまるっとぶん投げ。
うわぁ口先だけの糞野郎だわ俺……
身の程を知る男カイ・ウェルスは自らの情け無さを嘆く。
しかし仕方が無い事なのだ。本当に口先しか出来る事が無いのだから。
「土下座はこうえう! こうするえう!」
「そんな甘い土下座では食べ物は降って来ない。土下座ナメ過ぎ」
「何ですかそのだらしない正座は! 私達にあれだけ土下座を強要しておいてこんな土下座しか出来ないとは情けないですわ!」
『ぐぬぬ……』
ミリーナ、ルー、メリッサもカイの切なさを理解しているのだろう。
カイに向かうヘイトを分散させようと、とことんイグドラを追求する。
重荷を少しでも肩代わりしようとする妻達の覚悟にカイは内心ほろりである。
こういう所に惹かれるんだよ。うちの嫁可愛い超可愛い。
しかしベルティアの物語に選ばれたのはあくまでカイ。
嫁達の呪いを祝福に変える為に頑張っているのにヘイトをなすり付けては本末転倒。
カイは三人にやり込められてムスッとしたイグドラを前に口を開いた。
「いいか、竜はお前の子らが討伐できなかった異界を討伐するための世界の盾だ。バルナゥが倒せないような異界を顕現させるな」
『あんな弱いカトンボを基準にするのか? なんという面倒な』
「あんな強烈な奴が今後も顕現するようでは困る。細かく、目立たず、大量にだ。お前は天に還れればそれで良いだろうが派手にやって後で狙われる羽目になったら俺達もお前の子も困るんだよ」
『あの小さき者さえ余が戻るのに一兆は必要なのじゃぞ。カトンボ並みにしたら八桁は増えるわい!』
「ちなみにさっきの小さき者は、数多の世界の中ではどの程度の存在なんだ?」
『まあ強い方じゃろうな。この世界に存在せぬ強者は少数と考えて良い』
「なら八桁増やせ。後でとても困るから」
顕現する異界はベルティアにぶん投げたが注意するに越した事はない。
イグドラだって八百六十万年エルフを恨んだ。
異界や神も恨むかもしれない。
『一兆を一億回じゃぞ! 何年かけるつもりじゃ!』
「やれ」
『ぐっ……わ、解ったのじゃ。努力するわい!』
「よし。それとバルナゥをとっとと回復させたいから葉をしこたま食わせてやれ」
『なぬ?』
「討伐するバルナゥがボロボロでは判断できないからな」
とりあえず、まずはバルナゥ基準。
『余の葉をカトンボ如きに「あぁ?」わ、わかったのじゃカトンボ食うて良いぞ!』
『我はソフィアの回復が良い。こやつの葉はまずくて舌が痺れるし……』「葉をいただきに行きますよバルナゥ」『おおーふっ、ソフィア待ってーっ! 食べる、食べるからもっしゃもっしゃ……まずい! くそまずい!』「体の為です。我慢なさい」『もっしゃもっしゃ……』
ソフィアを追ってのっしのっしと広間を歩き葉をもっしゃもっしゃと食べる竜……
「……犬だな」
「忠犬えう!」「む! 忠犬!」「ですが、そこはかとなく駄犬感もありますわ」
「竜がここまで従うとは……惚れた弱みということか」
「忠犬かつ駄犬。まるで僕だねカイ!」「アレク……」
「がははは。さすがだなアレク」
もはや飼い馴らされた家畜。
カイ達もこの有様には苦笑いだ。
恋は盲目とは良く言ったものである。
この世界最強生物は自分がどれだけ情けない有様なのかまるで解っていなかった。





