7-15 イグドラ、異界を顕現する
『では、あのあたりに一つ招いてみようかのぅ』
「小さくだぞ、みみっちくだぞ?」
『わかっておるわ』
イグドラが手をかざすと視界の端にひらり、と葉が舞い落ちる。
世界樹の葉だ。
寿命を延ばし、死以外の全てを癒し短期的な能力強化をもたらす超回復薬。
それがひらひらと天から地へと舞い落ちていく。
「葉を落としてどうするんだ?」
『あれは余の一部。事を為すための余の腕よ』
あぁ、とカイは納得する。
人とエルフの社会では超回復薬として使われるそれはイグドラが力を行使する末端であり、実際の効果はイグドラが決定しているのだ。
だからエルフの呪いは解けないし、メリッサのラリるれろにも効果は無かった。
そしてイグドラが望めば回復以外の効果も発する事が出来るのだろう。
アレクらが持っていた聖剣や聖杖、ソフィアの持っていた世界樹の枝と同じくイグドラの意思一つで効果は変わり、時にはそれを使う者すら裏切る。
どのように加工しようが、薪に使おうが全ての品は同じくイグドラの腕でしかない。与えられる結果はイグドラの意思で決まるのだ。
まさしく信用できない武器だな……
カイはマオの言葉を思い出しながら舞い落ちる葉を目で追っていく。手に乗るほどの大きさでしかないそれはすぐに見えなくなった。
『そろそろじゃ』
「お?」
イグドラが言う。
葉が砂漠に落ちたのだろう、カイの目でも分かる変化が砂漠に現れた。
すり鉢のような円形状の窪みが形成され、砂がサラサラと中心へと流れていく。
カイのいる場所からは小さすぎて見えないがあの中心にイグドラの腕である葉が存在し、周囲のマナを貪っているのだろう。
この世界の全ての物はマナの変化した姿だ。
その希薄さ故に砂となった砂漠はさらにマナを奪われて粉となり、やがてその姿すらマナへと変えていく……
やがて現れる、黒い球体。
「光すら食うのか」
『当然じゃ。光もマナじゃからのぅ』
光を食うから、黒い。
黒い球体の内側はもはや見る事は出来ないが、光すら飲みこむような場所がまともな場所であるはずがない。
かろうじて満たされていたマナが失われた空間は歪み、ひしゃげ、世界の外との境界を曖昧なものに変えていく。
そして黒い球体が、その大きさを増していく。
こんな風に顕現を眺めた人間は俺が初めてかもしれないな……
上から異界の顕現を眺めながらカイは思う。
人間にとって異界の顕現とは天災であり、ただひたすら逃げるべき現象だ。
世界と異界が激しく混ざる場に居合わせても良い事は無い。
顕現に巻き込まれれば普通の者では生還できず、顕現すれば怪物が湧いてマナを根こそぎ奪っていく。
だいたい、何が顕現するかはわからない。
意図的に起こした白金級の誰かも顕現の瞬間には全力で逃げていたはずだ。
人間初かもしれないなとカイの見つめるその先で、葉の作り出した黒い球体が弾けた。
闇が液体のようにベチャリと広がり、すり鉢を黒く染めていく。
闇は意思を持っているかのように蠢き広がり、やがてすり鉢全てを漆黒の闇に染め上げた。
『空間が破られた。異界の顕現じゃ』
あの闇が空間の裂け目かとカイ達が唖然と見下ろす砂漠の闇に、何かが蠢きながらせり上がる。
世界の光をマナとして吸い込みながら姿を現すそれは漆黒の人型だ。
頭頂から鋭く伸びるのは角だろうか、肩幅がすり鉢の四分の一程もあるそれは身をよじらせながら世界の裂け目を押し開いてこの世界へと自らをねじ込んでくる。
あの人型からすれば急に地面が抜けたような感じになるのだろうか?
闇の沼にもがきながら世界を突き抜けて来る様はどことなく滑稽だ。
しかしあれは世界を突き破るほどのマナを蓄えた強者。
手を動かす度に地面が揺れ、突風が砂をまき散らす。
瞬く間に周囲を砂塵で満たしたそれは次第に姿を現し、やがて二本の足で漆黒の闇を踏みしめた。
「えうっ、なんかすごいのが出てきたえう」
「なに、あれ?」
「も、ものすごく大きくありませんか?」
「間違い無くビルヒルトの顕現よりも大きいぞ! なんだあれは?」
「おい、イグドラ」
『なんじゃ?』
ミリーナ、ルー、メリッサが口々に叫び、カイにしがみ付く。
一人呆然と眼下を睨むベルガの言葉にカイは言い知れ無い不安を感じ、カイは顕現を成して満足気なイグドラに問いかけた。
上空から見ている上に、比較対象が砂漠のうねりだけでは大きさがよく分からなかったからだ。
「あのすり鉢の大きさはどのくらいだ?」
『直径一キロメートルくらいかのぅ』
「……」
しれっと答えるイグドラにめまいを感じるカイである。
すり鉢が直径一キロメートル。
そして人型の肩幅は大体すり鉢の四分の一程度。
つまり肩幅二百五十メートル……
カイは自分の肩幅をざっくり測って身長と対比し天を仰ぐ。
身長は肩幅の大体四倍。
つまり身長はおよそ一キロメートルだ。
「……なんだそれ」
「えう?」「む」「カイ様?」
ざっくり計算した所でカイはミリーナ、ルー、メリッサに顔を埋めた。
バルナゥの何十倍もでかいじゃねーか。
サイズと力量が比例するとは限らないが人間やエルフじゃ絶対あんなの討伐できねーぞどうするんだおい……
そりゃ、頼んだのは俺だけどさぁ……限度があるだろ?
カイは自らの提案を後悔しながら頭を上げ、眼下でウロウロしている漆黒の人型を見た。
顕現直後の今は何が起こっているのか解らないだろうが、いずれあれは動き出す。
突き抜けた地にダンジョンを構築し、階層を増やして世界のマナを吸い上げる管を作られたら奪われるマナの量はどれだけになるだろう。
そもそもこいつをイグドラはどうにかできるのか?
後悔が渦巻くカイだがすでに賽は投げられた。
後戻りはもうできない。
イグドラが討伐できなかったら、俺のせいで世界が終わりだな。
カイはほとんど草刈りにしか使わない剣を確認してため息をつく。
カイは戦いではへなちょこだから何の役にも立たないだろう。
腕の中の妻達の温もりをこれが最後かもしれないとしみじみ思っていると、ランデルでよく聞いた爆音が広間に響く。
「これは……!」
カイが子供の頃から聞き慣れたヴィラージュの爆ぜる音だ。
少し前までは音の意味すら分からなかったが今なら解る。
あれはバルナゥが空間を渡る音だ……カイが見つめる空の先、不自然な雲の環が空に広がっていく。
その中心には陽光に輝く銀の鱗。
間違い無い、バルナゥだ。





