7-11 冒険者、決断する
『のぉ、ベルティアは元気かの? あれは朝の目覚めが悪くてのぅ、毎朝起こすのが余の日課であったのじゃ。あれの作るふかふか寝床が懐かしい。夜更かしとつまみ食いは大丈夫じゃろうか……もう三億年も会ってないのじゃ』
「……俺は、会った事も話をした事もない。だから解らない」
イグドラからの問いにカイはどのように答えるか一瞬迷ったが、会った事も無い神が元気かどうかなど知る訳も無い。
『……ま、そうじゃろな』
カイが正直に答えると、カイの頭上でイグドラはため息をついた。
『余ですら解らぬものを虫眼鏡でようやく見える汝ごときが解るはずもない。神とは世界から見えぬほど大きなもの。世界に生きる者とは格が違うからの』
「バルナゥは自らは表に出る事なく我等を操る陰湿者と称していたが、会いたくても会えない存在なのか」
『あのカトンボめ、今からでもくびり殺してやろうか……まあ良い。汝を導いた事に免じて許してやるわ。嘘を言ったら汝ら全て焼き尽くすつもりであったがのぅ』
「……そりゃどうも」
どうやら先ほどの問いはイグドラの試練だったらしい。
正直に答えておいて良かったとカイは胸を撫で下ろす。
なにせ相手は神なのだ。心が読める位当然であった。
しかしここまではただの挨拶。カイもイグドラも本題に踏み込んではいない。
『さて、本題じゃ』
ここからが勝負だ……
カイは気を引き締め天一杯に広がるイグドラの瞳を見つめる。
挨拶の中にもいくつかの有用な情報はあった。カイが目指す畑仕事は理論的には可能なはずだ。
『して、汝はどのように余を天に還す?』
あとはイグドラの技術次第。
『言うておくが余の子は手放さぬぞ。余が全てを食らい身を削ってようやく宿した愛し子達、再びそやつらエルフが食らうと言うなら……余は容赦せぬ!』
ギラリ。天の瞳が再びマナに燃える。
イグドラはカイに告げた。
『汝らはすでに死地におる。余がここから動くだけで陽光がレンズを通して汝らを焼き尽くす。異界の戦士共が知らぬ間に焼き尽くされた余の罠に、余の祝福たる無の息吹が通じるとはよもや思うまいな』
戦う必要すら無いのかよ。初見殺し半端無いな……
カイは天を睨んで呻く。
はるか天空から熱線攻撃を受けるとは誰も思わないだろう。
あの瞳に輝くマナはただの怒りでしかない。
イグドラは体をずらすだけ。
それだけで天にある巨大なレンズが陽光を広間に集めて焼き尽くす。
ただでさえ肌をちりちりと焼く強い陽光をあれだけのレンズで集められたら一瞬だろう。異界の戦士達もかつてここまで辿り付き、主であるイグドラに対する前に焼かれて消えたのだ。
『さぁ、言うてみよ!』
「……」
カイ一人だったなら、カイは恐怖で何も言えずに焼かれていただろう。
しかし今、カイは一人ではない。
どこまでもカイを支える決意を持った妻達が、カイを信じて耐えている。
だから、逃げる訳にはいかない。
「ミリーナ、ルー、メリッサ……俺を支えてくれ」
「えう」「ぬ」「あんっ」
カイは恐怖に震えるミリーナ、ルー、メリッサを抱き寄せる。
温もりを支えに恐怖を鎮めたカイは怒りに輝く瞳を静かに見据え、イグドラに問う。
「……ふたつ、聞いていいか?」
『なんじゃ?』
「子も今のお前程に力を持つのか?」
『まさか』
イグドラが笑った。
『余は神であるが肉は世界樹。その肉から生まれし子はどう育っても世界樹。神にはなれぬ。どれだけ力を付けてもカトンボ程度、余の刹那にも及ばぬ内に天寿で枯れるであろうよ。異界が顕現するほどにマナは食うがのぅ……して、もう一つは?』
カイは再び問う。
「生まれる子はお前のように対話やエルフに対する祝福が出来るのか?」
『出来る。余の全てが小さくなった樹木と考えて良い』
「そうか。なら何とか出来そうだ」
『ほぉ……?』
そう。
ただイグドラに聞き、頼れば良かっただけなのだ。
かつてのエルフが間違えたのは結局ここだ。
世界樹の子は世界樹となる。
これは当たり前の事だが実は違う。
世界樹などという樹木はイグドラ以外に存在しない。
故にエルフは今のイグドラの姿を世界樹の姿と考え、数多の世界樹に対する奉仕までは背負いきれないと食い滅ぼした。
神と崇めていたエルフは神の子は神と思っていた。
そして発芽した世界樹の子が異界を顕現させ数千のエルフが命を落とした事で、それをエルフの中での事実としてしまった。
世界樹はエルフはおろか世界を滅亡させる神と、エルフは認識したのだ。
当時のエルフもカイのような疑念を持つ者はいたのかもしれない。
しかし惨劇の前にはそのような疑念など無力だ。
かつては世界樹を崇め、そして裏切られたと感じた大多数のエルフは疑念を受け入れられず盲目的に破滅へと突っ走っていったのだろう。
それは今の聖樹教も変わらない。
いや、エルフより始末が悪い。
彼らはイグドラの言葉を神の御告げとして扱い、自らの欲望で歪めて世界に号令する強欲の徒だ。
言葉の真意をねじ曲げ栄華に浴する彼らもいずれエルフのように苦しみ、保身の為に破滅へと突っ走る日が来るだろう。
神と人は生きる道が違うのだから。
だから、ここで終わらせなければならない。
「ミルト婆さんはすげえな……」
カイは聖樹教の信者ではない。
だから世界樹を神とは思っていても敬ってはいない。
自ら考え、足掻き、成長するランデルの地で自らの足で立つ青銅級冒険者。
頼り敬うエルフ達に支えられ、命運を託されたあったかご飯の人。
そしてベルティアの物語を終わらせて妻達と家族の物語を始めようと足掻く、小心者のへなちょこ夫だ。
『さあ、何とする?』
イグドラが問う。
カイは答えた。
「地を耕す畑仕事だ。お前にはここで育ててもらいたい作物がある」
『ほぉ? 植物の王たる余には造作も無き事。して何を育てる? 樹木か? 菌か? 草か?』
カイは妻達を抱いたまま、天に瞬く瞳を睨む。
そして、答えた。
「異界の顕現、ダンジョンだ」





