7-10 世界樹イグドラシル・ドライアド・マンドラゴラ
カイは周囲を見回して何も無い事を確認すると天を仰ぎ、そして目を剥いた。
驚くのも無理はない。
天空にある巨大な空気の歪みの中、何者かがらんらんと瞳を輝せているのだ。
瞳、白目、睫、肌、髪……
全てが緑色の何者かは瞳を瞬かせながらじっとこちらを見つめている。
天を覆う巨大な瞳にカイは腰を抜かしながらも前にもこんな事があったなと考え、オルトランデルでミリーナと初めて会った時かと思い出す。
そのミリーナはカイの視線を追い上を見て、同じように驚愕していた。
「な、何えうあれ!」
いや、お前との初対面がこんな感じだったよ……
そんなことを思いながら、カイは床にへたりこむ。
ルーとメリッサがミリーナに続いて叫ぶ。
「むむむでかい。超でかい」「超巨大目玉ですわ! ビッグのぞきですわ!」
天を覆う空気の歪みはおそらくレンズだろう。
カイも持っている細かい部分を見るための虫眼鏡。それの超巨大版だ。
サイズは呆れるほどの桁違いだが用途は全く変わらない。瞬く瞳の持ち主が小さい物を見ようとしているのだ。
あのレンズの倍率が何倍かは知らないが、使わないとこちらを見るのに苦労するのは確かだろう。
オイルバグ討伐の際にカイツースリーらと語っていたお役立ち菌程度という推測は不本意だが事実らしい。存在の大きさが違いすぎるのだ。
頭上の瞳は個々を確認しているのだろう、小刻みに瞳を動かした後に忌々しげに呟いた。
『知っておったが……エルフに再びこの場を汚されるとは!』
天からの呟きがダンジョンを震わせる。
圧倒的な格の違いを乗せた声にカイは体を震わせ、その瞳に宿すマナの輝きに魂を強張らせる。
忌々しげに見下ろす緑の瞳には明らかな嫌悪がにじんでいた。
『余の実を食い潰した害虫どもめ、八百六十万年前のようにはいかぬぞ!』
瞳のマナが強く輝く。
レンズの下でカイ達は恐怖に顔を引きつらせた。
瞳に輝くマナの輝きは魔法の発動前兆であり、世界樹ほどの存在に魔法を行使されたら間違いなく命は無い。
バルナゥだって無理だろう。存在の格が違い過ぎるのだ。
「えうっ!」「ぬぐぅ!」「ふんぬっ!」
「うわあっ!」
影が出来るほどの強烈なマナの輝きに害虫と呼ばれたミリーナ、ルー、メリッサ、ベルガらエルフが悲鳴を上げて頭を抱え、この状況を何とかしてくれと視線でカイに懇願する。
カイも頭を抱えたかったが全員頭を抱えたらそこで終わりだ。
強烈なマナの流れに震える体を気合でねじ伏せ、カイは天空の瞳を睨み叫んだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺達はバルナゥに導かれ……」
『あんな木っ端屑でヒィヒィ泣いとるカトンボなぞどうでも良い』
「導かれ、ベルティアの使いとしてここに来た!」
『……知っておる』
姿を現さない陰湿神の名を出した途端、マナの輝きが霧散する。
そして先ほどとは違う、静かで厳かな声が天から降りそそいだ。
『確かに汝らからベルティアの匂いがするのぅ……あれはまだ余を見捨ててはおらぬのか? ええと……』
「カイ・ウェルスだ。その為に俺がここに来た!」
動揺しているのか頭上の瞳がせわしなく動き出す。
カイがしばらく見上げていると、瞳は何とも心配そうに聞いてきた。
『心遣いをことごとく無にしてしまった余を、まだ助けてくれるのか?』
「そうだ!」
『地を異界から奪い返すため顕現したのに大陸をマナ希薄の砂漠に変えてしまった余を?』
「そうだ」
『子作りに励んでる余を?』
「……そうだ」
『三億年間吸い続けたエルフのマナを全部子作りに使ってしまった挙句、害虫扱いでエルフをいびり倒している余を?』
「……そうだ?」
『人間に木っ端屑を渡して異界を食い、世界の盾たる竜を食いまくってる余を?』
「あんたひどいな……いやいや、ところで貴方は世界樹か?」
『うむ。余はこの世界の一柱、イグドラシル・ドライアド・マンドラゴラじゃ。イグドラでよいぞ』
厳かな声でアホな事を言われるとカイとしては反応に困る。
こいつも駄犬、いや駄犬かつ狂犬だわ。
神の責務は知らないが地のマナ奪って子作りエルフ貪って子作り竜を食って子作り。全てが子作りに直結するってどうなのよ……
偉そうな瞳で名を告げる天を仰ぎカイは心の中で頭を抱える。
隠したつもりだったが呆れる感情が顔に出てしまったのだろう、頭上の瞳が何とも後ろめたそうに歪む。
『汝、余を性欲だけの駄犬と思ったな?』
「いえ、けっしてそのようなことはありませんヨ」
『に、肉を得るというのはこれで中々大変なんじゃぞ!』
抑揚の無い返答を返すカイにイグドラは傷ついたという風に瞳を潤ませ自己弁護を開始する。
これまでの厳かな口調はどこへやら、今のイグドラはまるでいたずらを指摘された子供だ。
『肉とは定義、生命としての定義なのじゃ。そして肉を得るというのはその定義に縛られるという事。これでも繁殖間隔が一番長い姿で顕現したのじゃ……一億年ぽっちじゃが。に、二億年は我慢したのじゃぞ!』
「ちなみに、神の世界での繁殖間隔は?」
『百億年ほどじゃ』
「あー、神話の神がどいつもこいつもエロいのはそういう理由なのね」
イグドラの主張に納得するカイである。
神の時間とこの世界の生物の時間は違う。
百億年の繁殖期間を持つ神が一億年の繁殖期間の肉に振り回されるのだ。
一年の繁殖期間を持つ生物が三日の繁殖期間になったようなものである。寝ても覚めても子作りの事しか考えていないのと大差無い。
『それは肉の器に降りて自らの一部とする憑依じゃろうな。顕現ほど強烈では無いが人間に降りれば性欲倍率半端無いから速攻ヤるわい。ハーレム作ってヤりまくりじゃろうて。まぁそのあたりの逸話を残した神はベルティアならクビにしたじゃろうなぁ。短期雇いの下っ端神のモラルなんぞそんなものじゃ』
「一番モラルが無さそうな奴が何を言うか。お前らこの世界で何してんだよ」
『仕方が無いじゃろう。余とて性欲が百倍に凝縮されればハッスル半端無いわ。仕方なく顕現した不憫も汲み取ってほしいものじゃ』
「何があったんだ?」
『……狙われたのじゃよ。異界の神共にな』
イグドラは当時の事を思い出すように目を伏せ、呟いた。
『まぁ狙われたのはベルティアじゃがの。汝は異界とはどのような物と聞いておる?』
「この世界と同じような別の世界と聞いている」
『そうじゃ』
イグドラの瞳が頷くように上下する。
『異界もこの世界と同様、そこに生きる者がおり司る神がおる。世界は数多あり神も数多おる。そして神々は神々の世界で互いに関係を持っておるのじゃ……この世界の人間の社会のようにな』
「神の世界もこの世界と似たようなものなのか?」
『そうじゃ。神とて汝ら同様、耕し育てねば食えぬ。耕すのが世界というだけの事』
異界もこの世界と似たようなもの。
そして神の世界もこの世界と似たようなものらしい。
『その神々がベルティアを妬んでのぉ。別にベルティアがそやつらに何をした訳ではないのじゃが、何でもそつなくこなして上手に世界を富ませたのがシャクに障ったらしい。三億年前この世界をこぞって攻撃したのじゃ』
「多数の異界が同時に顕現したという事か」
『そうじゃ』
「異界の顕現はこちら側のマナが薄くないと出来ないのではないのか?」
ダンジョンとはマナの薄い場所が異界に貫かれる異常現象だ。ベルティアとイグドラが司る世界のマナを異界の神がどうこう出来るとは思えない。
しかしイグドラはそれは違うのぅ、という独り言の後カイに答えた。
『要は差があれば良い。こちらのマナの薄い地を貫けるだけのマナを濃い地を用意すれば貫き顕現できるのじゃ。カトンボの所はまさにそれじゃな……あぁ、カトンボを食うのを止めねばならぬな』
「あ!」
『なんじゃ、忘れておったのか……これでよし』
イグドラは少しだけ視線をあらぬ方向に向けてマナを輝かせ、ふたたびカイに視線を戻す。
さすがは木っ端屑の親玉。
カイとエルフと勇者と竜が苦労した枝葉も視線だけで解決だ。
『話を戻すかの……数柱の神が他の神々をあおり、巻き込んでこの世界を貪りはじめた。神は侵食する世界を狙い撃ちできる故瞬く間に世界は侵食され、余の立つこの地に数億もの異界が顕現したのじゃ』
「数億……!」
『人であれ神であれ旨い汁を吸おうと思う輩はどこにでもおる。皆がこぞって一つの世界を侵食すればそれだけ楽にマナを奪えるからのぅ……世界は闇に染まり、億兆の怪物が世界を食らう。まさしく世界の危機であったわ』
「そんな事が……」
カイが呆然と呟く。
一つでもアレク達勇者が苦労するあれが一度に数億も顕現し、協力してマナを奪う異常事態。
そんな相手の討伐など、たとえバルナゥでも不可能だ。
『ベルティアは急ぎ強力な生物、竜を作り出したが初期の竜で潰せるのは小粒の異界のみで並の異界には歯も立たぬ。ベルティアは竜を強力な存在に作り変えていったが対抗できるまでにどれだけ世界が食われるのか見当も付かなかった……食らう神々も増える一方であった……』
この世界の神は世界を守ろうと努力したがうまくいかなかったらしい。
まさに多勢に無勢。この世界にタカる神々が多すぎたのだ。
『故に、余が顕現した』
しかし、そんな状態でも世界を守る手はあるらしい。
カイ達が唖然とする中、イグドラは話を続けた。
『神の顕現とは神の格を一気に失う神の自滅。世界という器に入りきらぬ力があふれて世界の力となる。余はあふれた力で異界の顕現を潰し、首謀者共のダンジョンを余のダンジョンで貫き逆侵食してやった。奴らも神の顕現までやらかすとは思ってはいなかったのじゃろう、突き抜けた場所を抜き返すのは容易であったわ』
イグドラはカカカと笑うとため息を付き、カイをじっと見つめて聞いてきた。





