幕間6-2 この戦いが終わったら…(2)
「おおーいっ、まとめてきたぞーっ」
「ちょっと大物がいるから気を付けろー」
カイツースリーの声に皆は作業を中断して顔を上げる。
皆が見つめる砂の山、カイツースリーがサンドワームの群れを引き連れてこちらへと駆けていた。
「肉は腹に残っているか?」
「まだまだマシマシえうよ。行くえう」
片付けを終えたベルガとミリーナが歩き出す。
カイツースリーはカイスリーの分割体が煮込むご飯の火が無の息吹で消えない場所を戦場に決め、逃げるのをやめてサンドワームを迎え撃った。
それを見るミリーナとベルガの瞳がマナに輝く。
魔法の発動前兆だ。
「カイ、今度は何をお願いするえう?」
「今は欲しいものは無い。魔石にしてマナを貯めておこう」
「わかったえう」
「回復と強化はお任せください。師匠の教えの通り無駄なマナは極力抑えて……ふんぬっ」
強化魔法を受けたベルガとミリーナが風魔法で飛んでいく。
カイツースリーは戦利品だからマナに願えない。
二人が怪物を引き連れてきたのは討伐でマナが無意味に拡散するのを防ぐためだ。
攻勢に転じたカイツースリーがサンドワームを切り刻む。
風の魔撃を叩き込みながらミリーナとベルガはマナに願い、討伐した怪物を魔石に変えていく。
魔石はやはり小粒だが、根に群がるオイルバグより上質だ。
マナを砂漠にばら撒いて怪物に再び食われるより、カイに有効利用してもらった方が良い。
ミリーナは手にした魔石を袋に入れ、次の獲物に風の魔撃を叩きこむ。
願いにより生まれる魔石は宝石のように陽光にきらめき、刻まれた美麗なカットが美しい光の迷宮を作り出す。
魔石の輝きに、ミリーナはシスティの指に輝く指輪を思い出した。
どこかのダンジョン討伐の戦利品であるそれはアレクとシスティの愛の証だ。
サンドワームから生まれた魔石はダンジョンで生まれた魔石に比べれば屑のようなもの。
しかしそれでも美しく、ミリーナは自らの指を見つめて呟いた。
「ミリーナも、システィみたいなのが欲しいえう……」
食べるだけで精一杯のエルフに結婚指輪などを作る余裕は無い。
婚姻の儀は皆で門出を祝うだけの簡素な儀式だ。ミリーナとカイが行ったそれは現在のエルフではありえない贅沢なのだ。
世界を渡るマナを前にダメえう、魔石、魔石えう……
と、ミリーナは願うが欲望は止まらない。
マナはミリーナの願いを受けて形を変え、ミリーナの足下に金色の魔石がはめ込まれた銀の指輪がポトリと落ちた。
「え、えうっ……」
「まぁ、今は余裕があるからいいだろう」
ベルガが少し呆れて呟き、ミリーナは手にした指輪をきゅっと握りしめる。
サンドワームはすでにいない。
マナの回収を終えてしまった今となってはルーとメリッサの指輪は作れない。
「も、戻ったえう」
「おかえり」
「む。おつかれミリーナ」「おつかれさまですわ」
「えぅ……」
「「……?」」
皆の元に戻ったミリーナはねぎらう皆に何とも言えない後ろめたさを感じ、指輪を握った手を後ろに隠してぎこちなく笑う。
ルーもメリッサも怪訝な顔をしたが何も聞かずに栽培を続け、皆は煮込み過ぎのご飯を食べて休憩し、涼しくなった頃に根の陰から出発した。
砂漠を淡く照らす満天の星と月の下、砂の海を渡る一行の中でミリーナは無言。
指輪を持つ手を握りしめたまま歩き続ける。
「……」
隣でカイが怪訝な顔をしている事にも気付かずにミリーナは黙々と歩き続け、月が天頂に達した頃に平らで安全な場所に天幕を張り就寝となった。
ぷぎーっ! ぶもーっ!
竜の血を仕込んだ芋を食べてくそまずさにのたうち回るジョセフィーヌとクリスティーナをなだめ落ち着かせた後、周囲の探索にカイツースリーが砂の海を歩いていく。
そんな中、寝ようと思っていたミリーナをカイが呼び止めた。
「ミリーナ、ちょっといいか?」「え、えう?」
いきなり呼ばれたミリーナはビクリと震え、ゆっくりとカイの方に振り向いた。
手にはまだ戦利品の指輪が残ったままだ。
……これの事を責められるえうか?
魔石と言われたのに勝手に指輪を願ってしまった後ろめたさにミリーナは戦々恐々。
カイに怒られるとビクビクしながらついていく。
カイは自分の天幕近まで歩くと砂の上に座り、ミリーナに座るように促した。
「まぁ、座れ」「えぅ……」
カイがペシペシと叩く砂の上にミリーナが座る。
怒られるえう、怒られるえう……えうう!
いつもと違うカイの調子にミリーナは微妙に距離を取る。
怒られるのがとても怖い。
こんな生死に関わる冒険の旅ならなおさらだ。マナの欠乏した砂漠ではちょっとした事で竜の血肉生活に逆戻りなのだ。
まずいご飯は嫌えう、くそまずい竜の血肉は嫌えうぅううう……
ミリーナは心の中で絶叫する。
これまでもそうだったが、カイは妙な事をするとご飯抜きにするのである。
ミリーナがえうえう震えながらカイに視線を送ると、カイはじっとミリーナを見つめていた。
「お前、昼から調子おかしいだろ」
「そ、そんな事はないえうよ?」
えうっ……追求されるえうっ……
ミリーナが混乱する中、カイが顔を寄せてくる。
カイの手がミリーナの額の髪を退け、二人の額がコツンと優しくぶつかった。
「熱とかないよな? 食中毒か? 水飲むか?」
「えうっ……ない、元気、元気えうよっ」
「いや、なんか元気ないだろミリーナ。ご飯か? 竜の血肉はもう嫌か? 今から何か煮込むか? こんな場所だから体調崩したらなかなか治らないぞ」
「カイ……」
何の事は無い。
カイはミリーナを心配しているのだ。
ミリーナが指輪を獲得した後ろめたさを体調を崩したと勘違いしているのだ。
カイの額から伝わる熱は温かく、体を流れるマナはミリーナを意識していることがよく分かる。
怒られる心配はまったくの杞憂だったえう……
ミリーナはしょんぼりと肩を落とす。
それどころかカイを信じてもいなかった。
ちょっとした事ですぐ追求される、怒られると思ってしまうのはミリーナがカイを理解していないから。
カイはもう、ミリーナを家族として受け入れているのだ。
「……ミリーナは悪い妻えう」
「どうした?」
「えう。ルーやメリッサにも顔向けできないえう……」
ミリーナは今まで握っていた手をそっと開いて、カイにそれを見せた。
「指輪?」
「えう……」
手のひらにあるのは戦利品の指輪だ。
月光にきらめく銀の指輪は美しく、中心にはめ込まれた金色の魔石が月光とマナに輝く。
願いに応えたのだろう、ミリーナの髪と瞳の色が指輪に反映されていた。
ミリーナはカイに言う。
「これは?」
「戦利品で願ったえうよ。システィとアレクがうらやましかったえう……」
「あぁ……甲斐性の無い夫ですまない」
「えう? えうっ! カイは素敵な旦那様えう! システィだって戦利品えう」
「倒したのはアレクだ。ダンジョン主の戦利品だから相当強力な魔道具だぞ」
「えうーっ。カイはそれでいいえうよ。今のままがいいえうよ」
頭を下げるカイにミリーナは慌てて首を振る。
アレクと同じ事はカイにはできない。
しかし、ミリーナはそんな事をカイに求めていない。
ミリーナの隣であったかご飯を作ってくれれば、それでいいのだ。
「……こんなご飯しか作れない夫でいいのか?」
「それがいいえう。危険な事なんてして欲しくないえう」
「ミリーナ……」
「エルフはご飯一番えう。ご飯最強えう。あったかご飯なら無敵えう」
「ありがとう」
カイは指輪を手に立ち上がり、ミリーナに手を差し出した。
ミリーナはその手を取って立ち上がり、手の届く距離で見つめ合う。
「ミリーナ、左手出して」
「えう」
ミリーナはカイの言われるままに左手を差し出す。
優しくその手をとったカイはミリーナの薬指にゆっくりはめていく。
指輪のマナが輝き、二人に祝福を授けていく。
ミリーナとカイは世界に祝福され、何かしらの力を獲得したのだ。
「ちょっとだけ体が軽くなった気がする」
「えう、マナの流れに少し変化が出来たえう。風? 風魔法えう?」
「かまどのふいごに使えるな。あと高い木の収穫とか」
「ビバ、ポジティーブえう」
討伐したサンドワームは金級なら数匹同時に相手しても楽に倒せる怪物だ。
そのマナで得られた戦利品の祝福など戦いでは鼻で笑う程度の微々たるもの。
しかし日常で使うなら話は別だ。
カイとミリーナは一心同体えう。
ミリーナは指に輝く指輪を見て微笑む。
指輪はミリーナの力の一部をカイに分ける力が備わっているらしい。ミリーナのカイへの願いと想いが指輪に反映されていた。
「とても嬉しいえう。システィがあれほど喜んでいた理由がよく解ったえう」
「……ミリーナ」「えう?」
カイは顔を赤くしながら、何とも気まずそうに視線を泳がせ言った。
「指輪の儀式には、その……続きがあるんだ」
「えう。するえうよ、妻はどこまでもついて行くえうよ」
「そ、そうか。では……」
カイはミリーナの顔を上向かせ、ゆっくりと顔を近づける。
「えう? んっ……」
二人の唇が絡まる。
カイはミリーナに口付けながら、小さな体を引き寄せる。
ミリーナはカイにされるがまま、カイの導きのままに体を預けて触れ合う唇の熱さに酔いしれた。
初めて行う刺激的な行為がミリーナの心を蕩かせていく。
力の抜けた体がカイの体にすがりつき、カイの体を舐めるように蠢く。
体に伝わるカイの鼓動もミリーナのそれと同じく激しく脈打っている。
絡まる唇の熱が全身を巡り、二人の結合をより深く熱いものへと変えていく……
「んんっ……」
いつしか二人の唇はわずかに開き、舌で互いを求めるものに変わっていた。
カイの鼓動にミリーナの女が震え、ミリーナの鼓動にカイの男が燃えあがる。
やわらかな抱擁は次第に強く激しいものに変わり、二人は相手の熱と鼓動を求めて体を絡めていく。
今、二人はひとつなのだ。
「んはっ……」
唇が離れるとミリーナはカイにくたりと身を預け、熱い吐息を吐き出した。
女の熱に浮かされた体を、ゆっくりカイにこすり付ける。
カイはそんなミリーナをしっかりと支え、長い耳に囁いた。
「誓いの口付けだ」
「誓い……カイと共に歩む誓いえうね」
「そうだ。俺が爺さんになって大往生するまで、共に歩もう」
「五十年ぽっちじゃエルフの女盛りに届かないえう。もっと長生きするえうよ」
「そうだな。この戦いが終わったらお前の呪いを……祝福を俺にくれ」
「いくらでもあげるえう……でも、エヴァンジェリンはいいえうか?」
「へ?」
ミリーナの耳元で、カイが素っ頓狂な声を上げた。
「ランデルに残したエヴァンジェリンが心残りなのは知ってるえう。ミリーナが祝福をあげる前に想いを遂げるえうよ」
「いやまあ、彼女が心残りなのは確かだが……」
「ミリーナはもうカイの妻えう。ずっとカイを待ち続けるえう」
たとえ、何十年でも……待つえうよ。
ミリーナは心の中でカイに言う。
エルフの寿命は千年余り。
カイが老いるまで待ってもミリーナは若いままだ。
が、しかし……
「……ぷっ」
何十年も待つ覚悟で伝えたミリーナの前で、カイは腹を抱えて笑い出す。
月光輝く砂の海を転げまわって笑うカイに唖然としたミリーナは、カイに叫んだ。
「な、なんで笑うえうか? なんで抱腹絶倒えうか! エヴァンジェリンはカイのいい人えう? 心残りえう? ミリーナがどんな気持ちで言ったか解らないえうか!」
「いや、だ、だってエヴァンジェリンは近所の犬だぞ。そりゃ笑うだろ」
「えうっ?」
ミリーナはあんぐりと口を開ける前で、カイは転げまわって笑い続ける。
無意味な勘違いだと気づいたミリーナはやり場の無い怒りに身を任せ、輝く月に向かい叫んだ。
「いーぬーえーうーかーっ!」
そう、犬だ。
ミリーナもびっくりなまさかの犬である。
カイが笑い転げるのも当然だ。
カイの寝言に勝手な想像を膨らませたミリーナ達が勘違いで落ち込んでいただけなのだ。
ちゃんと聞けばこんな恥ずかしい事にはならなかったえう……
カイとの関係に自信が無いだけだったと恥じ、想い人でなくて良かったと安堵する。
そしてミリーナはルーとメリッサにも教えてやろうと天幕に突撃した。
「犬えうよ犬、犬えうーっ!」
「むむむミリーナうるさい駄犬。忠犬なら静かにする」
「私は愛犬ですわ!」
「違うえう! その犬じゃないえう! 犬えうーっ!」
天幕でミリーナが叫ぶかたわら、カイは砂の上で笑い転げていた。
「今えうよ!」
「ルー! 仕留めますわよ!」
「ん。水魔撃どーん」
ギョアーッ……サンドワームが断末魔の叫びを上げる。
「カイの指輪、結婚指輪こいこい」
「カイ様に似合う素敵な結婚指輪をお願いいたします!」
「すごいの出てくるえう!」
マナに還る怪物の前で、三人は一心不乱に願った。
メリッサとルーの左手にはシンプルな指輪が輝いている。
ミリーナの指輪をうらやましがった二人はサンドワームをさっくり討伐。
願いで手にした指輪をカイに左手にはめてもらって誓いの口付けにご満悦だ。
そして今はカイに贈る指輪を三人で願っている。
「これもいまいちえうね」
「む。パワーが足りない」
「カイ様の指輪ですもの。ズバーッと、ズゴーッとすごい指輪が欲しいですわ」
「次。次」
「いいのが出るまで行くえうよーっ」
次の獲物を探して三人が駆け出した。
もうかなりの指輪を手にしているが何かが気に入らないらしい。
自分の指輪はすぐに決めてもカイの指輪はなかなか決まらない。
三人の要求するレベルが高すぎるのだ。
「あぁ、あいつら貴重なマナを。カイ、何とか言ってやれ」
「この戦いが終わったら、エルフの皆に配ろうか」
呆れるベルガにカイはのんびりと笑った。





