6-9 ゴブリンも、すぐさま逃げ出す、その威力
「ゴブリンだ!」
ベルガが身構え叫ぶ。
異界の言葉を理解するのは簡単だ。
声という異界のマナが耳に入って世界のマナに変わる際、聞いた者の意味を求める願いを受けて理解できる言葉に変換される。
カイは初めて聞く異界の言葉にこれがそうなのかと納得し、気食悪い音の感触に眉をひそめる。
耳の中で虫が蠢いているような嫌な音だった。
カイツースリーが剣を手に襲撃に備え、エルフの四人は魔撃に瞳を輝かせる。
しかしゴブリンは姿を見せず、慌てて駆け下りる音が狂乱の声と共に響いた。
『やべぇ! 病気持ちが来やがった!』
「……へ?」
「えう?」「む?」「ええっ?」「……」
カイ達が唖然とする中、ゴブリンの叫びは続く。
『治療費高いぞ逃げろ逃げろ!』『三丁目のハッちゃんが奴等の色香にヤられて治療費と慰謝料で破産した!』『潜伏期間二十年とか感染してもわかんねぇよ!』『ご飯が腐る!』『食で頭を殴られる!』『キノコで干からびる!』『脳がヤられるんだよ!』『どれが本当?』『全部だよ!』『エルフとは関わっちゃいけねえ! 妙な色香に騙されたら終わりだ!』『えんがちょー』『えんがちょーっ!』
バタバタバタ……
階下で叫ぶゴブリン達の声が遠ざかっていく。
どうやら墓所の下層に異界に続く何かしらがあるらしい。
が、今のカイにはそんな事はどうでも良い。
……このやろう。
カイは今、何とも言えない腹立たしさに憮然と立ち尽くしていた。
俺の妻達を病気持ちと称しやがったぞこんちくしょう。
病気じゃねえよ呪いだよ! 世界樹の呪いだよ!
えんがちょって何だよ孕ませ怪物の分際で。
ついでに三丁目ってどこよ?
カイの腹が煮えくり返る。
ゴブリンの言葉で自分の腹を煮込んで煮込んで煮込みまくり、奴らいつか討伐してやるとギロリ階下を睨みつける。
カイツーとカイスリーも当然同じ気持ちである。
剣を強く握り締めて階下を鋭く睨んでいた。
「……あぁ、奴らを見なかったのはこういう理由か」
ぷぎー、ぶもー。
ベルガと二頭は呆れた表情で階下を見つめている。
この墓所に巣食っていたゴブリンはエルフを見て階下に逃げていたのだ。
ミリーナ達が行おうとしていた事はエルフの誰かがすでに行い、ゴブリン達の周知の事実となって彼らの社会問題になっていた。
祝福が呪いに変わって数百万年、一人くらいエルフがヤられていても不思議はない。
さすがは世界樹。すさまじいまでの威力だった。
「えうぅ……」「ぬぐぅ……」「ふ、ふんぬぅ……」
「……泣くな」
ミリーナ、ルー、メリッサは涙目。
カイはそんな三人をもう一度抱きしめる。
ゴブリン相手でも傷つくものは傷つくのだ。
三人はカイの服で涙と鼻水をぬぐった後、マナに輝く瞳で階下を睨みつけた。
「いつか、いつか討伐してやるえう!」
「こんなナイスバデーに失礼な。本当に失礼な」
「カイ様、孕ませ怪物ごときに袖にされる私ですがなにとぞおそばに、おそばに置いてくださいませお願いいたしますうううっ……ぺまー、ぺまー」
「食べて」「ぷー」
ミリーナは息まき、ルーは憮然としなを作って肉体美を強調する。
メリッサはビバ、ポジティーブ! をかなぐり捨ててカイに懇願する始末である。
いつかアレクを差し向けてやる……
自分では出来ない事をさらっとアレクにぶん投げて、カイは階段を上がり始めた。
頼むぞアレク。でも奴隷は勘弁な。
心の中で念じながらカイは螺旋をぐるぐると回り続けて数十回転、ようやく地上へとたどり着いた。
ゴブリンの所業は未だカイ達の気分を胸糞悪くさせている。
誰もが憮然と歩く中、カイは足を止めて装飾の施された巨大なガラス窓を見た。
潜っている間に天気が変わったらしい。砂埃は晴れて青い空が見えていた。
カイは崇拝していた世代の文言を思い出し、窓から外を睨む。
その視線の先、黄色く波打つ砂の海の向こうに山よりも大きな樹木がある。
カイの知る世界の常識とかけ離れたあまりに大きな存在に、カイは呟く。
「あれが、世界樹」
「エルフの呪いの源か」
山よりも大きなそれが今、数百万年の時を経て再び種を地に落とそうとしている。
カイ達はそれを止め、あれを天に還さなければならない。
そうしなければベルティアの物語は終わらない。
そしてエルフの呪いも終わらない。カイ達の物語も始まらないのだ。
カイは天にそびえる世界樹を睨み、妻達の体を抱き寄せる。
「何とかするぞ」
「えう」「ん」「はい」
ミリーナ、ルー、メリッサはカイに体を預け、それを睨んで頷いた。
あれはカイ達の物語のはじまりであり、ベルティアの物語の終わりである。
そしてカイ達に立ちふさがる最後の障害だ。
カイ達はもう一度その姿を目に焼き付けて、神殿を後にする。
ここが踏ん張りどころ。
青銅級冒険者カイ・ウェルスの人生一番の大勝負が今、ここに始まったのだ。





