5-18 ベルティアの紡ぐ物語
『そう、これはベルティアの物語。生きとし生ける動けし者全ての源となる者、ベルティアの夢であり望みなのだ』
「……意味が、わからない」
うめくカイに、バルナゥは言葉を変えて繰り返した。
『我らの存在の全てはベルティアが導いたものであり、我らはベルティアの生み出した夢物語のようなもの、意のままに動かせる駒に過ぎない。汝らの出会いも、別れも、愛も全てはベルティアの夢想なのだ』
「なんだ、それは」
『わからぬか?』
「いや、解る。解るけど……なんだそれは!」
『グゥアウウウウウオォオオ!』
内臓深くに入り込んだ枝が切開切除され、バルナゥの臓腑が切り刻まれる。
どれだけ回復をかけても激痛はバルナゥを苦しめ、枝と共に切り刻まれた血肉と骨が命を容赦無く削っていく。
それでも絶命しないのは聖女の名を冠するまでに熟達したソフィアの回復があればこそだ。
目まぐるしく杖の持ち方を変え繰り出される複雑な回復魔法は迅速かつ適切。何十もの切開部の中で緊急を要する順を的確に判断し、その順位に従い回復を施していく。
コンマ五秒単位の超短時間回復魔法をかけ続けるソフィアは間違い無くこの戦いの要だった。
『我のこのザマもベルティアの夢よ』
ガゥフゥーッ……
ソフィアの回復で死を乗り越えたバルナゥが長く息を吐き、言葉を続けた。
『我を友に貪らせる為に汝らを操ったのだ。唯一の友たるクソ大木の為に』
「クソ大木……世界樹か?」
『そうだ。奴にマナを食わせるために我らは贄にされたのだ。汝らにクソ大木の手先を持たせ、我に会わざるを得ない状況を作り出した。人の罪をなすり付けられたのだろう?」
「……あぁ。聖樹教にな」
聖樹教に贄の首輪をはめられなければ、カイがここに来る事は無かった。
バルナゥを討伐するにしてもアレク達勇者が急いでここに来る必要は無かった。
バルナゥが苦しげに続けた。
『あれはそれを為せる存在よ。なすり付けた本人すら分からぬ様にそれを為す。自らは表に出る事なく我らを操る陰湿者、それがベルティア。奴はお前に白羽の矢を立てたのだ。クソ大木を救う使徒として』
「待て。それならなぜこんな話ができる? ベルティアがそれを俺に聞かせる意義は何だ?」
『隠す意義が無いだけだ。カイ、汝がそれを知ろうと知るまいとベルティアの夢から逃れる事はできぬ。しょせん、我らはベルティアの手の上で踊る駒に過ぎぬのだ』
知った所で関係ない……
バルナゥの言葉を聞いてカイはよろめき、頭を抱えた。
それでは何をしようが全てベルティアの思うがままじゃないか。
何をしても、しなくてもベルティアの思い一つで決まり結果は何も変わらない。
俺がやらなくとも誰かがそれをやるだろう……
いや、やらざるを得ない状況に追い込まれていくのか?
なぜこんな下級冒険者ごときに……
あぁ、アレクらを動かしたのも俺になるのか……
カイは周囲を呆然と眺める。
ミリーナはカイを守り、アレクとマオはバルナゥに刃を振るって世界樹の枝を切り出している。
カイツースリーはバルナゥの血と肉にまみれながら枝を引きずり出し、システィの風魔法がそれを捕らえてバルナゥが滅していく。
ソフィアとメリッサ、そしてルーは回復にてんてこまいだ。
そしてそれらを守るエルフの皆……
全員一丸となって戦っているはずなのに、今のカイの目にはそれが滑稽な芝居に見えてならない。
頭にこびりつくバルナゥの言葉が、皆の行為を認めてくれないのだ。
こいつらとの出会いも、今のこいつらとの関係も、あの夜の気持ちも、触れ合いも……
全部、ベルティアの夢か?
カイの考えが奈落へと落ちていく。
疑念と不信がわきあがり、苦い嫌悪が心に広がっていく。
感じていた温かなもの全てが気色悪く、おどろおどろしい物へと変わっていく。
それは足掻いても抜け出せない底無し沼のようなものだ。
自分と周囲に対する信用がベルティアにより揺るがされた今、信じられる事は何もない。
……気持ち、わるい。
震えるほどの恐ろしさ、寒気がするほどのおぞましさ。
こんな気持ちわるさなど、いっそ捨ててしまえ……
と、あふれる嫌悪を持て余したカイが投げやりになった頃……
ミリーナが叫んだ。
「ところでご飯はまだですか!」
なんだよ。
「ところでご飯はまだですか! カイ! ご飯はまだですか!」
「……まだだよ」
「えう! 今すぐ作るえう! カイはご飯だけ作っていればいいえう!」
「お前な……」
何を言っているんだこいつは。
こんな話もまるっとスルーかお前は。
今はご飯の話をしている時ではないだろう……
と、言おうとするカイの言葉をミリーナの叫びが止める。
「カイはベルティアの物語に選ばれたえう!」
「は?」
ミリーナが叫ぶ。
「考え方を変えるえう! あったかご飯でミリーナを釣ろうと思ったようにえう! 駄犬をしつけるつもりでミリーナ達に接したようにえう!」
「……知ってたのかよ」「エルフの耳は伊達じゃないえうよ!」
こいつら、それでよく付き合ってくれたな。
バルナゥに対し構えたまま叫ぶミリーナを見てカイは思う。
ミリーナが気付いているという事はルーやメリッサ、そしてエルフの皆も気付いているという事だ。
それでも皆あのように接してくれた事に感謝すると共に、何とも言えない気持ち悪さがカイの胸にわだかまる。
しかしミリーナはカイの思いにかまわず叫び続ける。
「カイはベルティアの紡ぐ物語の主役を釣り上げたえう。あったかご飯でミリーナを釣り、ルーを釣り、メリッサを釣り、ホルツと里の皆を釣り、アレクを釣り、アレクでシスティが釣られてソフィアとマオが釣られたえう。皆カイに釣られたえうよ。爆釣無敵えう! きっとベルティアもカイに釣られたに違いないえう!」
「俺が、ベルティアを?」
「えう! あったかご飯で釣られたに違いないえう!」
「……あのご飯でそれはないわー」
「……」
やかましいわ!
呟くシスティに視線で叫び、カイはミリーナの言葉に耳を傾ける。
ミリーナはどこにその確信があるのか、力強く叫び続けた。
「悩んだところで何も変わらないえう。気持ちよく踊ればいいえう。そして踊らせればいいえう! ベルティアにそんな事出来たらもっと世界は簡単で安直になっているえう! もっと早くに色々解決してるえう! こんな面倒臭い世界になる訳ないえう! こんな世界の全てを考えていたら神でも気が狂うえうよ!」
「ミリーナ……」
「この想いは、この苦しさはミリーナだけの物えう!」
ミリーナが力の限り叫ぶ。
「カイは諦めたらダメえう! いつものように足掻いて、足掻いて足掻いて足掻いて夢だろうが何だろうがあったかご飯のように煮込んで食べてくれないと嫌えうょ……えう、えぅっ……」
ミリーナの叫びは尻すぼみになり、最期は涙声になって消えていく。
叫んだミリーナも自信や確信がある訳ではないのだ。
ミリーナはカイを支える覚悟を叫ぶと共に、自らの支えをカイに求めているのだ。
エルフを導くあったかご飯の人に。
「カイ」「カイ!」「カイ様!」「カイさん!」「カイ殿!」
皆が口々にカイの名を呼び励ましてくる。
ミリーナ、ありがとう……
カイは長く、とても長く息を吐いて自らの弱気を追い出した。
地をしっかり踏みしめる。
皆の為に、何よりミリーナの為にここは弱音を吐いてはならない。
必死に支えるミリーナの夫として、今は妻を支える時だ。
「……あぁ、俺はいい妻を貰ったな」
「当たり前えう! カイのつ、妻は伊達じゃないえうよ!」
「そこはすんなり言おうぜ」「は、恥ずかしいえうよ」「ぷっ」「ぇう」
不安や嫌悪が消えた訳ではない。
しかし思いの全てがそれに繋がるような破滅思考はカイの中から消えている。
頭は軽く、いつものようにカイの心に従い動いてくれた。
カイはいつものように考える。
生きとし生ける動けし者全ての源、竜皇ベルティア。
この世界の創世記にも存在を支配する絶対的な王と記されている通り、バルナゥの言う事は事実なのだろう。
しかしミリーナの言う事もあながち的外れでは無い。
全てが思うがままであれば、こんな面倒臭い世界にはならない。
カイもその点は同感だ。
もっと簡単で単純な世界になるはずである。
理由は簡単。楽だからだ。
つまりバルナゥの言葉は正しくもあり、間違ってもいる。
おそらくベルティアに目をつけられた何者かが周囲を巻きこみ操られ、何かを為すために動かされるのだろう……
その思考が後で考えても納得できるものであれば操られたと思うのはやめよう。
導かれたと思う事にしよう。
悪い事より良い事を考えるのがエルトラネ。ビバ、ポジティーブ! だ。
今はエルトラネの考え方に従おう。後悔は後で良い。
カイは俯いていた顔を上げ、バルナゥに聞いた。
「バルナゥ、ベルティアは俺に何をさせようとしているんだ?」
『我のザマを見れば知れた事。クソ大木の天への帰還よ』
「天に?」
『神は我らには見えぬほど大きなもの。見てもわからぬよ』
カイが天を仰ぎ見る。
バルナゥは苦しげに笑い、続けた。
『世界樹イグドラシルはベルティアと対となる生きとし生ける動けぬ者の源。元は神の世界の存在であり、我を食うこれは世界に堕ち肉を得た姿よ……ベルティアはそれを再び天に戻そうとしているのだ。肉の呪いが全てを食らうその前にな』
バルナゥが苦しげに唸る。
しかし言葉を止める事は無い。バルナゥは血を吐きながら続けた。
『あのクソ大木はエルフを食らい人を食らい人を利用し竜を食らい、やがては全てを食らう暴食。そう、奴こそが全てを食らう暴食なのだ』
「肉の呪いで世界が食べられてしまうと?」
『そうだ!』
神というのは、そこまでの存在なのか……
バルナゥが言った通り神が見えぬほど大きなものならば、世界くらい食うかもしれない。少なくとも星くらいは食うだろう。
世界でも星でも、食われればカイも人間もエルフも終わりだ。
『かつてのエルフは間違えた。奴は恨みに力を注ぎ、エルフは呪われ地が死んだ。神の世界のベルティアは肉の呪いを甘く見てしくじったのだ』
「間違えた? エルフが世界樹の実を食べた事か?」
ガゥフゥーッ……バルナゥは大きく息を吐き、カイの問いに答えず叫んだ。
『次は無い! 次こそ奴は全てを食らう。世界に巨大な穴が開き、異界が全てを呑みこむだろう。カイ、汝はあのクソ大木を天に還さねばならぬ。グルゥアアアアアアッ!』
満身創痍のバルナゥの瞳が輝き、世界を白く染め上げる。
それは魔法の発動前兆。
人間やエルフのそれなど比較にならないあまりに強い輝きに皆が瞳を手で覆い、すさまじいマナの奔流に悲鳴を上げる。
「魔法を使う気?」
「やめて下さい! 回復がマナでかき消されてしまいます!」
バルナゥは制止も聞かず、首を持ち上げカイを睨む。
動かした巨躯から血と肉がこぼれ落ちて地を流れる。
それでも構わずバルナゥは起き上がり、魔法を発動しはじめた。
『奴は再び実をつけた。今やらねば全てが食われて世界は異界と化すだろう。汝が間違えれば終わりだ。かつてのエルフを悔恨を礎として、正しき道を捜すのだ』
バルナゥの睨む先の空間が軋み、歪み、違和感のある風景が溢れてくる。
竜峰ヴィラージュでもランデル近くの森でもない、砂しか見えない世界だ。
砂漠? これは世界のどこかか?
カイは初めて見る風景に何かで聞いた砂の海の話を思い出す。
見渡す限り砂しか無いと聞いたそのままの風景が目の前に現れていた。
『かつてのエルフの都に汝を飛ばす』
「エルフの都? アトランチスか!」
話を聞いていたベルガが叫ぶ。
異界に討たれた長老から口伝で受け継いだエルフの古都の話に反応したのだ。
バルナゥは魔法を操りながらベルガに頷いた。
『いかにも。かつてのエルフの都アトランチス。人がまだ獣であった頃の、エルフが世界樹と共に歩んでいた頃の都アトランチス』
バルナゥは再びカイに語る。
『カイよ、今から汝をそこに飛ばす。汝はそこでエルフの言葉を捜すのだ。すでに失われたアトランチスが、語り継がれなかった歴史を悔恨と共に語るだろう。ガァアルゥアァァ!』
バルナゥが魔法を完成させ、空間が繋がった。
乾いた熱い風と砂が流れ込み、カイの頬を叩く。
目の前の世界は竜峰ヴィラージュではない。
世界の何処にあるかもわからない砂漠の地、かつてのエルフの都アトランチスのある地だ。
カイは荷物を確認し、歩き出した。
「行くえう?」
「ああ。カイツースリーは護衛と食料を頼む。それとカイスリーは分割して五つ残ってくれ。それぞれの里とバルナゥと勇者らとの連絡を頼む」
「つ、妻は当然行くえうよ」「私も行く」
「カイ様行く所メリッサありでござい「「長い」」あうっ・・・」
ミリーナ、ルー、メリッサも当たり前のように歩き出す。
「アトランチスなら私も行こう」
「ベルガ?」
ホルツの長老、ベルガも歩き出す。
「ホルツの先代からアトランチスの口伝を受け継いだ。朽ちた都市で何も解らぬよりは良いからな……その為に私はここにいるのだろう?」
「……頼む」
「気にするな。死ぬまでに一度は行って見たいと思っていた場所だ」
ベルガは里の者に長老代行者を指名してカイの後に続く。
カイ、カイツースリー、ミリーナ、ルー、メリッサ、そしてベルガ……七人が門に向かって歩き出す。
他の者はその場に留まり、空を渡るカイ達を見送る。
「カイ!」
「なんだ?」
宝剣を手にバルナゥの血にまみれたアレクが、カイを呼び止めた。
あの話の続きだろうな……
カイは立ち止まり、アレクに振り向く。
「僕はここでバルナゥを救う戦いに勝たなければならない。勝利を手にした時に駆けつけるよ」
「そうか、早く来いよ」
「うん。それとカイ……」
アレクはじっとカイを見つめ、あの時の沈黙の言葉を口に出す。
「カイ、何かを成したその時は、君の手柄を僕にくれ!」
「おう、もってけもってけ。その代わり奴隷は勘弁な」
「えーっ、それは聞けないなぁ」
カイは軽く答え、アレクは交換条件に笑いながら難色を示す。
再びカイは歩き出す。
アレクはバルナゥに向き直り、肉を再び切り刻む。
道を定めた二人はもう互いを呼ばず、振り向かずに己の道を進む。
再会を信じて、互いの勝利を信じて。
そして、ベルティアの紡ぐ物語の大団円を信じて。
「カイらしいえう」
「そうだろ。しかし、あんなに情けない台詞でもえらく格好良く言えるもんだな」
「む」「それもカイ様の人柄のなせる業ですわ」
「行くぞ。離れぬように手をつなげ」
ランデルでよく聞いた竜峰ヴィラージュの爆ぜる音と共に、カイ達は空を渡る。
雪を頂く山頂に薄く広がる雲の環が消えた頃には、カイ達の姿はヴィラージュから消えていた。





