1-5 肉、それは禁断の味
「なあエヴァンジェリン。俺は間違っていたのだろうか」
池の出来事から五日後。
カイは心の友にここ数日でよどんだ心の内を吐き出していた。
「ラナー草な、薬師ギルドで聞いてみたら一株で聖銀貨二枚は下らないんだってさ。貴族がオークションで買うような代物なんだそうだ……最低でも白金貨二百枚、エメリ草の百倍だって。俺、聖銀貨なんて生まれてこのかた一度しか見た事ないよ。お前は見た事あるかなエヴァンジェリン。あぁ勿体無い……」
わふんっ。
飯を食べ終えたエヴァンジェリンがなでろと腹を見せてきた。
カイはもふもふを堪能する。彼女はわきの下を撫でられるのが好きみたいだった。
聖銀貨は聖銀、つまり超稀少金属であるミスリルの粒に魔力刻印を施して銀に埋め込んだ王国の最高貨幣だ。
額面は一千万エン。
白金貨百枚に相当し、マナを注ぎ込むと魔力による刻印が鮮やかに輝く。
一枚でカイの生活費およそ七年分。
平民の日常では決して使わないこの通貨をカイはまだ一度しか見た事が無い。家や奴隷でも買わない限り縁のない貨幣だった。
心の友をもふもふ撫でながらカイは思う。
エルフも苦労しているんだな、と。
数億年に一度しか実らない世界樹の実を全て食べた事でエルフは呪われたとミリーナは語っていた。
まあ、自業自得と言えなくもない。
親の行為が子孫にまで尾を引くのはこの世界では珍しい事ではない。
良い意味でも悪い意味でもだ。
貴族の子供はやはり貴族、奴隷の子供はやはり奴隷となる。
前者は親の成果を受け継ぎ、後者は親の失敗を背負う事になる。
しかしそれらは逃げようと思えば逃げる事が出来る。貴族の子供が地位を捨てる事は可能だし、奴隷だって自らを買えば……口減らしを兼ねて冒険者をやらされるのだが……少なくとも平民にはなれる。
前者はとにかく後者はカイも何人か知っている。
皆、ひたすら足掻いていたものだ。ほとんどは夢半ばで死んでいったが。
しかしエルフは呪いから逃げられない。
種そのものが呪われているからだ。
どれほど前に世界樹の実が食べ尽くされたのかは知らないが数億年に一度の恨みは相当だろう。
少なくとも世界樹がもう一度実をつけるまでは呪われるに違いない。
それまで世界樹はエルフを呪い、力を吸い、いびり続ける。
エルフの寿命は千年を超える。
その間ずっと呪われいびられるのだ。
実を食べた当事者ならとにかく子や孫がそれを受けるのは耐え難いだろう。
何の利もなく損だけを押し付けられるのだから。
「たまにはちゃんとした肉でも食べさせてやろうか。猪か鹿でも狩ってさ」
カイは『待て』すら出来ない駄犬の事を考え、心の友に語りかけた。
が、しかし……
「嫌えう! 絶対反対えう!」
「えーっ」
心の友と語った次の日、待ち合わせの場所で狩りを提案したカイにミリーナは猛烈に反対してきたのだ。
「冗談ではないえう! 猪や鹿を食べるなんて我慢できないえう! ところでご飯はまだですか?」
「まだだよ……というか今まさに飯の話をしてるだろうが」
「あんな食べられない獣のどこがご飯の話えう? 猪も鹿も捨てる所しか無い、狩って森に食べさせるしか無い害悪えう!」
ミリーナはどうやら獣を食べ物とは認識していないらしい。
カイは首をかしげた。
「今までの飯もそいつらの肉が入ってたはずなんだがなぁ」
「えうっ?」
ミリーナが素っ頓狂な声を上げる。
「は、入ってたえう?」
「入ってたよ。余り物のくず肉だけどな。というか捨てる所しか無いって何だよ。毛皮とか使えるだろ」
「何に使うえう?」
「なめして防寒具に使える」
「暑さ寒さなんて世界樹の守りで防げるえう」
ひどい呪いかと思えば結構快適じゃないかよ。ご飯以外は。
「くそぅ、じゃあ肉、肉はどうだ? 干し肉とか作れるだろ」
「えう……」
カイは攻め口を変えて肉の方を聞いてみるとミリーナは人生投げ捨てたような暗い笑みを浮かべた。
「食べた事はあるえうが……」
「あるんだ」
「ひどい事になるえう……三日三晩下痢と嘔吐を繰り返したえう……」
「食中毒だな」
「三日三晩胃が食べられているみたいにキリキリ痛んだえう……」
「寄生虫だな」
「干してもすぐに腐って、食べるとやっぱり同じ事になるえう」
「呪いつええな」
ひどい食卓事情にカイは思わず涙した。
何よりも火を使えないのが痛いところだ。
食中毒と寄生虫は熱を通す事でそこそこ防ぐ事ができる。熱で処理するのは食の衛生上非常に重要な事なのだ。
しかしエルフにこの選択肢は無い。
そして新鮮な内に食べるという選択肢もエルフには無い。
エルフの近くにあるだけで食材の痛む速度は跳ね上がる。
頭に当てた携帯食料ですら数倍の速度で劣化するすさまじい呪いの力は生肉ならより強く発揮されるだろう。
血抜きや解体をしている間にダメになってしまうに違いない。
不憫。あまりにも不憫。
心で涙のカイである。
「よし。今日はご飯を食ったら狩りをしよう」
「えう?」
「お前に肉の味を教えてやる」
しこたま煮込んだ奴だけどな。
と、カイは心の中で付け加えた。
それがカイの安全持論だ。
味わいたいならランデルの店で料理人に注文すれば良い事である。
が、それを出来無いミリーナにその味を教えるのは酷というものだ。
と、カイは自らの適当料理を正当化してご飯を作り始めた。
今日のミリーナは言いつけを守り、一袋銀貨一枚の薬草をちゃんと採集して来た。
胸を張るミリーナに聖銀貨二枚以上のラナー草を思い出し、ああ勿体無い事をしたと思わずにはいられないカイである。
必要無いと捨てておきながら勿体無いと思ってしまうカイ。
まさに小心者であった。
「よし。いくぞ」
「えう」
ご飯を終えて後始末をした二人はかまど近くに荷物を置き、獣を探しはじめた。
ミリーナは森の中を軽やかに縫うように歩いている。
カイはそれに付いて行くだけでやっとだ。
周囲を見渡す余裕も無く、獲物を見つける暇も無い。
しかし森の住人であるミリーナには何か感じる事があるらしく、立ち止まって獲物を探す事もせずに歩いていた。
「なあミリーナ、どこに……」
「えうっ」
ミリーナが立ち止まり、木陰に隠れる。
数歩遅れて歩いていたカイが追いつきミリーナの指差す方向を見ると、鹿が木の皮を食べているのが見えた。
迷い無く歩いていたのはこれが分かっていたからかとカイはエルフの能力の高さに舌を巻く。
魔法に熟達するとマナを見る事が出来るらしいがそれだろう。エルフは皆強力な魔法使いなのだ。
「一応聞くが、毒矢か?」
「矢に毒なんて必要ないえう。狩るえうよ」
手にした弓で狙い、射る。
矢は明後日の方向に勢い良く飛んで行く。
エルフは弓の名手じゃないのかよこのポンコツめとカイが思った直後、矢が方向をグキリと曲げて鹿に突撃した。
キャウッ……
鹿が絶命に鳴き、首が吹き飛ぶ。
なにあの威力、そしてあの矢の動きは一体……?
唖然としたカイがミリーナを見つめると、疲れた笑みを浮かべたミリーナが解説してくれた。
「世界樹は、植物を食べる動物が大嫌いえう」
「あー、これも呪いなのね」
一撃必殺なら確かに毒は必要ない。
まあとにかく狩りは成功した。
あとは簡単に血抜きして解体すれば……
と、カイが鹿を見ると仕留めた矢から樹木が異常生長して肉を蹂躙していた。
「えーっ……」
あまりの展開に驚くカイである。
この世界は命の循環で成り立っている。
地の養分を吸い上げて育った植物を動物が食べて育ち、動物の糞や遺体が地の養分となり植物の糧となる。
それが世の理だ。
どちらか片方が得続けるならまず植物が食べ尽くされて滅び、次いで動物が飢えて滅びるだろう。
太陽や月や星が空をめぐり、季節がめぐるように命もめぐる事で世界は安定しているのだ。
理屈としてはカイもそれは理解している。
しかし命の循環は数秒で起きるものでは決してない。想像以上のすさまじさだ。
ミリーナがカイに聞いてきた。
「あれが食べられるえう?」
「いや、俺が狩ればあんな事にはならん。普通に倒れて終わりなんだが……エルフの狩りはいつもこうなのか?」
「えう」
「あれは食べられん」
あんな気味の悪い獲物に手をつけたくない。
さらば鹿。
カイは早々に放棄を宣言した。
ミリーナが再び歩き出す。二十分ほど森を歩いて次の獲物に近付いた。
今度は猪だ。
土を掘って食べ物を物色している猪を、五十メートルほど離れた位置から隠れて探る。
「いたえう。今度は猪えう」
「よし。今度はあれを魔法で狩ってみよう」
「魔法でも同じ事が起こるえう」
「使い勝手悪いな」
カイは考える。
カイが狩っても良いのだが『取ってこい』で狩りができるとカイ的には非常に楽で良い。
エメリ草とかラナー草とか珍しくて高価ものは不要だが普通で適度に高価な物は欲しいところだ。
猪や鹿は町でも普通に消費され、それなりに高い。
カイの人生設計にぴったりの獲物だった。
「風の魔法で石を飛ばしてぶち当てる、てのはどうだ?」
「まどろっこしいえう……」
カイの提案にミリーナは近くのこぶし大の石を拾い、手の平に乗せた。
ミリーナのマナが踊り、瞳が赤く輝く。
魔法の発動前兆だ。
「風よ飛べ、全ての物を巻きこんで、速く、速く、とても速く……飛べ!」
バンッ……
何かが炸裂する音と共にこぶし大の石が飛翔する。
魔法で飛ばした石は狙い違わず猪の頭部に命中し、首から上を吹き飛ばした。
命を失った猪がゴロリと転がる……
しかし、やはり生えてきた。
「あー、風魔法が当たってる事になるのかこれ」
「面倒臭い事をしたのにやっぱり駄目だったえう。カイが狩った方が確実えう」
「ご飯を作ってる間に狩ってもらうのが理想だったんだがなぁ」
「えう! がんばるえう! ワンクッションが駄目ならツークッションえう!」
「お、おう」
ご飯で釣られたミリーナがカイを引き連れ獲物に向かう。
「石を地面にぶち当てて、炸裂した地面を直撃させるえう!」
「駄目だな」
「飛ばした石で木をぶっ倒し、幹を岩に当てて転がして獲物を潰すえう」
「駄目だな……つーか十五回目でやっと成功というのも問題なんだが」
「斜面の上から石を転がし岩に当てて岩を転がし、木にぶつけて木をバックスイング、反動のインパクトが石をナイスショットで獲物にぶちかますえう。風はアゲンスト、湾曲コースの弾道は強めのスライスで攻めろえう!」
「もう訳わかんねえよ!」
駄犬の暴走に巻き込まれながらカイは叫ぶ。
ダメだこの駄犬。
こいつに任せていたらいつまで経っても堂々巡りだ。
駄犬に担がれ森を駆け回る中でカイは必死に考える。
猪も鹿も植物を生やしたのは頭を吹き飛ばされた後、絶命した後だ。
絶命するまでは植物は生えてこない……つまり、絶命させなければ良い?
カイは考え結論を出した。
魔法で罠に追い込んで自由を奪い、カイが仕留める。
どのみちエルフが近付けば肉は痛むからカイが処理しなければならない。
ならばその時まで生きていても問題は無い。簡単に仕留められるようになっていれば良いのだ。
「なあ、魔法で獲物を生きたまま運ぶ事はできるか?」
「猪や鹿程度なら風で浮かせてしまえば楽勝えう」
かくして、カイのプランは実行に移された。
まずミリーナの魔法で穴を掘る。
獣が這い上がれないほどに急で深い穴だ。
次にミリーナが獲物を風魔法で拘束し、その穴に落とす。
そしてミリーナが風魔法で穴から取り出し、カイがとどめを刺す。
仕留めるまでがミリーナの仕事、仕留めてからがカイの仕事。
深い穴は薬草の袋と同じ。
これなら『取ってこい』と同じだ。
カイはミリーナが取ってくるまでご飯と作業を行い、ミリーナはあったかご飯の確保に勤しむ事ができる。自分が食べるから妙なものを取ってくる事も無い。
まさしくウィンウィンの狩猟関係がここに出来上がったのである。
カイは血抜きをして解体した猪の肉を豪快にスライスして携帯食料を煮込んだ鍋に入れ、色が白く変わってもさらに煮込む。
新鮮だがエルフの呪いを考慮して煮込み時間はさらに長めだ。
それを椀によそい、ミリーナの頭に当てる。
始めは恐る恐る食べはじめたミリーナだったが、肉の歯ごたえと溢れ出す肉汁に目を見開き、涙を流してがっつきを開始した。
「えうっ! うま、うまいえうっ……こんなに美味しいものだったとは知らなかったえう……森の幸に感謝えう」
「そうだろ。俺も肉なんて売ってばかりだから、ここまで贅沢するのは久しぶりだよ」
「えうっえううっ」
「さあ、まだまだあるぞもっと食え。明日は焼いて食わせてやる。これもうまいぞ」
「えうーっ、カイに、カイに会えてミリーナは幸せえう。一生ついていくえうっ」
「いやぁ来ないでほしいなぁ」「そんな事言わないでくださいよえうう」「いや、俺が人から討伐されそうだし」「それは良い事を聞きましたぐへへ」「あ、お前今良からぬ事を考えただろ」「エルフはあったかご飯のためなら悪魔にだって魂を売るえうよ」「このやろう」「えうっ」……
肉をしこたま食い、会話も弾む。
カイの安全安心適度に贅沢狩猟プランはここに完成したのである……
と、思っていたがそんな訳なかった。
次の日、カイが飯の煮込みをしているとミリーナが興奮した様子でやってくる。
「捕まえたえう! 穴がぎゅうぎゅう詰めになるほど捕まえたえう肉えう肉肉えう!」
「……何頭捕らえたの?」
「鹿四、猪三、熊二、馬四、亀三、竜牛一えう」
「もどせ」
「えう! せっかく捕らえたえう! ご飯えうご飯えうよ肉えうーっ!」
「そんな数を処理できるか! 一頭だけにしとけ!」
ああ、やっぱエルフだわ。
世界樹の実を食い尽くしただけの事あるわ。加減を知らないわこいつら……
「というか竜牛って何だ? 鱗を持った牛なんて見たことも聞いたこともないぞ?」
「大竜バルナゥがたまに食べているえうよ。美味らしいえう」
「竜の味覚だからなぁ……人には毒かもしれない」
「もし毒でもマナを見ればわかるえう。カイに損はさせないえう毒見はミリーナにまかせるえうよ肉えう肉肉えうーっ!」
まあ、ミリーナはカイを失うような事は決してするまい。
と、カイは見た事も聞いた事も無い竜牛という鱗を持った牛を食べ、二人で美味さに涙する。
「うまいえう!」
「……うまい!」
「超うまいえう!」
カイは特に美味かった部位で干し肉を作って町に戻り、ギルドで竜牛の話を聞いたところサーロインという部位が一キロ聖銀貨一枚くらいすると言われてしまった。
とても美味であるが王国では生息が確認されていないらしい。
この干し肉はエヴァンジェリンとこっそり食べよう……
カイは心に決めた。