5-11 二人の初夜
「ありがとう。ミリーナ」「……」
日が沈み、エルネの里に夜が訪れる頃。
カイとミリーナは一つ天幕の下、互いの姿を見つめていた。
魔光石が淡く二人を照らす。
宴は今も続き、静かな天幕の中に外の喧騒が流れてくる。
「ありがとう! みんなありがとう!」
「さあ、どんどん食べてちょうだい!」
「「「おかわり!」」」
おおおおおおおめしめしめしめし……
今はシスティとアレクが婚礼の儀を行っている。
表立って結婚出来ない二人はエルネの里の祝福を受けて仮初の夫婦となる。
そしてカイと同じように用意された天幕で一夜の契りを結ぶのだろう。
聖女であるソフィアもそれを承知で二人の誓いを承認し、ダンジョンの戦利品を指にはめてもらったシスティにマオが願望達成おめでとうと叫び、カイツースリーが里の外でご飯を煮込み、夫婦となったアレクとシスティがおかわりを求めるエルフの頭にご飯を当てる。
少し離れたカイとミリーナの天幕に、皆の歓喜の叫びが静かに響いていた。
「あいつら、嬉しそうだな」「……」
「でも良かった。あいつらを祝ってくれる奴等がいて」「……」
システィは王女。
いずれはアレク以外の誰かに嫁ぐ事になる。
後々問題にならないのかとカイが聞いたところ、『勇者として何度もひどい死に方してるのに、何を今さら』とシスティが笑い、『世界樹の葉を食べて清められたと宣言すれば、誰も文句は言えません』とソフィアが教えてくれた。
世界樹の葉は死以外の全てを癒やし、寿命すら延ばす。
そして世界樹は聖樹教の崇める神、聖樹様。
権力を使う者はより大きな権力に屈するしかない。
だから絶対の力を持つ神にぶん投げれば問題解決。
世界樹様々だ。
しかし、だからと言っておおっぴらに行う訳にもいかない。
それがエルネの里での挙式の理由だ。
「ここなら人の耳には入らない。友として礼を言うよ。ありがとう」「……」
カイが緊張の場を和ませようと語りかける。
しかしミリーナは黙して語らず、カイは何とも微妙な顔で押し黙る。
周囲の喧騒が響く中、無言の時が流れる。
やがて意を決したのだろう、ミリーナが立ち上がった。
「カイ……」
囁くように名を呼び、上着を脱いでいく。
スルリ、スルリ……
ミリーナが手が動くたび、ミリーナの体が少しずつ晒されていく。
華奢な鎖骨、細い肩、ささやかな胸元……
しなやかな指が動くたびにミリーナの肢体が晒されて、魅惑の呪いがカイの視線を釘付けにしていく。
やが上着が床に落ち、透けて見えるほどの薄手の服を身にまとうミリーナの姿が晒された。
「ミリーナ……」
幻想的で魅惑的な姿に、カイの喉がごくりと鳴る。
エルフの魔性はカイの心に深く染み入り、カイは何かに導かれるように手を伸ばす。
「……っ」
ビクリ……
腰に触れるとミリーナの体が震えた。
カイの奥が燃え上がる。
ミリーナの震えに構わずカイの手はミリーナの身体を撫で回し、引き寄せる。
カイは引き寄せたミリーナを壊れものを扱うように腕で包んでゆっくりと床に押し倒した。
カイの下でミリーナは震えてカイを見上げている。
瞳にマナの輝きが揺れ、紅を入れた唇は硬く引き締められている。
カイは鮮やかな紅に吸い込まれるように唇を寄せていく。
ミリーナも意を決したのか、瞳を閉じてカイを待ち、そして……
「ぇぅっ!」
唇が触れる直前、ミリーナが顔を背けた。
その拒絶にカイが我に返り、ミリーナの顔が見える距離まで体を離す。
ミリーナは泣いていた。
「嫌か……?」
……コクリ。
ミリーナが頷く。
だろうな。
カイはため息をつく。
はめられた贄の首輪による死の回避のために抱かれるなど理屈で解っていても納得できるものではない。
うつむいて無口だったのは感情と理屈のせめぎ合いの結果だろう。
ミリーナはここまで理屈で感情をねじ伏せてきた。
しかし感情は正直だ。
ここぞという時にあふれた感情が理屈を上回ったのだろう。
嫌なものは嫌なのだ。
経験の無いミリーナにとって理屈で納得できるような事ではない……
魔性の魅了から逃れたカイは身を起こし、ミリーナに詫びた。
「すまん」
「違うえう!」
カイの謝罪にミリーナが叫ぶ。
「ミリーナ?」
「こんな事でこんな風にカイに抱かれたくは無かったえう……こんな事ならオルトランデルでヤッておけばよかったえう! あのときさっくりヤっておけばこんな苦しい思いはしなかったえう!」
「……苦しいのか?」
「えう! なんで、なんで……」
「ミリーナ」
ミリーナは鼻をすすり、そして叫んだ。
「これでは、ただの逃げ道えう!」
ミリーナが泣く。
ルーとメリッサが黙りこみ、ご飯に手をつけなかった理由をカイはようやく理解した。
彼女らにとっても、これは望ましい事ではないのだ。
呪いを広げる行為でもなく、愛の結果の行為でもない。
中途半端なただの手続き。
ミリーナの言う通り逃げ道に過ぎない。
そしてその手続きを踏んでしまったら決して元には戻れない。
ミリーナとカイは中途半端な関係のまま歳を重ねて、この手続きを思い出す度に嫌な思いをする事だろう。
ミリーナ、ルー、メリッサらエルフは世界樹に呪われた種族。
そしてカイは聖樹教の影響薄いランデルの平民冒険者。
世界樹の葉を食べたところで救いにならない。
苦しいのはそうなりたく無いからだ。カイに対する確かな想いがあるからだ。
「すまん」
カイは深く頭を下げる。
この役は妻という名の貧乏くじだ。
もはやカイの内の熱はすっかり冷めてしまっている。
「ヤるえう!」
しかし体を離したカイにミリーナは抱き付き、体重をかけて引き倒した。
上着越しに伝わるミリーナの体温。
しかしカイはもう魅了される事は無い。
カイの下でミリーナは体をこすり付け、手と足をカイに絡み付けて叫ぶ。
「いいえう! 葉になるよりずっといいえう! ピーにピーをピーしてピーするくらい、やってやるえうよ!」
「ピーばかりでよくわからん」
「え……そ、そんな事までやるえうか?」
「どんな事だよ……ぷっ」「わ、笑うえうか!」「なんとも子供っぽくてな」「子供! カイの五倍以上生きてるミリーナに子供えうか!」「いやぁ、だってなぁ」「誰だって初めてはあるのです。経験が無いとバカにしていると痛い目に遭うえうよ! 押し倒したくせに偉そうえう!」「あー、確かに色っぽかった。うん」「そ、そうえうか?」「あぁ。クラクラするほど魅力的だった」「えぅ……」
喋りながらカイはミリーナの拘束をゆっくりと解き、再び体を起こした。
聞いておきたい事を思い出したからだ。
「そういえば、エルネで貰った世界樹の葉……あれは、誰だ?」
ミリーナが答えた。
「……ひいばあちゃんえう。ひいばあちゃんが遺してくれたものえう」
「そうか。だから使った時あんな顔をしたんだな」
やはり、あの時の世界樹の葉はエルフが遺したもの。
贄の首輪でカイが食べられ葉を遺すように、エルフも世界樹に食べられ葉を遺すのだ。
「えぅ……でもあれはカイにあげたものえう。カイが使ったならひいばあちゃんもきっと満足えう」
「なぜだ?」
「五年前、齢千百八十五でご飯に頭をかち割られてマナに還ったひいばあちゃんはよく芋煮の事を楽しそうに語ってたえう。『あれは美味しかった、今までで一番美味しかったと……ミリーナもいつか食べられるといいね』と言ってたえう」
百余年前、オルトランデルが森に沈んだ時の事だ。
「だから遺された葉をカイにあげたえう。あったかご飯をたくさんくれるカイならひいばあちゃんも絶対にっこりえう」
「そうか。俺も会いたかったな」
「えぅ、えぅっ……」
カイは世界樹が竜を食う話を思い出し、顔をしかめた。
世界樹は呪いの終わりにエルフを食い、死にゆくエルフの願いに応えて葉を遺すのだ。
そのエルフの子孫が次の世代に呪いを渡す手助けのために。
おそらくエルフを殺しただけでは葉を遺す事はないのだろう。
もしそうなら人間はとうの昔にエルフを狩り尽くしている。葉のために全てを食らう暴食と呼ぶエルフを食らい尽くすだろう。
まったく、どちらが暴食なのだか……
底無しの欲望を持つ人間に呆れ、ふとカイは内から湧き上がる自らの欲望に気付いた。
まだ、死にたくは無い。
そして諦めるのはまだ早い、こいつらにもっとあったかご飯を食べさせてあげたい……
と。
カイは小心者である。
小心者だから将来の後悔を減らす努力は怠らない。
その気になればすぐに行為は出来るのだ。
ならば今でなくても良い。
カイはミリーナから離れ、脱いだ上着を彼女に被せた。
「しないえう?」
「今はまだ、な」
安堵と落胆が混ざった奇妙な表情で聞くミリーナにカイはしっかり頷いた。
「まずは大竜バルナゥに何か方法が無いか聞いてみる。それで駄目ならギリギリまで考える。それでも駄目なら……すまないが抱かせてくれ」
「どんと来いえう。ミリーナはもうカイのつ、妻えうから」
「俺は夫か。照れるな」
「えぅ」
妻。そして夫。
何とも照れくさい言葉に二人は笑う。
しかしその言葉は二人には早すぎる。
ご飯の積み重ねでは届かないはるか先だ。
今はまだ夫婦にはなれない。
だが、いつかは……
カイはそう思い、自分の中で渦巻く苦しさを理解した。
今はその苦しさは優しい温かさに変わっている。
ご飯を与える人間とご飯を求めるエルフ。
カイとミリーナは今、それだけの関係から一歩先に踏み出したのだ。
カイは顛末を伝えるために二人を呼ぶ事をミリーナに告げ、天幕の裾を開いた。





