5-6 ランデル領主、土下座する
ルーキッドは魔光灯を手に領館の廊下を歩く。
暗闇に浮かぶ表情は先ほどのミハイルと同じように焦燥が溢れている。
餌にされたランデルをどうにか救わなければならない。
領主にとって領地は全てだ。
ルーキッドをランデル伯爵たらしめているのは彼自身ではない。
管理する領地であり、そこに住む領民である。
凋落と共に領地は失われ、領民も蜘蛛の子を散らすように離れていった。
今も残る領民はそれでもランデルにいてくれた人々だ。
森と戦い、新たなランデルを築き、町を作り上げ、税を納め続けた人達だ。
ここで諦めて、何が領主だ……
父と祖父はルーキッドにエルフや利権を奪った者に対する恨みを植えつけたが、同時に利権の大切さも教えてくれた。
利権を失わなければ、ランデルを失わなければ祖先は嘆く事も無かったのだ。
それは得た利権を、領地や領民を決して手放してはならない、売ってはならないという事だ。
領地領民と共に生き、そして死ぬ。
ミハイルのような所業は決して許してはならないのだ。
ルーキッドは地下へと続く石の階段を降りていく。
ひんやりとした湿気がルーキッドの顔にからみつく。
ランデルでは少ない石造りの地下室は、捕えた者を逃さないためのものだ。
ルーキッドは十数段の階段をゆっくりと降り、狭い廊下を歩いて鉄格子がはまった穴倉を照らす。
狭い穴倉の中には一人の男がうずくまっていた。
ランデル領民、青銅級冒険者カイ・ウェルス。
エルフを煽動してビルヒルトを森に沈め、ダンジョンを二度も顕現させた上に竜にビルヒルトを潰させた男……
と、なる予定の男だ。
「カイ・ウェルス……」
ルーキッドの呼びかけにカイはピクリと動き、顔を上げた。
体や顔に目だった傷は無い事にルーキッドはわずかに安堵する。
カイが今後どのように扱われるか知らされていなかったルーキッドは、部下に乱暴をしないように厳命している。
交渉カードを無用に傷付けては不利になるからだ。
彼の今後は悲惨だ。
聖樹教の権力は人間社会では絶対だ。
ケレスもミハイルも都合の良い罪をなすりつけていく事だろう。
彼はこれから自らに課せられる運命を、どう思うのだろうか……
ルーキッドはそう考え、首を振る。
そんな事は今のランデルにとってはどうでも良い事だ。
ランデルの為には、どんな事でもする……
たとえ、領都を森に沈めたエルフに媚を売ったとしても。
「頼む。ランデルを助けてくれ」
ルーキッドはカイにひざまずき、石の床に頭をこすりつけて土下座した。
そして、そのままの姿勢でルーキッドは語りだす。
「聖樹教が大竜バルナゥの討伐を決定した」
カイがピクリと反応した。
「ランデルは竜討伐の最前線の砦となり、勇者アレク一行の討伐を助ける囮として竜とエルフの侵攻に晒される事となる。竜とエルフは仲が良い……らしいからな」
近隣の竜が勇者に討伐された事をエルフは知っている。
人間にとっては大昔でも、エルフにとっては少し前だ。
だから竜の討伐をエルフは邪魔する事だろう。
エルフに勇者の邪魔をさせないための囮がランデル。
その餌がカイだ。
「ランデルはビルヒルトのように壊滅するだろう」
オルトランデルを一日で森に沈めたエルフ。
マナブレスの一撃でビルヒルトを壊滅させた大竜バルナゥ。
はるかに小さな宿場町であるランデルなどひとたまりもない。
しかし、ランデルなど聖樹教とケレスにとってはどうでも良い事だ。
勇者が竜を討伐できれば良いのだから。
「対価はビルヒルト領に奪われた利権、そして竜の財宝……失うものに比べれば、どうでも良いものばかりだ」
ミハイルの焦燥、ケレスら聖樹教の欲望、どうする事もできない自らの無様……それらの現状をありのままに語り、エルフがランデルを襲わないようにしてくれと捕らえたカイに懇願した。
「私がお前に与えられる対価は何もない。お前の罪を軽くする事も、自由にする事も出来ない」
相手は聖樹教。
田舎領主のルーキッドに決定を覆す力は無い。
ヘタな事をすればランデル領が領民ごと消されるだろう。それだけの力の差があるのだ。
「だが、それでも頼む。エルフを説得してくれ。ランデルの町を、ランデルの領民のために力を貸してくれ……頼む!」
ランデルを奪ったエルフ相手に、なんという無様!
心の中で叫ぶランデル家の矜持をねじ伏せて、ルーキッドは額を地にこすりつけた。
領地と領民さえ残れば無様でけっこう。
それを守る事ができるのなら、領主はどこまでも無様であるべきだ。
語り終えたルーキッドは土下座姿勢のまま、カイの返答をひたすら待った。
十秒、二十秒……時間が静かに過ぎていく。
一分くらい経った頃だろうか。
ルーキッドの頭上に、はぁ……と大きなため息が響いた。
「……期待に応えられるかどうか、わかりませんよ?」





