5-4 冒険者、利用される
「……ミハイル殿とケレス殿の言う通り、例の冒険者を確保致しました」
ランデル領主の館、領館にカイが拘束されたその夜。
ランデル領主、ルーキッド・ランデル伯爵は不愉快の上に不愉快を重ねた顔で、眼前の男達に対応していた。
状況も不愉快なら、それをもたらした者達も不快に過ぎる。
一人はかつてランデルの利権を食い荒らしたビルヒルト伯爵、ミハイル・ビルヒルト。
そしてもう一人はランデルを見放した聖樹教の枢機卿、ケレス・ボース。
二千年前に聖樹様から枝を授けられた教祖に次ぐ地位である枢機卿の位階を持つ男だ。
教祖はすでに世を去っているので実質的には最高位。
その中でもボース家は二千年前に聖樹様から枝を授けられた教祖の直系。
聖樹教枢機卿の中でも最高の権力を持つ教祖と使徒の血筋である聖都七枢機卿家に属する者であり、世界の中心たる聖樹教の都、聖都ミズガルズから来た者だ。
王国に住むバリトー・ブランジェ枢機卿とは格が違う。
これでにこやかに対応しろと言うのが無理な話だ……
ルーキッドは愛想笑いすら諦めて、我慢に我慢を重ねて努めて平静に対応していた。
「それは朗報。さすがはルーキッド殿。これでようやくランデル伯爵家の仇敵たるエルフに一矢報いましたな」
「その通り、まさにその通り! ランデルの今の不遇はまさにエルフにあり。我がビルヒルトが同じ轍を踏まぬよう、ルーキッド殿には今後もご助力お願いいたします」
「光栄です……」
ルーキッドはケレスとミハイルの賞賛に抑揚の無い返事を返した。
二人の言う事は間違いではない。
しかし、エルフは所詮きっかけ。
それを発端とした利権の奪い合い、奪還を餌にした寄進の要求、それらに踊った先祖の愚暗。
それらがランデルを今の宿場町にまで凋落させたのだ。
エルフ、聖樹教、利権を奪った隣領領主。
ルーキッドの前にランデルを凋落させた三つの内の二つが座り、成果に笑っている。
エルフ以上に私を怒らせる者がいたのか……!
その笑顔にルーキッドは強烈な怒りを覚えずにはいられない。
恨みや怒りというものはやはり人間に対して強く出るのだろう。目の前の二人に比べれば会った事もないエルフなど可愛いのものだった。
ルーキッドはテーブルの下で拳を強く握り締め、自らの魂に潜む先祖の血に踊らされまいと怒りをねじ伏せる。
ミハイルは二度の異界の顕現とビルヒルトの壊滅という手痛い打撃を受けている。
今はランデルが利権を奪い返す千載一遇の機会。ビルヒルトと聖樹教の枢機卿を敵に回してはならない。
少なくとも今は。
ビルヒルトには金を出させ、聖樹教には利権返還の大義名分を与えてもらう……
ルーキッドは相手を利用してやると意識する事で心の平静を取り戻した。
「さて、彼はエルフを煽動したという容疑が課せられておりますが、どこまで罪を着せるおつもりで?」
その為には、捕らえた彼には踊ってもらわねばならない。
百余年に渡るランデル凋落の歴史を今こそ糧にすべきだとルーキッドは思索をめぐらせる。
「ビルヒルトを森に沈めた罪は当然として、異界を顕現させた罪、竜にビルヒルトを破壊させた罪、王女殿下をはじめとした勇者達を騙した罪……はてさて」
「異界だ! 異界を顕現させた罪だ!」
ルーキッドの言葉にミハイルが叫ぶ。
「ほぅ、ランデルから出た事すら無いかもしれない二十歳そこらの下級冒険者が、エルフを使ってビルヒルトで暴利を貪ったと?」
「そ、そうだ!」
「それにしては貧乏な借家暮らし。はてさて、どこで暴利を使っていたのやら」
「ぐ……」
どうやら異界の顕現は身に覚えがあるらしい。
カマをかけたルーキッドはミハイルの慌て方からそう判断する。
異界は土地のマナが失われる事によって顕現する。
マナが失われるという事はそこから何かを持ち去ったと言う事だ。それを税や物品の動きで感じる事ができないなら間抜けにもほどがある。
ルーキッドはエルフを憎んでいたが、エルフが自ら異界を作った例をルーキッドは知らない。
エルフの生活は地産地消であり、その地の物をその地に返すのでマナの欠乏が起こりにくいのだ。もしエルフが異界を作るのならオルトランデルなどとうの昔に異界が顕現しているだろう。
先日の元ランデル領で起こった村の異界顕現はエルフをそそのかした人間の仕業と聞いている。
人間が持ち出したからこそマナが失われ、異界が顕現したのだ。
それにしても、だ……短期間に二度の異界顕現は領主としては痛かろう。
ルーキッドは余裕の無い表情のミハイルを見て思う。
内々に領地の剥奪が告げられているのかもしれない。
ルーキッドはさらにカマをかける。
「ミハイル殿の言う事が事実なら、先日処刑された白金冒険者も彼に煽動されたエルフがそそのかしたものかもしれませんな」
「そうだ! そうだその通りだ! 奴が煽動したエルフが我がビルヒルトの白金冒険者をそそのかしたのだ!」
そんな訳があるまい、若造め。
一回り若いミハイルがわめく姿にルーキッドは呆れた。
世界を満たすマナはそこまで希薄なものではない。最低でも十数年の搾取が無ければ異界は顕現しないのだ。
彼の冒険者歴は五年と報告を受けている。
いつから煽動している計算をしているのだ。
彼はエルフの神とでも言う気なのかこの男は……
ルーキッドはミハイルを相当危うい立場だと判断し、心の中で嘲笑う。
彼は近隣領主たるルーキッドに口裏を合わせるよう要求しているのだ。
これは先祖の財を失うだけの男だ。問題にもならない。
我がランデルの先祖と同じ目に遭ってもらおう。
問題は枢機卿の方だ。
ルーキッドはミハイルの評価を定め、ケレス枢機卿に視線を向けた。
ケレス・ボース枢機卿。
聖樹教の頂点であり聖樹様に最も近い者とされる聖都七枢機卿家の一つ、教祖直系のボース家の長男。
まだ家督を継いではいないが二十六歳の若さで枢機卿の一人に踊り出た、教祖の血を受け継ぐ聖樹教の顔。
各国の政治にも少なからぬ影響力を持ち、収穫祭は彼の主導と言われている。
つまり、今の混乱の元凶とも言える男だ。
そのような彼がなぜ、聖都ミズガルズからビルヒルトに、そしてランデルに来た?
ルーキッドは柔和な笑みを浮かべた長身痩躯の男に注意深く口を開いた。
「ケレス枢機卿はどのように?」
「私は竜のビルヒルト破壊も彼の者の所業と認識いたします」
「ほう……建国王の再来でしょうか?」
回答にわずかな不安を感じながら、ルーキッドは冗談で返した。
グリンローエン王国の建国王は有史以来数えるほどしか居ない竜を従えた英雄だ。ケレスの言う罪がその通りなら捕らえた彼が竜を従えている事になる。
しかし言葉遊びである事を理解しているのだろう、ケレスはしれっと笑って答えた。
「まさか。竜はエルフと仲が良いですからエルフが頼めば竜が聞いてくれるのではと思いまして。煽動している者がエルフをそそのかして結果的に竜が動く。あり得る話ではありませんか」
「な、るほど……」
背中にぞわりと悪寒を感じ、ルーキッドは体を強張らせる。
詰まりそうになった言葉をかろうじて吐き出したルーキッドは何とか平静を保とうとしたが叶わず、眼前の柔和な笑みを絶やさないケレスのさらなる言葉で完全に言葉を奪われた。
「聖樹教はランデルの悪しき竜、大竜バルナゥ討伐を王国に要請いたしました」
「っ!」





