16-31 それこそが、命の輝き
「エヴァンジェリン。ミルトさんとのお別れを」「わふん」
ソフィアの声が響く。
ランデル聖樹教本部。
ミルトが終わりを迎える部屋に、エヴァンジェリンが入っていく。
霊薬によって命を燃やし尽くしたミルトとの別れのためだ。
システィ、アレク、カイル、カイト、ルーキッド、ウィリアム、エヴァンジェリン、ベルガや長老達、エルフ達……ソフィアが集まった皆を呼び、部屋へと招く。
バルナゥ、ルドワゥ、ビルヌュ、マリーナ、そしてシャルはすでにミルトとの別れを済ませ、世界中を駆け回って聖樹教の回復魔法使い達とミルトに縁があった者達をランデルへと運んでいる。
ある者は竜の背で飛び、またある者はシャル馬車で走り、またある者は異界通路を通って聖樹教本部を訪れ、ミルトの別れの言葉を聞く。
「パーパ」「おはなし」「まぁだ?」
「うちは、まだだな」
「えう」「む」「はい」
カイ一家は、まだ。
話す事がたくさんあるのだろう。
後から来た者達が先に呼ばれていく中、カイ達はじっと待っていた。
『間に合ったぞアーサー』『良かった。本当に良かった』
「ぶーさん!」「ろーぶーさん!」「アーサーぶーさん!」
駆け込んで来たのはエリザ世界の老オークにアーサーだ。
「お前達も来てくれたのか。ありがとう」
『一度は全ての異界を滅したエリザ世界最強の救世主ですからな。まあ本人も驚かれておりましたが』『大恩ある方との別れ。当然でございます』
「……そうなのか」
老オークとアーサーの言葉にカイは驚いた。
システィから聞いたところ、ベルリッチは数分で命を燃やし尽くしたらしい。
それなのにミルトは三年。
千日あまりの間、悪夢を世界に見せ続けた。
期間も、規模も桁違いだ。
同じ不老不死の霊薬を飲んだのにと思っていたカイだが、エリザ世界の彼らの話を聞いてそんな事ができるならと納得した。
神のみぞ知るか……いや、神も知らないかもしれないな。
カイは思う。
人や勇者はおろか神の祝福を受けたカイでもそこまでの事はできないだろう。
あきらかに人を超えた器。
それが何なのかカイにはわからないが、何かが特別なのだろう。
カイが後でイグドラにでも聞いてみようと思った時、また誰かが聖樹教本部を訪れる。
「アーテルベ様、お送りくださりありがとうございます」
『かまわぬ』
訪れたのは国王、グラハム・グリンローエン。
「宝物庫のカイズから聞いてな。アーテルベ様に頼んで駆けつけた」
「国王……ありがとうございます」
「なに、娘が世話になった縁だ。それにカイズは酒を酌み交わす仲。ミルトはお前の師匠と聞いたぞ?」
「はい。その通りです」
祈る暇があるなら自分の頭で考えなさい。神と人は道が違うのですから。
そう言ってカイとアレクの無茶を戒めカイを導き続けた、カイの生き方の師だ。
「そしてベルリッチや他の件もある。奇蹟の抜けぬ者が多くて、すまんな」
「いえ……悪夢は、悪夢ですから」
「それでもだ。あの悪夢で奇蹟が抜け、地に足がついた者も多い。命を燃やして悪夢を見せたミルトには感謝のしようがない」
「ありがとうございます」
「どうせやる者はどれだけ邪魔をしても、やる。我らの戦いはまだまだ続くぞ」
「……はい」
奇蹟の前には王の権威など無意味。
かつての聖樹教の振る舞いを知るグラハムはそれを良く知っている。
だからグラハムはカイに覚悟を促すのだ。
情報収集者としてのカイズに。
そして実力行使者としてのカイに。
『ではカイ様』『お先に』「ああ」
「では先にいく」「はい」
オーク達、グラハム、懇意にしていたエルフ達……皆がミルトと別れを交わす。
カイ達の順番は皆が言葉を聞いた後。
一番最後だった。
「カイさん。ミルトさんがお呼びです」
「はい」
「行くえう」「む」「お別れの挨拶ですよ」
「はい」「ん」「はい」
カイ一家は立ち上がり、ソフィアの案内で部屋に入った。
「ミルト婆さん……」
「えう……」「むぅ……」「あぁ……」
「すごい……」「ん……」「うわぁ……」
部屋に入ったカイ達が、ため息を漏らす。
さして広くもない部屋の中では、聖樹教の回復魔法使い達が交代で回復魔法をかけ続けている。
しかし彼らも長くはもたないと、わかっているだろう。
カイ達がマナで見たのは部屋からあふれるほどの、とても大きな天使の翼。
ミルトの魂と肉体はもう、わずかにしか繋がっていないのだ。
「ここまで素晴らしい天使の翼は、美しい天使の翼は私もはじめてです」
ソフィアがカイに言う。
以前見た時には黒く不吉なマナだったそれは今、まばゆく輝いている。
まさしく天使の翼だ。
「魂が肉体から離れるとき、本来の姿を取り戻し輝く。そう言われています」
「……肉体から魂へと、軸が移ったのか」
マオが寄り添うミルトの呼吸は浅く、そして細かく。
もう、大きな声は出せないだろう。
カイは輝きに目を細め、床に伏すミルトの元へと歩み、耳を寄せた。
「ミルト婆さん……お別れに来たよ」
「カイ……ごめんなさいね。あなたに後始末を押しつけてしまって」
「いいよ」
カイの耳にミルトが囁く。
ベルリッチだけではない。
悪夢に苦しみながらも奇蹟を求める者をカイは戒め、潰し続けた。
グラハムの言う通り、やる者はどんな邪魔をしようが、やる。
ミルトの悪夢は多くの者には戒めとなったが、最も厄介な存在である力と欲を持つ者には無力だった。
夢はしょせん、夢なのだ。
「カイ。最後に問いたい事があります……私と侯爵様は同じ霊薬を飲んだのにこの違い。なぜかわかりますか?」
「それは、ミルト婆さんの願いが正しかったから」
「違います」
ミルトはカイの答えを断じ、カイに答えを囁いた。
「カイ……貴方が味方か敵か。その違いです」「……っ」
カイがミルトの囁きに息を呑む。
「善し悪しなど関係ありません。貴方が誰に力を貸し、誰に立ち塞がったかで決まるのです……侯爵様は貴方が立ち塞がったから夢が潰え、私は貴方が力を貸したから夢を叶えた。それが、力というもの」
「ミルト、婆さん……」
「もう一度言いますよ、カイ」
ミルトは息を深く吸い込み、三年前にカイに言った言葉を繰り返した。
「欲望を退ける強い意思を持ちなさい。懇願する者を切り捨てる無慈悲な心を持ちなさい。それができなければ貴方の人生は人々の欲望に踊らされた醜いゴミとなるでしょう……でも」
もう動かすのもひと苦労だろう、ミルトは震える手を伸ばしカイの頭を撫でる。
「私のわがままを聞いてくれてありがとうね。カイ……」
「ミルト婆さん……」
「カイ……自分の信じるままに、生きなさい」
カイに、ミルトが微笑み囁く。
「これまでのように必死に考えなさい。足掻きなさい。そして後悔なさい。覚悟を決めて、輝き導きなさい」
「輝き、導く……」
「そうです。アレクも、エルフの皆も、システィやソフィアやマオも、バルナゥも、異界の者も、そして神も貴方のそんな姿に、命の輝きに動かされたのです。そうでしょう?」
「えう」「む」「はい」
「あったかご飯の人?」「ん。あったかご飯の人」「ぺっかー」
「ふふっ、そうですね。ぺっかーですね」
人は懸命に生きて何かを掴む者の姿に憧れを抱き、その生き様に輝きを見る。
そしてその者の輝きの先を見たいと願い、その歩みに手を貸していく。
輝く者は皆の道を照らすしるべ。
その輝きに導かれた者は輝きに照らされ光り、やがて自らも輝いて後に続く者のしるべとなる。
人が子孫を作り命を繋いでいくように、命の輝きが人の心を繋いでいく。
そうして世界は複雑に繋がり、広がっていくのだ。
「これ以上の回復魔法は不要です。ソフィアだけ残りなさい」
「ミルト様」「ミルト様!」
「ごめんなさいね。カイ達にだけ話しておきたい事があるのです」
聖樹教の回復魔法使い達が、カイとソフィアにすがるような視線を向ける。
奇蹟でミルトを救ってくれという視線だ。
しかしカイもソフィアもそれに気付きながら、何もしない。
それがミルトの望みだから。
聖樹教の回復魔法使い達もミルトの望みは知っている。
彼らは自らの望みを口にする事なく、ミルトに別れを告げて退室する。
しばらくの沈黙の後、ミルトが口を開いた。
「それで良いのです。ここで私が生き長らえては奇蹟が侮られてしまいますから」
「……はい」
これが無慈悲な心か……カイは拳を固く握る。
できる事をやらない。
多くの者に求められてもそれを貫くのは、とてつもない重圧だ。
「カイ」「はい」
「せっかく天に召されるのです。ベルティア様に言伝があれば伝えましょう」
弱々しくミルトが微笑む。
「さんざん好き勝手されているのでしょう? 聖樹様はベルティア様に強く言えないお方。天に召されるついでに私がガツンと言ってあげましょう」
これはミルトのカイへの思いやり。
カイはしばらく考え、ミルトの耳元に呟いた。
「では、ちょっと言伝を頼みます。『いい加減ほっといてくれないか?』と」
「……ふぅ」
カイの言葉を聞いたミルトは細く長く、息を吐いた。
「私から言ったことですが、言われると落胆するものですね」「すみません」
「まあ、ソフィアに比べればまだマシですが」「すみません」
カイとソフィアが頭を下げる。
「これから毎日子作りしますからすぐにお戻り下さいとか、今際の際の者にかける言葉ではないでしょう。貴方やソフィアのような裏側を知る者がいると死が軽くなっていけません。この命しかないという覚悟が懸命な努力を生み、命を輝かせるというのに。カイ、そしてソフィア。やたらと言いふらしてはいけませんよ」
「はい」「わかりました」
「ミリーナ、ルー、メリッサも」
「えう」「む」「はい」
「イリーナ、ムー、カインもです。もし思い出したとしても、家族以外には秘密にしなさい」
「「「はぁい……?」」」
「ふふっ、今はわからなくて構いませんよ」
首を傾げる子らにミルトは笑い、カイからマオへと視線を移す。
「あとは、マオと二人で……」
「はい……ミルトさん、お待ちしております」
ソフィアが一礼して退室する。
カイ達はミルトの前に並び、一家で深く頭を下げた。
「ミルト婆さん。お世話になりました」
「カイを、ありがとうえう」「む。最高の幸せに感謝」「カイ様と私達を結びつけてくださったご恩、このメリッサ一生忘れませんわ……ぷぴーぷ、ぱーっ」
「さよなら」「さよなら」「またね……?」
「ほらソフィア、貴方が妙な事を言うから……」
可愛らしく頭を下げる子らにミルトは笑い、カイ達に別れを告げる。
これが、命の別れ。
カイは皆と共に、部屋を出た。
「……ミルト」「はい」
皆が出て行き、夫婦だけになった部屋。
マオがミルトを優しく小突く。
「お前、俺にだけいい夢見せただろ?」
「あら、そうだったかしら?」
「あの悪夢がへっちゃらなんてさすがマオさんと叫ぶエルフ共の賞賛が恥ずかしいったらありゃしない」
「ふふっ……マオは悪夢なんて見せなくても大丈夫でしょ?」「ぬかせ」
二人だけの部屋で、マオがミルトを抱き寄せる。
「夢の中で、イチャイチャしましたね」「ああ」
「旅行にも行きましたね」「海も山も、素晴らしかった」
「買い物も、しましたね」「調子に乗って買いまくったな」
「キャンプにも、行きました」「釣り勝負はミルトの圧勝だったな」
「温泉も、良かったですねぇ」「満天の星を眺めて入る風呂は、格別だったな」
「幸せな夢……でした……」「……ああ」
二人は夢を語り合う。
ミルトの天使の翼はますます輝き、部屋は真っ白だ。
マナが見えない者にも部屋が真っ白に見えるほどの、マナの奔流。
ミルトが最期に放つ、命の輝きだ。
その輝きの中心で、ミルトとマオは別れを交わす。
「今までありがとう。さよなら、マオ」
「ありがとう。さよなら、ミルト……」
ミルトが瞳を閉じ、ゆっくりと息を吐き出した直後……
部屋の輝きが消えうせた。
魂が肉体から完全に離れ、天へと旅立ったのだ。
マオが抱き寄せたミルトの身体に、もう命の力はない。
そこに残るのは魂の抜けた、ミルトの身体。
ミルトがこの世界で生き抜いた証だ。
マオはミルトの身体をベッドに横たえて、姿を丁寧に整えポツリと呟いた。
「何が幸せな夢だバカ。とんでもねぇ悪夢だったよ」
夢はしょせん、夢。
覚めれば消える儚いもの。現実には及ばない。
「なに幸せそうな笑みを浮かべて死んでやがる。なあ、ミルト……本当に逝っちまったんだな……俺にこんな悪夢を見せたくせに、実現せずにとんずらか。夢は見るもんじゃねえ。叶えるもんだってのに。なぁ、ミルト……ミルトォ……」
マオはひとり、ミルトの生きた証を前に泣く。
マオがミルトを見送った七日後……
ミルトは竜として、あっさりと復活した。
次回、二度目の完結です。
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