16-27 ベルリッチ、領地で震える
「……あのようなものを、かつては狩っていたとはな」
バルナゥ出張から二週間後。
ベルリッチ領、領館。
王都から戻ったベルリッチは執務室の椅子に座り、ガタガタ体を震わせていた。
いや、戻ったのではない……逃げてきたのだ。
どのように王城を出て、どのように馬車に転がり込み戻ったのかをベルリッチは途切れ途切れにしか憶えていない。
あまりの恐怖に記憶が飛んでいるのだ。
ベルリッチが初めて間近で見た、竜という存在。
あれだけ近くで、言葉もかわせば嫌でもわかる。
あれは人の手が及ぶ存在ではない。
絶対的な力とマナを持ち、ベルリッチ程度の存在などあふれるマナだけで消し飛ばせる存在だ。
あれをどうにかできるのは異界の怪物か、聖樹様ら神くらいだろう。
勇者とて聖樹様の力を授かる聖なる武器がなければ不可能。
よくも今まであんなものを相手にしてきたものだ……
と、ベルリッチは今更ながら感心する。
しかし、その聖樹様もかつての力を授けてはくれない。
聖樹様が天に還った事で、人が奇蹟を使い竜を討つ時代は終わった。
全ての人が人として生きていく時代が始まったのだ。
「時代は変わったのか……いや、昔から何も変わってはおらぬのか……」
聖都や聖教国、ベルリッチら一部の者が奇蹟を享受できていただけで、世界のほとんどは今も昔も変わらない。
人は自らの力で世界を耕し、食べ、結ばれ子をなし育てて老いて、死ぬ。
ベルリッチもそんな当たり前の、普通の世界の人のひとりとなった。
特別ではなくなったのだ……いや、元々特別ではなかったのだ。
だから大竜バルナゥも相手にせず、今までの特別扱いを盗人と断じた。
ただ聖樹教に近しい関係であったから恩恵を受けていただけの、普通の人間。
それがカロルス・ベルリッチ。
齢百三十まで生きている事自体が罪だと、竜という奇蹟に宣告されたのだ。
もはや、竜の祝福は望めない。
聖樹教が竜を討伐しまくった現在、大竜バルナゥは竜の中でも最強。
たとえ他の竜がベルリッチを祝福する事があってもバルナゥが潰すだろう。
力なき者は力ある者に従うしかない。それは人も竜も変わらない。
では……咎人、エルフか?
ベルリッチは考えを巡らせ、やがて首を横に振った。
エルフは竜の庇護を受けている。
大竜バルナゥに罪と宣告されたベルリッチに祝福を授けはしないだろう。
「せめて、領内に残っていればどうにかできたものを……」
忌々しくベルリッチは呟く。
ベルリッチ領のエルフはすでにいない。
聖都が異界に飲まれてからすぐに、何者かに導かれて領外へと去っていった。
去ったエルフ達を最後に確認できたのはビルヒルト領。
そこからの足どりはぷっつりと途絶えている。
ビルヒルトの新領主に問い詰めたところ、新たな大地に根付いたらしい。
あれは我が領のものだと主張するも知りませんと言われ、多国間条約であるバルナゥ不可侵条約を締結した事により主張すらできなくなった。
バルナゥ不可侵条約にエルフに関する取り決めもされていたからだ。
エルフは国も領も出入り自由。
だから返せとは言えない。
ランデル領の発展を目にした領主があの手この手でエルフをとどめておこうとしたが、その何者かが現れるとエルフは皆、領主への挨拶もなく出て行った。
あったかご飯の人が王侯貴族に名を轟かせたのは、聖教国の一件以降。
とっくの昔にエルフが去った後だ。
「田舎領主が、王女に手を出した元奴隷の勇者あがりが、神の贄が、咎人が、よくわからぬ馬の骨めが……我らを蔑ろにしおって!」
震えながらベルリッチは叫ぶ。
ランデル領主、ビルヒルト新領主、大竜バルナゥ、エルフ、そしてエルフを導いたあったかご飯の人……新たに出てきた者達はベルリッチら王国の重鎮達を無視して何もかも決めてしまい、後で何を言おうが知らん顔だ。
だからベルリッチらはエルフを失っただけ。
利権にも何にもならなかった。
そして今、ベルリッチは命を失おうとしている。
誰も祝福しないから。
そして不老不死の霊薬はベルリッチの求めるものではないから。
どうにかしなければ……
ベルリッチは震えながら考える。
そんな時、執務室のドアがノックされた。
「ご主人様。ウィリアムらが戻りました」
「……そうか」
入室した執事の言葉に、力なくベルリッチは返す。
今さら戻ってきたところで意味はない。
ウィリアムに託した望みは潰えたのだ。
しかしベルリッチは、続く執事の言葉に驚愕した。
「それと、ウィリアムらが客人を連れて参りました」
「何者だ?」
「カイ・ウェルスと名乗る商人が、エルフを伴い目通りを願っております」
「何だと!」
ベルリッチは叫ぶ。
「すぐに通せ! そして兵を集めよ!」
ベルリッチは、本当の奇蹟の恐ろしさをまだ知らない。
その前にはバルナゥなどでかい犬に過ぎないという事を、まだ知らない……
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