16-22 これは私達、聖樹教の罪
「ミルト……婆さん」
”人生がゴミのようになる気持ちはどうでしたか? カイ”
暗闇の中、ミルトがカイに聞いてくる。
カイの気分は最悪だ。
夢とわかった今でも心臓は早鐘を打ち、汗がダラダラと流れている。
家族の叫びが頭にこびりついて体の震えが止まらない。
心も体も、とても痛い。
普通の夢とはまるで違う、恐ろしいまでの現実感。
カイはしばらく黙って震えを落ち着かせた後、口を開いた。
「あれは、何だ?」
”奇蹟と欲望の行き着く先、です”
「あそこまで、するのか?」
”欲望とはそういうもの。そして奇蹟とはそういうもの”
カイの言葉にミルトが答える。
”あればそれを求めるもの。誰かが持っていればすがるもの。失われても信じぬもの。断り逃げれば奪うもの。そして命の道から外れていくもの……それが、奇蹟”
夢の中の人々はカイに奇蹟を求め、すがった。
カイがどれだけ失った事を主張しても信じなかった。
そしてエルフ達と家族を殺した。
現実でも十分起こりうる事だ。
いや、今のままならいずれ起こるだろう。
奇蹟を持つ天の神々と、地の人々の生き方は違う。
だから利害も当然違う。
ミルトはカイに、神と人の間で生きる難しさを夢で示したのだ。
”私達は、奇蹟に頼りすぎました”
「そんなにか?」
”聖教国の無様を見たでしょう? あれが奇蹟に頼り切った人々の末路です”
聖教国は聖樹の力を失い、食事にも困るようになった。
それでも何とかなっていたのは二千年もの間にため込んだ力のおかげだ。
その力がなければカイが壁で囲む前に周辺国を侵略していただろう。
それは辺境国であるグリンローエン王国でも変わらない。
イグドラが天に還って十七年。
その程度で人の心は変わらない。
すがる先がイグドラからエルフや竜や霊薬に変わっただけ。
新たにすがる先を求めているだけなのだ。
「……ランデルがそうなるとは思わない」
”それはランデルが聖樹教に裏切られたからという、一時的なものに過ぎません。奇蹟が共にあればいずれは頼るようになるでしょう。ウィリアムも頼ったではありませんか”
「ミルト婆さんのためにな」
”私は天寿を全うしたのですよ。これ以上を求めるのは愚かというもの」
「じゃあ、なんで霊薬を飲んだんだ!」
”……”
カイが叫ぶ。
しばらくの沈黙の後、ミルトは答えた。
”皆を戒めるためです”
「皆を?」
”奇蹟ではなく自らの足で立つ信仰。聖樹教がランデルに本拠を移して十七年、私もソフィアも新たな信仰に力を注いできました……いえ、きたつもりです”
それはカイも知っている。
聖樹様と呼ばれた神、イグドラを崇めはしてもすがりはしない。
それが新たな聖樹教だったはずだ。
”ですが、皆は奇蹟を求めました。ソフィアやエルフ、そして私に”
しかし、奇蹟の祝福を受けた者と奇蹟そのものを前に言葉は空しい。
ソフィア、エヴァ、エルフ、バルナゥ、そしてカイ。
どうにもならない事を前に、人はやはり奇蹟にすがるのだ。
「それを戒める為に、霊薬を……こんな夢を……」
”奇蹟を戒める為に奇蹟にすがる……私の無様を、笑いますか?”
ミルトは歯がゆい思いをしただろう。
どれだけ言葉を重ねても、結局は奇蹟なのだから。
”私にこれを決意させたのは、エルフのあり方”
「エルフ?」
ミルトは話を続ける。
”エルフの呪いが祝福に変わってからたったの十七年。しかしエルフ達はめざましい発展を遂げています。カイ、その象徴は貴方も知っているでしょう?”
「……エルフ農業学会」
”その通りです。祝福によらない技術は作物の生産量を飛躍的に高め、人々もその恩恵に浴しています。農法、農具、土壌、品種、管理等々、それらの技術は王国を富ませ、やがて世界を富ませる事でしょう”
ミルトの言う通りだ。
あの学会のやる事は、カイにはもはや理解不能。
そして人間の学者にも理解できないだろう。たった数年でそれだけの差ができてしまったのだ。
”なぜ、聖樹教にはこれができなかったのでしょうか”
ミルトの言葉は続く。
”聖樹教が人々を導いておよそ二千年。人々は呪われてもいなかったのに。農業学会はまだ五年かそこらなのですよ?”
ミルトの言う通りだ。
人間はエルフのように呪われてはいなかった。むしろ祝福されていた。
なのに、農業技術は今やエルフに圧倒されるありさまだ。
それもエルトラネにあるような受け継がれた技術ではなく、新たに考えられた人にも可能な技術で圧倒的な差がついている。
”二千年という時間があれば、人の世界はもっと発展していて良いでしょう。エルフという先達がありながら、言葉も技術もエルフから受け継いでおきながらこのありさま……なぜでしょう?”
「……」
”奇蹟があるからですよ”
カイが黙りこむ中、ミルトが答えた。
”奇蹟があるから人々はそれにすがり、自らの研鑽を怠りました。奇蹟がなければ夢に見せたような船が世界を往来していたかもしれない。竜のように空を飛び、月にも手が届いたかもしれない。馬を使わない車が街道を走っていたかもしれない。カイズに頼らずとも遠くの者と話ができたかもしれない……そして、その奇蹟を授けたのは私達、聖樹教です”
奇蹟でカタがつくのなら、それで終わりにするだろう。
聖樹教のもたらした世界樹の枝と葉はそれを可能にする奇蹟。
それを手にすれば竜ですら人にひれ伏す。
なければ勝負にもならないのに。
”これは私達、聖樹教の罪”
暗闇の中、ミルトが静かに言う。
”二千年の長きにわたり、奇蹟を安売りした罪です”
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