15-41 ダロス・ウィッシュと尻を叩く祝福
「えう発声、はじめっ!」
ビルヒルト隣領、王国軍駐屯地。
整列する勇者見習い達を前に、男が号令した。
「えう」「えうっ」「えう」「えう!」「えうーっ」「えう」
「気合いが足りん!」
「えう!」「えうっ!」「えうーっ!」「えう!」「えうっ!」
ここに配属されたばかりの、まだ若い男女がえうを叫ぶ。
えうを叫ぶ男女は勇者の卵。勇者見習いだ。
男は鋭く視線を走らせながら、静かに彼らのえうを聞く。
歳は四十を過ぎたくらいだろうか。
隙のない物腰が戦士の経験を語り、白の混じった髪が男の老いを語る。
「もっと魂を込めろ!」
「「「えうっ!」」」
見習い達を鍛える男は、グリンローエン王国の勇者ダロス・ウィッシュ。
現在の王国最強勇者だ。
ダロスはしばらく勇者見習い達にえうを叫ばせた後、再び号令した。
「よぅし止めっ!」
「「「えうっ!」」」
「これがえうだ。今後は各自、日常でえうを訓練しておくように」
「あの……ダロス様」「なんだ?」
おずおずと挙手した勇者見習いがダロスに質問する。
「この『えう』という言葉には、どんな力が……」
「いや、特に力はない」「「「はぁ?」」」
唖然とする勇者見習い達に、ダロスは言った。
「強いて言えば合い言葉のようなものだ。えう世界不可侵協定を知っているか?」
「勇者見習いになる時に聞きました。我らの世界と歩みを共にするオーク達エリザ世界をはじめとした世界間で結ばれた協定の事ですね?」
「そうだ」
ダロスは見習いに頷いた。
「我ら勇者は世界を異界から守る為に戦うが、今は昔と違いすべての異界と戦わなければならない訳ではない。それを見分けるのが『えう』だ」
「はぁ……?」
質問した勇者見習いが首を傾げる。
あの方のなされる事は、我らの理解の及ぶ所ではないからなぁ……
と、ダロスは心で笑う。
ダロスもはじめて聞いた時は首を傾げたものだ。
「えうが通じた者は異界の者であろうと我らと敵を同じくする同志。敵ではない。それが異界の底であろうと共闘する事ができるだろう」
しかしダロスが異界の底で危機に瀕した時、えうを叫びながら異界の者が助けに来てくれた。
『お前もあの方同様、えうが下手だな!』『元祖えう世界のくせに下手過ぎる』『俺たちのえうを見習い精進するがいい!』『『『えうーっ!』』』
異界の者が叫ぶえうの力強き事、そして頼もしき事。
あの時から、ダロスもえうに本気だ。
「だから、勇者となるお前達はえうを磨かねばならない」
「「「はぁ……」」」
が、しかし……なりたての勇者見習いには理解できないだろう。
何とも微妙な返事をする見習い達に、ダロスは腰の鍋を抜いた。
「では……剣を抜け」
「「「は?」」」
「お前達の尻に分からせてやる」
構えるダロスに見習い達は戸惑いながらも剣を抜く。
さすがは勇者見習いとして抜擢された者達。剣を構えればダロスを見る目は敵を見る鋭いそれだ。
「来い!」「「「お願いしますっ!」」」
ダロスの掛け声に、見習い達がダロスに迫る。
戦う面構えは良し。気迫も十分。
だが、若い。
ダロスは見習い達の攻撃をするりと避けて背後に回り込むと、尻を鍋で強打した。
「尻ががら空きだ」バスンッ!「ぬおっ!」
「お前も」バチンッ!「あうっ!」
「お前もだ」バチンッ!「ぬああっ!」
「ヤワな尻だな」ドゴンッ!「ぐおおおっ!」
「尻鍛えが足りん!」ズバシュッ!「ぐぅああああっ!」
ダロスは王国最強の勇者。
そして尻のエキスパート。
鎧越しでも痔にするくらい朝飯前。
尻勇者ダロス・ウィッシュの名は伊達ではない。
背後を取られた上に尻を強打された見習い達は五メートルほど空を飛び、激しく地面を転がった。
「痛い!」「尻が、裂けたっ!」「こ、これが尻勇者ダロス・ウィッシュ」「尻があぁああああ……」
地に伏した見習い勇者達、尻をおさえて阿鼻叫喚。
「私が異界の怪物であれば、お前らは皆死んでいる」
ダロスは鍋を腰に納め、彼らを見下ろし告げた。
「戦いの技を磨くのも大事。覚悟を持つのも大事。しかしまずは戦う相手かどうかを見極める事だ。異界の顕現とは神の気まぐれ。相手が全て世界を食らいに来た敵とは限らない。だからまずは『えう』なのだ。わかったか?」
「「「は、はぃぃいい……」」」
「わからなければ今日は切れ痔な一日だ。わかったか?」
「「「はい! 理解しました!」」」
「よし。回復係! 彼らの痔を治療してやれ!」
ダロスは回復魔法使いに後を任せ、その場を後にした。
ビルヒルト領主アレク・フォーレが老いを理由に勇者を辞し、ダロスに最強の座を譲り渡したのが十年前の事。
「まだ君には、老いは理解出来ないだろうなぁ」
そう言って笑ったアレクに当時は驚いたダロスだが、十年過ぎた今はそれが痛い程良く分かる。
身体の動きが鈍くなった。
目の焦点が合いにくくなった。
回復魔法と強化魔法の補助で何とか戦えはするが、自らの限界と衰えを痛烈に感じるようになった。
ダロスも今年で四十四。
全盛期はとうに過ぎ、あとは衰えていくばかり。
だから次の世代を育てねばならない。
自らの経験、知識、技術を少しでも若い者達に伝え、世界を託さねばならないのだ。
だから、『えう』。
えうは過酷な異界で仲間を見つける祝福の言葉。
ひとりで出来る事などちっぽけな事。
共に歩く者がいなければ、支える者がいなければあっさりと手折れてしまうもの。
それが、人だ。
「いつもの行商人が来ています」「どこだ?」
「納品との事ですので倉庫の方に馬車を誘導いたしました」「そうか」
兵舎に戻ると係員がダロスに来客を告げてくる。
そう。今日は見習いの痔など気にする日ではない。
ダロスが足早に兵舎を出て倉庫に向かうと、どこにでもいるような顔の男がにこやかに片手を上げてきた。
行商人カイ・ウェルスだ。
「よう。納品に来たぞ」「ようこそいらっしゃいました」
ダロスが頭を下げる。
「会う度に老けるなぁ」「カイ様はまったく変わりませんな」「いや、一応歳は取っているからな?」「エルフの加齢なんて人間にはわかりませんよ」
「ダロスーッ、元気ーっ?」「お久しぶりですアレク様」
そして納品に来たカイにまとわりつくのは皺が増えた老齢のアレク。
道を違えても二人はやはりマブダチだ。
「こんにゃろ、引退してから調子に乗ってやたらと抱き付いてきやがる」「さすカイ!」
「若い頃のように押しのければよろしいではありませんか」
「そんな事して骨が折れたらどうする!」「カイなら骨折大歓迎さ!」
「あぁ、回復魔法を拒否して看病を要求するに決まってますね」
「そうだろ。面倒なじじいに育ったもんだ」「えーっ!」
「カイから離れるえう」「む。そこは妻のいるべき所」「そうですわ。私達を前にしてイチャコラは許しませんわ!」
「あー、骨が折れちゃうーっ」
「えう!」「ぬぐ!」「ふんぬっ!」
わはははは……馬車の周囲に笑いがあふれる。
ダロス達が会話する背後では馬車が枝葉を伸ばして積み荷を倉庫に運んでいる。
相変わらずなシャル馬車だ。
カイにも会いたかった。
アレクにも会いたかった。
しかしダロスが誰よりも会いたかったのは、この二人だ。
「おひさしぶりです」
『立派になりましたね』『祝福した甲斐がありました』
祝福ベルティア。
そして祝福エリザ。
この二人の尻叩きが無ければダロスは今、生きてはいない。
若さにまかせて突っ走り、どこかの異界で食われていた事だろう。
ある時は尻を叩いて戦いを鼓舞し、またある時は尻を叩いてとんずらを強要し、またある時は祝福が成就するまでお前なんぞに食わせるかと怪物や主の尻を叩いて回った尻勇者ダロス・ウィッシュの育ての親。
今でも感謝に堪えない、頼れる二人の母だ。
「お二人のお陰です」
『『いい子、いい子』』
「ありがとうございます!」
二人はもう、ダロスの尻は叩かない。
かわりに頭を撫でてくる。
ダロスは二人の祝福を耐え抜き、自らの願いを叶えたのだ。
だからダロスの側にはもう、祝福はいない。
しかしそれで良いではないか。
祝福には祝福の生きる道があるのだから。
「ほぅ、勇者の卵か」
「私も引退する歳ですので。減ったとはいえまだまだ異界は顕現しますから」
「そうだな。アレクもダロスを見習って……無理だな」「無理だねーっ」「自分で言うなっ」「骨がーっ」「やかましい!」
「はは、普通の者にはアレク様のような突き抜けた戦いはできませんからね」
アレクのような戦い方は教えて出来るようなものではない。
そしてシスティやソフィア、マオのような仲間も望んで得られるものではない。
本人も、周囲も突き抜けていたのが歴代最強の勇者アレク・フォーレ。
だから見習いに道を示すのは、地道に力を付け最強となったダロスの役目だ。
『納品、終わったよーっ!』「そうか」
皆が談笑している間に納品が終わったらしい。
シャル馬車が枝葉をブンブン振ってくる。
カイは係官から書類を受け取り、サインを記して馬車に乗った。
ここは王国の軍事施設。部外者が長く滞在できるような場所ではない。
「じゃ、次はどこかで芋煮でも食おう」
「カイ様の芋煮ですか?」
「なんだそのいまいちだなって顔は?」
「バレた!」「このやろう!」
馬車を走らせながらカイが笑い、ダロスは手を振り見送り笑う。
馬車がしゅぱたと去っていく。
さすがシャル馬車。馬に全く負担を掛けない相変わらずの自走馬車だ。
ダロスは馬車が門を抜け、丘の向こうに消えるまで手を振って見送った。
そして……
「お前ら、盗み見るなら気配は消しておけ」
「「「も、申し訳ありませんっ!」」」
そしてお前ら、後で痔な。
ダロスは建物の影に隠れて盗み見ていた勇者見習い達を睨む。
どこにでもいそうな顔とかエルフすげぇ美人とか巨乳とか嫁にしたいとかあの顔でゲットできるなら俺も大丈夫だとか、盗み見のうえに地獄耳のエルフが居る場で言いたい放題。
あの方々にはすべて聞こえてたからな?
聞こえない振りしていただけだからな?
「あの、ダロス様」
「なんだ?」
「さっきのご老人はアレク・フォーレ様ですよね?」「歴代最強勇者の?」
「そうだ」
「ご一緒していた若い方は誰ですか?」「どこにでもいそうな顔の」「ここの役人にあんな感じの男がいたよなぁ」「雰囲気が似てたな」
正直に言ったらカイ様が困るかもしれないな……
カイ・ウェルス様と言おうとしたダロスは、思い直して別の名を告げた。
「あったかご飯の人だ」
「「「あったかご飯の人?」」」
勇者見習い達、唖然。
「なんだその名前?」「これは冗談なのか?」「でもダロス様は大真面目だぞ?」「あったかご飯の人……ぷっ」「ダロス様の友人に失礼だぞ……ぷぷっ」
名を聞いた勇者見習いの数人が笑う。
エルフの中では絶対の名。王侯貴族の中では恐怖の名。異界でも超有名。
しかし、人間社会ではまだまだマイナー。
エルフを見るのも珍しい者達では知らないのも無理はない。
ダロスは予想通りの反応に心で笑い、彼らに告げた。
「ちなみにあったかご飯の人はエルフの現人神だ。お前ら、エルフ嫁は諦めろ」
「「「ええーっ!」」」
勇者見習い達、エルフ嫁絶望的。
「あの方は過日の訓練に参加頂いたオーク達やビルヌュ様、ルドワゥ様、マリーナ様、そしてシャル様の手配をなされた方でもある」
「異界のオーク!」「そして竜!」「さらにシャル様!」
勇者見習い達、騒然。
「全盛期のアレク様に僕より強いと言わせた方でもある」
「全盛期のアレク様よりも強い!」「歴代最強勇者の全盛期よりも強い!」「アレク様が全盛期の頃、あの人何歳だよ?」「幼児?」「ありえねぇ!」
勇者見習い達、驚愕。
「そして大竜バルナゥ様と互角に戦える方でもある」
「「「嘘だぁーっ!」」」
「嘘だ」
「「「やっぱりぃーっ!」」」
「本気でやり合ったらあの方の圧勝だろうな」
「「「えええぇええええええっ!」」」
勇者見習い達、絶叫。
本気というのは神の祝福を総動員するということ。
祝福ズの尻叩きだけでバルナゥは土下座降伏するだろう。
人と竜との間に絶望的な差があるように、竜と神との間にも絶望的な差があるのだ。
「でも、システィ様には頭が上がらない方でもある」
「「「システィ様だからなぁ」」」
勇者見習い達、超納得。
さすがシスティ、半端無し。
「王国有数の大富豪でもあるが普段はのんびり行商してらっしゃる気さくなお方だ。お前達も何かと世話になるだろう。以後失礼の無いように」
「「「はぁ……」」」
ダロスが勇者見習い達の反応に心でニンマリしていると、一人がおずおずと聞いてくる。
「あの、ダロス様……」
「なんだ?」
「そんなに強い方がいるのに、ダロス様はなぜ勇者として戦っているのですか?」
「……」
その言葉に他の勇者見習い達が頷く。
「アレク様より強いなら、俺らが相手する異界とか楽勝なんじゃね?」「バルナゥ様を圧倒するなら王国の異界をすべて相手にしても勝てるぞ」「あの人だけでいいんじゃないか?」「俺ら、必要なくね?」
あぁ、若いな……
かつて自分が口にした言葉に、若さの輝きにダロスは目を細める。
ダロスは答えた。
「そして我らはあの方を失ったら、為す術なく異界に食われるのか?」
「それは……」
できる誰かがやれば良い。
それは誰もが思う事。誰もがなぜだと思う事だ。
「確かにあの方は強い。我らが対する異界の主など瞬く間に討伐する事だろう」
「ですよね……」
そして戒めねばならない、甘えだ。
「しかしどれだけ強くても連戦で疲れれば隙もできるだろう。何でもできるからとこき使えば嫌になる日も来るだろう。隙を突かれてあの方が討たれた時、嫌になって放り出された時、我らはどうするのだ?」
「……」
他力本願は他人次第。
見捨てられれば終わりだ。
「そしてあの方とて老いる。やがてはこの世を去られる時が来る」
それがダロスが世を去るはるか未来であっても、カイにも必ずその日が来る。
しかし世界はその先も続く。
カイだけに世界の命運を押しつけ続ける事はできないのだ。
「だから我らは自らの刃を磨くのだ。自らできる事は自ら行い、できない事は強者に頭を下げて頼む。それが竜であり、あの方であり、『えう』だ」
自分が去った後のために、今のダロスは戦う。
「あの方はあの方。我らは我ら。進むべき道はそれぞれ違う。お前達、自らを磨け。できる事の喜びに笑い、できぬ事を頼らねばならぬ悔しさに泣け。そして悔しさをバネにできぬ事をできる事に変えろ。自ら未来を掴み取るために」
「「「はい!」」」「違う!」「「「えう!」」」
直立して叫ぶ彼らにダロスは頷き、カイに関して言い忘れた事を付け加えた。
「あと、あの方の妻は『えう』の始まりの人だ。生半可なえうではあの方に討伐されるぞ?」
「「「精進しますえう!」」」
「うむ。魂の入った良いえうだ。今のえうを忘れるな」
「「「えう!」」」
まあ、カイ様もえう下手だけどな。
嘘も方便。
ダロスは心で笑った。
尻勇者ダロス・ウィッシュ。
祝福に尻を叩かれながら戦い続け王国最強の勇者となった彼はこの五年後、老いを理由に勇者を辞した。
彼の教え子達は王国を異界の侵攻から守り抜き、歴代の最強勇者の座は全て彼の教え子の系譜で占められる事となる。
最強の勇者はアレク・フォーレなれど、真の勇者はダロス・ウィッシュ。
最強であったアレクと、最強を生み出し続けたダロス。
王国の守護神となった二人のどちらが強いかは、酒場の定番ネタ。
そして最後はダロスがアレクの弟子だったかどうかの議論となり、結論が出ないままへべれけとなって終わるのだ。
隠居したダロスは妻子と共に畑を耕したり、狩りをしたり、釣りをしたりと悠々自適。
しかし何よりも楽しみにしていたのは、時折訪れる若き行商人だ。
晩年の彼は窓際に座って本を読みながら、若き行商人を待ちわびていたという。
そして若き行商人が訪れた日の夜は、彼の部屋から尻を叩くような音が響いていたという。
『そろそろ無理がありませんか?』『骨が粉砕しますよ?』
「それも本望!」
尻勇者ダロス・ウィッシュ。
どこまでも尻であった。
これで15章終わりです。
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