幕間4-1 王女システィ・グリンローエン(1)
「うがあっ! 終わらない、終わらないっ!」
ランデルの町、宿屋。
やっとの事で異界討伐を終えたシスティは宿の一室、机の上の書類を前にふんぬと唸っていた。
「システィ、がんばって」「アレクがんばる超がんばる!」
「姫さんがんばれ」「あんたは少しくらい手を動かしなさい」「……」
アレクの応援に笑顔でこたえ、マオの応援にツッコミを入れる。
書類はビルヒルトの異界討伐に関するあれこれだ。
異界討伐から二週間が過ぎてもシスティは書類と格闘していた。
今回は色々とやりすぎた為にいつもより時間がかかっているのだ。
準備、経過、結果、そしてそれらに伴う経費。
王国組織の一部署である勇者級冒険者の活動は決してどんぶり勘定などでは無い。
まず、書類。
人も物も金も書類が役人の間をめぐる事で動く。
それが国家というものだ。
だから書類がなければ一エンも動かせず、行使した権限の裏付けも得られず罪に問われる事もある。
異界と戦う勇者も例外ではない。
実力行使の正当性を示すために必要な各種書類は、手を抜くと無慈悲に再提出だ。
「ああぁ、まだこんなにあるぅううううう……」
王女システィ・グリンローエン。
パーティーの火力担当は書類仕事でも火力担当である。
どこの馬の骨とも知れないマオと元奴隷のアレクの字はたどたどしく何ともアテにならない。
日常で使うには十分でも王国の正式書類には全く使えない。
だから、マオとアレクの書類もシスティが書く事になる。
アレク、マオ、アレク、マオ、マオ、アレク、アレク……
システィは二人に質問し、回答をもとに書類を書き、添削し、清書する。
一人で三人分の書類はキツいわ……
システィはアテになりそうな隣の聖女をちらと見る。
「ふふ、うふふふ……」
隣ではソフィアがひきつった笑いを浮かべて自分の書類を書いていた。
聖樹教聖女であるソフィアは王国とは別に聖樹教に対する報告書類の作成義務があり、王国の書類だけにかまけてはいられない。
今回の事案は言いだしっぺが聖樹教なだけにソフィアの報告書は批判一色だ。
……うっわ、そんな事書いていいのあんた?
と、文面をちらり見たシスティが不安になるほどの批判の単語がずらりと並び、本気でこれを出す気かあんたと心配になってくる。
しかしソフィアはそのまま書き終え、署名の上封印してしまった。
あぁ、あの時の事を怒ってるのね……
あの馬車での恥ずかしい出来事はソフィアの心をいたく傷付けたらしい。
システィは逆転大勝利であったがソフィアはさんざんであった。
「まあ、経過はこんな所かしら」
「拝見いたします」
討伐経過の報告書類を書き終えたシスティはざっと推敲して署名する。
それを同席していた役人が確認し、署名の上封印した。
ビルヒルトに顕現した異界は階層が増える前にエルフの協力のもと無事討伐され、戦利品は協力したエルフに譲渡された。
アレクに主の討伐を任せたらまたカイを作っちゃったからくれてやっても別にいいでしょ?
宝物庫でも悪さしてないし。
ぶっちゃけるとこんな感じである。
王国は宝物庫のカイの処遇に困っていたから問題になるとは思っていない。
王国にとっては異界の討伐が何よりも重要であり、戦利品の処遇や協力者が何者であるかなどは些細な事である。
日銭を稼ぐ冒険者とは事情が違うのだ。
異界は存在するだけで国土を奪っていく王国の敵、ひいては世界の敵である。戦利品など国土や世界に比べれば大したものではないのだ。
「次は経費か……」
システィは経費書類に手をつける。
協力者一人ずつに破格の聖銀貨一枚。
買い上げた荷車と馬が二セットで聖銀貨一枚。
鍋四十ほどに聖銀貨一枚。
聖銀貨一枚、一千万エン。
カイが七年ほど生活できる額らしい。
これ、経費で落ちるかしら……私の自腹?
カ、カイに土下座して竜牛とかラナー草とか調達してもらおうかしら。
ええい非常時、非常時だから高値仕方なしっ!
「強気よ! 強気でいくのよシスティ・グリンローエン!」
王女といえども経費で落ちない諸費用は自腹で分割払いだ。
システィは気合を入れて強気で書き、状況を示して必要経費とごり押していく。
「システィ、がんばって」
「がんばるーっ!」
冷汗を流しながら書類を書き殴るシスティの脇で何の手伝いにもならないアレクが水やら菓子やら食事やらを差し入れて応援する。
ちなみにマオは討伐経過の書類を書き終えたところでとんずらし、カイの手伝いをしながら可愛いエルフに鼻の下を伸ばしている。
役に立たない所で腐るより役に立つ所で輝く。
これが冒険者というものであった。
「ふう……」
「王女殿下、お疲れ様でした」
やっと全ての書類が書き終わった頃には日はすっかり沈み、窓の外は闇に染まっていた。
作業を優先したため食事はとてもいい加減だ。
さながらダンジョンにいるような感じの情けなさにカイを笑っていられないとシスティは苦笑する。
先に書類を書き終えたソフィアはすでに聖樹教教会に帰っている。
今頃はミルトと夕食談義に花を咲かせているだろう。
「……いくつかは経費で落ちないかもしれませんね」
「うぅ……やっぱりかぁ」
「システィ、おつかれさま」
役人が書類をざっと確認し、システィに呟き封をする。
システィはがっくりと肩を落とし、アレクがシスティをなぐさめる
経費で落ちなければダンジョン討伐報酬が吹っ飛ぶ上に給金の一部で分割払いだ。
王国は勇者級冒険者の金策を黙認している代わりに経費にはとてもうるさい。
十分な給金に戦利品の王国買い上げ保証、馬車や武器防具の調達や貸与、専任の役人数名の雑用補助、法による権限、そして必要経費。
様々な特典を与える代わりに明確な根拠を求める王国の姿勢は面倒だが仕方無い。湯水のように金や人を使われてはたまったものではないからだ。
まあとにかく書類仕事は終わった。終わったのよシスティ……!
机と椅子からの解放にシスティは大きく伸びをした。
封をした書類を鞄に入れ、さらに鞄に厳重に封をした役人が立ち上がる。
彼はこれから王都に戻りこの書類で上位部署と戦い承認と経費を獲得しなければならない。
「お願いね」
「私の報酬もこの書類にかかっておりますので、精一杯の努力はいたします」
「ありがとう」
システィが頭を下げると役人は善処を約束してくれた。
「あ、そうだ。ランデル領主からの拠点の許可は下りた?」
「早急に建設場所の候補地を絞って頂けるとの事です。その際は申請書類の作成をお願いいたします」
「わかったわ」
異界が顕現した時、近くに勇者がいればすぐに討伐できる。
今回の異界顕現でランデル領主も痛感したのだろう。あっさり許可してくれた。
「システィ、拠点って?」
「あぁ、そろそろ私達も拠点を作っておこうと思って。このあたりを拠点とする勇者はいないから今回のような急な顕現に即応できるようにね」
「……ありがとう」
システィはもっともらしく理由を語ったがアレクには仲間の事を思っての事だと解ったらしい。システィににっこり笑って頭を下げてきた。
ああ、癒される……
裏の無い笑顔に心を洗われるシスティである。
心が通じた素敵な彼は以前の彼とは一味違うわ。
以前の彼も素敵だったけれど今は一味違うのよ!
と、とりとめも無い事を考えながらシスティはコホンと咳払いで場を流し、役人に聞く。
「用件はそれだけかしら?」
「……いえ、もうひとつございます」
役人はアレクを一瞥して、言いにくそうに口を開いた。
「王都から婚姻の為の帰還命令が先日ランデルに到着いたしました」
「……そう、相手は?」
「王都にご在住の聖樹教バリトー・ブランジェ枢機卿の側室、と」
「側室か。そっか……まあ聖樹様に最も近い枢機卿なら、いいかな……」
システィの顔が固まり、ため息と共に諦観が溢れる。
正室ではなく側室。
はぁ……と漏れるため息は王国と聖樹教とのどうしようもない力の差だ。
あと二、三年はこのままと思っていたが収穫祭騒ぎで王国が動いたらしい。
収穫祭をきっかけに壊滅したビルヒルトの件で聖樹教と交渉し、王国の立場を引き上げようとしたのだろう。
私はその尖兵という訳ね。側室だけど。
システィは心の中で呟いた。
「システィが……」
システィの横ではアレクが表情を固くしたまま役人を見つめている
役人はアレクに向かって頷き、二人に今後の日程を説明した。
「命令書類の正式受理は三日後、王女殿下への伝達は十日後、帰還は二ヶ月後といたします。身辺の整理をお願いしたします……心残りの無いように」
「……ありがとう」
役人は深く礼をして部屋を辞していく。
システィは役人の心遣いに深く頭を下げ、退室する彼を見送った。
十日後に伝達する事柄を今伝達してくれている。
それは心遣いに他ならない。日程を最大限に引き伸ばしてくれたのだ。
「はは、アレク……私、拠点にいられなくなっちゃった。あと二年くらい何とかなると思ってたのになぁ……」
「システィ……」
笑いながら涙を流すシスティをアレクは静かに抱きしめる。
勇者の仲間として命を預けて一年。
女として心を奪われて半年。
想いが通じたのはつい最近。
そして今日は別れの話である。
王家というものはつくづく損な役回りね。
愛する者の腕に抱かれてシスティは思う。
王家の血は王国を回す為の潤滑油だ。
円滑に王国を回すために軋む部分に注がれて、王国は回り続けるのだ。
絶対強者である聖樹教が失敗した今は王国の力を食い込ませる好機。
システィの戦いの場はダンジョンから聖樹教枢機卿の館へと移り、ドレスという鎧を着て女を武器に戦う事になる。
システィは深く息を吐くと優しくアレクの拘束を解き、背を向けた。
手で涙を拭い、くるりとアレクに向き直った顔はもういつものシスティ・グリンローエンだ。
「まぁ、解ってたことだし仕方ないわ。拠点の話をしっかりと進めましょう。あと二ヶ月しか無いのだから」「うん……」
「あぁ、そういえばカイのコップの件が全然進んでいないわ。あれも私がいる内にまとめておかないと」「うん……」
「アレクもしっかりなさい。もうすぐ私は貴方に何もする事ができなくなるんだから」「うん……システィ……」
アレクはシスティに再び近づき抱きしめようとしてくる。
システィは捕まえようと伸ばしてくるアレクの手を避け、さらに一歩離れて言った。
「アレク」
ここではダメよ。
口の形で言葉を示し、システィはアレクをその場に縫い付けた。
側室になる未来が確定した今、こんな場所で良からぬ噂を立ててはいけない。
ランデルは人間の町である。
何かをすれば人の目や耳に入り、外へと伝わっていくものだ。
王国を不利にするような事柄は慎まなければならなかった。
「明日は森に視察に行きます」
「うん」
森ならエルフしか見ていないから、その時に……
潤んだ瞳でそれを示してアレクを出口へ押していく。
手から伝わるアレクの熱がシスティの体に火を灯し、熱く焦がしていく……アレクを追い出し扉を閉めて、システィはアレクの熱が宿った腕で手で自らの体を掻き抱いた。
熱い吐息が溢れる。
自ら示した意思とアレクの熱さが女の身体に渦巻き、体の奥を疼かせる。
あの森で、私はアレクと……
システィはそれを心に描きながらベッドに倒れて瞳を閉じた。
書類と格闘した疲れがシスティの心を夢に連れて行く。
その夜、システィはアレクに抱かれる夢を見た。





