1-3 そんな事よりご飯を!
ランデルは百年余前に森に沈んだ廃都市オルトランデルを森から解放するまでの砦として建築された町だ。
その規模は旅の宿場町程度であり、オルトランデルとは比べ物にならないほど小さい。
殆どが石造りのオルトランデルと違い建物も町を囲む城壁も大半が土と木で作られており、当時金も資材も森に奪われた領主の苦しい台所事情を街並みに感じることができる。
建築当時は奪還の熱意に燃えていた領主も世代を経るたびに冷めて、五十年ほど昔にランデルを領都と定める旨が先代の領主により宣言された。
奪還を諦めたのだ。
そこから町としての機能の充実が図られたが五十年もの奪還の日々で失われた財貨と利権は莫大なものであり、移り住んだ者もあまり戻らず旅の宿場町程度の立場に落ち着き今に至る。
カイの住む町ランデルはそんな町だった。
「オルトランデルでエルフに遭遇しました」
「ええっ!」
全てを食らう暴食、エルフから辛くも逃げ延びたカイはランデルに到着してすぐに冒険者ギルドに駆け込みエルフの遭遇報告を行った。
聞き込みに場所と日時を詳しく、そしてエルフの特徴は多少ぼかして語る。
「何か、獲物を捜しているような感じでした」
「獲物? 獣ですか? ま、まさか人?」
「遠目だったのでそこまでは」
飯に関しては話さない。
討伐対象生物とご飯を食べたとか怪しさ爆発、速攻拘束間違い無しだと思ったからだ。
エルフと内通していると思われたら身の破滅だ。
堅実さと信用は尊いとは思うが他人よりも我が身の方が大事である。
だからカイは心ですまんと詫びながら最低限の義理を果たして良しとした。
一通り報告を終えたカイはギルドの係員から呪いの有無を調べるまで他者と接触は控えるようにと指示されて、銀貨二枚と書類をもらいギルドを後にした。
銀貨二枚は情報料、書類はこれから行く場所で使うものである。
カイはランデルの通りをのんびり歩き、片隅にひっそりと立つ古い木造民家の扉を開いた。
「ミルト婆さん、いるかい?」
「あらカイ、いらっしゃい」
祭壇のある椅子の並んだ居間で談笑していた老女が振り向き笑う。
ランデル聖樹教教会所属、ミルト・フランシス司祭。
現存する国家全ての国教である世界樹を神と崇める宗教、聖樹教の司祭である。
カイが入った民家と大して変わらないこの建物も実は聖樹教教会だ。カイが狩り場にしていたオルトランデルの教会はそれはもう荘厳で立派な石造りの廃墟であったがランデルの教会は礼拝堂で茶飲み友達と談笑するアットホームな民家。何ともすさまじいダウンサイジングであった。
だがそんな凋落もミルトは気にしてはいない。落ち着いた所作で椅子から立ち上がるとカイの方へとゆっくりと歩いて来た。
「怪我かしら?病気かしら?それとも仲間の誰かの蘇生?」
「いや、今日は呪い」
「あら大変、ツケでもいいわよ?」
「ギルド依頼だからお金は大丈夫」
ギルド発行の書類を渡す。
ツケが利く聖樹教教会なんてここだけだろうなぁ。
と、カイは他の町の聖樹教教会の話を思い出して苦笑する。
荘厳な建物、立派な服装、高い料金、先払い。ランデルのそれとは正反対だ。
「あら、ミルトさんお仕事?」
「そろそろいい時間だからおいとましようかしら。また明日ねミルトさん」
「また明日。二人とも腰を大事にね」
茶飲み友達がよっこらしょと立ち上がる。
皆ミルトさんである。ランデルの者で彼女を司祭と呼ぶ者はいない。
そして茶菓子のお礼に腰を回復してくれる聖樹教司祭もいない。
カイは古い礼拝堂を眺めて嘆息する。ランデルの貧乏司祭はいろいろと聖樹教の常識からずれた人だった。
ミルトは茶飲み友達を手を振って送り出すとカイに椅子を勧め、書類を一読してからカイを見た。
「妙なマナの動きはありませんから大丈夫ですよ」
「そうですか」
ホッとカイが息を吐く。
マナとは万物に流れる、世界の全てを形作る源流の力である。
それが満ちたものが空間であり、物質や力に変換されたものが世界。
その変換を意思で行ったものが魔法だ。
呪いとは力だ。力があるならそこには必ずマナの動きがある。
ミルトはそれを見ていたのだ。
マナの扱いに長けた魔法使いはマナの動きを見る事ができる。ミルトはカイの中に流れるマナの動きから問題は無いと判断した。
さらにミルトのような肉体と魂を扱う回復魔法使いは生命の扱いにも長けており、ミルト程の者であれば魂を読む事で相手の記憶や思考を知る事ができる。
が、呪いが無かった為にミルトはそこまでは行わず、書類にサインを書き込んだ。
ランデルの顔見知りでなければ魂を読んでいただろう。信用を利用しているようで心苦しいカイである。
「エルフは言葉が通じますから嫌われなければ大丈夫でしょう。向こうも避けている節がありますし」
五十年前に赴任したミルトは今のランデルを作り上げた者の一人だ。
見た目は茶飲み婆さんであっても領主にも顔の利くランデルの実力者。
それがミルト・フランシス。
そしてカイが尊敬する人生の師でもある。
危機に際し思い出した言葉はミルトが良く言う言葉であり、ランデルの冒険者は誰もがその言葉を胸に活動していた。
ともあれミルトが大丈夫と言うなら一安心だ。もうあれと出会う事は無いだろうとカイは書類を受け取り教会を後にした。
そして五日後……
「なんでこんな事に」
カイは廃都市オルトランデルとは離れた森の中で荒く息を吐いていた。
火のつかない芽吹いた松明を握り締め己の不運を嘆く。
廃都市という絶好の狩り場を放棄し新たな稼ぎ場所を定めて心機一転、ここからまた稼ごうと思っていた矢先にこれである。
無の息吹、そして木の陰にちらちらと煌き揺れる銀の髪。
間違いない、ミリーナだ。
アーの族、エルネの里のミリーナ・ヴァン。
そのミリーナが近付くでも襲うでもなくこちらの様子を伺っている。
彼女は松明が消えると共に水や鍋など余計な荷物を捨てて全力疾走したカイに付かず離れず絶妙な距離を維持しながら追随し、何かに期待するような視線を送ってくる。
あの視線をカイは良く知っている。
そりゃもう良く知っている。
あれは近所の駄犬に傷んだ食べ物をくれてやる際こちらに向ける視線と同じ。食べ物を期待している視線だ。
味を占めやがった……
カイは深くため息をついた。
廃都市とは離れた場所を選んだはずだ。
少なくともそのように場所を選んだつもりだ。ギルドの地域情報を元に慎重に離れた稼ぎ場を選んだはずなのに。
「おい」
「えう、あったかご飯えう?」
ちがうよ。
長い耳が言葉を聞き取ったのだろう、呼ばれたミリーナがえうえうと近付いてくる。
三十メートル以上離れていたのにすごい聴力だ。
しかもカイは先程までの全力疾走で息が乱れているのに彼女はもう平静そのもの。カイが捨てた荷物を逐一拾ってくれる余裕っぷりだ。
これでどうやって逃げるのか竜皇ベルティアに聞きたいよ……
と、存在しない者を挙げる事で無理と表現する言い回しを心の中で呟き、カイはギルドの方針に首を傾げる。
逃げるなど下級冒険者では絶対に無理な話だった。
「なぜ、いる?」
「ミリーナの里は竜峰ヴィラージュの近くえう」
「こっちの森の深くかよ。そんなのギルドの地域情報に記載されてないぞ」
「記載されてたら一大事えう。逃げなきゃいけないえう。ところでご飯はまだですか?」
「まだだよ」
とっとと討伐されてください!
と、目前の脅威に叫びたくなるのをぐっとこらえてカイは薬草探しをはじめた。
カイは抵抗する事をすでに諦めている。
強力防御の世界樹の守りに全力で逃げても余裕で追随できる脅威の体力、さらに魔法の腕もある。
こんなのもうどうしようもない。
救いが一つあるとするなら好意的に接してもらえている事かと、えうえう言いながらついてくるミリーナをちらと見る。
せめて離れてください。
できれば里に帰って二度と人里近くに来ないでください。
儲けが薄くあまり人気の無い狩り場ではあるが冒険者が誰も来ないとは断言できない。
現にカイはこの場で薬草を探しているのだ。もう一人二人いてもおかしくは無い。
「ところでご飯はまだですか?」
「まだだよ」
絶対付いてくる。
絶対に飯を食わせるまで付いてくるぞこいつ。
ここまで来るとエルフより人の方が怖い。見つかったらやはり身の破滅だ。
だが追い返す実力はカイには無い。どうすれば……
いや、待て。飯で釣れば良いのでは?
カイはふと思いつく。いくらミリーナでも飯を作っている間は離れてくれるだろう。
というか離れざるを得ない。火が使えないから。
そして火をかけている間に薬草を探す。二時間くらいじっくりことこと煮込めば採集に必要な時間も確保できるはずだ。
これはいける。
カイは適度に広い場所に一度捨てた荷物を置くと、その中から鍋を取り出した。
「えうっ!」
ミリーナが期待に満ちた瞳をカイに向ける。
この駄犬め……近所の犬を思い出しながらカイはかまどを作り始めた。
落ち葉をどけて土を露出させ、スコップでわずかなくぼみを作る。大きめの石をいくつか探し出してくぼみの周りに組み上げて土で補強……
「おい、木が生えてくるんだが」
「ミリーナがアーの族のエルフだからえう」
「いや、離れてくれないか?」
「えうっ」
ニョキニョキと元気なかまどの芽吹きにカイがミリーナに指示を出す。
下がれ、もっと下がれとカイは指示を出し続けて、十メートルほど離れたところでようやく生長が止まった。
どうやらこの距離がエルフの植物生長の限界らしい。
廃都市オルトランデルは一夜にして樹海に沈んだと記録が残っているが真実のようだ。あまりに驚愕の樹木生長速度にカイは舌を巻いた。
生長した木をナイフで切り刻み、完成したかまどに鍋を据え付ける。
転ばない事を確認して荷物から炭を取り出して……
「炭が芽吹いてるんだが」
「ミリーナはアーの族のエルフ……」
「それはもういい。お前、そこから一歩も動くなよ」
炭まで芽吹くとかどんな超絶能力だ?
ミリーナの言葉に内心眩暈を感じながらカイは彼女を手で制し、周囲の枯れ木を集める。
エルフの力で芽吹いた枯れ木だった何かを避け、それなりの量を集めてかまどの口に放り込む。
「火が点かないんだが」
「そりゃエル「離れろよ」フえうっ」
もうやだこの駄犬。
カイはしっしと犬を追い払うようにミリーナを追い払った。
火打ち石では面倒そうなので荷物の中から魔炎石をいくつか取り出す。
これは魔光石のように込められたマナに反応し燃える魔石だ。
価格は三個で銀貨一枚。
魔光石と違い使い切りだが手間取って駄犬が暴れても困る。カイはミリーナを三十メートルほど下がらせて魔炎石にマナを込め、かまどに放りこんだ。
魔炎石は一瞬だけ輝き、ミリーナと逆方向に煙をなびかせ沈黙した。
不発だ。
五十メートル……不発。八十メートル……不発。百メートル……さすがに今度は……
マナを注ぎ込んだ石をかまどに放り込むと魔炎石はパッと爆ぜた。
炎は消えずに枯れ木へと移っていく。
成功だ……と、思ったらいきなり火が消し飛んだ。
「つ、点きましたかえうっ?」
『待て』すら出来んのかこの駄犬は。
怒鳴りたくなるのをカイはぐっとこらえた。
犬。そう犬だ。
きっとこいつは人の形をした犬なのだ。近所の駄犬と同じように広い心で接してあげよう。
たとえ『待て』も出来ない駄犬でも、整備した狩り場を出入り禁止にされて貯蓄を減らす事になっても、火を付けるだけで銀貨二枚、生活費半日分を失っても広い心で、広い心で……
うん、我慢できん。
カイはミリーナの肩をがしっ、と掴んだ。
「ミリーナ、この際だから『待て』をおぼえようか」
「えう?」
「じっと待つだけの誰でも出来る簡単な事だから。そこらの犬でも出来るから」
「そ、そんな事よりご飯えう! あったかご飯はまだですかえうっ? この前はすぐ頂けたえう!」
「それは元々俺の飯だったからだよ! お前はご飯が上から降ってくるものだと思っているのか?」
「ご飯は上から降ってくるえう! ミリーナのあったかご飯をどうか、どうかお願いいたしますえうっ!」
「うがあっ面倒臭えっ!」
流れるように土下座に移行したミリーナを前に、カイは拳を握り締めた。
すまん近所の駄犬よ。目の前のエルフは駄犬以下だ。
このままだと絶対覗きに来て全部台無しにする。そして白々しくご飯はまだですかと聞いてくるに違い無い。
どうせ逃げられないのだ。ここで仕込まねば老後が危ない。
カイは決めた。
ここで『待て』を仕込む事を。
「大丈夫です。あったかご飯はちゃんとご馳走しますよ」
「あ、ありがとうございますえう!」
「ですが、『いつ』食べられるかはミリーナ次第です」
「えう?」
首をかしげるミリーナにカイは清々しい笑顔で告げる。
「ええ。『待て』ができれば二時間後くらいには食べる事が出来ますよ。出来れば、ね」
――――――
五日後。
薬草を納品して依頼を終えたカイは、借家への家路をフラフラと歩いていた。
夕日が赤く世界を染めている。粗雑な町を美しく変える自然の魔法だ。
「夕日が目に染みやがるぜ」
心が洗われるような美しき光景に涙が溢れた。
今ならどんな事でも許せる気がする。
徒労からの解放感に身体は軽い。カイは借家に帰ろうと大通りの角を曲がって狭い路地に入る。
バウッ、バウバウッ。
いつものように近所の犬が吠えて来る。
しかしカイが荷物から痛んでいない、買ったばかりの食料を取り出すと犬の態度が露骨な歓迎に変わった。
わふ、わふんっ。
ぶんぶんと尻尾を振りながらカイに擦りより、早くくれ、早くくれと催促するように吠える。
カイは犬の前に食料を静かに置くと、告げた。
「待て」
ぴたり。
犬の動きが止まる。
まだ? まだ?
と、瞳で語る犬をしんみりと見つめて、食べてよしと告げる。
犬が尻尾をブンブン振りながら食料にかじりつく。
カイは懸命に食べる犬の背を撫でながら、涙混じりに語り始めた。
「お前は頭がいいなぁ……なあ、友よ。聞いてくれ友よ。俺さ、『待て』を教えてきたんだよ。お前が今やった奴な。でも五日もかかってまだ出来ないんだ……なあ友よ信じられるか? 言葉が通じるのに何度言ってもちっとも言う事聞かないんだぜ。飯が出来ないからと何度言っても、何度教えても全く待てないんだよ。そんな事してる内に携帯食料から発芽して全部食べられなくなってさ……騙したな鬼畜めとか憤慨したから土下座したらそんなものは土下座じゃないと叫ばれ土下座修行が始まって、結局食料を街道にいた知人の冒険者から倍の価格で買ってさ……俺はただ飯が出来るまで待てって言っただけなんだよ。なあ友よ、うまいか? 新品だからうまいよな? なぁ、なんであの駄犬はあんなに駄目なんだろう……分かってくれるか? 分かってくれるよな友よ……なぁ……」