4-11 アーの族、ホルツの里のベルガ・アーツ
「あいつら、森で散々実りを奪っておきながら……」
夜。
ビルヒルトとランデルの間の森の中。
アーの族、ホルツの里の長老ベルガ・アーツは怒っていた。
若く精悍なエルフの美顔が怒りに歪む。
ベルガの言うあいつらとは都市ビルヒルトの人間の事だ。
ホルツの里はつい三日ほど前まではビルヒルト付近の森に居を構えていたのだ……今は流浪の民になってしまったが。
ホルツの里にとって人間はただ迷惑な存在だ。
ビルヒルトの人間は森に入っては実りを奪い、森を焼いて畑に変え、邪魔なエルフを武力で排斥、圧迫する。
都市の冒険者は中級から上級。大半の冒険者はエルフに劣るが数は圧倒的だ。
ホルツの里とのいざこざは絶えず、時には血を見ることになる。
そうなったのは四十年ほど前、黒竜ルドワゥが人間の勇者に討伐されてからだ。
ホルツの空から竜の姿が消えてからこの変化は少しずつ、しかし確実にビルヒルト周辺のエルフと人の力関係を変えていった。
外の里との交流をあまり持たないエルフはほとんどの実りを森に返す。
しかし人間は時に森を畑に変え、時に森の実りを奪い外に持ち出していく。
奪うだけ奪い、実らなくなったら森を奪ってさらに実りを奪う。
世界を巡るマナがその穴を埋めきれないほどに。
やがてマナが減り世界が弱くなると、異界が染み出し森に怪物が出るようになった。
スライムやゴブリン、オークといった異界の存在が森を徘徊するようになったのだ。
しかしそれを人間は森の恵みと喜び狩る。
戦利品が得られるからだ。
狩らねばならない怪物ではあるがあれは断じて恵みではない。
あれは世界の悲鳴だ。決して許してはいけない崩壊の始まりなのだ。
人間はそれを知りながら搾取を止めず、恵みと称して奪い、奪い、奪い続けた。
そして異界が顕現した時、人間は収穫祭という祭りに踊り笑っていたのだ……
「ベルガ長老、我らはこれからどうすれば……」
「あぁ、すまない。まずは大竜バルナゥのお膝元、アーの族のエルネを頼る」
憤りすぎて声に気付かなかったらしい。
ベルガは心配そうに語りかける仲間に詫びる。
どうすれば……か。
そして森を進みながら仲間の言葉を反芻する。
そんな事はベルガが聞きたいくらいだ。
先代長老は怪物に討たれた。
長老を継いだばかりのベルガに里を背負う覚悟は無い。
まだ齢三百と少しの若輩者に託されたのは里の皆を引き連れ新たな安住の地を探す事。
はっきり言って荷が重過ぎる。
あまりの重圧に慌てた結果、逃亡途中にビルヒルトを森に沈めてしまった。
異界の顕現、ダンジョンから湧き出た怪物からの避難、ビルヒルトに関する王国への対応……前途は多難すぎて眩暈がするくらいだ。
王国は土下座で許してくれるだろうか、襲わなければ今頃は怪物に蹂躙されているだろうから助けたのだと開き直るか……無理だなー……いっそ長老から口伝されたエルフの古都アトランチスと世界樹でも目指そうか……いやいや、やはりエルネを頼ってまず落ち着こう。しかし……いやいや……しかし……
と、ベルガの思考がぐるぐる回る。
もはや頭の無駄遣いであるが、わかっていてもやめられない。
この優柔不断も重圧と共に無くなるのだろうか……
と、十何回目の堂々巡りにベルガがため息をついた頃、先行させていた者が戻ってきた。
「ベルガ長老、峠に人影が!」
「人間か?」
「いえ、それが……エルフが三人に、たぶん人間……が一人。それに鍋が」
「なんだその、たぶん、というのは」
「普通の人間としてはマナが強すぎます。何かしら強力な装備を付けているのではないかと。その四人が鍋から少し離れて談笑しているのです」
「……なんだそれ?」
ベルガは首を傾げた。
ここまで逃げてきたのにいきなり奇妙な展開である。
エルフと人間が一緒にいる事自体が異常なのに、さらに鍋、そして談笑である。
鍋、そうか、鍋か……
ベルガは森に沈めたビルヒルトを思い出す。
鍋に頭突きで頂いた芋煮はとても美味かった。
冥土の土産と号泣しながら食べたあの味をもう一度味わいたいものだとベルガは思う。
次こそは人間を蹂躙する事になってしまうが。
「どうしますか?」
「まず、私が行こう」
ベルガは弓を仲間に預け、ナイフだけで歩き出す。
争う理由は全く無い。
峠を越えさせてくれれば良いのだ。
森の中を樹木を生長させながら歩き、峠に足を踏み入れる。
ベルガの視線の先、峠の多少開けた場所で談笑する四人が一斉にベルガを見た。
「そこで止まれ」
人間の言う通りにベルガは止まった。
確かに人のマナとは違う……油断無くベルガは視線を走らせる。
「えう? ここら辺のエルフではないえうね」
「私はアーの族、ホルツの里のベルガ・アーツ。そちらは?」
ベルガの名乗りに三人のエルフが名乗る。
「アーの族、エルネの里のミリーナ・ヴァン」
「ダーの族、ボルクの里のルー・アーガス」
「ハーの族、エルトラネの里のメリッサ・ビーン」
ハーの族なのにまともだ!
と、ベルガは驚愕に震えたが叫ぶ事なく問いかける。
「……そちらの人間は?」
「ああ、カイ・ウェルス。カイツーと呼んでくれ」
名はカイなのにカイツーと呼べ? 妙だな。
ベルガがそんな事を考えていると、カイツーが食べ物を差し出してくる。
「飯が発芽したり腐ったりするからそこで止まってもらった……で、食うか?」
「いいのか?」
「えう。今日は収穫祭えうルールを守れば食べ放題えう」
「む。美味」
「そう! カイ様のルールを守れば万事解決ですわ。で、何人ですの?」
「三百二十二人だ」
「そうか、ここの量では足りないが先には十分な量を用意してある。ここで受け取る手順を憶えた奴から峠を越える事を許そう」
カイツーの言葉は魅力的だが、ベルガが求めているのはご飯ではない。
ベルガは答えた。
「それより急ぎ峠を越えさせてもらいたい。食べに来た訳ではないのだ」
「ありえねえ!」「えうっ!」「ぬぐぅ!」「ふんぬっ!」
ベルガの答えに四人が一斉に悲鳴を上げる。
「エルフだぞエルフ! 食べるだろ? な? 食べろよおい」
「えう? もしかしてエルネで食べ放題えうか?」「食べるなよ!」
「ご飯、私のご飯?」「お前も食うな!」
「そんな! カイ様のご飯が食べられないなどエルフの風上にも置けませんわ! 食べなさい。食べるのです……めっさらぷっぴー!」「食べるの忘れるな!」
先程まで平和な交渉だったのにいきなりの狂乱である。
ベルガはカイツーに聞いた
「……私は何か間違えたのか?」「生まれる種族を間違えてるよあんた!」「それはあんまりではないか!」「いやエルフだろ飯キチだろ」「失礼な! 今はそこまで飯に執着はしていないじゅるり」「おい聞いたかお前ら」「本当にエルフえうか?」「でもよだれ」「体は正直ですわ」「う!」
ベルガはよだれを腕でぬぐい、息を整える。
今はこんなアホな言い争いをしている時ではないのだ。
「ま、まあ正直食べたいが命よりも大事な事でもないだろう。それに私は若いがホルツの里の長老だ。里の者に対する責任もある」
「命?」
「ああ。ホルツの里の近くに異界が、ダンジョンが顕現した。今ごろビルヒルトは怪物の庭だ。先代の長老は怪物に討たれた。我らはエルネを頼ってここまで来たのだ」
異界。
この言葉にカイツーの表情が険しくなる。
「……お前ら、収穫祭の芋煮欲しさにビルヒルトを襲ったんじゃないのか?」
「当たり前だろう。そこまで我らは獣ではない」
「エルネの前でよく言えるえうね……えう? ホルツが遠慮すればエルネのご飯が増えるえう?」
「見ろ! これがアーの族のエルフだ。長老はもっとひどいぞ」
「……先代の長老はエルフらしからぬ立派な方だったのだな。ま、まあそんな事を言っている場合ではない。私は一刻も早く里の者に峠を越えさせなければならない。ここを通らせてもらうぞ」
「わかった」
ベルガは数歩下がり身構える。
しばらくして、カイツーから了承の言葉が返ってきた。
「ただしミリーナ、ルー、メリッサの先導に従ってもらう。異界なら専門家が、勇者級冒険者と王女がランデルにいる。事情を詳しく話してもらわないとな」
「わかった。里の者を連れてくる」
ベルガは踵を返して蠢く森へと戻っていく。
これでようやく峠を越す事ができる……ホルツの民を安全な所に導く長老としての努めを一つ果たし、ベルガは安堵のため息を吐いた。
しかも峠の向こうでは芋煮が待っているという。
冥土の土産と思って食べた芋煮がランデル界隈ではけっこう食べられるものらしい。
あれだけ奪っておきながら、ビルヒルトの人間はなんてケチなんだ……
と、ベルガは憤慨しながら坂を下りていく。勘違いだが。
とにかく一時の安心と食は確保できたのだ。次はその時に考えれば良いだろう。
落ち着いたらエルネの状況を確認し、可能であれば勇者達の異界討伐に力を貸して里の奪還の一助としよう。とりあえずは安全、次に芋煮だ……
ベルガは自らが見た異界の情報を整理する。
最悪の中で見た希望の光にベルガの表情は明るく、芋煮の誘惑に垂れるよだれがキラリ輝いていた。
一方……
「……どうすんだよ。これ」
ベルガの後ろ姿を見送りながら、カイツーは呟きため息をついた。
「メリッサ」
「嘘ではありませんわ」
「だよなぁ……」
状況は最悪のさらに下だった。
ベルガの話が本当なら異界が顕現しダンジョンの怪物が勢力を拡大しているらしい。
ビルヒルトの冒険者はとうの昔に拠点を捨てて逃げているだろう。
どんな場所でも現れて暴れる冒険者も、拠点が無ければまともな活動はできない。
つまりダンジョンは今、手付かずだ。
さらにエルフの長老を殺し、三百人以上のエルフを里から追い出すような強烈な奴が溢れてきている。
当然だがダンジョンの中の怪物はもっと強力だ。主はさらに強力だ。
これ、アレクらだけで何とかなるのか?
「えう? カイツー難しい顔してるえうね」
気難しい顔をしていたのだろう。
ミリーナがカイツーの顔を覗きこんできた。
「いや、これ大丈夫なのか?」
「大丈夫えう。来たえうよ」
ミリーナが天を見上げ、星空の一点を指さす。
その指し示す先、雪を冠した竜峰ヴィラージュの頂きの上に星空を翔る輝きがあった。
夜空をしばし翔けたそれは急に落ちると地を舐めるように飛び、羽ばたき、やがてカイツーらのいる峠を掠めていく。
その一瞬、カイツーとそれの視線が交錯する。
翔けて来たのは怒りに燃えるマナの輝く銀鱗の大竜だ。
「大竜バルナゥ……」
カイツーが呟く。
バルナゥの向かう先はビルヒルト。
唖然と見送るカイツーらとホルツの者の視線の先、あっと言う間に向かいの峠へ消えていく。
直後、激しいマナに空が輝き、向かいの峠の稜線が浮かび上がった。
バルナゥがブレスを吐いたのだ。
「本当にマズい時は竜が出るえうよ。異界は世界の敵えう」
「……それ、本当にマズいって事だろ」
本当にもう、どうするんだよこれ。
ベルガを先頭にホルツの里の者が峠を登って来るのをぼんやりと見つめながら、カイツーは深くため息をつく。
カイ、まかせた。
そして後の始末をまるっとカイにぶん投げた。





