4-10 芋煮防衛線
「ん……」
夜。
ランデル伯爵、ルーキッドは目覚めた。
外はまだ暗く、時計もベッドに入ってからわずかな時しか刻んでいない。
いかんな。明日は収穫祭だというのに。
あまりの出来事に気が立っているのだろう、ルーキッドは深呼吸して力を抜く。
明日からしばらく忙しい。
それが何日なのか、何ヶ月なのかはわからない。
ビルヒルトから流れてくるエルフがランデルを去る。
それが終焉なのだから。
それにしても少し騒がしいな……
力を抜きベッドに身を預けたルーキッドはそう思い、一度起きる事にした。
寝室の扉を開けて廊下に出ると本を読んでいた侍女が慌てて立ち上がり、ルーキッドに礼をする。
ルーキッドは彼女に聞いた。
「何か、騒がしいが」
「勇者級冒険者達がランデルを守る為に準備中との事です」
「そうか、勇者が……」
ルーキッドは窓から外を見れば、避難民が野宿している城壁の向こうが明るい。
あそこで勇者達が何かをしているらしい。
ルーキッドは呟いた。
「まだ、諦めてはいないのだな。ありがたい事だ」
一度ビルヒルトに出発した勇者達がランデルに戻って来た報告は受けている。
報告を受けたルーキッドは落胆したが、聞けば勇者達だけで向かったらしい。
通常の異界討伐に動員される王国軍はランデルに連れてきてはいないそうだ。
それでは最強の勇者でも無理だろう、と思ったルーキッドだ。
世界を侵略する異世界。
それが異界だ。
異界はマナが薄くなった世界の弱い所を貫くと、そこに世界と異界が混ざった奇妙な狭い空間を構築する。
それがダンジョンと呼ばれるものだ。
異界は世界のマナを食い続け、ダンジョンを拡張していく。
それを討伐するために王国が選んだ特別な者達が勇者級冒険者。
勇者だ。
勇者は世界を貫いた異界、ダンジョンの主を倒す存在。
そしてダンジョンの主を倒す事だけを求められた存在。
そこまで勇者を送り届けるために王国軍が動員され、いくつもの部隊で拠点や補給路の確保を行い勇者を主のいる所まで守り通す。
異界の討伐とは本来、大勢で行うものなのだ。
このくらいの事は領主のルーキッドも知っている。
だからルーキッドは勇者の部隊アテにしていたのだが、勇者がランデルに連れてきたのは役人と護衛の数名のみ。
国宝級の武具を持とうが圧倒的戦闘力を持とうが四人。
いかに強くても疲れもすれば腹も減る。眠くもなる。
エルフが何人いるか知らないが四人よりは多いだろう。
さすがに多勢に無勢だが、どうするつもりなのか……
と、ルーキッドが考えているとまだ報告する事があるのだろう、侍女が話しかけてきた。
「ルーキッド様、システィ・グリンローエン王女殿下から伝言を承っております」
「何と?」
「これから対エルフ防衛戦を始める。固く門を閉じ決して外に出ないように。と」
「そうか」
ルーキッドは窓から外を見る。
何をしているのかは……見えないか。
勇者達は城壁の向こう。ルーキッドがいる領館からは見えない。
気になるがルーキッドは口を出す気はない。
目的が達成できれば良い。
接近中のエルフ共がランデル領に入る前に追い返し、領地と領民を守ってくれれば良いのだ。
百戦錬磨の勇者に田舎領主が助言できる事などない。
ただ、任せて願うだけだ。
「何かあれば就寝中でも構わん、呼べ」
「はい」
ルーキッドは寝室に戻り、今度こそ眠りに入った。
目覚めた時、勇者達が問題を解決している事を願いながら……
「時間がないわ! 準備ができた鍋から火にかけて煮て頂戴!」
ルーキッドが眺めた城壁の向こう、避難民がいるランデルの外。
王女システィが叫ぶ。
「疲れた方やケガをした方は申し出てください。魔法で回復いたします」
システィの隣では聖女ソフィアが叫び、訪れた者達に回復魔法をかけている。
勇者ふたりの指示のもと、避難民の志願者が一心不乱に何かと格闘していた。
それは片手では余るが両手よりは小さく、ぬめりに踊り志願者をやきもきさせる……芋だ。
勇者の手伝いを志願した者達が、一心不乱に芋の皮剥きをしていた。
芋だけではない。
ある者は人参、ある者は玉葱、ある者は肉……その中には呆れるほど高価な肉もある……をぶつ切りにして鍋に無造作に叩き込む。
一定の量に達した鍋に水を入れ、ペネレイを入れ、ネギや葉野菜を入れて煮込み、塩などで簡単な味付けをする。
城壁の向こうからは領兵があんぐりと口をあけてその光景を眺めていた。
見た目はただの炊き出しにしか見えない。
しかし勇者達のする事である。何か意味があるのだろう……
と、兵達は考えていた。
それは避難民の志願者も一緒だ。
野菜、肉、薪、たくさんのミスリルの大鍋。
膨大なそれらをどのように調達しているのか誰一人として知りはしない。
斧を持った大柄の戦士が馬車を山盛りにして持ってくるのだ。
しかし志願者は皆『勇者だから』で納得していた。
勇者だからそのくらいするだろう、勇者だからミスリルの大鍋くらい使うだろう、と。
勇者は王国が特別に認めた特権を持つ者達だ。
ヘタな事を言って無礼討ちになどされたらたまったものではない。
壁の外に締め出された避難民は興味を封じ込め、無関心を装い芋の皮を剥く。
それにしてもさすがは人海戦術である。
空っぽであった鍋が瞬く間に食材こんもりで煮込まれていく。
数は力。魔力刻印付きの皮むき機や洗浄機などまったく必要ない速度だった。
「鍋が足りないわね。ちょっと! そこの警備兵!」
「お、俺ですか?」
鍋が足りないと感じたのだろう、システィが城壁の上で警戒している領兵の一人を呼びつけた。
「あんた大鍋ありったけ調達してきなさい! これ料金ね!」
無造作に投げられた貨幣を領兵が受け取る。
手に収まった小ぶりなそれは領兵のマナに反応して魔力刻印を浮かび上がらせた。
聖銀貨だ。
「大鍋よ! それで買えるだけ買ってきて頂戴!」
「か、かしこまりましたーっ」
聖銀貨一枚、一千万エン。
カイが一度しか手にした事のない、なかなかお目にかかれない王国の最高貨幣を手に領兵が駆けていく。
上司が何事かと見咎めたが勇者の王女が絡んでいる事を知って黙認し、鍋運びにと五名の領兵を追いかけさせた。
外で勇者が活動しているのだ。領兵の五、六人など大した問題ではない。
「か、買ってきましたーっ!」
「投げなさい!」
システィは領兵が投げた鍋を風の魔法で鍋を受け取り、鍋置き場にガランゴロンと転がした。
大きい鍋は四十ほど。
システィが聞く。
「これで全部?」
「はい! 釣りは明日にならないと無理だそうです」
「駄賃でいいわ。皆で分けなさい!」
「「「ええーっ!?」」」
システィは気前良く礼をして、ソフィアと共に完成した鍋を魔法で馬車に積む。
「出して!」
「はいっ」
御者が馬を走らせる。
防衛線の構築は時間との勝負だ。エルフが通過してからでは遅い。
街道を走る途中、アレクが御した馬車とすれ違う。
軽く手を上げるアレクに手を振り応え、システィはあの決意を再び胸に刻む。
この戦いが終わったら……
「うぉらっ! 芋収穫したぞ!」
「エルトラネ、芋を栽培します!」
「俺はネギ刈るぞ。どんどん収穫するから追ってきやがれこんちくしょーっ!」
同じ頃。
カイは魔力刻印を持つミスリル収穫機を手にヤケクソ気味に叫んでいた。
ミスリル収穫機に取り付けてある芋がこんもりと入った籠を台車に移し、空の籠を再セットする。
両手持ち、車輪付きのミスリル収穫機は驚異的な性能でカイの無理矢理計画を支えていた。
何せこの収穫機、畑の畝に合わせて動かすだけである。
畝に置き、収穫する作物を念じて前に押すと刃物が勝手に動き、作物を収穫してポイポイと籠に放り込んでいくのだ。
軽量化と動力の魔力刻印のおかげで取り回しもラクラク、地中も地上も自在に動く刃物が何とかしてくれる。
一番の重労働が収穫した籠を台車に移して空の籠をセットする事というとんでもない魔道具だった。
「これ絶対国宝級だわ。やるなエルトラネ、あいつら紙一重なすげえ奴らだぜ」
と、思わず呟くカイである。
超高性能の収穫機のおかげで台車には芋満杯の篭満杯。
一杯になったそれを馬車まで運び、馬車の荷台に積み替える。
どうせすぐにマオが戻ってくるだろう。
カイは空の台車を押して畑に戻り、今度はペネレイを積んだ台車に載せて往復する。
ふと見るとエルネの幼女……といってもカイよりちょっと年上のはずだが……がぷちぷちとペネレイを抜いていた。
「ありがとう。ほら」
「わぁい!」
無邪気な幼子達には籠一つ採ったらお菓子一つと言ってある。
約束通り菓子を一つ頭に当てて渡すとニパッと笑ってハムハムと食べ始めた。
食べ物で釣ればペネレイもありふれた薬草も食べ物とは思わないので腐らない。
相変わらず良く分からない呪いであった。
幼女が食べている間は別の子が交代する。
そこら中でゴロ寝しているボルクの里のダークエルフはうつ伏せになってエルネの子にペネレイを抜かせ、疲れたらミスリルコップで癒す、を繰り返していた。
カイは葉野菜を刈り取りネギを刈り取り獣を絞めて血抜きの魔道具で血を抜いていく。
そうこうしているうちにマオが馬車の荷台を空にして戻ってきた。
「マオ、どうだ?」
「もう鍋の分はある。このあたりでいいぞ」
「よし。俺は移動するがエルフの皆は栽培だけ頼む。どれだけ必要か解らないからな」
カイはここで収穫の終了を宣言。
長老達に指示を出し、エルフの若者に担いでもらい森を駆ける。
ミリーナ、ルー、メリッサ、そしてカイツー、無事でいろよ。
この祭を誰一人欠けずに円満に終わらせよう。
カイは担がれながら木々の向こうにあるであろう、峠を見つめて願った。