表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/355

1-2 エルフは森の人

 フーッ……フーッ……


 狭い部屋の中でエルフの吐息が響く。

 選択肢を失い運命が完全に相手任せになると逆に腹が据わるのだろうか、それとも絶望で麻痺しているのだろうか、カイは自らの心情を理解できないまま妙に落ち着いて小窓のエルフを見つめていた。

 顔形からするとおそらく女性だろう、人の顔と同じくらいの小窓に貼りついたエルフの娘は壁の向こうで窓に顔を突っ込んだまま動かず、見開かれた瞳がカイを射抜かんばかりに睨み付けている。

 その視線にわずかな違和感を感じながら視線を下ろすとすらりとした鼻が獲物を確認しているのかヒクヒクと震えているのが見えた。

 その下にはわずかに開いた口がある。その端に輝いているのはよだれだろう……


 よだれ?


 はたと視線の違和感に気付く。

 先程から何か妙だと思っていたがエルフの視線がわずかにずれている。

 カイではなくもっと左下を見ているのだ。

 落ち着け俺。

 よだれで余裕が出来たのだろう、カイは考える余裕を取り戻していた。

 冒険者は慎重さが命。

 ここが正念場だ。

 ランデルに住む人生の師の言葉を思い出す。

 祈る暇があるなら自分の頭で考えなさい。神と人は道が違うのですから……神の教えを説く聖樹教の司祭とはとても思えない言葉にカイは心で苦笑する。

 この違和感が鍵だ。

 カイは自らの視線をエルフに合わせて左下にゆっくりと動かし、その原因らしきものを見つけた。

 飯だ。

 左手に持つ料理の入った椀、先程作った携帯食料と野草と薬草をひたすら煮込んだカイの常食。味もへったくれもない安全性第一の温かいだけの飯だ。

 そしてその先には何もない。

 ほんとにこれかよ、とカイは試しに左手に持った椀をつぃ、と右に動かしてみた。


「!」


 エルフが息を呑み、ギラギラした視線が椀と共に動いた。

 上、上、下、下、左、右、左、右……エルフの瞳は湯気を放つ椀をしっかりと追従する。

 ブフーッ。

 動かして匂いが拡散したのだろう、荒い鼻息に埃が舞い小さく形のよい唇から顎へとたらりとよだれが垂れ落ちた。

 間違い無い。このエルフは左手の椀に夢中だ。

 どこまで動かしても視線はそれを追っていく。小窓の枠で視界が遮られると何か喚きながら暴れ、見える場所に戻すまで窓枠と無様な格闘を繰り返す。

 なんだこれ。

 確かエルフの言葉は人間と同じだよな。というか人間の言葉はエルフから伝授されたものだよな。

 カイはエルフの知識を思い出し、物は試しだとエルフに椀を掲げて語りかけてみた。


「食うか?」


 差し出す椀にエルフの眼がギラリと輝く。


「えうっ、えううっ!」


 ブブンブンブンブルンッ。

 エルフは顔を小窓にぶつけながら全力で何度も頷いた。

 えうって何だよ、エルフ方言か?

 カイは超絶大反応にビビりながら椀を差し出してみると、小窓の先のエルフが過激に反応する。

 顔を突っ込み、手を突っ込み、身体を捻じ込もうと窓枠を手でガリガリと引っ掻き、そして叫ぶ。


「狭いえうっ、狭すぎて入れないえうっ!」


 どうやらえうは口癖で特に意味は無いらしい。

 そんな小窓に身体が入る訳ないだろう、どんだけ必死なんだこいつは。

 カイは呆れてその光景を見つめていた。

 エルフは懲りず、諦めず、眼を血走らせながら小窓を突破しようと足掻いている。

 爪で窓枠を引っ掻いているのは石を削り取る為だろうか、細くしなやかな指が痛々しい赤に染まっていくのが魔光石の淡い光でもわかった。

 しかしそれでもエルフは止めようとはしない。

 さすがに呆れたカイは再びエルフに言葉をかけた。


「そこからは入るのは無理だろ。一度降りて中を上がって来い」

「そ、そんな事言って私から逃げる気えうね? 人間はとんずらが得意えうがそうはいかないえうっ!」

「逃げないから。逃げられないから」

「そう言って華麗にとんずらするのが人間えう。これまでどれだけ煮え湯を飲まされて来たえうか。そして一度くらい煮え湯を飲んでみたいえう。絶対に逃がさないえうよ……風よ回れ、捩じれ、我が前の壁を削り、穿て……」


 話を聞かずに叫ぶエルフの目が禍々しく、赤く輝いた。

 強いマナが集まると魔光石のように輝きを放つ。魔法の発動前兆だ。

 エルフの詠唱と共にカイの周囲の空気が不自然に動き出す。

 始めはそよ風程度だったそれは次第に強く渦を巻き、部屋の脇に積んでいた乾燥させた薬草が宙に舞い散り始める。

 おいおい。

 再び訪れた危機にカイは顔を引きつらせた。

 このエルフは石の壁を風の魔撃で破壊するつもりらしい。

 カイ的には拠点のひとつを潰されるのは別に構わないが嵐ですら砕けない壁を壊すほどの魔撃の余波はどれほどになるかは見当も付かない。

 少なくとも無事では済まないだろう。

 カイも、飯も。

 飯、飯……そう飯だ。

 カイは人の話を聞かないエルフに叫んだ。


「ああっ、飯に埃が!」

「えうっ?」


 ぴたりと詠唱が止んだ。

 渦巻く風が凪ぎ、旋回していた薬草が床に散乱する。

 飯の話には入れ食いなのねこいつ。

 何とも低レベルな会話にげんなりしつつもカイは手にした椀を覗きこむ。

 幸いな事に目立つゴミは入っていない。多少冷めてしまっているが。


「下に入り口があるからちゃんと入ってこい」

「えうっ、ご飯が、あったかご飯がえうっ」

「早くしないと飯が冷めるぞ」

「とんずらしたら呪うえう。末代まで呪い尽くすえうっ!」

「あ、罠には気を付けろって早いなおい!」


 カイの話を聞かずに捨て台詞を残し窓からエルフが消え、数秒後に派手な落下音と叫びがえううと響く。

 あー、近所の駄犬がこんな感じだったな。

 緊張しているのがバカらしい展開にカイは苦笑し温かな湯気を出す椀に匙を入れ、テーブル代わりに使っている石の台に置いた。

 抜き身の剣を鞘に納める。

 さて、招かれざる客を迎えるための準備をしなければ。

 カイは扉のかんぬきを外し、床に散らばった薬草を集めて元の場所に片付ける。

 転がした魔光石と同じものをポケットから数個出して目一杯マナを込め、仄かに明るくなったそれを部屋に張った紐の下に吊るす。

 エルフが近くにいるので火は使えない。

 あまり明るくは無いがカイのマナではこれが限界だ。我慢してもらおう。

 煮込んだ飯の分量は一人前と少し。

 あのエルフが見た目以上に食べる名の通りの暴食でなければ足りるだろう。カイが食べる分は当然ありはしないが。

 簡単な片付けが終わると、建物の内側から激しい突撃音とえううと叫ぶ声が近づいてきた。

 エルフは聞かずに突撃したが、まあ罠は大丈夫だろう。

 何しろエルフには鉄壁の防御を誇るアレがある。

 カイの先輩が話した通りのエルフであれば下級冒険者の仕掛けた罠など問題ではない。

 そして話の通りエルフは罠と障害物を蹴散らしながら瞬く間にこの四階に達し、木の扉を激しく突き破って現れた。


「えうっ、来たえう! 食べに来たえう! アーの族、エルネの里のミリーナ・ヴァンがご飯を食べに来たえうよ!」

「……ようこそ」


 そのままどこかに消えて欲しかった……

 本心を隠してカイはやや固い挨拶を返し、まじまじとミリーナと名乗るエルフを見た。

 エルフのマナを吸収したのだろう、魔光石が昼間のように部屋を照らし始める。

 小窓では顔と手くらいしか見えなかったがやはり女性。

 人間なら婚期が始まる直前の女児くらいの年齢だろうか。身体は細くしなやかに伸びて、カイの肩くらいの位置まで美しくも涎まみれな残念美人の顔を持ち上げている。艶やかな銀の髪は森の緑を吸ったかのように淡い緑に煌き、清流のようにサラサラと腰まで流れていた。

 森で生活するからなのか飢えているからなのか、無駄な肉は殆ど無い。

 男の冒険者の言うところの残念胸ではあるがカイは暴食の容姿などどうでも良い。

 それよりも彼女を取り巻く不可思議な木々である。

 どこから生えているか分からない木々がミリーナの周囲をめぐり、罠の矢や槍をその枝で防いでいた。

 世界樹の守りだ。

 エルフをあらゆる脅威から守る盾。外敵の侵食を許さない鉄壁の鎧だ。

 銀級以下の冒険者の能力ではこの防御を突破するのは難しく、ゆえにエルフを討伐するのは金級以上の仕事とされている。遭遇すら滅多にないことだが。

 ミリーナの服装が半袖短裾の貫頭衣、良く言えばワンピースなのもこの防御があるからだろう。防御力が皆無な服でもこの守りがあれば問題ではないのだ。

 ささやかな胸を張って宣言したミリーナは背負っていた矢と矢筒、そして腰の短剣を床に投げ捨てると神に拝するように腰を直角に曲げペコリと頭を下げた。


「ご飯、ご飯くださいえうっ」


 飯くらいで何を拝んでいるのやら。

 カイはそう思いながら椀を取り彼女の前に差し出した。

 ミリーナは顔を上げてちらりと椀の位置を確認すると、それより頭を下げて近づいていく。

 いやそれでは食べられないだろうとカイが椀を顔前に行くように下げるとミリーナはさらに頭を下げ、カイが椀を下げ、ミリーナがさらにさらに頭を下げる。

 奇妙な前屈勝負は椀が床に置かれるまで続き、床に置かれた椀を前にミリーナは前屈から流れるように土下座へと移行した。


「えうっ、頭の、頭の上にくださいお願いしますえうー」

「なにその風習?」


 そんな風習しらんわい。

 土下座する彼女を前にカイは椀を持ち上げる。

 まるで犬のおあずけのようだ。

 またもや近所の犬がカイの脳裏に浮かび、相手が全てを食らう暴食である事を思い出して首を振る。

 今は頭を床にこすり付けて土下座しているが害意があればカイなど一瞬であの世行きだ。

 カイはミリーナの懇願の通りに椀を彼女の頭の上に持ち上げる。

 ミリーナがゆっくりと頭を上げ、コツンと椀が頭に触れる。

 彼女はその姿勢のまま震える両手で椀を包み込む。しっかり持った事を確認したカイが手を離すと神に捧げるように恭しく椀を掲げ、地に這うほどに曲げていた腰を起こした。

 手で椀の温かさを感じ、鼻でその匂いを嗅ぎ、ポロリと涙を流す。

 ミリーナは震える右手で匙を手に取るとご飯をすくい、涎まみれの口にゆっくりとそれを入れた。

 身体をブルリと震わせる。

 目を見開き、ボロボロと涙を流したミリーナはその直後匙を激しく動かしご飯をかき込み始めた。


「えう! や、柔らかっ、柔らかあったかご飯えうっるるぶくるぺぽぼぐぶるぶぶんぐべぶぽ……」


 顔が椀に貼りつき、匙は目まぐるしく動く。

 すごい食いつきだ。

 よほど飢えていたのだろう、あっという間に椀の煮込みを食べ尽くしたミリーナは寂しげに椀を見つめ、次にちらちらと鍋に視線を注いだ。

 まあ、こうなるよな。

 カイはミリーナから空になった椀を取り上げ、鍋に残っていた煮込みをよそう。

 音と湯気を立てて椀に流れる食事の香りに再び彼女が頭を伏せる。

 先程の手続きと同じようにカイが椀を当てるとミリーナは椀をしっかりと掴み、がっつきを再開した。

 さて、俺はどうするか。

 カイは自らの空いた腹をさすり考える。

 携帯食料はまだ数日分あったが食中毒になってからは直接口にしない事にしている。備蓄した水も沸騰させて使う前提でためてあるものだ。

 今はとにかく火が使えない。夢中で椀にかじりつく彼女の様子を見るに食事が余る事も無いだろう。

 それどころか土産を要求される可能性もある。

 カイは早々に食べる事を諦め、ランデルの町に戻るための荷造りを始めた。

 ここからランデルの家まで徒歩でおよそ五時間。

 一食分あれば問題が発生しても何とかたどりつけるだろう。予定ではあと二日ほど粘るつもりだったがエルフと遭遇したからにはそうもいかない。

 そこで椀と鍋に頭突きして飯をこそぎ取っている少女は討伐対象の全てを食らう暴食だ。

 弱者であるカイはお引取り頂いたら全力で逃亡しなければならない。比較的円満な関係の内に町に逃げ帰らなくてはカイの命が危ないのだ。

 これから色々忙しくなる。

 ギルドへの遭遇報告、狩り場の変更、人生設計の修正。

 また神経をすり減らす危険な冒険の日々の始まりだ。

 蓄えは間違いなく減るし薬草などの納品はしばらく不安定になるから信用も落ちる。薬草加工を教えてもらうのは当分先になるだろう。

 また楽で安全な狩り場を探さなければ。

 袋に荷物を詰め、紐で固く縛る。

 荷造りが大体終わったカイがミリーナに向き直ると、彼女は椀と鍋と匙を前に恭しく土下座して頭を床にこすり付けていた。

 これも何かの風習なのかとカイが見つめる中ミリーナはしばらくそれを続け、次にカイに向かい同じように土下座した。


「ごちそうさまでしたえう。すごく、すごく美味しかったえう」

「お粗末様でした」

「アーの族、エルネの里のミリーナ・ヴァンはこのご恩に必ず、必ず報いてみせるえう。名前は何というえうか?」

「……カイ・ウェルス」


 忘れてくださいもう関わりたくありません。

 と、言いたくなるのをぐっと堪えてカイは自分の名を告げた。

 円満な別れだ。何よりも円満で後腐れの無い別れこそが重要だ。

 これ以上冒険者人生に影響を受けてはたまったものではない。

 静かに、そして穏便に。

 全ては円満な別れのために!

 こんなカイの願いを知る由もないミリーナはしばらくして立ち上がり、床に捨てた装備を再び身に付け歩き出した。

 壊れたドアの前で振り返り、拝するようにお辞儀する。


「別の獲物を捜すえう。では、またえう」


 別の獲物って何?

 という言葉を無理やり飲み込みカイは頷き、彼女が出て行くのを見送った。

 姿が消え、階段を下りて行く音をしばらく聞き、何も聞こえなくなっても……

 カイは壊れた扉の先、彼女が消えた先をしばらく見つめ、息を殺して身構えていた。

 彼女が戻ってこないように、再びその姿を見なくて済むように願いながら森が明るくなるまで身構え続け、小窓から朝日が射し込んだ時ようやくカイは体の力を抜いて床にへたりこんだ。


「た、助かった」


 呟き、はははと笑い、まとめた荷物を背負う。

 エルフの力で枝葉の生えた松明と枯れ木はその場に放棄し、油を使ったランタンに火を灯す。

 ランタンの芯の先、火はしっかりと燃えている。

 安堵したカイは最後に忘れ物が無いかをもう一度確認した。

 何年か使った拠点だが二度と戻るつもりは無い。

 ゆっくりと壊れた扉を潜り、階段を降り、建物を出て大通りに出たカイは朽ちた大門を潜って廃都市から脱出し、生きている事を喜びながら脱兎のごとく逃げ出した。


 この時、カイはエルフの飯に対する業の深さをまだ知らなかったのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一巻発売中です。
よろしくお願いします。
世界樹エルフ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ