12-17 そのしょぼくれ感、お前は俺の同類か
水曜日の朝げふんげふん、火曜日の二度目の朝を迎えたアトランチスの空を、世界樹はよろめきながら飛んでいた。
『カイ……』
世界樹の後ろでは今も祝福が空を貫き、余波の直撃を受けたアトランチスの地形が目まぐるしく変わっていく。
世界樹が異界を顕現させてから半日以上、カイは戦っているのだ。
「カイさんは大丈夫ですよ」「そうですよ世界樹さん。うちのお父さんはもちろん、カイル君のご両親だってカイさんには一目置いているんだから」
「「「あったかご飯の人だものー」」」
『……』
カイルとエルフの子らが世界樹を励ますも、世界樹の表情は暗い。
世界樹はカイの祝福がいかにゴリ押しなのかを知っている。
カイの扱う祝福は神の力。
世界の盾として生を受けた竜や世界樹のはるか上をいく規格外。
人の体はあれだけのマナを扱えるようには出来ていないのだ。
『ううっ…うぅ……うわぁあああんっ』
カイが酷い目に遭っている……僕のせいで。
世界樹の頭上に雲がわき、雨が世界樹の枝葉を濡らす。
世界樹は泣いていた。
「泣かないで」「がまん」「がまんー」「カイさんすごく怒ってるだろうけど、私達も一緒に土下座するから元気出して。ね?」
『うわぁああああんっ、うわああぁあんっ』
慰める子らに世界樹はぶんぶんと枝葉を振る。
怒られるのはいいのだ。
いつもカイには怒られていたし、叩かれもした。
ご飯抜きだった事もある。
しかしカイが怒るのはちゃんとした理由があり、世界樹が謝り改めればカイは笑って許してくれたのだ……これまでは。
そう。これまでは。
今回世界樹がしてしまった事はカイが怒ったどんな事よりはるかに大きい。
世界を食べて現れた異界は今も世界に顕現し続け、カイが祝福で戦い続けている。
人の体ではとても扱えない神の祝福。
その祝福に破壊の意思が乗れば体への影響は計り知れない。
大きすぎる借り物の刃はカイすらも傷つけるのだ。
異界との戦いはカイをどれだけ傷つけたのか。
これからカイをどれだけ傷つけるのか。
そして異界が討伐された時、カイはこれまでと同じように世界樹に接してくれるのか……それを考えると世界樹は怖くてたまらない。
怒られるのは怖くない。
嫌われるのが怖いのだ。
『うわぁああん、ごめんよ、ごめんよカイーっ!』
雲が大きくなり、大粒の雨が枝葉を濡らす。
『嫌われたくないよぉ。カイと一緒にいたいよぉ。仲良くご飯を食べたいよぉ』
「カイさんは大丈夫です! そんな事で嫌うなら、父と母はとっくに絶交されてます!」「カイル君、そこまで言う?」「「ひどいよカイル」」「ええーっ?」
『変わって欲しくないよぅ。側にいて欲しいよぉ。うわあぁああんっ!』
涙が激しく枝葉を打ち、子らが世界樹の涙に濡れる。
祝福の輝きは終わらない。
子らが慰める中、世界樹はひたすら泣き続ける。
それを止めたのは天から響く母の声。イグドラの一喝だ。
『余の子よ。泣くでない!』
『……かーちゃん』
ぐしっ……
世界樹が鼻をすする。
イグドラは世界樹が落ち着くのを待って、静かに優しく語りかけた。
『カイが汝の助けを求めておる』
『カイが?』
『そうじゃ。汝も気付いておろうが、刃となった祝福がカイの体を刻んでおる。やせ我慢しておるがそろそろ限界。汝の力が必要なのじゃ』
『……』
世界樹は祝福に輝く空を見る。
カイは今も戦っている。
しかし祝福の輝きは色あせ、天を貫く祝福の数も減っている。
余波のマナが世界樹に伝えるのはカイの苦痛と悲鳴。
イグドラの言う通りカイの限界が近いのだ。
『余の子よ、今こそ根付きの時じゃ。世界を守る盾、植物の王たる力を振るう時じゃ。カイを汝が救う時じゃ』
『カイを、僕が……?』
『そうじゃ』
世界樹が涙をぬぐい、イグドラに聞き返す。
イグドラは頷き、続けた。
『カイは汝のために戦っておるのじゃ。断じて汝のせいで戦っているのではない。嫌われたと悲しむでない。避けられると恐れるでない。カイが異界に食われてこの世界を去る事をこそ恐れよ』
『……うん。僕は、どうすればいいの?』
天を見上げて聞く世界樹に、イグドラは叫ぶ。
『力いっぱい、この世界を食らうのじゃ!』
『ええーっ!?』
「う……」
カイが目を開いた時、最初に目に入ったのはミリーナ、ルー、メリッサの心配する顔だった。
「カイ、気付いたえうか?」「大丈夫?」「ああカイ様、私の回復魔法が届かない所まで逝ってしまったのかと思いましたわ」
妻達が安堵の息を漏らす。
「俺は……どうなった?」
「竜の肉の効果が切れたえう」「そして左腕爆散」「そのまま昏倒し、私が回復魔法で左腕を回復いたしました。昏倒から三分ほど経過しております」
「……そうか。すまない」
カイは上体を起こし、ポケットから竜の肉を取り出した。
「無理えう!」「休む!」「カイ様、もう少しお休みなさいませ!」
「まだだ。まだ休めない……イグドラとの約束だからな」
心配する妻達の言葉にカイはかすかに笑い、立ち上がる。
カイが昏倒して三分。異界はかなり広がった。
異界が世界を食い、食われた世界に異界が現れ、異界がさらに世界を食い……
今や眼下は光すら食らう異界の黒一色。蠢く手が不気味に実る黒き畑だ。
異界を野放しにするわけにはいかない。
眼下を睨んでカイは竜の肉を口に入れ……激しくえずいて吐き出した。
体が竜の肉を受け付けなくなっている。
腕を失う激痛と竜の肉のくそまずさをカイの体が拒否しているのだ。
「くそっ……」
「カイ!」「ダメ!」「お休み下さいカイ様!」
カイは吐き出した竜の肉を拾い、再び口に放り込む。
やはり体は拒絶した。
「痛みにもだいぶ慣れてきたってのに……食えよ、俺!」
「そんなものに慣れて欲しくないえう!」
バチン!
ミリーナの平手打ちがカイの頬に炸裂した。
叩かれたカイが呆然とミリーナを見る。
ミリーナも、ルーも、メリッサも泣いていた。
「ミリーナはあの時言ったえう! 危険な事なんてして欲しくないって言ったえう!」
カイとて忘れる訳がない。
月光照らす砂漠の夜、ミリーナの指に指輪をはめた時に言われた言葉だ。
「ルーもミリーナと同じ。危険な事なんてして欲しくない」「私も同じですわ」
「しかし……」
「カイはへなちょこでいいえう。へなちょこがいいえう。今のカイがいいえう! 腕が壊れて平気なカイなんて嫌えう!」
「カイには芋と鍋がよく似合う。武器など論外」
「そうですわ。狂気に染まっていくカイ様の心を回復の度に覗くのはもう、嫌でございます」
「……ありがとう」
カイは気遣う妻達に深く頭を下げ、竜の肉を口に放り込んだ。
「カイ!」「ダメ!」「カイ様!」
激しくえずきながらも無理にそれを飲み込み、眼下の異界の海を睨む。
すまん。ミリーナ、ルー、メリッサ。
今はまだ、やめられない。
カイは左手を異界にかざし……山の向こうに見える『何か』に気づく。
「なんだ、あれは……?」
雪を頂く山脈の向こうで上下する、黒い頭。
カイが呆然と見つめる先、それは山を崩してカイの方へと歩いて来る。
山を崩す度に露わになる姿は……巨人だ。
「異界の、主……か?」
「でかいえう!」「超でかい」「眼下の巨人よりもはるかに大きいですわ!」
身の丈五キロメートル以上。
足を進める度に地面が沈み、足形がアトランチスの地に刻まれる。
間違い無く異界の主。
それも眼下の異界よりもっと格上の異界の主だ。
が、しかし……
「くそっ……!」
カイは近付く巨人を見据えて左手を構え、そして『それ』に気づくのだ。
精も根も尽き果てた肩の落とし方に。
体からあふれるしょぼくれた哀愁漂うマナに。
漆黒の顔に浮かぶ諦観の疲れた笑みに。
どれもこれもカイがエヴァに良く言われる言葉だ。
「お前……」
山よりも大きな存在なのに何とも切ない感じの主に、カイは叫ぶ。
「お前、俺の同類か!」
『……』
異界の主が、頷いた。
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