12-16 余が何とかするのじゃ!
「え……」
カイは体験した事の無い衝撃に間抜けな声を上げた。
何がおこった?
と、肘から先が粉々に砕けた左腕をカイは呆然と見つめ、次第にあふれる感覚に体を震わせる。
『いかん!』
イグドラが叫び祝福を止めた直後、カイは悲鳴を上げてバルナゥの背に倒れ込んだ。
「あああぁあああああああ!」
カイは絶叫し、バルナゥの背を転がり回る。
痛い! 痛い痛い痛い痛い……!!!
カイの心の中が激痛に染まる。
他の事など何も考えられない。
眼下の異界を祝福で撃退するどころではない。
カイはひたすら痛みに狂い、叫び、のたうち回る。
イグドラが祝福を止めていなければ世界は破滅していただろう。
腕が弾けた痛みはカイの心をいともたやすく支配した。
「カイ様!」
すぐにメリッサがカイの左腕に回復魔法を集中させる。
カイが祝福している間は無力でも、祝福していなければ回復できる。
腕を失ってからメリッサの回復魔法がカイの傷を癒やすまでおよそ三十秒。
カイはようやく自らの理性を取り戻した。
「あぁああ……あ、ありがとうメリッサ……」
「それよりもカイ様、大丈夫ですか?」
「……ああ」
回復した左腕を動かして調子を確認し、カイは頷く。
そうだ。
こんな所で倒れてはいられない。
カイの脳裏に三人の子らと世界樹の姿がよぎる。
イリーナ、ムー、カインは三年もの間、異界で死闘を繰り広げた。
そして世界樹は自らの枝葉と根を犠牲にしてカイルとエルフの子らを守った。
どちらもカイが育てた子らだ。
子らが頑張ったのに俺が頑張らなくてどうする。
じっと我慢だカイ・ウェルス!
カイはポケットから秘蔵の狂気を取り出しかじる。
「狂気えう!」「むむむ狂気」「くそまずい肉ですわ!」
『ほぅ、我の肉をまだ持っていたのか』
くそまずさと引き換えに身も心も癒やし続ける狂気の肉。
あまりのくそまずさにカイの顔が苦痛にゆがみ、体が吐き出そうとえずきを繰り返す。
それを気力でねじ伏せて、カイは肉を飲み込んだ。
あふれるマナがカイの体を癒やしていく。
「イグドラ!」『おうよ!』
カイの右手に再び祝福が注がれる。
無数の手が世界を食ったのだろう。わずか数十秒の間に異界は広がってしまっている。
去れ! そして滅びろ!
カイは強く念じ、祝福を叩き込んだ。
「ぐぅううううううっ!」
歪み、治り、ねじ切れ、治り、砕け、治り、破裂し、治り……
祝福に込めた破壊の力に左腕が破壊と再生を繰り返す。
治っても、傷ついた事が無かった事になる訳ではない。
異界を睨むカイの表情は苦痛に歪み、食いしばった歯からは殺し切れない呻きが静かに響く。
「カイ、痛いえう?」「む、休憩必要」「そうですわカイ様!」
「出来るか!」
休んだら、さらに異界が広がってしまう。
心配する妻達に支えられ、腕を失う激痛をこらえて祝福を異界に叩き込む。
圧倒的な神の祝福に主は穿たれ、刻まれ、焼かれていく。
しかし異界は無くならない。
討伐して空いた場所からすぐに別の異界が顕現してマナを食っていくのだ。
『これは、厄介な事になったな』
カイが激痛に呻きながら祝福を叩き込み続けてさらに数時間。
変わらぬ状況にバルナゥが呻いた。
「異界のマナで世界が埋まらないえう!」「む。共食いしてる」「近くの異界が討伐された異界のマナを横取りしているのですね。卑怯ですわ」
マナは近い者の願いに強く影響される。
顕現した異界が一つなら討伐された主のマナは世界のマナとなる。
しかし幾多の異界が顕現した場合はそうならない。討伐された主のマナは他の異界の主の願いに応え、異界のマナから別の異界のマナへと変わるのだ。
だから世界は埋まらない。
そして祝福をやめれば瞬く間に世界は食われ、さらに多くの異界が顕現する。
相手はバルナゥすら一発で食らう、はるか格上の世界。
この世界の穴など簡単に広げられるのだ。
『……やはり、星でも落としてアトランチスごと潰すかのぅ』
「アホか!」
イグドラの呟きにカイは叫び、強烈な祝福で異界を潰す。
左腕が爆発し、治り、激痛に意識を飛ばされ癒やされる。
竜の肉が腹にある限り、カイの傷はすぐ癒える。
そして苦痛で意識を失う事も無い。
しかし、度重なる激痛がカイの心に刻まれ祝福を歪めていく。
傷と痛みは癒やされても、その経験は心にしっかりと刻まれカイを歪めるのだ。
『じゃが、このままでは汝が狂うてしまうぞ……』
「どれだけのエルフがこの地を耕していると思っているんだ!」
イグドラの心配をさえぎり、カイは叫ぶ。
この地に希望を見出し渡ってきたエルフは新たな里を構え、地を耕して実りに喜び踊っている。
皆、カイが招いた者達だ。
カイは彼らをアトランチスに招き、アトランチスの環境を整えた。
それが、全てパーとなる。
まあそれは良い。アトランチスを作り直せば良いのだから。
エルフ達も里は作り直せば良いと納得してくれるだろう。
しかし、取り返しが付かないものもある。
この事態を引き起こした世界樹の、幼い心だ。
カイは再び叫んだ。
「お前はアトランチスを潰した結果を、エルフの皆の生活を奪った経験をあいつに背負わせるのか!」
『……これは子の成長にうつつを抜かした余の罪。断じて余の子の罪ではない』
「あいつをバカにするな!」
世界樹は幼いが、自らの行いが分からないほど幼くはない。
たとえ世界の皆が世界樹を許そうが、世界樹は自らの罪に苦しみ歪むだろう。
カイが今、苦痛に苦しめ歪められているように、だ。
「あいつは気づく。俺たちが何と言おうが必ず気づく! そして傷付き自分を責める! お前はあいつに何億年も負い目を感じて生きてもらいたいのか!」
『そんな訳があるまい!』
「だから俺は諦めん!」
カイが祝福をたたき込み、左腕を爆散させる。
痛みに呻いた後、カイは叫んだ。
「あいつは良い子だ。素直な良い子だ。俺は今のあいつが大好きだ。あいつには子らの相手をして欲しい。これから生まれる世界樹達の良き兄姉になって欲しい。そして世界に根付いて俺とエルフを見守って欲しい……今のあいつにだ!」
経験は良くも悪くも心を変える。
世界を食い強大な異界を顕現させてしまった事は明らかに悪い経験。
もしイグドラとカイがアトランチスごと異界を潰せばそれは決定的となり、世界樹はひたすら己を責めるだろう。
世界樹は、良い子だから。
「だから何とかするぞイグドラ! アトランチスを守り世界の穴を埋めるんだ! あいつに負い目を持たせるな!」
『カイよ……』
「何だ?」
『余の子を愛してくれて、ありがとう』
「当たり前だ! 俺が育てたんだからな!」
『そうか。うむ、そうじゃな! 余が産みの親なら汝は育ての親。親が子の為に頑張るのは当然。じゃからカイよ、このまましばらく持ちこたえるのじゃ』
「何か思いついたのか?」
カイの問いに、イグドラが叫ぶ。
『余が、何とかするのじゃ!』
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