14.カイルにカイト、ビルヒルトに帰る
「カイル、そしてカイト。お帰り」
「ただいま帰りました。父上」「うあー」
「カイルーおかえりカイルー」
「あはは、父上いきなり抱きつかないで下さい」「大きくなったなカイルー」
「うふふアレクったら」「そしてお帰りカイトー」「ばぁー」
再建中のビルヒルトに建てられたビルヒルト領館。
カイルは我が家で久しぶりに会う父アレクの抱擁を受けていた。
カイルとカイト。
システィとアレクの子供達にとっては数ヶ月ぶりの我が家である。
ビルヒルトで問題になっていた無許可畑の問題がようやく一段落ついたからだ。
そんなにアトランチスが心配なら、安心できるまで通いなさい。
と、移住を決めた里にバルナゥドリルで異界トンネルを掘りまくってアトランチスの里の予定地に繋げた結果、無許可畑の騒動は鎮静化の方向に進んでいる。
ビルヒルトからオルトランデルまではエルフの足なら一日。
そしてオルトランデルからアトランチスに渡って里の予定地まで行くのに一日から一週間。
遠くはないが気楽に行き来出来る距離でもない。
それをシスティは予定地に異界を直接繋げる事で五分に短縮したのだ。
日をまたぐ移動が五分に短縮された事は大きい。
異界が途切れる心配はあれどかかる時間はたかが五分。
以前のように数日かかる訳ではない。
何かがあればすぐに戻れる。
里の異界トンネルに何かあっても別の里から帰れば良い。
異界トンネルは全て世界からエリザ世界へと貫いたこちら側のダンジョン。
エルフの勇者を常駐させれば逃げる時間くらいは稼げるだろう。
と、エルフの皆はアトランチスに出向き、畑を実らせ収穫し、ビルヒルトの家に帰って寝る生活を始めた。
そして作物の出来に納得した里は家を建て、広場を作り、道を作り……ビルヒルトに住みながらアトランチスでの確固たる生活基盤を作り上げてアトランチスへと渡っていった。
いつでも戻れる納得、安心の移住計画だ。
そして移住した里の異界トンネルはシスティが頃合いを見て外し、ビルヒルトの空いた里に別の里を迎え入れて同じ事を繰り返す。
こうしてエルフはビルヒルトを荒らす事なくアトランチスへ渡るようになった。
ビルヒルトの地は安定し、カイルとカイトが戻る今日という日を迎えた訳である。
「うぁー」「ああカイト。寂しかった? ごめんねー」「うぁー」
次男のカイトも母システィに抱かれてご満悦。
母の胸にしがみつき見上げるカイトはにっこり笑顔。
そしてカイトを抱くシスティもにっこり笑顔の幸せ一家だ。
「そしてカイルもごめんね。ランデルは大変だった?」
「皆様にはとても親切にして頂きました。ルーキッド様やミルト様やソフィア様やバルナゥ様にはいつも気に掛けて頂き、エヴァ姉さんは毎日遊んで下さいました。とても楽しかったです」
笑顔で応えるカイト。
システィはわずかに首を傾げた。
「……カイルは大人になったわね」
「いえ……まだまだ僕は子供です」
「そうかしら?」「そうです」
「わーふん、わふーんわふーん」
「……エヴァに母親の座を取られちゃったわふん」「わふーん」
「あはは。さすがはエヴァ姉さん」
システィの言葉にカイルが答え、カイトがエヴァの真似をしてアレクが笑う。
「ガスパー、私達の予定は?」「本日のご予定は終了しております」
「さすがはガスパー。夕食の準備をお願い」「かしこまりました」
「よぉしカイル、カイト。遊ぶぞー」「はい」「わふーん」
ともあれ、これで一家勢揃い。
これからは団らんの時間だ。
アレクはカイルと手をつなぎ、システィはカイトをわふんとあやしながら居間へと歩いていく。
カイルはシスティとアレクと共に語り、夕食を食べ、風呂に入り、久々の自室のベッドに入った。
「それではカイル様、お休みなさいませ」「おやすみガスパー」
ガスパーが一礼し、部屋の照明が落とされる。
暗闇の中、カイルは一人呟いた。
「ビルヒルトは、静かだな……」
次の日。
カイルは久しぶりのビルヒルトの町を歩いていた。
かつてランデル領から人も領土も利権も奪って大都市となったビルヒルトの町の規模は今のランデルよりもずっと大きい。
しかし……石造りの建物のほとんどは人も住まない崩れた廃墟だ。
数年前の異界顕現の際にバルナゥのマナブレスを受けた都市は異界の怪物もろとも砕け散り、今もその頃の姿を留めている。
そんなビルヒルトだから、かつての住民はあまり戻って来ていない。
人が少ないのだからランデルより静かなのは当然なのだ。
そしてこのビルヒルトがかつての栄華を取り戻す事はない。
ビルヒルトはいずれエルフの治める地に変わる。
カイルもビルヒルト伯爵となるだろうが、権限は大幅に縮小される事だろう。
「おはようカイル」「おはようございます。ベルガさん」
その権限を受け継ぐのはベルガだ。
齢三百と少しの若さにしてビルヒルトとアトランチスの全エルフに長をぶん投げられた彼は腹も膨れない統治の仕事に携わる。
食への執着半端無いエルフ的には良い所など何ひとつない貧乏くじであった。
「どうしたカイル、こんな所で寂しい顔して」
「寂しい……ですか。ベルガさんはどうしてここに?」
「システィの所に統治の講義を受けに来たのだ……ホルツだけでも手に余ると言うのに色々大変だ」
「母上は厳しいですからね」
「全くだ。こんな事よりも畑でご飯を作りたい。勇者ですらご飯でウハウハなのに私にはその暇すらないんだ。妻と娘からもボヤかれるし鬼だなシスティは」
「あはは」
二人で笑い、一緒に歩き出す。
ビルヒルトで領館以外に人間が住んでいるのは商店の出張所に領兵の詰め所、そして宿屋……そのくらいだ。
食料を扱う市場はビルヒルトの外。
ビルヒルトの農産物は全てエルフが取り仕切っている。
エルフの祝福がっつりの農産物は美味しく新鮮で、人間が入り込む余地はない。
かつてビルヒルトの地を耕していた農家の土地はビルヒルト領が買い上げてエルフに与え、農家達はビルヒルトを去り新たな地で新たな生活を送っている。
市場で売られた農産物の収益の一部はこの農家達の補償金に充てられていた。
「私も農家達の文句をさんざん聞かされた」「大変ですね」
「システィは涼しい顔をしてたが私は寿命が縮んだぞ……あの時ほど我が土下座に感謝した事はない」「ベルガさんは土下座のプロフェッショナルですものね」
「そしてシスティの大きさを感じた事もない」「母上はすごいですから」
農家への補償額を決めたのはベルガだ。
その時は一生遊べる額を支払ってどうするとシスティに説教され、システィが農家の代表達に頭を下げて回って十五年遊べる額に変更した。
補償金と土地の買い上げ金は別。
与え過ぎれば他の者の不満が溜まり、渋り過ぎればその者の不満が溜まる。
そんな不満を適度に散らし均すのが統治の仕事だ。
そのバランスこそが重要。
有力者に頭を下げて回るシスティに同行し、多くの者を統治する難しさと行う者の大きさを感じたベルガだ。
顔も名も知らない者すら従わせ、少なからぬ不満と恨みを一身に受ける。
それが統治するという事。
ホルツの里のような顔見知りに行うものとは全く次元が違うのだ。
この一件以来、ベルガはシスティに全く頭が上がらない。
システィ様々である。
「ランデルはここより賑やかだったろう?」
「はい」
ベルガの言葉にカイルは頷いた。
「ここは人間の姿がまばらだからな。こんな所を歩くエルフも私くらいだ」
「そうですね。僕もベルガさんしか見た事がありません」
エルフは畑を耕しているか市場で食べているかどちらかだ。
食べ物のない場所には長居しない。
それがエルフなのである。
「ランデルは何もかもが凄まじいからな」
「はい。みんな父上母上と同じく素晴らしく、輝き眩しい方々ばかりでした。僕も皆様のような人になりたいです」
「……カイル」「はい」
「アホか!」「あだっ!」
べちん!
ベルガのデコピン一発。
カイルが額を抑えてうずくまる。
デコピンを決めたベルガはカイルの前にしゃがみ込み、カイルの頭をぐりぐり撫でた。
「そんな歳で焦ってどうする?」
「だ、だって皆さん本当に……」
「その皆に聞けば、お前くらいの歳には何も考えてなかったと答えるだろうさ」
「で、でも心のエルフ店のノルンさんは……」
「ああ見えてノルンは三十歳だ」「えーっ!」
エルフの見た目と年齢のギャップは知っていても驚くものだ。
「あれでアレクやシスティと同じ位の時間を生きている。生まれて四、五年のカイルと比べるような歳じゃない」
「……はい」
ベルガはうずくまるカイルを見つめ、静かに諭し始めた。
「人間には人間の、そしてエルフにはエルフの道があるのだ。それを一緒にして語るとおかしな事になる」
「はい」
「人間同士も変わらない。それぞれが選びつかんだ生き方があり、誰ひとりとして同じような人生を歩んではいないのだ」
「はい」
「これはとても重要な事だ」
ベルガがカイルの頭を優しく撫でる。
「いいかカイル、人もエルフも自分は自分だ。他人がこうだから自分も、などと考えて無理をすればいつかよろめき転ぶものだ。人にはそれぞれに夢見て目指す道があり、そして選べる道がある。それをうまく合わせていくのが人生だ」
「はい」
「お前が見た皆の素晴らしい輝きは皆が己の夢と現実を合わせた結果だ。本当の素晴らしさは皆の歩んだ道、輝きに隠され見えない影にある」
「……影に?」
「そうだ。皆が悩みながらも選んだ道は他の者には決して見えないもの。カイルが見た皆の輝きは己の道を進みつかんだその者だけの命の輝き。その輝きが交わった時、我らエルフを救う真なる輝きが世界に燦然と輝いたのだ」
それはあの場に居た者にしかわからない、世界を変えた輝きだ。
ベルガはその場に居合わせ、その輝きの一人となった。
それは心を読める回復魔法使いにもわからない奇蹟の輝きだ。
「カイルよ、皆の輝きは今のお前には眩しすぎる。皆を見ればお前の目は眩しさに塗り潰されて踊り迷い、そしてよろめき転ぶだろう」
「……はい」
「まず自分と同じ者を見よ。そして共に歩み、その者の中に輝きを見つけたら磨いてやれ。わかるか?」
ベルガの言葉にカイルは少し考え、そして答えた。
「友達を、作れ……?」
「そうだ」
ベルガは深く頷いた。
「私がカイルの歳の頃は歩くのがやっとの幼子だった。人間でもお前より賢い同い年はまずいないだろう。お前は今、ぶっちぎりの先頭を走っているのだ」
「はい」
「少しはゆっくり走れ。後ろを走る者には手を差し伸べてやれ。そしてその者が疲れていたら助けて共に走ってやれ。お前の心がその者に届いていれば、お前が疲れた時にその者は必ずお前を助けて共に走る事だろう」
「カイさんと父上のように?」
「そうだ。そして友と歩んだお前の想いをいつか生まれるお前の子に伝えてやれ」「子供の頃の想いを自分の子供に……ずいぶん先の話ですね」
「普通は言わなくても自然に学ぶものだが、カイルは背伸びが過ぎるから特別だ」
「ありがとうございます」
ベルガは立ち上がり、カイルに手を差し伸べる。
カイルはその手をつかんで立ち上がる。
ベルガの手はカイルの手よりもはるかに大きい。
それはカイルのはるか先を行く者の手だ。今のカイルにベルガは眩しすぎるのだ。
「……ところでカイル」「はい」
「システィとの約束の時間を先程過ぎてしまったんだが擁護をしてもらえないか? このままではご飯抜きに、システィにご飯抜きにされるうううう」
「おまかせ下さい!」
しかしそんなベルガでもカイルを頼る事はある。
カイルは苦笑し、胸を叩いて宣言する。
ベルガに手を差し伸べてもらった恩に報いる時。
ずっと小さな手を差し伸べる時だ。
カイルはベルガと一緒にシスティに頭を下げてご飯抜きを回避して、ベルガの期待に応えてみせる。
そして夜。
静かなベッドをカイルは抜けだし、アレクとシスティの寝室の扉を開くのだ。
「母上、父上、そしてカイト……僕も一緒に寝ても、いい?」
「当然よ」「さあベッドにダイブだよカイル!」「わふーん」
「そぉーれっ」
「「うぇーるかーむっ!」」
カイルは部屋を走り両手を広げるアレクとシスティに飛び込んでいく。
二人はカイルを受け止め、抱きしめ、二人で挟んでベッドを転がる。
そんな二人の温もりに苦笑するカイルである。
「もう、二人とも甘えんぼだなぁ」
「いいじゃない。お母さんだってカイルに甘えたいんだから」
「僕もカイルに甘えたいー」
「わふーん」
「「「わふーん」」」
カイトの言葉に皆で鳴き、団子になってゴロゴロ転がる。
それは年相応の子供の姿だ。
皆の眩しさから目をそらしたカイルの自然な姿だ。
今はこれでいいんですよね? ベルガさん。
これでいいのだ。
これがいいのだ。
カイルは母に甘え、父に甘え、カイトに甘えて眠りについた。
「おはようございますカイル様わふーん」
「ぷっ……」
そして次の日。
カイルが起きてみれば、いきなりガスパーの妙な口調である。
「あはははガスパー、わふーんって、わふーんって何?」
「わふんはわふんでございますわふん。そしてわふん様がお待ちでございます」
「わふんっ」「エヴァ姉さん」
ガスパーが示す玄関で待つのはランデルの頼れる番犬、エヴァンジェリンだ。
「カイルが寂しいと思って来たわふん」
「ランデルから来たの? 嬉しいよ。でもすっごく遠いよ」
「バルナゥに頼んだからあっという間わふんよ」
「バルナゥ様ありがとうございます」
「乗るわふん、乗るわふんよ」「うん!」
ランデルの方向にぺこり感謝し、エヴァの背に乗るカイル。
エヴァンジェリンはカイルがしっかりつかまった事を確認すると、矢のように駆け出した。
ビルヒルトの町並みが瞬く間に通り過ぎていく。
あっという間にビルヒルト城門を潜り抜けたエヴァンジェリンはエルフの畑へと駆け出した。
「うわぁエヴァ姉さん速い、速すぎるって!」
「ベルガが友達を連れてきたわふんよ」
「えっ?」
エヴァの走る先を見れば、耕したばかりの畑のど真ん中にエルフの女の子に引率された幼いエルフ達が待っている。
エヴァはカイルを背負ったまま、彼らの中に突撃した。
「おまたせわふんよ!」
「わー、喋る犬ー」「エヴァンジェリンわふん」「「「わふーんっ」」」
「お兄ちゃんは?」「カイル・フォーレ」「カイル?」「かいるーっ!」
わああぁあああ……
エルフの子達がカイルを囲んで遊び出す。
子供は無邪気、そして素直だ。
だから初対面でもすぐに仲良くなれる。何のしがらみも無いからだ。
「なぁカイル知ってるか? 卵って茹でると固まるんだぜ」「固い豆も煮込めば柔らかくなるんだよー」「甘いものに少し塩をいれるともっと甘く感じるのー」
「あはは、食べ物ばっかりだ」「「「いいじゃーん」」」
カイルはどれも知っている。
そしてカイルもとっておきの、誰でも知ってる秘密を彼らに語るのだ。
「美味しいの食べると幸せだよねー」
「「「わかるー!」」」
そしてカイルは走り出す。
右はエルフ、左もエルフだ。
しかしカイルは気にしない。
エルフは両親の仲間であり友達。
そして共に走る彼らももう、カイルの友達なのだから。
「ベルガ、ありがとう」
「子を諭すのは大人の役目だからな」
そんなカイルの姿を遠くに、システィはベルガに頭を下げた。
システィも妙に大人びたカイルを心配していた。
しかしビルヒルトに同じ年頃の人間の子供はいない。
たとえいたとしてもカイルとは一線を引いて友達になってはくれないだろう。
ベルガはビルヒルトのエルフとして、そんなシスティに手を差し伸べたのだ。
「でもシスティ、あの子達とカイルは同じ時間は過ごせないね」
「そうね。私達がカイやソフィアと同じ時間を過ごせないように、カイルもすぐに彼らを追い越してしまうのでしょうね」
しかしエルフの子には別の問題がある。
カイルが大人になっても一緒に遊ぶエルフ達は幼いまま。
人間が子供でいられる時はエルフよりはるかに短い。カイルはすぐに人間の学校に通うために彼らと別れ、ビルヒルトを離れる事になるだろう。
こんな光景もあとわずかだ。
しかししんみり眺めるアレクとシスティとは対照的に、ベルガは明るい顔だ。
「なに、カイルが成長したら幼子を引率している私の娘が相手をするさ」
「……あんたの娘、カイルを狙ってるのね?」
「さぁ?」
「今度エルトラネに頼んで貞操帯を「いやいや娘に恐ろしい物付けないでくれ」だってカイルを手込めにしないか心配「しないから、たぶんしないから」たぶん?」
「あははは」
システィが物騒な事を呟き、ベルガが見事な土下座を見せる。
そして笑うアレク。
「「「いっくぞーっ」」」
「あははははは」
そんな大人とは関係なく、カイルは皆と遊び、笑う。
次期ビルヒルト領主、カイル・フォーレ。
彼の輝ける子供時代は今、ここから始まるのだ。
短編はこれで終わりです。
ありがとうございました。
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