11.幼竜、トラウマを食らう
『ビルヌュ、今日は四万六千階層あたりに行ってみよう』
竜峰ヴィラージュ。
大竜バルナゥを主とする五万六千階層のダンジョン。
階層を貫く階段の間にある転送書物の前に、幼竜ルドワゥとビルヌュはいた。
転送書物は階層を楽に移動したい主の願いに応えて作られる階層の移動機構だ。
異界から膨大なマナを吸い上げ続けるヴィラージュのダンジョンは深くて広大。いちいち階層を歩いて階段を降りていては何年かかるかわからない。
多数の階層を持つ主はそれを面倒だと願い、吸い上げる異界のマナがそれに応えてこのような機構が作られる訳である。
今はほとんどエリザ世界のものとなってしまったが、こちら側に顕現する異界も同様の機構を持っているはずだ。
これが無いと、面倒な事この上無いからだ。
『異界から数えて一万階層、激戦地から離れる事二千階層。そのあたりが俺らの実力か。激戦地や異界はまだ無理……だよなぁルドワゥ』
『仕方ない。俺らも今はひよっ子だからな』『吹けば弾けるもやしっ子か』
『懐かしい言葉だな。で、どうするビルヌュ?』『俺はそれでいい』
階層を指定したルドワゥにビルヌュが頷く。
ダンジョンとは貫いた世界を食らい続ける世界の穴だ。
貫かれた世界はそれを排除するため必死になって抵抗する。
五万六千階層もの深さにまで到達してしまうと抵抗する側も移動だけで大仕事だが、そこは願いの品を得られるダンジョン。
主と同じような事を敵も考えるのだ。
階層主や強い怪物を討伐した際に直接移動出来る魔道具を願い得て、それを通じて攻勢をかけてくる。バルナゥが空間を渡るように膨大なマナを注ぎ込んで空間を歪め、魔道具が繋げた階層に直接乗り込むのだ。
そのような事が出来る魔道具は何千年もの間受け継がれ、厳重に秘匿される。
バルナゥも手入れと称してダンジョンと周囲の異界を一掃したりするのだが、それらの魔道具の破壊は出来ていない。
一度作られるとなかなかに面倒なのであった。
今、異界で最も強い者達が戦う激戦地は四万四千階層付近。
これからルドワゥやビルヌュが向かう階層は激戦地から外れた階層、すでに異界の強者が通り過ぎた場所だ。
勇者のような本当に強い者達は激戦地で、強敵や階層を守る階層主と戦う。
通り過ぎた地にいるのは後詰めや補給を主とした集団だ。
彼らが強者の背後を守り、食事や休息を与え、撤退の際に強者を逃がす盾となる。
勇者級冒険者の後ろに国家があるように、ダンジョン討伐には戦う者の後ろに戦う者を助ける大勢の者が必要なのだ。
ビルヌュやルドワゥが向かう階層も、その補助者がいる階層。
激戦地ではない故に強くはなく、背後を守る後詰めがいるために弱くもない。
故に幼竜には狙い目だ。
ただ大きくなりたいだけならヴィラージュで魔石を食べたり聖教国で余ったミスリルを食べていれば良いだけだが、竜はいずれは世界を守る盾となる。
二人には戦う経験と豊富な敵の知識が必要なのだ。
『よし行くぞビルヌュ』『頼むぞルドワゥ』
そしてもうひとつ、ビルヌュには少し困った事情があった。
つるんで行くのも、その事情のためである。
『四万六千階層へ!』
ルドワゥは転送書物に願い、ビルヌュと共に四万六千階層へと移動した。
空間が歪み、途切れ、別の景色が現れる。
二人を迎えたのは骨の竜だ。
転送書物は転送される場所まで指定できる優れもの。
膨大なマナを使う転送はその前兆が転送先に現れる為、阻止される事も多い。
阻止されればマナが無駄になる。待ち伏せを受ければマナと命が無駄になる。
ゆえに転送は味方の勢力下が望ましいのだ。
『よう』『おつかれ』
ギギ、グゴガガ……
骨の竜は現れたルドワゥとビルヌュを見つめ、一礼して去って行く。
動いてはいるが、二人のような世界の生命では無い。
オルトランデルのダンジョンでカイが作った芋煮と同じ。
バルナゥがダンジョンで創造した仮初めの命だ。
このような者が激戦地周辺と異界との接点に群がり、異界と攻防を繰り広げているのである。
『しかしとーちゃん、茶目っ気ないよなぁ』『カイの芋煮とか可愛げあったよな』『ちゃっかりもしてたけどな』『あー、背中楽ちんとか良く言われたわ』『今はあいつら、マリーナの背中でご満悦だろ』『転生しても変わらんな』
ルドワゥとビルヌュがあの頃を思い出して笑う。
芋煮達はカイ達の希望を聞いたベルティアとイグドラによりカイの子供として転生したが、骨の竜は転生できても目に見えない微生物やウィルスになるだろう。
あの転生はイグドラを天に還したカイに対するベルティアの恩返しのひとつなのだ。
ビルヌュとルドワゥは骨の竜が去るのを見送り、地図で敵を定めて歩き出した。
その道すがら、転がる魔石を食べるのも忘れない。
竜は食らったものをマナに戻して血肉に変える。ミスリルや魔石のようなマナを多量に含む物を食べるのが好ましい。
『もっしゃもっしゃまずい』『まずいな』
まあ、美味しくはないのだが。
『そーいやかーちゃん、最近ミスリル食べても小言を言わなくなったな』
『使わないミスリルなんざ、ただの石コロだと気付いたんじゃないか?』
『あー、金銭にも道具にも出来ないもんな。でも魔石は小言がうるさいな』
『そりゃあ使い道が色々あるからな。ランデルの回復魔法使いは回復回復でヘロヘロらしいから少しは回復させてやりたいんだろうさ』
回復魔法使いの回復魔法使い。
ソフィアの何ともややこしい役回りである。
ソフィアは大きな魔石を何かあった時の為と拾い集め、ヴィラージュの倉庫に貯めこんでいた。
へそくりである。
そして小さな魔石は回復魔法使いの回復のために使っている。
ビルヌュとルドワゥがありつけるのは人の社会では手に余るが貯め込むほど大きくはないという非常に微妙な魔石。
そんな微妙な魔石を選んで食べるのが非常に面倒なのである。
これもビルヌュとルドワゥがダンジョンに潜る理由の一つだ。
『お、でかいのみっけ』『俺もだ』
ソフィアが集めないダンジョンの奥深くの魔石は食べ放題。
攻め込んだ者達に取られて戦利品を願われる位ならビルヌュとルドワゥが食べた方がずっと良い。この食事はダンジョンという管の掃除も兼ねているのだ。
ビルヌュとルドワゥはのんびり歩きながらまずいまずいと魔石を食べ、やがて目指す敵へとたどり着いた。
『ほれ、行けビルヌュ』『う、うむ……』
幼竜二体の前に蠢くのは……虫である。
それも全長五センチ程度の普通のサイズの虫である。
五メートルを超える体躯を持つ幼竜が戦うに値する存在でも何でもない。
先程の骨の竜も歯牙にもかけぬただの虫であった。
しかし……ビルヌュはぐぬぬと踏ん張り動かない。
『い、いやルドワゥあの虫大丈夫だよな? 噛まれてで瀕死とか嫌だからな?』
『ないだろ』
『だってここダンジョンだし、見た目と強さは比例しないだろ。小指ほどの大きさでも俺らを一発ノックアウトするかもしれんぞ』
『ないない。ほれ行け』
『ギャーッ、押すな、押すなぁ!』
ルドワゥに後ろから押されてビルヌュが叫んで暴れる。
そう。これがビルヌュの少し困った事情。
トラウマである。
かつて討伐されたビルヌュが神の世界でベルティアの世話になっていた頃、虫と戦い生死の境をさまよった事がある。
神の世界の虫は小さくても神の世界の虫。超絶強い。
掃除の手伝いで虫と遭遇したビルヌュは噛まれて一発ノックダウン。生死の境をさまよった。
だから今でも虫は苦手だ。
どう考えても楽勝な相手なのだがその時の記憶が頭をよぎり逃げ腰になってしまうのだ。前世を憶えているが故の弊害であった。
『ギャーッ!』『ああもううるせぇ!』
黒い虫が羽ばたく姿に叫び飛び退くビルヌュのうるささに耐えかねたルドワゥが前足を振り下ろす。
ぷちり。
終了。
前足で潰して終わりである。
『こんなもの怖がってどうすんだよビルヌュ』
『お前も小指の先程度の虫に噛まれて瀕死になれば俺の気持ちが分かるだろうさ』
『神の世界で掃除の手伝いなんぞするからだ』『おのれベルティア。飯と酒を買いに行かせた仕返しか!』『自業自得だ』『こんちくしょーっ』
ぶるんぶるんと首を振り叫ぶビルヌュにため息半端無いルドワゥだ。
しかしこんなのでも兄弟。
そしていずれは共に戦う世界の盾だ。異界から虫が攻めて来たから逃げましたでは困るのだ。
これは荒療治が必要だな……
ルドワゥは地図で次の敵を定め、移動を開始した。
『ああっ、待ってルドワゥ置いていかないでーっ』『いい加減ただの虫くらい踏み潰せるようになれよ』『噛まれたら怖いーっ』『ねえよ! 首絡めるな鬱陶しい』
そしてルドワゥとビルヌュが到着したのは巨大な虫の巣だ。
『……なに? あれ?』『巣だな』
震えるビルヌュにしれっと答えるルドワゥである。
大きな魔石の上にこんもりと土が盛られ、蜂のような異界の虫が蠢いている。
人が魔石のマナを引き出せるように虫も魔石のマナを引き出せる。ダンジョンの中に出来た魔石に巣を構えた虫達が魔石のマナを食って増殖しているのだ。
『いやいやいやいやるどわぅもどろうこわいこわいこわい』
『そぉーれっ』
ぶぉおおおおお……
首をぶんぶん振りながら片言で語るビルヌュをよそに、ルドワゥが巣にマナブレスを吹き付ける。
マナブレスは相手にマナを浴びせて様々な状態変化をもたらす竜の武器だ。
燃やす事も可能。切り刻む事も可能。すり潰す事も可能。
そしておびき寄せる事も可能だ。
ルドワゥのマナブレスを浴びた虫は活動的に動き回り、やがてビルヌュ目指して羽ばたいた。
『何してんだよルドワゥ!』『荒療治』
『ギャーッ、虫が、虫が飛んでくるギャーッ!』『叩き潰せ』
『嫌じゃーっ!』
ビルヌュはぐぉんぐぉんと首を振り、そこら中にマナブレスをまき散らす。
『死にさらせ害虫どもぉおおお!』
絶叫、そして……ずどん! 爆発。
階層もろとも虫の巣を排除した。
跡形も残さず消え失せた虫。崩れた壁。轟音を立てて燃える階層。
崩れた壁のはるか向こうには先程出会った骨の竜の残骸が転がっている。
明らかなオーバーキルであった。
『うぉおおおん、うおおおーんっ』
『あぁー、ブレスを使いきりやがった。潰せば終わりなのに』
泣き叫ぶビルヌュにため息をつくルドワゥだ。
マナブレスを吐けばマナは失われる。マナを食って血肉に変える竜にとってマナそのものを吐き出すマナブレスは自らの血肉を吐き出すに等しい行為だ。
道すがら食べた魔石などではとても足りない大幅なマナ赤字であった。
『うおおーんっ』『ああもう、異界の勇者が来るまでに逃げるぞ』
ルドワゥが転送書物に願う。
勇者には勝ち目が無いのでとんずらだ。
当然だが転送に使われたマナの元も取れていない。
虫を前にして圧倒的強者がこの有様。トラウマとは面倒な物なのである。
そして、一週間後。
『ルドワゥよ。俺は新たなマナブレスの技を獲得したぞ』
『……どんなのだ?』『強烈虫除け!』『何の解決にもなってねーよ!』
トラウマ克服出来てねぇ。
呆れて怒鳴ったルドワゥだが、結構役に立った。
虫の姿を取り現れる異界の怪物は虫に近いから虫の姿で現れる。
特性も似るのである。
後日虫のような怪物擁する異界が出現した際ビルヌュがこのブレスを吐いたところ、瞬く間にダンジョンはもぬけのからとなり世界から消えていった。
主も逃げ出す超強力虫除けであった。
そしてこの特性に目を付けた者がいる。
エルトラネである。
「虫こなーい」「食べ物食われなーい」「幸せーっ」
彼らは奇声を上げながらビルヌュのマナブレスを超希釈した薬液を作り、システィの許可を得て売り出すと食料庫に虫が寄りつかないと人にもエルフにも大人気。
誰もがこぞって買い求めるランデルの名産品へと育っていくのである。
税収でルーキッドはホクホクであった。
『もう虫はこれでいいよビルヌュ。俺が面倒臭い』『やったー!』
『じゃ、次は鼠だな』『ギャーッ!』
そしてビルヌュのトラウマとの戦いは続くのである。
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