10.ソフィアも頭を抱えている
聖樹教本部はランデルの町の新区画に建てられている。
昔の聖樹教の中心であった聖都ミズガルズは荘厳で神聖な魔法都市だったが、ランデルの聖樹教本部は雑多な事務処理を淡々とこなすただの事務所。
崇拝していた枝も象徴も無い、見た目も中身も役場。
それが今の聖樹教本部だ。
神は心の中にある。
聖樹教の新たな教えである。
神に拝謁した聖女が心をさらけ出す事で広がった新たな聖樹信仰は、施設に荘厳さも神聖さも要求しない。
そして人々に聖樹教教会への信仰も求めない。
『余が世界に在るのはここまでじゃ! 後は汝らが守り、考え、高めていくがよい!』
長きにわたり信仰した神が天に還る際の最後の言葉。
これを彼らは守り、考え世界を高めていく事を信仰と定めたのだ。
が、しかし……
「はぁ……」
聖樹教代表者、聖女ソフィア・ライナスティは執務室でため息をついていた。
うまく行ってない。
そう、うまく行ってないのである。
世界樹イグドラシル・ドライアド・マンドラゴラが世界に与えた影響が大きすぎて、人々がすがる事をやめようとしないのだ。
これまでの聖樹教は寄進があれば様々な恩恵を授けていた。
金貨なら軽い怪我、白金貨なら骨折や病、聖銀貨なら大病や蘇生。
そして高価な宝物や魔道具、特権ならば世界樹の葉……
聖樹教は心が読める事で遠ざけられていた回復魔法使い達を囲い込み、回復という恩恵を独占してきたのだ。
寄進を求める聖樹教は強欲で傍若無人。
その権勢は国家を顎で使い、地に異界を顕現させるほどに横暴だった。
だからソフィアはイグドラが天に還った事で反動が起こり、聖樹教が断罪されるものと考えていた。
イグドラが天に還った直後にソフィアがバルナゥと共に聖都ミズガルズに赴いたのは、枢機卿の決定を神の意志だと従う回復魔法使い達に新たな道を示す為。
断罪される者の足掻きに巻き込まれないようにする為だ。
しかし人々はソフィアや聖樹教七枢機卿家のアルフレッド・ボースが思っていた程、酷い動きを取らなかった。
聖都ミズガルズが消滅して怒りの矛先を失った事もある。
神の恩恵を貯め込んだ聖教国が強大な力を維持していた事もある。
しかし何よりも大きかったのは、何も変わらなかった事だろう。
失われたのは異界を討伐する力となる世界樹の枝。
そしてあらゆる杞憂を取り払い寿命すら延ばす世界樹の葉。
それらを使っていたのは勇者、王侯貴族、大富豪など力と権力と富の頂点にいる者達だ。
神が天に還っても、ほとんどの者には関係のない事だったのだ。
そして枝葉を使っていた者達は内心激怒していたかもしれないが、ソフィアを前にひれ伏した。
枝葉の代わりとなる存在をソフィアが伴っていたからだ。
大竜バルナゥ。
その血肉は世界樹の葉に並ぶほどの力を発揮し、祝福は大いなる力と星にも等しい寿命を与える。
かつては神の贄だった竜。
しかし神が還った今では神扱いだ。
彼らはひれ伏しソフィアに寄進を申し出て、こう告げるのである。
私めにもバルナゥ様の祝福を……と。
そして始まる寄進攻勢。
バルナゥには酒、肉、魔石、美女。そしてソフィアには美男と金と宝飾品だ。
これまで喜び勇んで竜を討伐していたのに、何と情けない事でしょうか……
と、手の平返しにソフィアのため息があふれるのも仕方ない。
バルナゥがルーキッド領館に入り浸っているのは、彼らの浅ましさに辟易したからでもある。ソフィア達の都合で人と関わる事が多くなったバルナゥにとって領館は心のオアシス。バルナゥ癒やしのパワースポットなのである。
まあ勇者はわかる。
異界を討伐する力が必要なのだから。
しかし王侯貴族や富豪達の言い分はただの欲望の発露である。
祝福を授けたとしても勇者のように世界を守り戦う訳でも何でもない。
祝福の分だけバルナゥの力が弱まる要求をソフィアはやんわりと断り、衛生環境の改善に関するいくつかの提言を行い寄進も受けずに飛び去った。
結局、力だ。
神などどうでも良いのだ。
それは世界樹の枝葉が関係ない者達も同じ。
原因の見えない病の予防より寄進で得られる回復魔法。
彼らはなぜ何もない所で何かをしなければならないのだと首を傾げ、手間を無駄と笑って回復魔法を求めた上に原因の除去を要求するのだ。
確かに回復魔法使いは生命活動のマナに詳しい。
しかし出来る事は魔法を使ったその場しのぎに過ぎない。
根本的な原因が町の環境や生活にあるならば、回復魔法で除去してもやがては病に伏すのである。
まあ、回復魔法も人の力ではありますが……自らの足で立つというのはこういう事ではありませんよね。
またソフィアはため息をついた。
単にイグドラから回復魔法使いと竜に信仰が移っただけのこと。
使える力は使うべきだとは思うが、求めているのはそれを必要としない安定した日常だ。防げるものは防ぐに越した事は無いのだ。
が、しかし……
起こってからで良いと考えてしまうのは人の性。
「回復魔法でちゃちゃっと処理しました」「……」
そして求められれば応えてしまうのも人の性。
聖樹教ずっぽりの地はランデルのようには行かず、ミルトとランデル領民の根気と根性に頭が下がるソフィアである。
ランデルは一日にしてならず。
試行錯誤とミルトの評価を繰り返して今の衛生環境を築いたのだ。
対してソフィアの努力はまだ始まったばかり。
諦める時ではない。
だが突破口が見つからないのも事実だ。
人々が回復魔法を求める限り回復魔法使いは回復魔法をかけ続け、回復魔法がある限り人々は自ら動かない。
回復魔法、回復魔法、とにかく回復魔法と延々と寄進を捧げて求め続けるだろう。
「何か……きっかけがあれば」
そう、ランデルのように。
神は天に還った。
先日カイと芋煮で談笑していたが神は天に還ったのだ。
というか、あれだけの啖呵を切ったのに今でも入り浸りというのはどうなのですか聖樹様。カイさんと芋煮で談笑している位なら後始末して下さいよホント……
心で泣き言を言いながら、ソフィアは頭を抱えて考える。
聖樹教に求められているのは、昔も今も力と回復。
王侯貴族や富豪からは竜の祝福を、勇者からは世界樹の枝に代わる新たな力を、町という町からは回復魔法使いの赴任を求められている。
これにどうやって自ら考え高めていくという今の教義を入れれば良いのでしょうか……
と、ソフィアが頭をひねりにひねって考えて案が浮かばないとお手上げ万歳した頃、来客が現れた。
「ソフィア、ちょっといい?」
「システィ……」
ビルヒルト領主の妻、システィ・フォーレである。
外交にエルフに異界にとカイやソフィア以上にそこら中を飛び回っているシスティが疲れを癒やしにソフィアに会いに来たのだ。
「エルトラネのせいで疲れたわ。いつもの回復ちょうだい」
「システィも回復ですか」「何? 悩みがあるなら聞くわよ」
「実は……」
異界を討伐していた頃からの呼び捨ての仲。
そして今は種こそ違えどママ友。
ソフィアは回復魔法をシスティにかけながら悩みを打ち明ける。
システィは癒やされるわぁと回復魔法を堪能し、あっけらかんと答えた。
「酷い目に遭わせればいいじゃない」「それが王女の言う事ですか?」
さすがは命を張って異界と戦ってきた元王女である。
容赦無い。
「別に異界と戦えとか死ぬような目に遭えとか言ってないわよ。要は回復魔法使いをアテにしすぎて自分で努力しないから困ってるって事でしょ?」
「はい。そして回復魔法使いの数もぜんぜん足りません。彼らの陳情全てに応えていたら回復魔法使いの方が先に昇天してしまいます」
「だから酷い回復魔法使いを手配すればいいのよ」
「……そんな回復魔法使いはランデルにはいません」
「いるわよ。エルトラネに」「……」
すっかり回復したシスティが大きく伸びをする。
「ちょうど面白い品を紹介された所なのよねー」「実験台ですか?」
「まあね。売るのはちょっと無理だけどこういう事にはうってつけね。精神的に酷く疲れるだろうけどアテにしすぎたツケって事で、いいでしょ」「相変わらず厳しいですねシスティ」「元王女ですから」
システィが笑う。
そして一週間後、ソフィアとシスティはエルトラネのエルフ数人を引き連れてランデル領の隣、ルージェ領の外れの町を訪れた。
「聖樹教聖女、王国勇者ソフィア・ライナスティです」
「グリンローエン王国元王女、王国勇者システィ・フォーレよ」
「「「どうもーっ! 聖樹教の依頼で来た回復魔法使いでーっす」」」
「「……」」
あっけらかんと手を振るエルフの集団に門番は唖然。
ルージェ領でもエルフはちらほら現れていたが町の前に現れたのは初めてだ。
ソフィアの一行は判断するからと門番に止められしばらく待った後、町長の許可が出たと町中に招き入れられた。
町の護衛が警戒する中、ソフィアの前で町長が頭を下げる。
「この度は我が町の陳情をお聞き頂き感謝いたします。ですが、その……大丈夫なのでしょうか?」
「すみません。今の状況では回復魔法使いが疲弊してしまいますのでランデル近隣はエルフに任せようと考えているのです」
「大丈夫よ。ランデルはいつもこんなもんだから」
「そ、そうなのですか……ランデルは進んでいるのですな」
「ではエルトラネの皆様、お願いいたします」
「「「それでは回復回復ーっ」」」
エルトラネの皆がひゃっほいと町中に散っていく。
エルフは人より魔法に強い。
普通の回復魔法使いならば数日かかる所を一日ですぱっと回復、町の皆を回復して衛生環境の改善もして見せた。
成果があれば現金なもの。
町長はホクホクである。
「いやぁさすがエルフの皆様、お強くていらっしゃる」
「ありがとうございます」
「しかも皆、気さくな方ばかりですな。エルフは皆このような方々なのですか?」
「はい。話せばわかる良い方々ですよ」
「そうですか。こんな方々なら我らも大歓迎でごさいます。今日はもう遅いですから宿でお休み下さい」
「お心遣いは有り難いのですが少し騒がしくなりますので……天幕を張れる場所をお貸し頂ければ」
「では中央の広場をお使い下さい」
「ありがとうございます」
笑顔の町長が去って行く。
その背にシスティは呟いた。
「まあ、明日には手の平返してるでしょ」「……ですね」
そう、ハーの族であるエルトラネは眠らない。
夜には夜の顔があるのだ。
「「「すぺっきゃほーっ!」」」
月が町を照らす頃、ピーは町の広場で雄叫びを上げる。
そして彼らは踊り出す。
昼間の明るさとは方向の違うイッちゃった明るさである。
「うわぁ……」
その姿にさすがのソフィアもドン引きだ。
それは町の皆も同様。
窓をわずかに開いて覗き、エルトラネの夜の顔に驚いている事だろう。
しかし家の扉は固く閉じられ、誰一人として外に出て来る事は無い。
文句の一つも言いたいだろうが相手は勇者にして元王女のシスティだ。
ヤバい事には近付かない。平民の長生きの秘訣であった。
「エルトラネでは毎夜こんなものよ」「宿泊した事があるのですかシスティ?」
「まあね。あまりのうるささに一睡もできなかったけど」「……」
システィは踊るピーらの前に立ち、号令した。
「さああんた達、例のブツの成果を示す時よ」
「「「ひゅっぱーっ!」」」
ピー達はシスティに応えて荷物から臼を取り出し、懐から袋を取り出した。
ミスリルである。
ごーり、ごーり……
ピー達はミスリル粒を魔力刻印輝く臼で粉状にするとそれを集め、口の中へと放り込む。
ごくり、とピー達の喉が動いた。
「へー、エルフってミスリル食べるんですね」「驚かないのね」「まあうちの子達もミスリルは食べますから」「……そうだっだわね」
だんだん竜の価値観になってきたソフィアである。
ミスリルを飲み込んだピー達は自らに回復魔法をかけながら踊り騒ぎ、やがてふんぬと気合いを入れた。
ぽぽん、ぽぽぽん。
エルフの尻から花が咲く。
「えーっ……」
あまりの光景に唖然のソフィアだ。
見事な一輪咲きのそれをピーはむんずとひっこ抜くと回復魔法で滅菌し、ぶすりと路地に植えていく。
「い、いいんですかアレ?」
「いやー、材料もアレだけど作り方もこれだから売るのはちょっと無理なのよねぇ……あの花は本当にすごいんだけど」
「いやいやダメですよアレ。まるで躾のなっていない犬ですよ」
「回復魔法で滅菌してるから大丈夫大丈夫。それよりあれすごいのよ。体組織の中にミスリルを含む珍しい花なんだけど、ピー達はそこに微細な魔力刻印を刻み込んで機能を持たせているの。生物を魔道具にしているのよ!」
「あぁ、だからさっきミスリル粉を飲んでたんですね」「そうよ。腹の中で魔力刻印を刻んでいるのよすごいわエルトラネ!」
「……システィも相当イッちゃってますね」
システィのはっちゃけっぷりにドン引きのソフィアだ。
「うっさい。それが王国と子供の為になるなら肥溜めにだって飛び込むわよ私は。それにしてもミスリルが体組織に必要な花があるなんて世界は広いわね。何て花なのかしら」
首を傾げるシスティにソフィアが答えた。
「パレリの花ですよ」「へ?」「ですからパレリの花です。蜜が不老不死の霊薬の材料と伝承される伝説の花ですよ」
「ま、まあ伝説だし知らなきゃ問題にはならないわ。うん……あんたもよくそんなの知ってるわね」
「うちでは自生していますから。おひたしにすると美味しいですよ」
「……あんたの外れっぷりも相当よ」
「マナの濃い所で生きる花ですから、すぐに枯れてしまうかもしれませんね」
「まあ、枯れちゃったら二人で土下座しましょう」
竜峰ヴィラージュでは普通に咲いてる花である。
元々マナの濃い場所にしか咲かない花だがミスリルはマナが豊富な場所で生成される特殊な金属。あの花にミスリルが必要なのもなるほど納得だ。
「「「ぷるっぷるーっ」」」
ピー達は次の場所へと駆けていく。
ソフィアが植えた花を見てみれば確かに妙なマナの流れがある。目で見えないほど細かい魔力刻印が刻まれているのだ。
作るブツもイッちゃっているが魔法技術もイッちゃっている。
何もかもがハイ過ぎるエルトラネだ。
ピー達は夜通し騒ぎ、尻で咲かせたパレリの加工花を町の至る所に植えて回る。
そして次の日。
一睡も出来なかった町の人が恐る恐る家を出てみれば力強く咲く一輪の花。
見目麗しいがエルフの尻からぽぽんと生えた花に、誰もが嫌な顔をする。
そして花の横には、なぜか一冊のノート。
「……観察帳?」
それを見て、首を傾げる町民達。
広場では町長がソフィアとシスティに食ってかかっていた。
「一睡もできませんでしたぞ何ですかあれは!」
「だから少し騒がしくなるって言ったじゃない」
「少し! あれのどこが少しですか! それにそこら中でなされた粗相は何なのですか!」
尻から生やした花をそこら中に植えて回る。
そんな事をしたエルフに町長が怒るのも無理はない。
しかしシスティは涼しい顔だ。
「まあまあ。それよりこの花、不潔な場所だと枯れるから」
「そ、それが何か……?」
「今はエルフの力で清潔だけど、枯れたらまた植えに来るから大事に育ててちょうだいね」
「「「ちーっす」」」
「わ、わが町はエルフの便所ではありませんぞ!」
「清潔にしていればいいだけの事よ。配布した観察帳に育て方も書いてあるから参考にしてちょうだいね」
町長、激おこ。
しかし相手は元王女のシスティである。
天と地ほどの身分の差に町長が出来るのはせいぜい文句までだ。
そしてソフィア一行が去った後で町長は町の皆を集め、観察帳を手に叫ぶのだ。
「絶対に枯らすな! 二度とエルフ共に町を蹂躙されてはならぬ!」
またあんなのに来られては落ち着いて眠れない。
人々は記録帳を手に花の姿を観察し、記録し、その日の家族の体調を記し、育て方に記されたまま薬師ギルドから調達した薬草の絞りかすをまいて回る。
観察、記録、そして考察。
経験の積み重ねは人を少しずつ変えていく。
「お前んちの便所花、しおれてるじゃねーか」
「やべぇ、エルフが尻花植えに来るぞ」「えんがちょ」「えんがちょーっ」
見えなければ注意しなくても見えれば注意するようになる。
しおれた花は不潔の証。
そして集められた記録はその正しさをものがたる。
しおれた花が咲く店先で買った食べ物で腹を壊したり、病に伏したりすればなおさらだ。
人々は自らの花を大事に育て、近所の花を監視し、時にはその世話をした。
皆が記した記録で成果が見えれば手の平くるん。
一年後、様子を見に来たシスティに町長はホクホク顔で語るのだ。
「いやぁ、あの時は激怒しましたがなるほど納得。病に伏す者が半減しました」
「良かったじゃない」
「あのエルフ達にもよろしくお伝え下さい。夜、静かにして頂けるのでしたら我らも歓迎いたしますぞ。それと粗相もお控え下さいお願いします」
そしてランデルでは回復魔法使い達を前に、今日もソフィアが頭を抱えるのだ。
「さすがはエルフ。伊達に長生きではありません」
「私達はアレに学ばねばならないのですね」
「くうっ……信仰の道は厳しいぜ」
「よし、まずは奇声の練習からだ。ぷ、ぷるっぷーっ」
「「「ぷるっぷーっ」」」
「やめなさい」
そこに意味はありません。
たまらずソフィアはツッコミを入れた。
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