8.ルーキッドは今日も頭を抱えている
「ルーキッド様、本日の決裁書類をお持ちいたしました」「うむ」
ランデル領館、執務室。
先日新築されたランデル領館(賃貸)の執務室で、ルーキッドは静かにペンを走らせていた。
認可、認可、却下、再考、再考……
書類をさらりと読み、部下の判断を一考して最終的な決断を下す。
書類不備や簡単な案件などは部下が処理しているがある程度の案件、都市計画や聖樹教、エルフやオルトランデルに関する事は領主ルーキッドの処理案件だ。
ランデルの規模はもはや弱小宿場町ではない。
聖樹教の回復魔法使い達が居を構え、オルトランデルではエルフとの交易が始まり、領の各地をエルフが巡礼と称してさまよい畑の収穫は増加の一途。
最近は異界の者まで歩き回る有様だ。
おかげで他領からのちょっかいも半端無い。
特に辺境側のルージェ領からは冒険者が流れ込み、地元民と問題を起こし始めている。
冒険者は金の匂いに敏感なのだ。
そろそろ領兵を増やさねば細かな問題に手が回らんな……
予算を検討せねば。
ルーキッドは信頼する部下達の苦悩に心で頭を下げる。
領主が承認した武力。
それが領兵だ。
権力の後ろ盾を持っている領兵と好んで争う者はいない。
争いを刃傷沙汰に発展させないためには非常に重要な武力だ。
しかし、領兵は金がかかる。
給料、装備、訓練、教育……荒くれ者では領の治安は守れない。
しかるべき知識と教養が必要なのだ。
ソフィアの学校にルーキッドが出資しているのも、ランデル出身の者から優秀な者を雇用したいからである。
よくわからない流れ者より出自の知れた地元の者。
信用とは一日にしてならずだ。
まあ幸いな事に他領のちょっかいも治安も大問題には発展していない。
ランデルの空には人などとても及ばない、脅威が舞っているからだ。
『おおーふっ、おおおおーふっ……』
机の横ではバルナゥが鼻歌を歌いながら金貨を磨いている。
大竜バルナゥ。
全長二十メートル以上の体躯を誇る巨大な竜だ。
これが領主の館に入り浸りルーキッドルーキッドと甘える様を目の当たりにして、問題を起こそうとする者はまずいない。
関われば災厄、関わらなければ風景。
ランデル領で問題を起こすという事は竜に関わる事でもある。
だから問題が発生しても大きくはならず、不正がはびこる事もない。
ただそこでごろーんと寝転び金貨を磨いているだけで、バルナゥはルーキッドを助けているのだ。
「……金貨が寂しいな」
『おおーふ?』
と、昨日一年分を先払いしたルーキッドにより寝床の金貨は千枚を超え、バルナゥの寝床は体裁が整い始めている。
バルナゥ一家のもたらす安全に比べれば、この程度の金貨は安いものだ。
「バルナゥ様、磨き方はこんな感じでよろしいですか?」
『ふむ、さすがはカイル。細かい所までよく磨かれている』
「ありがとうございます」
バルナゥの横では、幼子のカイルが共に金貨を磨いている。
両親が異界と渡り合う勇者だからだろうか。
まだ幼子なのにバルナゥを前にしてこの平常心である。
将来は国を背負う大物となるだろう。
我が息子はカイルの下で働く事になるかもしれぬな……
書類にペンを走らせながら、この前帰省した息子の様に苦笑するルーキッドだ。
王都の大学に通うルーキッドの十八歳の息子は帰省の際バルナゥと出会い、ぎこちなく挨拶をしただけで王都に逃げ帰ってしまった。
まあ、大竜バルナゥを前に挨拶出来ただけで良しとするべきだろうな……
ルーキッドも最初はひどいものだった。
ごろーんを止めるだけで命がけ。
毎日会いたくないと胃痛に悩んでいたものだ。
ランデル領主の責任がなければ、息子のように逃げていたに違いない。
「バルナゥ様の寝床もだいぶ様になってきましたね」
『ルーキッドが家賃を前払いしてくれたからな。おぉ、ルーキッドが我の寝床が寂しいと金貨をまいたあの日の事、昨日のことのように思い出す』
「まあ、昨日の事だからな」『おおーふ、ルーキッドナイスツッコミ。我が金貨に思い出チャージだ』「良かったな」
たまに相手をしてやらないと、すねる。
そして瞬きにも満たないルーキッドの生を刻んでやらねば去った後に寂しがる。
長い命というものも面倒なものだなと思うルーキッドだ。
「それはそうとバルナゥ、お前の仕事はいいのか?」
『ビルヒルトの事なら今日はビルヌュとルドワゥがやっている。ビルヒルトが今のザマなのは自らの責任だと飛び回っておるわ』
「……転生か」『然り』
両者ともビルヒルト領には深い縁のある竜だ。
ビルヌュはエルトラネの里を、ルドワゥはホルツの里を庇護していた。
それらが問題を起こし異界の蹂躙を許したのも二者が勇者に討たれたからだ。
それが無ければ人はエルフの領域に手出し出来ず、異界が顕現しビルヒルト領が荒廃する事も無かっただろう。
エルフの呪いが祝福に変わる事も無かったかもしれないが。
『そうだ、ルーキッドも竜に転生すれば良い。カイに頼めばあのバカ神共多少の無理は聞いてくれるぞ』「死んだ後の事まで求めるな」『おおーふっ』「私は今の人生を全力で全うする。それだけだ」『ルーキッド冷たい……』「まあ死んだら考えてみよう。死ぬまで待て」『おおーふルーキッド前向きに検討してくれ。でも長生きしてくれよ』「どっちだ?」『長生きプリーズ』
死んだ後の事は死んだ後に考えれば良い事だ。
ルーキッドは割り切って、書類の決裁を続ける。
物事を考え過ぎず、適度に割り切る事は非常に重要。
ルーキッドの父や祖父は割り切れずに恨みに走り、幸せではない人生を送った。
彼らの恨み辛みを聞きながら育ったルーキッドもあまり幸せな幼少時代ではなかったが、父や祖父は自らの人生でルーキッドに教えを授けてくれたと今では思っている。
反面教師というやつだ。
当のエルフと話していれば、アホな様に振り回されただけだとすぐわかる。
失われた財を取り戻す事などいくらでも出来た。
恨み辛みをぐっと抑え、まずは対話するべきだったのだ。
今は亡き父や祖父らは恨みを忘れて転生しているだろうか……
と、ルーキッドは埒もない事を考えながら決裁を終えた。
「では昨日陳情された案件に移ります」
「わかった」
ここからはルーキッドが頭を抱える有力者達の、アホな陳情の始まりだ。
ルーキッドは姿勢を正すと部下に始めろと指示を出す。
「まずエルネの里の長老からです。ぬぅおおう心のエルフ店の座席が少ないから今の二倍に増やして下さいお願いします。物置を撤去して座席増プリーズ」
「マオに言え。それと、あれは物置ではなく売り場だ」
陳情に「ぬぅおおう」とか「プリーズ」とか書くな。
心でツッコミを入れるルーキッドだ。
「次に免状を持つ老オークからです。ランデルの森で冒険者に襲われましたえう。取り締まって下さいえう」
「免状はオルトランデル内限定だ。戦利品になりたくなければ外に出ないか、冒険者ギルドに依頼して護衛をつけてもらえ」
「次はボルクの里の長老と薬師ギルドからです。夢で良いからエルフをモノにしたいと言う需要があるので幻覚妄想キノコを出荷したい」
「禁止だ。堂々と口説いてモノにしろ」
「次はエルトラネの長老です。システィが商品の販売許可をなかなか出してくれません。この前も聖剣『心の芋煮鍋マークツー』がダメでした。何とかしてーっ」
「それはシスティが正しい。聖剣ではなく鍋を作るように」
「次はシスティ様からです。ランデルに異界連絡通路を作らせてちょうだい」
「オルトランデルで我慢するように」
「次はエヴァンジェリンからです。もふもふ、もふもふわふん」
「……来れば執務中でももふもふしよう」
「次は匿名の大竜からでございます。もっとかまってプリーズ」
「直接言わんか!」『だってルーキッド毎日忙しい……』
「次はソフィア様からです。うちのバルナゥがご迷惑をかけてすいません。粗相は私に言って頂ければガツンと折檻いたしますので遠慮無く、そう遠慮無くおっしゃって下さい」「だ、そうだ」『おおーふっ』
考えるまでもない陳情の数々にルーキッドが即答する。
なぜ領主のルーキッドが答えねばならないかと言えば、相手がランデルの運命を左右する有力者達だからである。
どれだけアホな事を主張して来ようが無下には出来ないのだ。
これが最も重要な仕事とは……
心でトホホなルーキッド。
しかしそれを脇で見ていたカイルはにっこりと笑うのだ。
「ルーキッド様、楽しそうで何よりです」
「……まあ、楽しいかも知れぬな」
相手は有力者だが陳情は雑談と変わらない。
親交を深めていると考えればそれもまたよし。
言葉が互いに届く事をまず喜ぼう。
ルーキッドは楽な姿勢に座り直すと部下に続きを促した。
「次はまた異界の老オークからです。我らの信仰の芋煮の為にエルネと異界を繋ぎたいえう」
「カイが良いと言うなら好きにしろ」
「次は……」
陳情は続き、ルーキッドは答え続ける。
しかし先程までのトホホさは無い。
さぁ来るがいい。
どんなアホな事でもしっかり答えてやろう。
そのかわり、共にランデルをしっかり支えてくれよ?
ルーキッドは笑った。
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