5.ビルヒルトの困った事情
「アレク、こっちだ!」「うわぁっ」
ビルヒルト領の森の中。
アーの族、ホルツの里のベルガ・アーツはアレクを担いで走っていた。
周囲にはベルガが編成したエルフ勇者の姿がある。
勇者が手にするのはエルトラネの魔道具。
聖剣『心の芋煮鍋』。
抜き身の刀身が美しく輝き、鍋底が陽光にきらめく。
勇者はすでに臨戦態勢。
鍋に絶対の信頼を置くエルフ勇者は超本気だ。
「ず、ずいぶん遠いねベルガッ」「そうだな。予想外の地点だ」「僕らが予想していた場所はもっと南なのに……どこかの里にこっそりやられたかな?」「おそらくな。だが犯人捜しは後だ。飛ぶぞ!」「うっひゃああああっ!」
アレクを担いだままベルガが谷を飛び越える。
アレクの悲鳴が響いた。
「アレク師匠は相変わらずだなぁ」「師匠は強いんだけど、スタミナが無いよね」「そのあたりはシスティ師匠も同じだね」「まあ仕方ないさ。人には得手不得手があるものだ」「俺らがご飯に弱いようなもんか」「「「それだ」」」
エルフ勇者がベルガに続き谷を飛び越える中、アレクはベルガに担がれたまま。
エルフとは地力が違う。
短時間ならエルフ勇者を圧倒出来るアレクも長時間の戦いになると手も足も出ない。先に体力が尽きてしまうのだ。
これが本来の祝福されたエルフの力。
呪われていた頃は金級冒険者でも何とか戦えたエルフも、今や最上級の聖銀級でも苦しく特殊等級の勇者級が国宝級の武具を使ってようやく互角。
何かと足を引っ張るイグドラの超絶デバフで渡り合えていただけなのだ。
まあ、今はどこの冒険者ギルドも討伐対象からエルフを外している。
元々領地を森に食われた領主達が、賞金をかけていただけの事。
賠償すれば解決だ。
システィとアレクが間に入って決めた賠償は算定された損害額のおよそ倍。
領主達はホクホク顔で討伐を取り消した。
今や領主達は何とかエルフを領内に留めておこうと必死だ。
エルフに奪われ恨みを持った当事者のほとんどは他界している。
子孫に残されたのは損だけであり、返してもらえばそれもない。
倍返しなら得しかない。
結局は損得勘定であった。
「もうすぐだアレク!」「わ、わかった!」
ベルガはアレクを担いで森を走り、やがて開けた場所に出た。
森の中にぽっかりと広がった畑。
間違いない。無許可の畑だ。
今は何の作物も生えていない畑に……漆黒が浮かんでいる。
異界だ。
「来るぞ! 陣形を整えろ!」
「「「はいっ!」」」
ベルガはアレクを下ろして叫び、アレクは聖剣『心の芋煮鍋』を抜刀する。
アレクはエルフほど鍋に思い入れは無い。
だから剣のままである。
それでもこの剣は王国から貸与された宝剣グリンローエン・ユークよりもずっと強い。
アレク大好きシスティのおかげだ。
システィがエルトラネに注文を付けまくって鍛え直されたアレクの心の芋煮鍋は、アレクの意思で変幻自在に姿を変える走攻防全てを兼ね備えた剣に生まれ変わっていた。
構えるアレク達の前で漆黒が広がり、その中から何かが現れようと蠢く。
異界の主の登場だ。
「巻き込まれると何が起こるかわからん。距離をとれ!」
「「「はっ!」」」
あふれる異質のマナに皆がむせ、少し下がって聖剣をしっかり握る。
皆が睨むその先で漆黒は次第に姿を整え、見慣れた者の姿へと収束した。
見慣れた者……つまり、オークだ。
『……あ、どうも』
「こんにちは」
顕現したオークがペコリと頭を下げる。
そしてアレク達もペコリと頭を下げる。
友好的なエリザ世界の顕現である。
どうやらカイ大好きな同好の士が何とかしてくれたらしい。
さすがはカイ!
アレクは心でカイを絶賛し、剣を鞘に納めた。
「すみません。またご苦労をおかけしてしまって」
『老オークから話は聞いております。我らが神の世界の問題は我が世界の問題でもありますからどーんと、大船に乗ったつもりでどーんとお任せ下さい』
「本当にすみません。難しい話は後から来るガスパーから聞いて下さい」
ペコペコと頭を下げるアレク。
大掃除とはこの事である。
今、ビルヒルトは異界顕現真っ盛りなのだ。
原因はエルフ。
カイが導いたエルフはまずビルヒルトに集められ、ある程度の滞在の後に決断を促される事になる。
ビルヒルトに里を開くか、それともアトランチスに渡るか。
前者は特に問題ではない。
ビルヒルトでエルフが普通に暮らすだけの事である。
問題は後者。
アトランチスに渡る事を決めた里にある。
説明もする。下見もする。事前に滞在もしてもらう。
その上で里の皆で相談して決めてもらっているのだが、それでも行く先はやはり未知の土地である。
異界により行き来が楽になったとはいえ大海に隔てられた大陸はどこにあるかも曖昧。人間がいないという安心感はあっても不安を持つ里はやはりあるのだ。
もし異界と仲違いしたら?
もし何かの脅威が発生したら?
食べ物が無い状態で、帰る事ができなくなったら?
そんな里では、新天地へ渡る日が近づくにつれ不安が増していく。
そして期待を不安が上回った時、彼らは行動に移るのである。
そう。持って行くのだ。
ビルヒルトでこっそり畑を耕し、食べ物をしこたま作って持って行くのである。
かつてエルトラネが数十年に渡り搾取されて異界を顕現させていたが、エルフが自らのために行う搾取はさらに強烈。
豊かな地で人間が行う二期作、三期作などのレベルの話では無い。
祝福の力でわずか数分で栽培し、刈り取ってはまた願うのだ。
里のエルフ総出で行う願いは絶大な収穫をエルフにもたらし、数十年分の食料を手にエルフはアトランチスへと渡っていく。
完全な持ち出しである。
当然、持ち出したぶんビルヒルトのマナは減る。
ビルヒルトは今、不安なエルフが作った穴が無数に存在している状態なのだ。
「はぁ……やっぱり無許可畑だったな。アレク」
「せめて持って行った分を返してくれればなぁ……まあ、戦わないだけマシか」
「後で里を特定して請求を回すとしよう」「分割払いでいいよ」「当然だ。一括なんぞやったらアトランチスに穴が開く」「うわぁ……」
戦わないだけマシ。
確かにその通りだが、顕現したエリザ世界のマナで穴埋めする訳にもいかない。
おそらく唯一の友好的な世界。
このまま友好的であった方が異界を討伐する勇者としては楽なのだ。
アレク達が周囲を調査する間に執事であるガスパーが現れ、オークに諸々の書類を渡して説明を始める。
何とも平和な異界討伐現場だ。
そして説明が終わった頃、バルナゥが飛来した。
マナの埋め立ての為だ。
『アレクよ、急を要する埋め立て地はここか?』
「バルナゥ。頼むよ」
『私はどうすれば?』「オーク殿にはオルトランデル経由でお戻り頂きます」『我らが神には拝謁できますでしょうか?』「手配いたしましょう」『えうーっ!』
オークの歓喜の叫びが響く中、バルナゥがマナブレスを吐く。
マナをそのまま対象に当て、様々な変化をもたらすバルナゥのマナブレスはそのまま地を富ませる事も出来る優れもの。
バルナゥが持つ五万六千階層のダンジョンは異界から大量のマナを吸い上げ続けている。それをビルヒルトの地のマナ埋めに使っているのである。
バルナゥはしばらくマナブレスを吐き、他の地と変わらない程度に富ませた後ようやくブレスを止めた。
『ふむ、こんなものだろう』
「ありがとうバルナゥ」
『何の。では我はヴィラージュに戻り、マナを蓄えるとしよう』
バルナゥが飛び去っていく。
竜は世界を守る盾。時にはマナを地に与え予防も行う。
異界の顕現は言ってしまえばギャンブル。
無い方が楽なのだ。
「さて、我らも戻るか」「そうだね」
ベルガの言葉にアレクが頷き、さて帰ろうかと思った矢先……
祝福を経由したイグドラの声が響いた。
『抜かれたのじゃ! すまぬ!』
「抜かれた?」
『敵対する異界が顕現するぞ。汝ら覚悟せい!』
「……よりによってこんな時に!」「とにかく行こう」
ベルガがアレクを抱えて走る。
バルナゥはマナを蓄えにヴィラージュに戻った。
竜とて飯を食わねばブレスは吐けない。無い袖は振れないのだ。
だから今はアレク達が何とかするしかない。
イグドラの言葉に従いしばらく森を駆けたベルガと勇者とアレクはやがて広大な畑に到達した。
宙に先程よりも大きな漆黒が浮かんでいる。
異界だ。
「また、無許可の畑か!」
「強いのが出てくるよ! みんな注意して!」
「「「「はい!」」」」
ベルガが呻き、アレクが勇者に注意を促す。
構える皆の前で漆黒はうごめき、やがて一つの姿を現す。
アレクとベルガが顕現した姿を見て呟いた。
「ムカデかな?」「ムカデだな」
節を持つ長い身体に無数の手、そして巨大な顎。
まさしくムカデである。
しかし体は三メートルはあるだろう。ムカデではまずあり得ない巨体。
そして無数の手に宿るのは様々なマナの輝きだ。
異界の怪物はこの世界の何かを模す。あれはこの世界のムカデの姿を模し顕現した異界の主なのだ。
「でもあんな大きなムカデ見た事ないよ」「イグドラを天に還す時に出て来た三つ首の犬よりまともだろ。うちの神も色々試行錯誤しているのだろうさ」「そういえばあの犬、どの頭に身体が従うんだろうね?」「知るか。それより来るぞ!」
主の無数の手から魔撃が放たれる。
ベルガとアレクは後ろに飛び退き、エルフ勇者は鍋で魔撃を受け止める。
「うわっ!」「お、重いっ!」
鍋に納めた魔撃がエルフ勇者を押しのける。
数ではこちらの方が上。
しかし手数は相手が圧倒的だ。
無数の手が繰り出す魔撃はどれも重く、鍋で受ければ三歩も四歩も押し戻される。
異界の顕現のほとんどが友好オークの今では勇者も経験を得られない。
だから本物の異界の主に誰もが防戦一方だ。
鍋で魔撃を受けて、受けて、受けて……やがてエルフ勇者は皆、アレクとベルガが立つ場所まで押し戻された。
「ん?」「攻撃が、減った?」
主の魔撃が減っていく。
近付かなければ本気で攻撃する気は無いのだろう。ダンジョンが構築されるまで時間を稼ぐつもりなのだ。
時間が経つほど主は優位に立てる。
異界の顕現とはそういうもの。
主の間という空間を作り、そこに至る迷宮を作り、階層を作り……主は己の都合の良いように世界を食らい、変えていくのだ。
「これは、まずいな……まあバルナゥが戻れば一発だろうが」
ベルガが呻く。
しかしアレクはいつものように歩き出した。
「この程度なら待つ必要は無いでしょ」
「「「ええーっ!」」」
アレクの言葉に皆が叫ぶ。
主の手が再びマナに輝き、無数の魔撃が放たれる。
アレクはそれらを避けながら、主との距離を狭めていく。
「君らはまだ異界との戦いをわかってない」
避けきれなかったのだろう、魔撃がアレクの腕をかすって血しぶきが飛ぶ。
しかしアレクは止まらない。
そして口調もいつものままだ。
「勇者は主を殺すまで死なないだけでいいんだよ。その後で回復でも蘇生でもすればいい」
その通りだ。
討伐した後で蘇生すれば良い。その通りである。
しかしそれを実行できる者はまずいない。
恐怖に鈍り、痛みに止まる。
人とはそういうもの。
それを超越した者こそが、真の勇者なのだ。
「すげえなぁ」「死ななきゃいいって考えは俺には無理だ」「俺だって無理」「システィ師匠が惚れるのも無理ないわ」「あの戦い方で守られたら俺でも惚れる」「「「わかる」」」
エルフ勇者が見つめる先、魔撃を身体にかすらせ歩くアレクは血だらけだ。
しかしその口に浮かぶのはいつもの笑み。
生死の境も平常心。
相手を恐れず、痛みに止まらず、歩みが鈍る事も無い。
ただ、主の息の根を止めるだけで良い。
そのための身体だけ残っていれば良い。
致命的な傷だけ避けて、半端な傷はいくらでも。
剣が届けばとどめは刺せる。
「そして君も、主がわかってない」
そして剣を振り上げて、アレクは主に笑うのだ。
「主ってものは、もっと卑怯なんだよ」
死を前にした主の動きで急所の位置は見当が付く。
アレクは刀身を三叉の槍に変え、三つの急所を貫いた。
ギィイアアアアアアッ……
主の悲鳴が轟く。
「逃げて、隠れて、欺くものさ。僕が剣を振り上げた時、君は急所を防ぐべきじゃなかった」
笑って語るアレクの前で、主がザラリと崩れていく。
死んだのだ。
「……君のように素直じゃあ、主はやっていけない」
アレクは笑い、崩れ落ちた。
「回復!」「はいっ!」
ベルガが叫び、アレクを回復の光が包む。
「アレク……お前、すごいな」
「当然さ」
癒やしの光の中でアレクは笑い、そして叫ぶ。
「だって僕にはカイが付いているもの!」
「「「そこはシスティ師匠と言ってやって下さい!」」」
「だって今日は火曜日だから! だから僕はカイを願うのさ!」
「「「うわぁこの人ダメな人だぁ!」」」
「さすカイ!」
血みどろで元気に戦利品カイを願うアレクにエルフ勇者がツッコミを入れる。
そして皆、システィ師匠がいなくて良かったと胸をなで下ろすのであった。
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