11-14 ほら吹きじいさんのおとぎ話
全ての聖教国は、壁によって囲まれた。
手にした武具はその力を発揮できず、天から降り注いだ輝きは彼らを救ってはくれなかった。
彼らは自らを変える事が出来なかった。
そして彼らは、何者かが自らを変える事を欲していた。
変えられないからこそ他国を異界やエルフのように虐げ奪おうとし、変えて欲しいからこそ去って行った輝く者を侵攻で挑発した。
我らは変われぬ。貴様が変えろ。
神の絶大な力に頼り生きていた彼らはどこまでも空虚で傲慢、そして他力本願。
しかし他力本願は他人次第だ。
かつての神が力を与えたからといって次も与えてもらえるとは限らない。
あったかご飯の人の輝きは彼らではなくミスリルに注がれ、ミスリルに新たな役割を与えた。
聖教国を囲む鍋となり、人々を煮込め。
ミスリルの壁は輝きにひれ伏し鍋の縁となり、武具は農具に変わる。
聖域『心の芋煮鍋』。
あったかご飯の人が輝きで作り上げたそれは彼らを決して逃さぬ檻。
そして彼らを美味しく煮込む鍋。
その壁は壊れず、登れず、近づけず。
彼らは外に出ようとして諦め、輝きに変えられた者から奪おうとして竜とエルフに撃退され、やがて荒れ地に農具と化した武具を振り下ろす。
食わねば、生きていけない。
奪う事も出来ないので、自分で何とかするしかない。
力を失いただの人となった彼らは必死に鍬を振り、芽吹いた作物を守り、実りで飢えをしのぐ。
不思議な事に作物はすくすくと育ち、彼らは貧しいながらも何とか生きていく。
時にエルフが訪れ畑仕事を手伝い、時にミスリルを食した竜が恵みのマナを降らせて豊穣をもたらし、時にエルフでも竜でもない者が尻を叩いて導く。
しかし、彼らはもう知っている。
訪れる者達も神やあったかご飯の人と同じ、やがては去って行く者達だと。
今は幼い彼らをかき混ぜ、煮込んでいるだけの者達なのだと。
だから去るまでに自らの足で立たねばならない。
彼らは考え、畑を広げ、水を引き、作物の実りに笑い、そして泣く。
そして、時は過ぎる……
夕刻。
老人は、墓の前に立っていた。
墓は三つ。
そこら辺に転がっている石を積み上げただけの簡単な墓だが、老人はとても大事に扱い毎日の祈りを欠かさない。
朝に祈りを捧げ、鍬を振るって畑を広げ、夕方に語りかける。
それが老人の一日だ。
墓の周囲には実り豊かな畑が広がっている。
麦、芋、野菜、果樹、そして林。
全て老人と家族の手で育てているものだ。
かつてはエルフや竜が現れ助力をしてくれたが、十年前からぱたりと姿を現さなくなった。
今は老人と家族が力を合わせ、この田畑を守っている。
ただ田畑を耕し、広げ、食べ、そして寝る。
そんな毎日。
しかしそんな毎日も、たまには変わる事もある。
「……おや、珍しい」
墓を前にした老人は、荒れた道を進む馬車を見つけて呟いた。
おそらく行商の者だろう。
五年振りだろうか、それとも十五年振りだろうか……
男はそう思い、過去とのあまりの落差に笑う。
もうはるか昔の話。
全ては神の力のなせる奇蹟だ。
夕日が影を長く伸ばしていく。
馬車は荒れた道を揺らめきながら走り、老人の前で止まった。
「行商の者ですが、何か入り用の物はありますか?」
御者台の若い男が聞いてくる。
やはり行商人。
老人は鍬の泥を落としながら考え、そして答えた。
「そうですなぁ……来年生まれる孫に鍬があれば」
「それはおめでとうございます。一挺芋一袋でどうですか?」
「交渉成立ですな……おおい!」
老人が声を張り上げて家族を呼び、蔵から芋一袋を持ってこさせる。
行商人は受け取って袋を開き、芋の出来を確認する。
「どうですかな?」
「良い芋です。これなら二挺でも良い位ですよ」
行商人は荷台から鍬を二挺取り出して老人に渡す。
老人は失礼と断り何度か鍬を振り下ろし、土を耕す感触に頷いた。
「では二袋で四挺頂ければ有り難いですな。あとは魔光石、鍋、塩、ナイフ、鎌、斧、豆の種。それと紙と鉛筆と魔炎石……は贅沢ですな。ここは人里が遠いので調達も大変でございます」
「ハハハ、私もここに来るまで大変でしたから」
「そうでしょうとも」
老人は蓄えた芋袋のいくつかでそれらを調達する。
先が多少心細くもあるが、そこらの野草で嵩を増せば良い事だ。
老人は行商人が取り出すそれらを芋袋と交換し、最後にこう呟いた。
「そろそろ孫達に嫁と夫が欲しい所ですが……どうですか?」
「申し訳ありません。私には愛する妻がおりますので」
暗い荷台の奥、三人の女性が頭を下げる。
毛布を被っているが見目麗しい女性である事は一目で分かる。
老人はうちの孫達では太刀打ちできんなと笑い、はぁと肩を落とした。
「やれやれ。物はとにかく人は難儀ですなぁ」
「私が行く先で聞いてみましょう」
「何とありがたい」
「この芋の見事さを見せれば引く手あまたですよ」
「それではお願いいたします。もう日が沈みますが泊まっていかれますかな? 何のもてなしも出来ませぬが馬車よりはくつろげるかと」
「いえ、先を急ぎますので。あと、これをどうぞ」
「……よろしいのですか?」
「ええ。何か書き残したい事があるのでしょう?」
老人の申し出をやんわり断った行商人は、一束の紙と数本の鉛筆を差し出した。
馬車がゆっくり動き出す。
「ありがとうございます」
「では、ご縁がありましたらまた」
「その頃には私は墓の下でしょう。長男夫婦がお相手いたしますよ」
馬車が走り去っていく。
日は山に隠れ、世界を闇に沈めていく。
行商人が何かを呟いた。
ぺっかー……
馬車が輝く。
その輝きにはもう、人をひれ伏させる力は無い。
しかし老人はひれ伏した。
「おぉ……その輝きが、我らを神の人形から人へと変えてくれたのだ」
老人の名はケレス・ボース。
かつて聖都ミズガルズを統べる聖都七枢機卿家の一人。
そして聖都ミズガルズただ一人の生き残りだ。
かつてここには、絢爛豪華な都があった。
道は人を運び、魔道具が身の回りの事を全てを行う夢の都市。
世界樹の枝は竜の遺骸を食らって人々を潤し、何の不自由も無い地上の楽園をここに作り上げた。
かつてこの地は人間世界の中心であったのだ。
輝きが去っていく。
老人は立ち上がり、墓に語りかける。
「父上……貴方の言葉は正しかった。我らは全てを差し出し赦しを乞わねばならなかった。そして報いを受けねばならなかった」
聖教国が壁に囲まれて五十年。
自らを裁く事の出来ないケレス達に代わり裁きを下したのが輝く者、あったかご飯の人だ。
輝きでねじ曲げれば済んだ事をわざわざ壁で囲い込み、今も時折現れては手を差し伸べてくれている。
彼の考えはどうであれ、自ら改める機会を与えてくれたのだ。
「私が父上の言葉を信じていれば幾人かは救えただろう。そしてかつての妻よ、私が無理にでも引き止めていればお前だけは救えたのにな……すまん」
墓はケレスの父、かつての妻、そして救えなかったミズガルズの人々のもの。
もはやケレスしか死を悼まない者達の生きた証だ。
聖都ミズガルズが異界に飲まれた後、聖教国を頼ったケレスはまだ異界を使おうとする聖教国と対立して疎まれ、ただの荒れ地と化したミズガルズに追放された。
その時世話役として聖教国が同行させたのが今の妻だ。
神に最も近い枢機卿家をないがしろにはできぬと定期的に運ばれてきた食料や物品も天が輝き武具が農具に変わってからはぱたりと途絶え、ケレスは生きるために農具を手に取った。
そう、生きるために……
「おじいちゃーん」
「おぉ、今行くよ」
外はもう真っ暗だ。
ケレスは魔光石にマナを込め、淡い輝きをたよりに家に戻る。
家は古く、所々を修繕したボロ家だ。
かつてのミズガルズの家とは堅牢さがまるで違う。
「「「おじいちゃん、お帰りー」」」
「ただいまぁ」
しかし暖かさは比べるべくもない。
妻、長男夫婦、長女夫婦、次男夫婦、三男夫婦、そして孫達。
簡素なテーブルを囲んで笑う皆はあの頃にはなかったものだ。
満たされながらも空虚な日々は、誰に頼らずとも生きていけたミズガルズに神が授けた恩恵……いや、呪いだ。
ケレスは椅子に座る孫達の後ろを横歩きで通り抜け、自分の席に着く。
「ご飯はもう少し待っててね」「おうとも。美味しく煮込んでくれ」「あらまぁ、いつでも美味しいでしょう」「そうだな、ハハハ」
同じ時を過ごして老いた妻とは今でも仲睦まじい。
子供夫婦はケレス以上によく働き、畑をたわわに実らせる。
そして群がる孫達は大小の石を運んでケレスの開拓を手伝ってくれる。
小さくも頼もしいケレスの助手だ。
「おじいちゃん、またお話聞かせてー」
「いいとも。かつてこの土地には神が力を授けたすごい町があったんだ……」
そんな孫達に昔話を聞かせるのが、老いたケレスの楽しみだ。
「またじいちゃんのほら話が始まったぞ」「まったく、そんな話よく思いつくよね」「俺の子達よ。おとぎ話だからな」「わかってるよぅ」「でも面白いから聞かせてー」
「ははは……」
ケレスの瞳が涙に輝く。
にこやかに囲む子供も孫も、ケレスが本当の事を言っているとは思っていない。
しかしそれで良い。
そう。それで良いのだ。
あれは神が見せた儚き夢。常識を超えた力を偶然手にした事で起こった悲劇だ。
「馬がいらない馬車が走り、動く床が人をいろんな場所に運んでいたんだ」
「地面が動くの?」「ああそうだ」「「「うっそだーっ」」」「本当だよぅ」
語りながらケレスはしわくちゃになった手を見る。
畑を耕す手の何と小さい事か。
一生をかけて耕した畑の何と狭い事か。
しかし、これが人だ。
人ひとりの力で出来る事だ。
私はやがて、土に還る事だろう。
そしてこの身体は地を巡り、子らが育てる芋の一部となり食われるだろう。
煮崩れた芋は芋煮鍋の中で出汁となり、鍋を美味しくめぐるのだ。
父上、かつての妻よ、そして数多の友よ。
一足先に償いに旅立ったミズガルズの同胞よ。
私もすぐに旅立とう。
そして、願わくば……
「さぁ、ご飯が出来ましたよ」
「「「わぁーいっ!」」」
皆に椀が配られる。
「おじいさん」「あぁ」
妻が促し、ケレスは頷く。
ケレスは心で願い、いつもの言葉を口にする。
「いただきます」
「「「いただきます!」」」
願わくば、子や孫の糧として食われる生が与えられん事を……
三年後、ケレスは家族に看取られながら世界を去った。
彼が書き記した物語は訪れた行商人の手で世界に広まり、大好評を博して子らの生活を潤した。
『ほら吹きじいさんのおとぎ話』
彼の紡いだおとぎ話は子供達に愛され、読まれ続けている。
お読み下さりありがとうございます。
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