3-2 ハイエルフはラリるれろ
エルトラネ。
カイは二人とエルネの長老が嫌そうにその単語を言うのを聞いた事がある。
エルネとボルクの両方の里から関わりたくないと言われたエルトラネの里。
「ピーエルフえう!」
「ピーエルフです!」
「ピーエルフ?」
どうやら彼女がそのエルトラネの里のエルフらしい。
二人が叫び、カイが聞き返す。
しかしカイの言葉を聞いた二人は赤面した。
「……カイ、こんな時になぜそんな卑猥な事を言うえうか?」
「カイ、ピーなんてそんな大胆な」
「え? 意味違うの?」
「だからピーえうよ」
「ピー?」「うわ変態えう」「ピー?」「鬼畜」「ピー?」「猟奇えう」「ピー?」「……さよなら」「違いがさっぱりわからん!」「カイは高音がダメえう」「犬か!」
カイは叫んだ。
どうもカイのピーと二人のピーは意味が違うらしい。
理由も分からず変態扱いされてはたまらない。カイはピーと言うのを諦めミリーナにマイルドな表現を求めた。
「柔かく表現するなら『ハイ』えう」
「つまり、ハイエルフか」
「えう」
「もっきゅもっきゅはーっ!」
「うるさいピーエルフ」
明らかにイッちゃった目で踊りながら叫ぶエルトラネのエルフにルーが露骨に不快な表情を浮かべて呟く。
カイも全く同意見だ。
ハイというのはラリッてる方のハイなのかぁ……
と、妙に納得して彼女の奇行を見つめていた。
先ほどまで苦痛に歪んでいた表情は世界樹の葉で元気ハツラツ。歩いた所からニョキニョキ草が生える様にカイは慌てて荷物を抱えて距離を取る。
「荷物の方には行くなえう! ご飯が危ないえうぅ!」
「む、菓子は命の源」
「むっけぱらー、ぷーっ!」
「えうううぅううううう!」
「ぬぐうぅうううう!」
ご飯が危ないと割って入った二人にエルトラネのエルフの瞳が輝き、振られた腕の打撃が派手に二人を吹っ飛ばす。
二人でも相手にならないのかよとカイは彼女に戦慄し、荷物から対エルフ無敵武器である焼き菓子を出し封を切った。
「もっぺ」
ぎろりんぬ。
焦点を結ばない瞳が動いた。
目はイッちゃってる。イッちゃってるがよだれは顎を垂れ落ちた。
カイが歩き始めると彼女も踊りながら付いて来る。
見ていないようで彼女の視線は焼き菓子に釘付けである。エルフの体は正直で奇行に走ろうともご飯には抗えないのだ。
ある程度離れたところでカイは彼女に接近し、差し出された頭に焼き菓子を当てた。
「えうっそんなピーに勿体無いえう!」
「私の、私の焼き菓子……ぬぐぅ!」
吹き飛ばされた二人の恨み節が聞こえてきたが聞き入れている余裕は無い。カイは頭に当てた焼き菓子をそのまま彼女の口にぶち込んだ。
美しい口が歪み、開き、受け入れ、舌がうねりながら菓子を口内に誘い咥え込む。
静かな森にイッちゃってるエルフの咀嚼音が響き、そして……
「ひまぷぺ……こ、この度はお手数をおかけしてしまい、まことに申し訳ありません……」
「「まともに話せたのですか?」」
イッちゃっていたエルフの至極まっとうな謝罪の言葉に、二人のエルフが驚嘆した。
「私はハーの族、エルトラネの里のメリッサ・ビーンと申します。エルトラネの者として世界樹の葉という大切な品で命をお救い頂いたご恩をいつか必ずお返し致します」
先ほどまでイッちゃっていたのにまともだと礼儀正しい。
ものすごいギャップである。
「厄介払いだから! 絶対に恩返しとかいらないから!」
「なんて謙虚さ! ぜひお名前をお聞かせ下さい」
「カイ。カイ・ウェルスだ」
「カイ様! あぁ! 心震える素敵な響き……このご恩、メリッサは必ずお返しいたしますわ」
「まともえう! エルトラネがまともな事言ってるえう!」
「驚天動地。信じられない」
「くそぅ」
なんで理解してくれんのだ。
と、カイは思っているがどちらかと言えばメリッサの思考の方が正常に近い。
超高価超稀少な品で命を救われて恩を感じないならそれは無礼であり、さらに勝手に使ったから知らない等の反発も感じないなら異常である。
とにかく会話ができるらしい。
カイはメリッサに聞いてみた。
「まあそれはそれとして、なんであんな奇行を?」
「したくてしている訳ではありません。私達ハーの族のエルフは体に生える麻薬草の成分で精神がヤられてしまうのです」
「どこにそんな草があるんだ?」
「その……お尻に……」
「あ……なんか、すまん」
「いえ。それを駆逐するには食欲で塗りつぶすのが一番なので……すぴぱらぷんほーっ」
「それならいつも食べてろよ!」
ああ、駄犬すぎる。
カイは慌てて荷物に駆け寄り今度は銅貨一枚の焼き菓子を頭に当ててメリッサの口に突っ込んだ。
世界樹の葉は数日間能力が向上するほどの効果を持つのに麻薬成分には効果が無いのは何でだとカイは考え、あぁ世界樹産だからかと結論付ける。
とことん世界樹にいびられるエルフである。
「もんすもんすぱー! ……ありがとうございます。ありがとうごさいます!」
「俺の前では食べていてくれよ。頼むから、頼むから!」
「し、しかし食べ物を口に入れたまま会話するのは非常に失礼……えぺっぴりぷー!」
「奇行の方が失礼なんだよわかれ!」
今度は銅貨三枚の携帯食料で頭を叩く。
近くではミリーナとルーがえうぅぬぐぅと悔しそうにメリッサを睨んでいた。
さきほどからメリッサだけが飯を貰い続けている状況に不満タラタラで、いつ暴発してもおかしくはない。
「いいかメリッサ、ゆっくり味わって食べろ」
「はい。カイ様のお心遣い痛み入りますもぐもぐ」
いや、お前が面倒臭いからだ。
と、カイは内心叫びながら持っている食料全てを取り出し、三人の頭にポコポコと当て始める。
焼き菓子はルーが多め、携帯食料はメリッサ多め、肉はミリーナ多めだ。
そしてミリーナとルーに鹿でも猪でも竜牛でもいいから狩ってきてくれと土下座する。
イッちゃったメリッサに関わりたくなかったからである。
出会って数分でこの威力。
ミリーナとルーの言葉の通りエルトラネの里は半端無かった。
「土下座はこうえう! こうなのですえう!」
「む。そんな甘い土下座では食べ物は降って来ない」
「うるせえよ土下座講釈は後にしてくれ。俺ももうエルトラネには限界だわ」
「すいません、エルトラネですいませんもぐもぐ」
「カイ」
「なんだ?」
「今こそミスリルのコップの出番ではないえうか?」
ああ、そういえばそんなものがあったね。
ミリーナのマジレスに厳重封印されたコップを取り出して水を満たし、携帯食料を食べ終えつつあるメリッサの頭に当ててちびちび飲めと指示を出す。
「ありがとうございます。ありがとうございます!」
魔力刻印であらゆる身体異常回復を付与されたコップの水はやはり効果があったらしい。メリッサはちびちびと水を飲みながら土下座してありがとうございますを連呼する。
大竜バルナゥありがとう。
カイの中で世界樹の信用がストップ安まっしぐらであった。
「ところでエルトラネがなぜこんな場所にいるえう?」
「縄張りはもっと北のはず」
「はい……実は私、逃げてきたのです」
「何から?」
聞くカイにメリッサが答えた。
「人間からです。私達エルトラネのハーの族は主に草を成長させるエルフで、これまでもご飯で釣られ畑でラリるれ豊穣の手助けをしてきましたがマナを奪いすぎてしまい異界が顕現してしまったのです」
「異界、つまりダンジョンか」
「はい。エルフは植物成長で地のマナを奪いますが他の場所に持ち去る事は基本的にありません。マナは長い時をかけてその地に戻り、奪い過ぎる事にはならないのですが……」
「しかし人間は刈り取って持ち去った、と」
「はい」
カイの言葉にメリッサが頷く。
「エルトラネは食べながら警告し続けましたが人間達は豊穣を求めてご飯でエルトラネを釣り上げ続け、そしてダンジョンが顕現した責任をエルトラネのせいにして討伐を始めたのです。その時ご飯に釣られたのが私……」
「で、冒険者か何かに腹を掻っ捌かれたと」
「はい。ご飯でエルトラネを釣り上げた白金級冒険者の方々です。ダンジョンを攻略して一攫千金だ、と。幸いにしてダンジョンは勇者の方々が討伐いたしましたが」
カイの言葉にメリッサは頷き、コップの水をちびりと飲んだ。
まあそうだろうなとカイは思う。
カイだけがエルフは飯に目が無い事を知っているなんてうまい話がある訳がない。それを利用する人がいるのは予想できる事だった。
冒険者は命を賭けているのだ。
エルフを利用するくらい考えないはずがない。
それにしてもひどい話だ。
まず豊穣で儲け、さらに地の力を奪いつくしてダンジョンを顕現させ戦利品を目論みエルフ討伐で賞金を得ようとは外道にも程がある。
ダンジョン、つまり異界は王国の敵であり世界の敵だ。
顕現が確認され次第勇者級冒険者が派遣されて主が討伐される。
それを画策した者も当然討伐対象だ。
しかし討伐対象であるエルフが顕現させたとなれば罪はエルフに行くだろう。常にラリるれろなエルトラネでは利用されたと言い訳も出来ない。
アレクも大変だな……
と、こんな後始末を押し付けられる知人の勇者にカイは同情した。
「何とか拒めなかったのか?」
「ラリるれろなエルトラネにそんな判断力はありません。ご飯、しかもあったかご飯ですよ? 私達エルフにあったかご飯に抗える力があるとでも?」
「それは絶対に無理えう干し肉うまいえぅ」
「無理ですサクサク最高」
「切ないなお前ら……」
エルフ達の切ない食卓事情である。
しかし王国もバカでは無い。
エルフを利用して儲けを目論む商人や冒険者がいる事くらい承知しているはずだ。事は王国の国土に関わる事なのだ。
まあ、やらかした奴は王国が何とかするだろう。
と、カイは解決を王国にまるっとぶん投げる。
カイもミリーナとルーと同様、すこぶる面倒臭そうなエルトラネには関わりたくない。
怪物あふれる超絶危険な異界も同様だ。
「できれば今後関わらないで頂けるとすごく嬉し「このご恩はラリるれっても決して忘れませんわ。そう、決して!」……もう関わりたくないです忘れてくださいお願いします」
「謙虚な上に無欲。なんて素敵な殿方!」
「関わりたくないんだよ!」
「わかります。その厄介事に関わりたく無い気持ちはよくわかります。ハーの族は蘇生や回復、防御と強化魔法に長けたハイエルフですから魂を読む事など造作もありません」
「なら俺の気持ちも判るだろ!」
「ですがお見捨てにならないその姿に私は惹かれるのでございます。悪い事より良い事を考えるのがエルトラネ。ビバ、ポジティーブ!」
「うがあ面倒臭ぇっ! そのコップやるからエルトラネに帰れ!」
「ああ、エルトラネ全体のラリるれろまで心配して頂けるなんて! 呪いさえなければ土下座して尻の花を摘んでいただきましたのにごくり」
「えう? そ、それはエルネを捨てるという事ですかえうぅうううう!?」
あぁ、ダメだ。エルトラネ面倒臭ぇ……ヤクで頭がヤられてポジティブ思考半端無い。
と、カイは思うがこれもカイの方が通常から外れている。
国宝級のミスリルコップをタダで差し出すバカはいない。地道で普通な安定生活を求めるあまり感覚が異常になっていた。
付きまとわれたくないがもはや不可能だ。
ミリーナにすら太刀打ちできないカイがミリーナとルーの二人をまとめてぶっ飛ばすメリッサに太刀打ちできる訳がない。
カイは関わらないという選択肢を断腸の思いで捨て、せめてラリるれろを何とかしようと考える。
んー、水筒にコップにある解毒の魔力刻印を施したストローを差して吸えば効果が得られるはず……頭に乗せられるように作ればいちいち当てる必要も無いな。それなら帽子にポケット付けて飴でも入れられるようにしておけば湿気取りの魔力刻印だけで何とかなるような。食べている限りラリるれないんだし……ミスリルは出来るだけ少ない方が厄介事が少ないよね。うん。
小心者爆発の思考でカイは結論を出し、ミリーナに湿気取りの魔力刻印を作ってもらうように頼んだ。
「エルトラネと関わるえう?」「むむむそれは大問題」
「俺の能力で関わらずに済む方法があるとでも?」
「……ないえう」「それは無理」
カイのへなちょこっぷりを知るミリーナとルー、即答。
「どうしてカイはすぐにご飯をあげてしまうえう?」「む。まったく」
「お前らが厄介だからだよ」
しょんぼりと肩を落としてミリーナもルーも諦めた。
後日、カイがランデルの町で帽子を買って袋と魔力刻印を縫い付け試したところ、メリッサはジャラジャラと飴を鳴らして土下座を繰り返し感謝感激雨あられであった。
そして里の皆の分もぜひとも作って下さいとお願いされて、なし崩し的に引き受けてしまった。
地に頭を当てながら礼儀正しくお願いされると小心者としては嫌とは言えない。ラリるれなけれはメリッサは非常に礼儀正しくまともなのだ。
エルトラネにずっぽりハマってしまったと思いもしたが拉致でもストーキングでも無いエルフらしからぬ姿に感動し、まあいいかと思ってしまったカイである。
「ずっとお菓子ずるい!」
「えう!」
カイは二人があまりにうるさいので菓子をしこたま頭に当てる。
そして国宝級のミスリルコップは再びバックパックの奥底に封印されたのであった……